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坂野嘉彦 只今仕事中!

Banno Yoshihiko , Work in progress!

JMU中部マンドリンフェスティバルで

2009年04月14日 | 作曲
JMU中部マンドリンフェスティバルに参加する。これは中部地区に存在するマンドリン合奏団が集まり開催する音楽祭みたいなものだった。僕はそういった音楽祭がある事を知らなかったのでびっくりしたのだが、回数を見ると第25回である。年に一回ならば単純にみても20年以上はやっていたという事だ。不勉強といわれればその通りだが・・・・
まあ、それはさておき、今回はSTEPSのお披露目というのが第一の目的であるが、同時に僕がまったく知らない現在のマンドリン合奏団の現状を一望するというもう一つの目的もあった。百聞は一見にしかず、の実地である。

で、感想であるが、正直言ってフェスそのものはとても困難な物を感じた。ある団体は紹介アナウンスで「大切な場所と考えているので辛口の意見をお願いします」と言ったにも関わらず、誰に何時、どうやって伝えるかまったくわからない。僕はかなり言いたいことがあったので言うつもりだったのに。社交辞令ならやめて欲しいし、仲間内だけの意見交換ならばそんな事を舞台アナウンスで言うのは違う。また自分の演奏が終わるとステージ衣装のままさっさと帰ってしまう人、舞台裏の皆がスタンバイする楽屋でずっとガンガン自分の曲を練習している人(あんな沢山人が居るところでガンガン弾いたらうるさいし音がもれて迷惑)、難しそうなパッセージになると、とたんに明瞭に聞こえなくなる合奏団(指揮者も演奏者もまったく気にしていないよう僕には見えた)。また舞台の袖で演奏中にもかかわらず平気で足音を立てて歩き回る人人人人(客席からも聞こえたぞ!)・・・・・・。要は他人の音楽を聴くような状況じゃないのだ。祝祭的な中に音楽を通して沢山の相手を知るというフェス本来の目的が崩壊しているのではないだろうか。また選曲についても非常に偏りが見受けられる、というか工夫が足りないような気がした。どの作品も演奏も3分くらいは「ああ、きれいだし、よく練習してあるな」と安心して聴いていられるのであるが、それ以上はちょっと持たない。作品のクオリティが原因なのか、演奏に問題があるのか、それともその両方なのかは判断のわかれるところだと思う。そんな中でも作曲家、酒井国作さんが指揮して演奏していた彼の合奏作品「小さな記憶II」はいろんな面で明確だったし、作者自身の指揮なのでとても心を打つ演奏だと思った。これは最後の大合奏における小林由直さんの作品にも共通して言える事だ。小林さんが指揮した「シャコンヌ」も、とてもストレートで胸を打つ演奏だった。
 アマチュア合奏団を運営されている人の特徴としてだいたい共通しているのが批評(特に批判)の拒否だ。誰にだって多かれ少なかれこれはある。仕事や家庭の用事の合間の、ほんとうに貴重な余暇を、批評に怯えながら過ごすものではない。だいたいそんなのは楽しくない。しかし、音楽を、しかも人前で演奏するという事は、楽しい反面、多少の緊張(思考)を必要とするものだ。苦労して作った時間で演奏する音楽ならば、良い内容にしなければその「甲斐」がない。そして、良い音楽のためには批評、思考、考察、緊張は重要な要因だと僕は思う。音楽は「間違えずに弾く」「楽しく歌う」という事だけでは相手は聴いてくれないし、たとえ大人が我慢して聴いてくれたとしても伝わらないと思う。

 と、いろいろ考えることも多かったが、楽しい事もあった。打ち上げでは、せっかくの機会とばかり、4200円の会費を払ったにかかわらず、ほとんど飲まず喰わずで喋り捲り、大学で演奏している若い人たち知り合い、いろいろ話せた事。それに作曲家の小林由直さんと突っ込んだ話が出来た事など。小林さんが当日指揮をした自作の「星の庭」と「シャコンヌ」というマンドリンオーケストラ作品にたいして「あれは嘘のない自分の心なんです」という言葉を聞いて「ああ、本当に作曲家なんだなぁ」と、かなりうれしかった。僕がその日初演した「死せる白鳥」もちゃんと細部まで聴きこんでくれていて、ちゃんとその意味も把握しておられました。
 
参加することによって、感心したり、怒ったり、喜んだりしました。これを丹念に反芻し、次の策を練り始めます。