ばらくてブログ――おうたのかいオブさんのおおばらブログ――

おうたのかい作曲・歌唱担当オブさんが、日々のあれこれをてきとうに綴る、まとまりもとりとめもないいかがわ日記

シロウト考え休むに似たり(2)TPPから日本の農業を考えちゃったりする

2015-11-20 11:44:02 | Weblog
 先週からボケ防止も兼ねて始めた新シリーズ「シロウト考え休むに似たり」。今回は、最近巷(の一部)で話題のTPPから、日本の農業を考えちゃったりします。

人間、誰だって自分が大事

 連れ合いからよく、「あなたは本当に自分のことしか考えてない人だね」と叱られます。夕食のときなどに、台所で料理の支度をしている連れ合いを尻目にメールを打っていたり、ビールを飲むのに自分の分しかグラスを用意しなかったりしたときなどに言われます。確かに、それはまずいと自分でも思います。しかし、それは決して悪気があってしているのではありません。ついつい、自分のやることや行動にのみ意識が集中し、他の人(連れ合いを含む)のことまで気が回らないためにそのようなことになってしまうのです(とてもいいわけがましい)。もちろん、このような性格はほめられたものではないですから、何とか改善したいとは思うのですが、なかなか直らないのが辛いところです。
 とはいえ、人間誰しもそういうところがあるのではないでしょうか。自分と自分以外の人とを秤にかければ自分のほうが大事に決まっていますし(そうでない人ももちろんいらっしゃるとは思いますが)、自分優先で物事を考え行動するのは、大方の人がそうではないかと思います。「貧すれば鈍する」という慣用句がありますが、ふだんは思いやりに満ちあふれている人でも、いざ自分の生活や生命が脅かされるような追い詰められた状況に陥ってしまえば、他人のことなど構ってはいられなくなる人のほうが、やはり多いのではないか、と思います。

農産物は、ほかの経済物品と同列には扱えない

 話は飛びますが、だから、環太平洋戦略的経済連携協定(ウィキペディアでそう書いてました。早い話がTPP)への日本の参加について、私はつい「大丈夫かいな」と思ってしまいます。
 国際貿易や国際経済については全くのシロウトなので、新聞等での報道を読んでも、どこにどういうメリット・デメリットがあるのか今ひとつ理解できないところがあります。ただ、私が単純に気になるのは、農産物の関税を撤廃し、輸出入を自由化しよう、という発想です。
 私たちが生きていくために必要な最も基礎的なものは何か、と問われれば、それは当然食糧に決まっています。その食糧を、そのほかの工業産物というか商品と同様の経済物品として扱うというのが、私にはどうも納得できません。
 農民運動家の堀井修さんは、農産物自給を「食糧安全保障」という言葉で説明しています。私もその考えに賛成です。食糧は自分や自分の所属する社会が生存・維持されるための基礎として考えるべきで、それをそのほかの工業製品と同様に扱うのは誤りだと思うからです。食糧の基本は「自給」です。TPP参加は、日本における食糧自給をさらに難しくするという点で、あまり利口な選択ではない、と私は考えます。

「世界同時不作」が起こったら、日本はどうなる?

 アメリカやフランスなど、先進国の中でも農業自給率や輸出率の高い国は、実はものすごく自国農業を保護しているというのはよく知られています。それは当然で、自国の食べ物は自国でまかなうのが、実は安全保障の基本のキであるからで、さらに余剰の農産物を、「戦略的に」日本のような自給率の低い他国に輸出し、結果としてそれらの国を間接的に支配する道具として使っているわけです(これは言い過ぎかな)。少なくともすでに日本の現状は、アメリカやオーストラリア、そして中国のような食糧生産国との関係を断ち切ることは、現実として不可能な状況に陥っています。これでさらにTPPに加われば、どういうことになるのか。
 そもそも最近も、アメリカやオーストラリアでは異常気象のために干ばつや大雨や山火事などがあいついで起こり、トウモロコシや大豆などが不作に陥った、というニュースが報じられました。「TPP加盟国と自由貿易で仲良くしていれば、日本の農業なんか滅んでも大丈夫」とエライ人たちが思っているのかどうかは知りませんが、もし、世界的規模での不作や凶作が発生すれば、それまで日本に農産物を輸出してくれていた国も、当然自国の国民のためにそれを回すことになるでしょう。自国民を飢えさせながら、貴重な食糧を金儲けのために他国に輸出する国などあり得ませんから。そうなったとき、すっかり農業が衰退しきった日本は、どうやって食いつなげるというのでしょうか。

農民の皆さんは、尊敬されて当然の存在

 だから、農協の皆さんがTPP反対を訴えるのは当然です。もちろん、日本の農業の現状にもいろいろ問題はあるのでしょうが、それは、日本人の農業・農業者に対する意識の低さというか、ある種の「差別意識」(これも言い過ぎかな)にも原因がありそうな気がします。
 何しろシロウトなので、無茶なことを言ってしまいますが、私は、農業従事者は、いっそのこと「公務員」でもよいと思っています。社会の維持に欠かせない食料を生産してくれる農民の皆さんは、それだけで尊敬に値するし、尊敬されなければなりません。その方々とその仕事に敬意を表し、一定以上の収入を保障するのは、当然のことだ、とわたしは考えます。
 とはいえ、農産物はすべて完全自給であるべきだ、とまでは言いません。日本ではほとんど生産できない農産物だってありますし。ただ、日本社会に根づいている大切な食文化を維持していくための大切な農産物は、当然ながら自国のものでまかなうべきです。そのような重要な使命を担う農業従事者の皆さんは、社会的地位も収入も、もっと高くあるべきだ、と私は思うのです。

「強い農業」より「命をつなぐための農業」

 TPP参加を、「日本の農業に活力を与え、世界に通用する強い農業・農家を育成するためのチャンスだ」と考えている人も大勢いるようです。私が購読しているA新聞も、世間では「リベラル」と考えられているようですが、ことTPPに関してはけっこうイケイケで、農産物だってその他の工業製品と同じ商品だ、という主張を記事ににじませています(それをはっきりとは言い切らないところがまたイヤらしい)。私の上記のような心配も、杞憂である、と切って捨てられそうな気配です。
 しかし、「国際的に通用する強い農業」を展開できるのは、国土面積がものすごく大きく、農地も広く確保できているごく一部の国に限られます。日本の農家がどんなにがんばっても、スケールメリットはないわけですから限界があります。「高くても売れる、質の高い農産物を作ればよいのだ」という主張は、品質の高さを標榜していた日本の工業製品輸出がすっかり衰退している(すべてがそうだとは言いませんが)現状を見ても、とても信用できません。ついでに言えば、農産物を、単なるカネもうけのための物品の一つに過ぎない、と言わんばかりの言い方が私にはそもそも納得できません。
 そういうことではなく、繰り返しになりますが、とにかく自国民に食べさせるだけのものは自国で安定的にまかなうことのほうがはるかに重要だとわたしは思います。農産物は、基本的には生存ための基本的産物であり、「カネもうけ」の道具ではないのです。なんのために「国家」があるのか。それは、そこに所属する人びとの生存を保障するためにあるのではないでしょうか(いや、国家とは一部の人が権力をほしいままにするための巧妙なシステムだ、という考えもあるでしょうが、ここではそこは言及しません)。自国民を飢えさせない。そのためには、TPPは極めて危険な仕組みなのではないか、とわたしは思います。

 以上、前回同様シロウト考えまき散らしの乱筆乱文、どうかお許しを。事実誤認や明らかな間違いなどある場合は、どうか怒らず、やさしく指摘してくださいm(_ _)m。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。