アメリカの良心、チョムスキーが言語DNAの存在があるような事を匂わせて、それを探して人生を棒にふる研究者がいる、というようなブラックジョークかなんだかよくわからない話を聞いた事があるが、もしかして音DNAというものがあるかもしれないとふと思った。これだけ人種が沢山いて、星の数ほどの民族音楽があるというのに「これはいい音だ」と思う時の心の揺れ具合は全人類共通のような気がするのだ。もしかしてもう誰か研究しているかもしれないが、音DNAというのは言語DNAより高い確立で存在するような気がする。僕はとても調べる気にはならないし、その気があってもそういう事を研究する能力が皆無なので無理ですが、出来れば結論だけ知りたいです。はい。
CD発売しました!事務局によればかなり出ているようです。
よかった!
試聴ページ、解説ページありますのでお気軽にご覧ください。
試聴ページへのリンク
その他ホームページにサンプル音源、楽譜かなり更新掲載しました。そちらもどうぞ!
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しばらく更新をサボっていましたが遊んでいたわけではありません。最近マンドリンばっかではないか、と言われそうですが、ステップスという楽団と件のマンドリンを使って音楽を作っていました。CD化し6月18日より販売を開始します。そこでレコ発記念という事で期間限定試聴ページを作りました。かなり素っ頓狂で破天荒な音楽になっています。試聴曲、曲目解説は随時更新されます。皆!気を抜くなっ!
ページはこちらから(坂野のHP内に飛びます)
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作曲家の酒井国作さんから誘われてマテマテカンパニーという彼の作品、あるいは編曲作品を中心に演奏するマンドリン四重奏団のコンサートに行く。
3部構成からなるライブで最初のステージはマテマテカンパニーの演奏、次にゲストの尺八ソロ、そして最後に尺八とマンドリン四重奏のアンサンブルだった。一番記憶に残ったのは最初のマテマテカンパニーのステージだった。ティコティコから始まりこんなテイストでいくのかなと思ったら残りはすべて近代、現代曲という大技。ただし現代曲といっても酒井作品に代表されるように響き的にも聴きやすいものが中心になっている。ただ、四本のマンドリンがおこなう、トレモロ奏法(複弦をピックで素早く上下させ音を持続させる奏法)をずっと聴くともう曲の繊細な部分が吹っ飛んでしまい、リズムとしてそう書いてあるのか、それともトレモロ奏法として演奏しているのかわからなくなってしまう瞬間が何度もあった。正直トレモロを使わずバランスと音色をあわせたピッキング奏法で酒井作品は聴きたかった。そして、なぜトレモロするんだろうと素朴に疑問を持った。そりゃ「お前の耳がおかしい」といわれるかもしれないが、もう各パートの味わいなんて聴き取れな・・・いや、違うな。うーん・・・・そう、どうでもよくなってくるのだ!トレモロで演奏すると、音楽的に見事に書いてある楽譜も、「和音の音をテキトーに振り分けました」的なドイヒーな楽譜も、そんなに差が出てこない(これポイントかも)。
もちろんトレモロを使わずピッキングだけで演奏するスタイルもある事は知っているし、聴いた事もあるが、「我々は~トレモロしないのでっすっ。」という、ある意味、ちょっと乱暴な感じがして、あまり興味がわかなかった。僕が聴きたいのはその複弦独特の余韻を生かした演奏であり、特にマンドリン四重奏というインティミートなスタイルで、そして日本という土壌では、むしろ合っているのではないだろうか。
さて、そんな事を思いながら自宅に帰ると義父から国際電話が入ってきて急遽セントレアに降りるので迎えに来て欲しいとの事。なんでも仕事で上海に行っていたのだが、帰ろうとしたら風がひどいのでセントレア空港にしか降りられなくなったそうだ。最近中国は風がらみの飛行機事故を経験したばかりなのでかなり慎重になっているらしい。というわけで家族へセントレア空港まで夜ドライブに行きました。お酒飲んでなくてよかった。
3部構成からなるライブで最初のステージはマテマテカンパニーの演奏、次にゲストの尺八ソロ、そして最後に尺八とマンドリン四重奏のアンサンブルだった。一番記憶に残ったのは最初のマテマテカンパニーのステージだった。ティコティコから始まりこんなテイストでいくのかなと思ったら残りはすべて近代、現代曲という大技。ただし現代曲といっても酒井作品に代表されるように響き的にも聴きやすいものが中心になっている。ただ、四本のマンドリンがおこなう、トレモロ奏法(複弦をピックで素早く上下させ音を持続させる奏法)をずっと聴くともう曲の繊細な部分が吹っ飛んでしまい、リズムとしてそう書いてあるのか、それともトレモロ奏法として演奏しているのかわからなくなってしまう瞬間が何度もあった。正直トレモロを使わずバランスと音色をあわせたピッキング奏法で酒井作品は聴きたかった。そして、なぜトレモロするんだろうと素朴に疑問を持った。そりゃ「お前の耳がおかしい」といわれるかもしれないが、もう各パートの味わいなんて聴き取れな・・・いや、違うな。うーん・・・・そう、どうでもよくなってくるのだ!トレモロで演奏すると、音楽的に見事に書いてある楽譜も、「和音の音をテキトーに振り分けました」的なドイヒーな楽譜も、そんなに差が出てこない(これポイントかも)。
もちろんトレモロを使わずピッキングだけで演奏するスタイルもある事は知っているし、聴いた事もあるが、「我々は~トレモロしないのでっすっ。」という、ある意味、ちょっと乱暴な感じがして、あまり興味がわかなかった。僕が聴きたいのはその複弦独特の余韻を生かした演奏であり、特にマンドリン四重奏というインティミートなスタイルで、そして日本という土壌では、むしろ合っているのではないだろうか。
さて、そんな事を思いながら自宅に帰ると義父から国際電話が入ってきて急遽セントレアに降りるので迎えに来て欲しいとの事。なんでも仕事で上海に行っていたのだが、帰ろうとしたら風がひどいのでセントレア空港にしか降りられなくなったそうだ。最近中国は風がらみの飛行機事故を経験したばかりなのでかなり慎重になっているらしい。というわけで家族へセントレア空港まで夜ドライブに行きました。お酒飲んでなくてよかった。
昨晩、STEPSの番場君と6月に出すCDの打ち合わせ(主に仕入れ関係)をする。
以外に安くやれそうである。ほっ。
さて、Homepageのネタにと思い、過去の作品を整理し聴きなおした。「いつか整理しよう」と資料を片っ端からパソコンに放り込んでいたためファイル名の整理だけでも大仕事だ。いつかやらねばならないと、思っていたその「いつか」というのが今日だったと思い知らされ、「明日でも間に合う仕事は明日やれ」とばかり、いい加減なファイル名で登録していた昔の自分にムカついた。が、なんと、聴きなす作業自体はすごく楽しかったのだ。あまり面白かったので、ちゃんと整理してCDにまとめようかなと思っています。音源だけでなく、楽譜なんかも順次HPにアップしてゆく予定。
以外に安くやれそうである。ほっ。
さて、Homepageのネタにと思い、過去の作品を整理し聴きなおした。「いつか整理しよう」と資料を片っ端からパソコンに放り込んでいたためファイル名の整理だけでも大仕事だ。いつかやらねばならないと、思っていたその「いつか」というのが今日だったと思い知らされ、「明日でも間に合う仕事は明日やれ」とばかり、いい加減なファイル名で登録していた昔の自分にムカついた。が、なんと、聴きなす作業自体はすごく楽しかったのだ。あまり面白かったので、ちゃんと整理してCDにまとめようかなと思っています。音源だけでなく、楽譜なんかも順次HPにアップしてゆく予定。
憑かれたようにホームページを更新中。たいした事をしているわけではないのだが、ずっとキーボードを打ち続けるという、まさに「馴れない事」をしているので首にきてしまう。昨日はスコアをスキャンしてサンプル画像をいっぱい作ったところで、本当に必要なのはサンプル音源である事に気づきがっくりとなった。作ったこれ、どーすんだよっ!と自分につっこんでみても空しい事だよなあ。
JMU中部マンドリンフェスティバルに参加する。これは中部地区に存在するマンドリン合奏団が集まり開催する音楽祭みたいなものだった。僕はそういった音楽祭がある事を知らなかったのでびっくりしたのだが、回数を見ると第25回である。年に一回ならば単純にみても20年以上はやっていたという事だ。不勉強といわれればその通りだが・・・・
まあ、それはさておき、今回はSTEPSのお披露目というのが第一の目的であるが、同時に僕がまったく知らない現在のマンドリン合奏団の現状を一望するというもう一つの目的もあった。百聞は一見にしかず、の実地である。
で、感想であるが、正直言ってフェスそのものはとても困難な物を感じた。ある団体は紹介アナウンスで「大切な場所と考えているので辛口の意見をお願いします」と言ったにも関わらず、誰に何時、どうやって伝えるかまったくわからない。僕はかなり言いたいことがあったので言うつもりだったのに。社交辞令ならやめて欲しいし、仲間内だけの意見交換ならばそんな事を舞台アナウンスで言うのは違う。また自分の演奏が終わるとステージ衣装のままさっさと帰ってしまう人、舞台裏の皆がスタンバイする楽屋でずっとガンガン自分の曲を練習している人(あんな沢山人が居るところでガンガン弾いたらうるさいし音がもれて迷惑)、難しそうなパッセージになると、とたんに明瞭に聞こえなくなる合奏団(指揮者も演奏者もまったく気にしていないよう僕には見えた)。また舞台の袖で演奏中にもかかわらず平気で足音を立てて歩き回る人人人人(客席からも聞こえたぞ!)・・・・・・。要は他人の音楽を聴くような状況じゃないのだ。祝祭的な中に音楽を通して沢山の相手を知るというフェス本来の目的が崩壊しているのではないだろうか。また選曲についても非常に偏りが見受けられる、というか工夫が足りないような気がした。どの作品も演奏も3分くらいは「ああ、きれいだし、よく練習してあるな」と安心して聴いていられるのであるが、それ以上はちょっと持たない。作品のクオリティが原因なのか、演奏に問題があるのか、それともその両方なのかは判断のわかれるところだと思う。そんな中でも作曲家、酒井国作さんが指揮して演奏していた彼の合奏作品「小さな記憶II」はいろんな面で明確だったし、作者自身の指揮なのでとても心を打つ演奏だと思った。これは最後の大合奏における小林由直さんの作品にも共通して言える事だ。小林さんが指揮した「シャコンヌ」も、とてもストレートで胸を打つ演奏だった。
アマチュア合奏団を運営されている人の特徴としてだいたい共通しているのが批評(特に批判)の拒否だ。誰にだって多かれ少なかれこれはある。仕事や家庭の用事の合間の、ほんとうに貴重な余暇を、批評に怯えながら過ごすものではない。だいたいそんなのは楽しくない。しかし、音楽を、しかも人前で演奏するという事は、楽しい反面、多少の緊張(思考)を必要とするものだ。苦労して作った時間で演奏する音楽ならば、良い内容にしなければその「甲斐」がない。そして、良い音楽のためには批評、思考、考察、緊張は重要な要因だと僕は思う。音楽は「間違えずに弾く」「楽しく歌う」という事だけでは相手は聴いてくれないし、たとえ大人が我慢して聴いてくれたとしても伝わらないと思う。
と、いろいろ考えることも多かったが、楽しい事もあった。打ち上げでは、せっかくの機会とばかり、4200円の会費を払ったにかかわらず、ほとんど飲まず喰わずで喋り捲り、大学で演奏している若い人たち知り合い、いろいろ話せた事。それに作曲家の小林由直さんと突っ込んだ話が出来た事など。小林さんが当日指揮をした自作の「星の庭」と「シャコンヌ」というマンドリンオーケストラ作品にたいして「あれは嘘のない自分の心なんです」という言葉を聞いて「ああ、本当に作曲家なんだなぁ」と、かなりうれしかった。僕がその日初演した「死せる白鳥」もちゃんと細部まで聴きこんでくれていて、ちゃんとその意味も把握しておられました。
参加することによって、感心したり、怒ったり、喜んだりしました。これを丹念に反芻し、次の策を練り始めます。
まあ、それはさておき、今回はSTEPSのお披露目というのが第一の目的であるが、同時に僕がまったく知らない現在のマンドリン合奏団の現状を一望するというもう一つの目的もあった。百聞は一見にしかず、の実地である。
で、感想であるが、正直言ってフェスそのものはとても困難な物を感じた。ある団体は紹介アナウンスで「大切な場所と考えているので辛口の意見をお願いします」と言ったにも関わらず、誰に何時、どうやって伝えるかまったくわからない。僕はかなり言いたいことがあったので言うつもりだったのに。社交辞令ならやめて欲しいし、仲間内だけの意見交換ならばそんな事を舞台アナウンスで言うのは違う。また自分の演奏が終わるとステージ衣装のままさっさと帰ってしまう人、舞台裏の皆がスタンバイする楽屋でずっとガンガン自分の曲を練習している人(あんな沢山人が居るところでガンガン弾いたらうるさいし音がもれて迷惑)、難しそうなパッセージになると、とたんに明瞭に聞こえなくなる合奏団(指揮者も演奏者もまったく気にしていないよう僕には見えた)。また舞台の袖で演奏中にもかかわらず平気で足音を立てて歩き回る人人人人(客席からも聞こえたぞ!)・・・・・・。要は他人の音楽を聴くような状況じゃないのだ。祝祭的な中に音楽を通して沢山の相手を知るというフェス本来の目的が崩壊しているのではないだろうか。また選曲についても非常に偏りが見受けられる、というか工夫が足りないような気がした。どの作品も演奏も3分くらいは「ああ、きれいだし、よく練習してあるな」と安心して聴いていられるのであるが、それ以上はちょっと持たない。作品のクオリティが原因なのか、演奏に問題があるのか、それともその両方なのかは判断のわかれるところだと思う。そんな中でも作曲家、酒井国作さんが指揮して演奏していた彼の合奏作品「小さな記憶II」はいろんな面で明確だったし、作者自身の指揮なのでとても心を打つ演奏だと思った。これは最後の大合奏における小林由直さんの作品にも共通して言える事だ。小林さんが指揮した「シャコンヌ」も、とてもストレートで胸を打つ演奏だった。
アマチュア合奏団を運営されている人の特徴としてだいたい共通しているのが批評(特に批判)の拒否だ。誰にだって多かれ少なかれこれはある。仕事や家庭の用事の合間の、ほんとうに貴重な余暇を、批評に怯えながら過ごすものではない。だいたいそんなのは楽しくない。しかし、音楽を、しかも人前で演奏するという事は、楽しい反面、多少の緊張(思考)を必要とするものだ。苦労して作った時間で演奏する音楽ならば、良い内容にしなければその「甲斐」がない。そして、良い音楽のためには批評、思考、考察、緊張は重要な要因だと僕は思う。音楽は「間違えずに弾く」「楽しく歌う」という事だけでは相手は聴いてくれないし、たとえ大人が我慢して聴いてくれたとしても伝わらないと思う。
と、いろいろ考えることも多かったが、楽しい事もあった。打ち上げでは、せっかくの機会とばかり、4200円の会費を払ったにかかわらず、ほとんど飲まず喰わずで喋り捲り、大学で演奏している若い人たち知り合い、いろいろ話せた事。それに作曲家の小林由直さんと突っ込んだ話が出来た事など。小林さんが当日指揮をした自作の「星の庭」と「シャコンヌ」というマンドリンオーケストラ作品にたいして「あれは嘘のない自分の心なんです」という言葉を聞いて「ああ、本当に作曲家なんだなぁ」と、かなりうれしかった。僕がその日初演した「死せる白鳥」もちゃんと細部まで聴きこんでくれていて、ちゃんとその意味も把握しておられました。
参加することによって、感心したり、怒ったり、喜んだりしました。これを丹念に反芻し、次の策を練り始めます。
先日よりアナウンスしておりましたマンドリン関連の楽譜がムジークゾリスデンさんでも購入可能になりました。店頭、およびインターネット販売されています。独奏曲の「ソーロング、吉沢検校」(1500円)、「ハイパーカラーチェ!」(1500円)もこちらから購入可能です。
ムジークゾリスデン
ムジークゾリスデン
フィナーレと書いてピンと来る人は、音楽関係の仕事、あるいは音楽を演奏したり作ったりするのが好きな人だと思う。「終曲」という意味ももちろんあるが、むしろノーテーションソフトとしての名称が有名になっていると思う。僕はずっとこのソフトを使ってきたのだが、バージョン2007あたりから、あきらかにコンピュータソフトとしては終わりに近づいてきており、これ以上バージョンをあげる必要を感じなくなった。それに、2007では一つのパソコンにしかインストールできず、メインを自宅のデスクトップでおこない、現場用にノートパソコンへインストールしていた僕のような作曲家(いわゆる現代の作曲家達)には、まったく使えないソフトになってしまったのだ。それにノーテーションではそれほど発展する見込みがなくなったせいか、搭載音源ばかり高度化するという、本来の使用目的とは違う方向へ進んでしまっている。もちろん、そういった発展が悪いとは思わない。突然変異のようにソフトは変化し、我々が想像もつかなかったものへと進化してゆくのだと思う。しかし、音源を高級化したとしても、ロジックや、ソナー、もちろんプロツールスという専門ソフトとは根本的に勝負にならない事は皆、承知しているだろう。例を数え上げればキリがないほど現在のノーテーションソフトは困惑の度を増してきている。フィナーレはもちろん、シベリウスもしかりだ。
ここ最近手書きの楽譜を書く事が増えてきている。というか、音符をもった楽譜を書く事が減ってきているため、忘れていた事なのだが、しばらくぶりにフィナーレを使って改めてノーテーションソフトの黄昏時を感じた。情報によればフィナーレ2009は二台のパソコンにインストールが可能らしい。数年ぶりにバージョンをあげてみようかと考えている。そして、ほんとうにノーテーションソフトは作曲家と切り離せないものなのか、じっくりと考えてみようとおもう。
ここ最近手書きの楽譜を書く事が増えてきている。というか、音符をもった楽譜を書く事が減ってきているため、忘れていた事なのだが、しばらくぶりにフィナーレを使って改めてノーテーションソフトの黄昏時を感じた。情報によればフィナーレ2009は二台のパソコンにインストールが可能らしい。数年ぶりにバージョンをあげてみようかと考えている。そして、ほんとうにノーテーションソフトは作曲家と切り離せないものなのか、じっくりと考えてみようとおもう。