残照日記

晩節を孤芳に生きる。

引用雑話

2011-04-04 19:19:20 | 日記

>この随筆(注:「災難雑考」)は、教育や政治等で被害が小さくできるはずなのに同じように繰り返されてしまう災害について、人間や生命といった観点から科学的に考察したものであり、この進化論的災難観や優生学的災難論は一種のブラックユーモアと受け止めていました。首相が寺田寅彦を読んでいないことは明白です。側近に有能なスピーチライターはいないのでしょうか。(岡山人さん)

∇やっぱり岡山人さんに見破られていた! しかも既に、政府インターネットテレビの意見欄に、<寺田寅彦の引用について意見を申し述べ>られた由。──孔子の弟子の子貢が曰く、<君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざるべからざるなり>と。(子張篇) 一寸したひと言でその人の教養程度が知れる。所謂“御里が知れる”。桑原/\。「聖書」箴言にも曰く、<言葉の軽率な人を見るが、彼よりもかえって愚か者の方に望みがある>と。下手なことを言うより、唇を閉ざしていた方が<さとき者>と思われるからだ。それにしても岡山人さん御指摘のように、<側近に有能なスピーチライターはいないのでしょうか>。故ケネディ大統領にはソレンセン補佐官という名スピーチライターがいた。“YES WE CAN”で、国民の心をいっきに掴んだオバマ大統領の名演説は、当時27歳の主任スピーチライター、ジョン・ファブロー氏 が草稿した。

∇近年の首相の中で“御里が知れる”発言を連発した№1は、何と言っても漫画好き宰相・麻生太郎元首相だろう。「漢字の読み間違い(?)」で名を馳せた。「踏襲」を<ふしゅう>、「頻繁」を<はんざつ>、「未曾有」を<みぞうゆう>等と訓じて世間の嘲笑を浴び、身内の閣僚からも苦言が相次いだ。そこに支持率低下が追い討ちをかけ、満身創痍の状態で衆院を解散。次いで行なわれた第45回衆院総選挙で自民党が歴史的敗北を喫した。秋葉の若者たちにも見捨てられた。首相で引用好きの筆頭は小泉純一郎氏で、他の追随を許さない。「自民党をぶっ壊す」とか「国会に通る通らないは考えなくていい。政治が判断する」とか訳のわからぬ迷言を残しただけでなく、“教養宰相”を演出すべくあちこちから名言・名句・故事逸話類を探し出してきた。就中小泉内閣発足直後の国会の所信表明演説で引用した「米百表」の故事は大評判になり、2001年の流行語にもなった。小泉氏は所信演説の結びでこう述べた。

∇<明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。>と。──この文脈でおかしいのが、<今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵の精神』こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。>以下だ。「米百俵の精神」=「人材育成政策の重視」がいつの間にか「改革に立ち向かう志と決意」にすり替えられている。

∇尚、この故事は、山本有三により戯曲「米百表」として一冊にまとめられ、昭和18年に新潮社から初版5万部という破天荒の部数で出版された。昭和18年といえば、太平洋戦争が愈々熾烈化していた暗澹たる時下であった。そんな最中での教育振興戯曲。「反戦戯曲」として強い弾圧を受けて自主回収の憂き目を見た作品であった。政治書として読むには二つの教訓が含まれている。一つはいつの時代でも重要施策は「人材教育投資」、もう一つ重要なのが、予算をバラマキするな=「重要施策へ集中投資」せよ、ということである。さて名演説を打った小泉氏がやったことは何か。人材教育で際立った政策・成果があったとは記憶していないし、未来に向けた改革とは、単に「郵政改革」のことだった。そして今でこそ民主政権はバラマキだ云々と言っているが、小泉政権下既にバラマかれた非重点施策への投資が、今日の膨大な財政悪化を招いた。そして麻生政権のまさにバラマキ政策であった2兆円もの「定額給付金」はまだ記憶に新しい。

∇引用ミスが大きな国際的嘲笑話題になった例は、小泉氏が2005年の衆院予算委員会で、<(靖国神社参拝について)どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきでない。(元首相の)東条英機氏のA級戦犯の話が出るが、『罪を憎んで人を憎まず』は中国の孔子の言葉だ。何ら問題があるとは思っていない>と言った発言である。テレビのニュースで報道された当該場面を見ていて、その傍若無人たる態度・発言を情けなく又不吉に感じたのは小生だけでなかったろう。一月前にバンドン会議首脳会議で演説し、韓国などに対する植民地化と中国などに対する侵略について、「村山談話」を引用して「痛切なる反省と心からのおわびの気持ち」を表明するとともに、「日本は今後とも軍事大国にはならない」との決意を強調して謝罪したばかりだった。しかも、諺の「罪を憎んで人を憎まず」は孔子の言葉ではない!

∇典故は「孔叢子(くぞうし or こうそうし)」という、秦又は漢の時代の孔子九世の孫である儒学者・孔鮒が撰したといわれる書物に載る。原文は<孔子曰、可哉。古之聴訟者、悪其意而不悪其人=孔子が言うには、昔の訴訟を裁く者は、被告人の意を憎み、其の人を憎まなかった>である。被害者側である中国や韓国が「日本の罪を憎んで日本人を憎まず」、と言ったなら話は通じる。加害者側だった日本が使うべき諺ではないのである。案の定、東京で中国情報紙の編集をされていた孔子の75代目にあたる孔健氏が異議を唱え、人民日報はその社説で、<断片的に引用して、孔子を曲解したものだ。(小泉首相は)もっと勉強せよ>と迫った。遂に日本の有名な中国文学の泰斗・一海知義先生が朝日新聞の「私の視点」で、<これ(小泉首相の答弁)を聞いて驚いた。私は五十年来、専門の対象として中国古典を読んできたが、孔子がこんなことを言っているとは知らなかったからである。少なくとも、信頼できる文献には見当たらない>と叱って、一件落着した。

∇東京堂出版や岩波の「ことわざ辞典」、「日本語大辞典」(小学館)を引けばわかるが、この言葉は江戸時代に浄瑠璃に使用されて広まった。「仮名手本忠臣蔵」や「東海道四谷怪談」等に出てくる。「貴様が君子か。はゝゝゝゝゝゝ、君子はその罪を憎んでその人を憎まず。…」(四谷怪談)と。岡山人さんではないが、<側近に有能なスピーチライター>を置くべし。又、座右にしっかりした書物を積むべし。有能参謀を揃えるべし。──さて、最後は再び寺田寅彦の引用ミスについて。世は相変わらず寅彦随筆が流行で、今朝の「天声人語」にも、<地震翌日の小欄で引いた寺田寅彦は、日本の自然には「慈母の愛」と「厳父の厳しさ」があると述べている。慈母とは、たとえば豊かな幸を育む三陸の海であろう。だが厳父と呼ぶにはこの天災は酷に過ぎる。手加減なしの折檻(せっかん)さながらだ>とあった。

∇これは「日本人の自然観」と題する寅彦の随筆中最も長文の一つからの引用だ。<このようにわれらの郷土日本においては脚下の大地は一方においては深き慈愛をもってわれわれを保育する「母なる土地」であると同時に、またしばしば刑罰の鞭をふるってわれわれのとかく遊惰に流れやすい心を引き緊める「厳父」としての役割をも勤めるのである。厳父の厳と慈母の慈との配合よろしきを得た国がらにのみ人間の最高文化が発達する見込みがあるであろう。>と。「天声人語」では<寺田寅彦は、日本の自然には「慈母の愛」と「厳父の厳しさ」があると述べている。>としているが、正しくは<厳父の厳と慈母の慈との配合よろしきを得た云々>とあることから、「慈母の慈」と「厳父の厳」とすべきであろう。文字を商売とする専門家のミスゆえこゝは厳しい。岡山人さんに倣い、即刻訂正すべく投書しておいた。かつては御本人から詫び礼状が届いたものだが、今の「天声人語」氏にその器量があるや否や。


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