【新聞・雑誌の価値】
≪予、平生雑誌を手にすることを好まざれば、毎月郵送し来る『中央公論』『解放』『女性』『新小説』『文藝春秋』等、幾多の寄贈雑誌は受け取るや否や、押入れの中に投げ込むなり。予、時人の為す所を見るに、新聞雑誌の閲覧には時間を空費して悔ゆる所なきものの如し。されど雑誌より得る所の知識果たして何ぞや。予は雑誌閲覧の時間を以て、古今を問わず学者のまとまりたる著書を熟読することとなせり。『中央公論』の増大号の如きを通読する時間を以てせば、『史記』『通鑑』の如き浩瀚なる史籍をよむこともまた容易なるべし≫(永井荷風「断腸亭日乗」)
∇上記日記は、関東大震災(大正12年)発生2年後の記事である。大震災当時、荷風は、<外観をのみ修飾して百年の計をなさざる国家の末路は即かくの如し。自業自得天罰覿面といふべきのみ>と政府の「軽薄・浅慮」を憤り、難波大助なる男が義憤により、摂政の宮を狙撃しようとして捕えられた書生の死刑に、<都下の新聞紙一斉に大書して>報じる新聞のゴシップ性向や、<白昼堂々として仁義道徳を説いて世を欺く偽君子(某政治家)ほど憎むべきものはなし>と、<古来の道徳文教蕩然として地を払ひたる今日の時勢>を痛烈に批判している。マスコミの廃頽や「偽君子」の闊歩を唾棄すべきことを、「論語」に言う<郷原は徳の賊なり>を以て義憤を漏らしたのである。<郷原は徳の賊なり>は、「実質が無く、上辺だけ善人を装う者は、却って徳を損なうものだ」の意。社会の木鐸(ぼくたく=世人を覚醒させ、教導する人)でありながら、つまらぬゴシップ事件をどの新聞も<一斉に大書>したり、狭量・偏見なる見解を以て政治批判するマスコミや、「国民の皆さん」「被災者の方々」と表面は君子面しながら、己が身の保全に汲々としている政治家たち。それを徹底的に憎んだのである。尚、荷風は新聞はよく読んでいる。内容なき雑誌を殊に嫌った。
∇我々もマスコミを監視しなければならない。政治にとってマスコミ報道は、社会の木鐸たるべき「橋渡し役」であり、世論形成に大きな影響を与えるからである。今回で第三弾。さて、最近新聞を熟読して気のつくことがある。朝日新聞を例にとれば、あるテーマに関して色々な立場の人々が自由に自論を掘り下げる「耕論」欄、及び「私の視点」欄、そして読者からの「声」欄に、傾聴すべき卓論が随所に顕現しているのに比して、当社の編集委員や政治担当記者、殊に国内記者の主張が偏狭化・固陋化してきていることである。先に幾つか紹介したが、今朝の「政治考」(星浩編集委員)を例にとって問題点を指摘してみたい。先ず、主張の組み立てにマンネリ化が見られる。彼は福島県出身の国会議員が地元の支持者から聞いた話、を切り出し文に使った。曰く、<最近、夜になると福島市や郡山市の川に土を捨てる人の姿を見かける。福島第一原発の事故以来、放射線量がなかなか下がらないので、子どもの健康を心配する親が庭の土の表面を削って川まで運び、捨てているのだ。通りかかったお巡りさんも、事情を知っているから注意できなかったという──。何ともやりきれない話だ。>と。そして<これに比べて、永田町の緊張感のなさには暗然たる思いを抱く。震災への対応が鈍かった。菅直人首相はじめ今の政権が、行政組織をうまく回らせていないことが一因だ。云々>
∇最初に被災地現地の悲惨な有様を述べて、次に内閣の不手際を問題にする。如何にも<暗然たる思いを抱く>かの君子面をして、震災への対応が鈍く、菅政権が行政組織を充分使いこなせなかった非を衝く。こんな手法と主張は、もう既に使い古された。単に政権批判するため、かつ野党寄りの、「ど素人的問題認識」と言っていゝ。当ブログでも何度となく主張してきたように、そもそも<震災への対応が鈍かった>とは具体的に何を指し、他の誰々が内閣を率いる政権ならそれができたのか。又、彼らなら、この“未曾有の大震災”でも上手く<行政組織を回らせ>得たのか。具体的ダメ事実に少しも触れず、“対岸の火”宜しく遠方より眺めるだけで、勝手に<震災への対応が鈍かった>で片付けてしまう。虚構を現実にすり替えて政府批判する“似非評論家”のやり方だ。しかも星氏は続いてこう書いた。<国策として進められてきた原発の事故が多くの悲劇を生んだ。菅氏はそれらの責任を逃れることはできないと覚悟はしている。だが、退陣時期を明言せず、それが「延命」と受け止められている。菅氏の器量不足のためだろう。>と。嗚呼、この文章の未熟さよ! しかも原発事故が、さも菅首相のせいであり、退陣時期を明言せず「延命」と受け止められているのが<菅氏の器量不足>だと言うのだ。原発事故の責任は素人でさえ理解しているであろうもっと奥深い、様様な要因に帰するべきだ。
∇そして最後は菅氏の「器量不足」というまやかしの常套用語で責める論理のいい加減さ!「器量不足」と誰もが言う。「延命」策は「器量不足」のせいか。政治学を少しでも学んだ人なら当然「ノー」である。「延命」策は政治戦術の一つだ。又、星氏に何度も質問しよう、「器量」とは具体的に何を指し、「器量」のある人とは、世界中を見渡し、過去の人物を含め、一体、誰々をイメージすればよいのか。そも/\、政治家を「人徳」や「器量」云々で測ること自体が大きな問題だと考える。政治家の役割とは何か。M・ヴェーバーの「責任倫理」と「心情心理」、或はオルテガの「統治する技術」及び「政権を獲得して維持する技術」等々を参考に、孰れ一文を草しよう。さて、星編集委員は、衆参両院がねじれている状態を打開するためには、菅首相が最近揮毫を頼まれると、「決然と生きる」と書いているが、それならば、<こゝは「決然たる退陣」によって各党に強力を呼びかけ、次の政権で政策が実現できる機運を生み出すことが最後の勤めだろう>と言う。これも今、巷間で誰もが口にする常套語の繰り返しだ。要するに星氏の主張は、何てことはない首相の早期退陣論に過ぎないのだ。そして申し訳程度に自民党にも原発推進の旗を振ってきた責任がある。<民主党との妥協で成果を出す「度量」を示す必要がある>で括っているのである。──失礼だが、こんな程度の編集委員の「政治考」なら、今更読むに及ばない。
∇星氏の所属する朝日新聞に載る「耕論」「私の視点」「声」欄に優れた「政治改革」案が続々登場している。偏狭化・固陋化してきている専門の政治担当論説委員や記者こそ、彼等の意見を傾聴すべきではないか。それは次回紹介しよう。今回はしつこいようだが、星氏の「時論」に代表される、マスコミの犯しやすい発想を払拭するためにもう一押ししておきたい。彼は主張の中でこう言っている。<県内に住む多くの人々は、見えない放射能におびえ続ける。有効な対策が打てない政治に憤りながらも、じっと耐えている>と。彼の言う「政治」とは「現政府=菅内閣」を指しているが、放射能対策に有効策が打てないのは即、菅内閣だけの責任だろうか。チェルノブイリ原発事故で被曝救命に当られた米国人医師・ロバート・ゲイル氏が「私の視点」で、<原子力事故はいつも突然起きる。どんな政府であれ、原子力問題に慣れていない政治家が、根底を理解することなく対応せざるを得ない。このため、ソ連であれ他の国であれ、あらゆる政府は放射能の事故が起きると、まず黙り込むか、否定する。政権を担う人が対処法を理解しておらず、理解している人の知見を結集するのに時間がかかるためだ。>と。その上、例えば魚野菜等の汚染対策だが、放射線量の危険レベルは、専門家でさえ諸説紛々だ。星氏がいとも簡単に<有効な対策が打てない政治に憤りながらも、じっと耐えている。>は、責任を現内閣にだけ押し付ける浅慮を自ら暴露していることにならないか。
∇又、多くの社説や野党議員が、<被災地はがれきの山だ。政府の後手対応が処理を遅らせている>と。もう一度言おう。大震災のがれき処理から住居問題、風評被害、放射能対策、…未来都市構想、そして財源問題等々の総てを「政府」の責任になすりつけるべきか。常識的には、具体的処理に関しては、政府は後方支援、即ち各自治体の要請を厳粛に受けて人・モノ・カネ・情報等の支援資源を用意する段階ではないか。がれきの処理や住居手当は、人的・金銭的支援はするが、細部に至っては自治体が陣頭指揮をふるう。政府とのつなぎ役は当地の国会議員や地方議員の役目だ。又、被災地のがれき処理、津波被害を受けた住宅の片付け、仮設住宅への入居に必要なのが“震災ボランティア”だそうだが、今日の朝日夕刊は<東日本大震災から3カ月半の間に、岩手、宮城、福島3県の市町村の災害ボランティアセンターを通じて活動したボランティアは延べ約48万3千人で、阪神大震災の約4割にとどまっていることが、全国社会福祉協議会のまとめでわかった。阪神では、同時期に約117万人が活動していた。…阪神大震災では、大阪など近隣の都市部を拠点に大勢のボランティアが訪れた。しかし、今回の被災地は首都圏から遠いうえ、発生当初のガソリン不足や交通事情の悪さも影響した。>とある。政府の責任追及という抽象論を叫ぶ前に、こうした事情を、それこそ<切迫感>を以てマスコミは把握し、より具体的な対応を提言すべだと思うがどうだろう。今日はこゝまで。
≪予、平生雑誌を手にすることを好まざれば、毎月郵送し来る『中央公論』『解放』『女性』『新小説』『文藝春秋』等、幾多の寄贈雑誌は受け取るや否や、押入れの中に投げ込むなり。予、時人の為す所を見るに、新聞雑誌の閲覧には時間を空費して悔ゆる所なきものの如し。されど雑誌より得る所の知識果たして何ぞや。予は雑誌閲覧の時間を以て、古今を問わず学者のまとまりたる著書を熟読することとなせり。『中央公論』の増大号の如きを通読する時間を以てせば、『史記』『通鑑』の如き浩瀚なる史籍をよむこともまた容易なるべし≫(永井荷風「断腸亭日乗」)
∇上記日記は、関東大震災(大正12年)発生2年後の記事である。大震災当時、荷風は、<外観をのみ修飾して百年の計をなさざる国家の末路は即かくの如し。自業自得天罰覿面といふべきのみ>と政府の「軽薄・浅慮」を憤り、難波大助なる男が義憤により、摂政の宮を狙撃しようとして捕えられた書生の死刑に、<都下の新聞紙一斉に大書して>報じる新聞のゴシップ性向や、<白昼堂々として仁義道徳を説いて世を欺く偽君子(某政治家)ほど憎むべきものはなし>と、<古来の道徳文教蕩然として地を払ひたる今日の時勢>を痛烈に批判している。マスコミの廃頽や「偽君子」の闊歩を唾棄すべきことを、「論語」に言う<郷原は徳の賊なり>を以て義憤を漏らしたのである。<郷原は徳の賊なり>は、「実質が無く、上辺だけ善人を装う者は、却って徳を損なうものだ」の意。社会の木鐸(ぼくたく=世人を覚醒させ、教導する人)でありながら、つまらぬゴシップ事件をどの新聞も<一斉に大書>したり、狭量・偏見なる見解を以て政治批判するマスコミや、「国民の皆さん」「被災者の方々」と表面は君子面しながら、己が身の保全に汲々としている政治家たち。それを徹底的に憎んだのである。尚、荷風は新聞はよく読んでいる。内容なき雑誌を殊に嫌った。
∇我々もマスコミを監視しなければならない。政治にとってマスコミ報道は、社会の木鐸たるべき「橋渡し役」であり、世論形成に大きな影響を与えるからである。今回で第三弾。さて、最近新聞を熟読して気のつくことがある。朝日新聞を例にとれば、あるテーマに関して色々な立場の人々が自由に自論を掘り下げる「耕論」欄、及び「私の視点」欄、そして読者からの「声」欄に、傾聴すべき卓論が随所に顕現しているのに比して、当社の編集委員や政治担当記者、殊に国内記者の主張が偏狭化・固陋化してきていることである。先に幾つか紹介したが、今朝の「政治考」(星浩編集委員)を例にとって問題点を指摘してみたい。先ず、主張の組み立てにマンネリ化が見られる。彼は福島県出身の国会議員が地元の支持者から聞いた話、を切り出し文に使った。曰く、<最近、夜になると福島市や郡山市の川に土を捨てる人の姿を見かける。福島第一原発の事故以来、放射線量がなかなか下がらないので、子どもの健康を心配する親が庭の土の表面を削って川まで運び、捨てているのだ。通りかかったお巡りさんも、事情を知っているから注意できなかったという──。何ともやりきれない話だ。>と。そして<これに比べて、永田町の緊張感のなさには暗然たる思いを抱く。震災への対応が鈍かった。菅直人首相はじめ今の政権が、行政組織をうまく回らせていないことが一因だ。云々>
∇最初に被災地現地の悲惨な有様を述べて、次に内閣の不手際を問題にする。如何にも<暗然たる思いを抱く>かの君子面をして、震災への対応が鈍く、菅政権が行政組織を充分使いこなせなかった非を衝く。こんな手法と主張は、もう既に使い古された。単に政権批判するため、かつ野党寄りの、「ど素人的問題認識」と言っていゝ。当ブログでも何度となく主張してきたように、そもそも<震災への対応が鈍かった>とは具体的に何を指し、他の誰々が内閣を率いる政権ならそれができたのか。又、彼らなら、この“未曾有の大震災”でも上手く<行政組織を回らせ>得たのか。具体的ダメ事実に少しも触れず、“対岸の火”宜しく遠方より眺めるだけで、勝手に<震災への対応が鈍かった>で片付けてしまう。虚構を現実にすり替えて政府批判する“似非評論家”のやり方だ。しかも星氏は続いてこう書いた。<国策として進められてきた原発の事故が多くの悲劇を生んだ。菅氏はそれらの責任を逃れることはできないと覚悟はしている。だが、退陣時期を明言せず、それが「延命」と受け止められている。菅氏の器量不足のためだろう。>と。嗚呼、この文章の未熟さよ! しかも原発事故が、さも菅首相のせいであり、退陣時期を明言せず「延命」と受け止められているのが<菅氏の器量不足>だと言うのだ。原発事故の責任は素人でさえ理解しているであろうもっと奥深い、様様な要因に帰するべきだ。
∇そして最後は菅氏の「器量不足」というまやかしの常套用語で責める論理のいい加減さ!「器量不足」と誰もが言う。「延命」策は「器量不足」のせいか。政治学を少しでも学んだ人なら当然「ノー」である。「延命」策は政治戦術の一つだ。又、星氏に何度も質問しよう、「器量」とは具体的に何を指し、「器量」のある人とは、世界中を見渡し、過去の人物を含め、一体、誰々をイメージすればよいのか。そも/\、政治家を「人徳」や「器量」云々で測ること自体が大きな問題だと考える。政治家の役割とは何か。M・ヴェーバーの「責任倫理」と「心情心理」、或はオルテガの「統治する技術」及び「政権を獲得して維持する技術」等々を参考に、孰れ一文を草しよう。さて、星編集委員は、衆参両院がねじれている状態を打開するためには、菅首相が最近揮毫を頼まれると、「決然と生きる」と書いているが、それならば、<こゝは「決然たる退陣」によって各党に強力を呼びかけ、次の政権で政策が実現できる機運を生み出すことが最後の勤めだろう>と言う。これも今、巷間で誰もが口にする常套語の繰り返しだ。要するに星氏の主張は、何てことはない首相の早期退陣論に過ぎないのだ。そして申し訳程度に自民党にも原発推進の旗を振ってきた責任がある。<民主党との妥協で成果を出す「度量」を示す必要がある>で括っているのである。──失礼だが、こんな程度の編集委員の「政治考」なら、今更読むに及ばない。
∇星氏の所属する朝日新聞に載る「耕論」「私の視点」「声」欄に優れた「政治改革」案が続々登場している。偏狭化・固陋化してきている専門の政治担当論説委員や記者こそ、彼等の意見を傾聴すべきではないか。それは次回紹介しよう。今回はしつこいようだが、星氏の「時論」に代表される、マスコミの犯しやすい発想を払拭するためにもう一押ししておきたい。彼は主張の中でこう言っている。<県内に住む多くの人々は、見えない放射能におびえ続ける。有効な対策が打てない政治に憤りながらも、じっと耐えている>と。彼の言う「政治」とは「現政府=菅内閣」を指しているが、放射能対策に有効策が打てないのは即、菅内閣だけの責任だろうか。チェルノブイリ原発事故で被曝救命に当られた米国人医師・ロバート・ゲイル氏が「私の視点」で、<原子力事故はいつも突然起きる。どんな政府であれ、原子力問題に慣れていない政治家が、根底を理解することなく対応せざるを得ない。このため、ソ連であれ他の国であれ、あらゆる政府は放射能の事故が起きると、まず黙り込むか、否定する。政権を担う人が対処法を理解しておらず、理解している人の知見を結集するのに時間がかかるためだ。>と。その上、例えば魚野菜等の汚染対策だが、放射線量の危険レベルは、専門家でさえ諸説紛々だ。星氏がいとも簡単に<有効な対策が打てない政治に憤りながらも、じっと耐えている。>は、責任を現内閣にだけ押し付ける浅慮を自ら暴露していることにならないか。
∇又、多くの社説や野党議員が、<被災地はがれきの山だ。政府の後手対応が処理を遅らせている>と。もう一度言おう。大震災のがれき処理から住居問題、風評被害、放射能対策、…未来都市構想、そして財源問題等々の総てを「政府」の責任になすりつけるべきか。常識的には、具体的処理に関しては、政府は後方支援、即ち各自治体の要請を厳粛に受けて人・モノ・カネ・情報等の支援資源を用意する段階ではないか。がれきの処理や住居手当は、人的・金銭的支援はするが、細部に至っては自治体が陣頭指揮をふるう。政府とのつなぎ役は当地の国会議員や地方議員の役目だ。又、被災地のがれき処理、津波被害を受けた住宅の片付け、仮設住宅への入居に必要なのが“震災ボランティア”だそうだが、今日の朝日夕刊は<東日本大震災から3カ月半の間に、岩手、宮城、福島3県の市町村の災害ボランティアセンターを通じて活動したボランティアは延べ約48万3千人で、阪神大震災の約4割にとどまっていることが、全国社会福祉協議会のまとめでわかった。阪神では、同時期に約117万人が活動していた。…阪神大震災では、大阪など近隣の都市部を拠点に大勢のボランティアが訪れた。しかし、今回の被災地は首都圏から遠いうえ、発生当初のガソリン不足や交通事情の悪さも影響した。>とある。政府の責任追及という抽象論を叫ぶ前に、こうした事情を、それこそ<切迫感>を以てマスコミは把握し、より具体的な対応を提言すべだと思うがどうだろう。今日はこゝまで。