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坂野嘉彦 只今仕事中!

Banno Yoshihiko , Work in progress!

情報とは気がつかない情報

2011年09月01日 | 
もうひとつの太平洋戦争
戦時放送記者がいま明かす日本の対外宣伝戦略 二十一世紀図書館 並河亮著

たまたまテレビで東京ローズを見て興味をいだき、軽い気持ちで読み始めたが、かなり面白かった。著者はNHKの戦時中海外向けの宣伝放送を実際におこなってきた人であり、その淡々とした語り口に感情を抜きに記録を残そうという強い意思が伝わってくる。
昨年春ぐらいから、そして今年の震災後は特に情報の危うさを漠然と感じていたが、これを読んで、その危うさの意味が、かなりわかってきた。メディアがどうやって人を動かしたのか、外国に対してどのように牽制をおこなったのか等等、宣伝戦争の経緯と効果が時系列に述べられている。もちろんこれを読んだからといって実際の情報操作が出来るものではないと思うが、情報操作というのは、どのような過程でどのような効果を狙って動き始めるのかがわかる。つまり今だからこそ読むべき本だと思う。とくに目からウロコだったのは「反戦活動」さえ宣伝戦争のコンテンツ、つまり敵に対して武器の一つとして使う事ができるという事。第二次世界大戦時に既にここまで高度な情報戦争がおこなわれていたのだから、現代はいったい・・・・と考え込んでしまう。情報戦というのは情報であると気がつかない事が第一条件だという事も非常に納得できた。今の時代だからこそ知るべき知識だと思う。

アドルフに告ぐ

2010年05月20日 | 
一年前ぐらいに蔵書を一斉に処分した。その結果全体のほぼ3割程度の本しか残らなかったのだが、その時の基準は「子供に残したいかどうか」だった。もちろん是等の本を将来彼らが読むかどうかわからないが、男親の思考方法や倫理基準に興味を持ったときに手に取ってくれれば良いと思ったのだ。その選択の中で手塚治虫の漫画がいくつか候補になったときに悩みに悩んだあげく残ったのは「陽だまりの樹」と「アドルフに告ぐ」だった。どちらも手塚治虫晩年の大作だが、二つに共通しているものに気がついた。どちらも半端なく構成が緻密なのだ。漫画特有のああきたらこう出る、みたいなご都合主義は一切ない。この構成感が手塚治虫という作家の最大の特徴でもあるが、その作品群の中でもズバぬけて堅牢な骨格があると思う。
僕はどちらかと言えば「アドルフに告ぐ」が好きだ。「善と悪は紙一重」や「悪の中にも善があり、善の中にも悪がある」という、いまとなってはやや使い古されたテーマであるが、そこはさすが手塚治虫である。客観的に読ませるのはある種結論を語る部分だけなのだ。登場人物の思考段階やストーリーの進行上で読者にそういった客観性を持たせない書き方をしている。漫画特有のコマわりと、簡略化した台詞の魔術だと思う。漫画や映画なんかで難しい台詞を延々と書いたり、語ったりしているを見ると「この作者は生き物としての生理がないのか」と疑ってしまう事がある。実生活以外では、いや実生活の中でも簡略がいかに大切なのか、そしてその簡略化した事柄をいかに組み立てるのかを僕は手塚治虫で学んだ気がする。
とりとめもなく思った事を書いてしまったが、「アドルフに告ぐ」は、百年後も読まれていると思う。

メシアンの本

2010年05月13日 | 
ずっと手に入れたいと思いつつ、なかなか果たせなかったメシアンの「我が音楽語法」を入手。
とある人からとある経緯で送ってもらいました。ありがと~。意外に、平尾貴四男さんの翻訳が読みやすくびっくり。この種の書籍だと、伊福部昭氏の「管弦楽法」は半分くらい哲学的な考察もあるため、ある程度美しい日本語でないと読み辛いのだが、この「我が音楽語法」に関して言えば技術的な記述が多いため、過度の装飾は不要。その点翻訳のアマチュアでありプロの作曲家だった平尾氏の翻訳は秀逸だった。まあ「我が音楽語法」にも哲学的、あるいは文学的な側面もなくはないが、そのほとんどが自分の自慢話みたいな感じなので読み手にとっては不要である。というか、ぶっちゃけうっとうしい。
でもやっぱり面白い本でした。

正しい保健体育

2010年02月14日 | 
最近読んだ本の中では(といってもあんまり沢山読んでいませんが)ピカイチ。みうらじゅん、最高。
ただこの本ですが、名古屋市の某図書館で驚くなかれ、「子供の本」コーナーにありました。中身を読まず、みうらじゅんという名前にも反応しなかった司書の方。いいのかな~。まずいよ~。仕事しろよな~。この本、内容に嘘はないけど、小学校低学年向けにしてはあまりに真実が書かれすぎているぞ~。

エル・スール

2010年02月02日 | 
エリセの映画「エル・スール」の原作として知られている、アデライダ・ガルシア=モラレスの短編小説「エル・スール」をようやく読んだ。原作があり、映画ではなかった南部でのシーンが書かれているという事は知っていたが、映画を見てしまうと「別にいいや」となり、特に読みたいと思う事はなかった。しかし、先日ふと見かけ、「読まない理由もないよな」とようやく手に取った。映画よりもっと直接的でリアルな雰囲気をもっているが(そりゃそうだ)、ミステリー風な謎解きの部分も持ち、意外と読みやすい内容で驚いた。
ありゃ、なんだかアマゾンのコメントみたいだな~。

生態系と視点

2009年12月15日 | 
ワールドニュースはCOP15でもちきりでありますが、最近読んだ本の中でも目からウロコだったのが、
「自然はそんなにヤワじゃない 誤解だらけの生態系  (新潮選書)」花里孝幸著
でありました。書かれている内容に関して言えば、専門家の間では常識なのかもしれないが、視点を変えて物を考える事の重要性はヒシヒシと伝わってくる。いかに人間が視覚に頼る生物なのかという事も理解できた。やっぱり人間の思考ベースは視覚と聴覚なのだよ。

今、光瀬龍

2009年12月14日 | 
ひょんな事から光瀬龍「たそがれに還る」を再読した。その流れで「百億の昼と千億の夜」をさらに再読する。思えば5年に一度くらいの感覚で、どちらかの作品を読み直している。そして毎度の事ながらその圧倒的な世界観に打ちのめされるのだ。僕にとっては光瀬龍はリトマス試験紙だ。無機的な単語の奥にあるアトモスフェアを感じれなくなったときは要注意である。

ファーブルの写真集

2009年10月07日 | 
子供の頃もっとも読んだ本の一つがあかね書房から出版されていた中村浩氏の翻訳による「少年少女ファーブル昆虫記」だった。この本の秀逸なところは中村氏による読みやすい翻訳と、なにより本の巻頭に掲載された白黒の写真だった。これらの写真はファーブルと、彼の息子ポール氏が撮影したものでファーブルの生前はもちろん、彼が死んだ後にもポール氏がこつこつと追加撮影したものである。白黒写真に残されたスカラベの艶やかさ、カミキリムシの蛹の迫力、ゾウムシの可憐さは、今日の進んだ撮影技術をもってしても超えられない魅力を放っている。また、写真に残されたファーブルの研究室と、この本を借りていた旧大高公民館のロビーと妙に似た雰囲気があったせいか、ロビーで本を読む自分がまるでファーブルの研究室にいるような妄想、いや、違うな。そう、まるでファーブル自身になった気がして、かび臭いロビーを研究室を歩く学者のように、コツコツ足音を立てて歩き回ったものだ。
そんなファーブル親子が撮影した写真を集めた本があった。30年程前に出版されたものの復刻版である。万人にとって良い本かどうかはわからないが、僕のように子供の頃あかね書房の「ファーブル」シリーズを読んだものにとっては垂涎の書だとおもう。
昭和40年代生まれよ!必見、必読!

と上記のような事を熱ーく語り、この写真集を妻に見せたところ
「うわっ、うわっ・・・・・・ひえ~っ!」で終わりました。
オレのノスタルジーがっ!

図書館

2009年03月24日 | 
最近図書館へ入り浸りである。なぜかというと、まず、本が高くなってきたし、おまけに面白い本もつまらない本も同じくらい場所をとるのが許せないのだ。今までは大技という感じで半年に一回二度と読まない本、カバーは憶えているけど、内容を思い出せない本はブックオフへ持ってゆきザーッと掃除し、帰りにお好み焼きに変換してくるのが恒例であったが、すぐたまってきてしまう。現在子育て中の奥さんも研究者の一種なのでとにかく本を買ってくる。で、図書館なのである。最新本も頼めば入れてくれるし、落語や歌舞伎のCD、DVDなんかも見れて物凄くコストパフォーマンスが高いのである。で、とにかく開眼したのが「児童図書」の凄さである。童話とか絵本ではない。たとえば経済の問題から芸術まで物凄いクオリティでしかもわかりやすく解説した本がいっぱいあるのだ。本質は単純なのである。このことを児童図書はズバリ指摘してくれていると思うのだ。