【ダニエル・ベルの予言】
1970年代の先進工業社会の前にはだかっる構造的な諸状況の特質を再検討してみると、1920年代、30年代との驚くべきほどの類似性があることに気がつく。──(つまり西欧に於いて、政府という立場から見ると)次の四つの危機的な要素が浮かび上がってくる。それらの要素は互いに結びつきつつ政府の権威を弱体化し、政府としての正統性を危うくし、体制破壊を容易ならしめていったものにほかならない。四つの要素とは、次のとおりである。──①「解決不可能」な問題の存在。②議会政治が行き詰まり、もはやどの党派も多数派を占められなくなったこと。③失業インテリゲンチャの増大。④支配体制が抑えられなくなった私的暴力の蔓延。(「二十世紀文化散歩道」ダイヤモンド社版より)
∇ダニエル・ベル(1919~2011/1/25)は、米国の社会学者。ハーバード大学名誉教授。彼は上書で、<1970年代の状況に立ち帰ってみれば、不吉な類似点がいくつかあるのがわかる>、として20世紀末、ひいては21世紀への予感も含め未来を予言した。彼が指摘した「四つの要素」は、主として西欧社会を論じたものだが、今尚、世界的事実として現前することに驚嘆する。①の問題とは例えば「失業」で、<どの政府も答に給していた>。 それは後進国のみならず先進諸国総てに於いてさえ、現代も変わらぬ難題として横たわり続けている。我が国が抱える喫緊の「解決不可能」な問題とは、「復興財源と増税」「原発と今後のエネルギー政策」等である。それらは今まで先送りされてきた超難題ばかりだ。②議会政治の行き詰まりは、<どの国も複数党派の連立政権下に置かれており、しかもどの党も単独では多数派を制するには至らないというのが、共通した現状である。> 我が国もまさに然りで、与野党支持率が“どんぐりの背比べ”状態にあり、支持政党無しが約5割を占める厳しい政治不信の最中にある。③及び④は孰れ取り上げる問題とし、今回は①及び②の関連で「政治改革」の原点である「国民の質」に影響を与える「マスコミ監視」の続きを論じてみることにする。
∇さて、ベルが指摘するように、世界中の政府は「解決不能」な問題を抱えている。何故か。片付けられる課題は時の政府が既に解決をし、与野党間で紛糾し、「選挙」に影響することもあって、片付けられなかった難題だけが先送りされてきたからである。日本の場合でいえば、先述した「消費増税と社会保障の一体改革」であり、「エネルギー政策の抜本改革」であり、「普天間」「北方領土」「尖閣湾」「TPP」等々である。これらの問題を解決するためには、ズバリ言って総理一個人のリーダーシップ云々で簡単に片付けられる範疇にない。老生が「英雄待望論」を否定する理由は、「そもそも民主政治は英雄の存在を前提にしない制度である。」に加えて、「解決不可能」な問題が政策課題である現実を見据えてリーダーシップ論を展開すべし、と考えるからである。例題を今朝の朝日新聞「記者有論」にとることにする。論者は当紙政治グループ次長津川章久氏。彼は「郵政解散とは似て非なり」と題して <(菅)首相が脱原発解散を志向しても郵政解散とは似て非なり、だ。>と、小泉元首相ばりに脱原発解散を狙うのはお門違いだ、と主張している。<何よりも違うのは法案にかける熱意だろう>と。
∇津川氏は筆を軽快に滑らせて小泉改革成就までの<熱意>を語る。小泉郵政改革実現までには、竹中平蔵氏を起用し、自民党内部の造反を抑えるべく執行部は奔走し、法案の閣議決定までに3ヶ月以上かかり、参院での審議時間は計190時間を超え、修正もされた。それでも法案が参院で否決されるとその賛否を問うべく衆院を解散し、反対派に「刺客」を擁立した。<その手法は今でも批判がある。だが、小泉氏にとって衆院解散は目的でなく法案成立の手段だった。解散まで国会の議論の積み重ねもあった。> しかるに菅首相はどうか、とその熱意無き「居座り」を批判し、もし解散を敢行すれば夏の総選挙のため<日本中が混乱に陥る恐れもある。首相の解散はこれらの対策を後回しにし、新たな人災を生むかもしれないとの批判も覚悟すべきだろう。>と。──「菅降ろし」希求の方々には喝采だろうが、この手の記事は要注意すべきことを指摘しておきたい。先ずは、菅首相自身が「脱原発解散」をする、などという言葉を一言も発していない。他人が勝手に憶測することを、まともに取り上げること自体が、一部の「週刊誌的発想」と変わらない。記事の半分が憶測をもとにした憤慨記述で満たされている。そして肝心なのは、小泉「郵政改革」と今回の大震災後の「脱原発」「消費増税」等を同列に論じる“愚”である。
∇端的に言って、あれ程大騒ぎした「郵政改革」だが、国民にしてみれば、「郵政改革」をしようが、従来通りであろうが、どちらに転んでも生活基盤そのものが大きく変化するわけではない。今回の「脱原発」とは問題の質や影響の大きさが月とスッポン程の相違があるのだ。その証拠に、日本の今日からみて「郵政改革」が如何程貢献したかは、話題にすら上らない。又、「刺客」まで送り解散して圧勝したが、第一、当時の与野党対立の政党支持状況は、衆院を解散しても自民党が「勝つ」構造下にあった。今とTPOが決定的に異なる。etc etc 仮に菅首相が解散を散つかせるとしたら、それはまさに「現政権」或は「民主党」延命のための政治戦術である。理由は色々あるだろが、くどいようだが、「政治戦術」なのである。それをまだ解散とも決まったわけでもないのに、記者が憶測で上述の如く大袈裟に騒ぎ立てゝ批判するのは「お門違い」である。──結論を繰り返そう。我々はマスコミを監視しなければならない。一つ、憶測で論陣を張る記事の尻馬に乗るな。二つ、これからの政府は、以前の内閣が先送りしてきた①<「解決不可能」な問題>ばかりを、②<もはやどの党派も多数派を占められなくなった>ために<議会政治が行き詰ま>った中で、問題解決を図らなければならない、ということを充分理解した上で、批判と提案を交えた「論評」のみに信を置け、ということである。今日はこゝまで。
1970年代の先進工業社会の前にはだかっる構造的な諸状況の特質を再検討してみると、1920年代、30年代との驚くべきほどの類似性があることに気がつく。──(つまり西欧に於いて、政府という立場から見ると)次の四つの危機的な要素が浮かび上がってくる。それらの要素は互いに結びつきつつ政府の権威を弱体化し、政府としての正統性を危うくし、体制破壊を容易ならしめていったものにほかならない。四つの要素とは、次のとおりである。──①「解決不可能」な問題の存在。②議会政治が行き詰まり、もはやどの党派も多数派を占められなくなったこと。③失業インテリゲンチャの増大。④支配体制が抑えられなくなった私的暴力の蔓延。(「二十世紀文化散歩道」ダイヤモンド社版より)
∇ダニエル・ベル(1919~2011/1/25)は、米国の社会学者。ハーバード大学名誉教授。彼は上書で、<1970年代の状況に立ち帰ってみれば、不吉な類似点がいくつかあるのがわかる>、として20世紀末、ひいては21世紀への予感も含め未来を予言した。彼が指摘した「四つの要素」は、主として西欧社会を論じたものだが、今尚、世界的事実として現前することに驚嘆する。①の問題とは例えば「失業」で、<どの政府も答に給していた>。 それは後進国のみならず先進諸国総てに於いてさえ、現代も変わらぬ難題として横たわり続けている。我が国が抱える喫緊の「解決不可能」な問題とは、「復興財源と増税」「原発と今後のエネルギー政策」等である。それらは今まで先送りされてきた超難題ばかりだ。②議会政治の行き詰まりは、<どの国も複数党派の連立政権下に置かれており、しかもどの党も単独では多数派を制するには至らないというのが、共通した現状である。> 我が国もまさに然りで、与野党支持率が“どんぐりの背比べ”状態にあり、支持政党無しが約5割を占める厳しい政治不信の最中にある。③及び④は孰れ取り上げる問題とし、今回は①及び②の関連で「政治改革」の原点である「国民の質」に影響を与える「マスコミ監視」の続きを論じてみることにする。
∇さて、ベルが指摘するように、世界中の政府は「解決不能」な問題を抱えている。何故か。片付けられる課題は時の政府が既に解決をし、与野党間で紛糾し、「選挙」に影響することもあって、片付けられなかった難題だけが先送りされてきたからである。日本の場合でいえば、先述した「消費増税と社会保障の一体改革」であり、「エネルギー政策の抜本改革」であり、「普天間」「北方領土」「尖閣湾」「TPP」等々である。これらの問題を解決するためには、ズバリ言って総理一個人のリーダーシップ云々で簡単に片付けられる範疇にない。老生が「英雄待望論」を否定する理由は、「そもそも民主政治は英雄の存在を前提にしない制度である。」に加えて、「解決不可能」な問題が政策課題である現実を見据えてリーダーシップ論を展開すべし、と考えるからである。例題を今朝の朝日新聞「記者有論」にとることにする。論者は当紙政治グループ次長津川章久氏。彼は「郵政解散とは似て非なり」と題して <(菅)首相が脱原発解散を志向しても郵政解散とは似て非なり、だ。>と、小泉元首相ばりに脱原発解散を狙うのはお門違いだ、と主張している。<何よりも違うのは法案にかける熱意だろう>と。
∇津川氏は筆を軽快に滑らせて小泉改革成就までの<熱意>を語る。小泉郵政改革実現までには、竹中平蔵氏を起用し、自民党内部の造反を抑えるべく執行部は奔走し、法案の閣議決定までに3ヶ月以上かかり、参院での審議時間は計190時間を超え、修正もされた。それでも法案が参院で否決されるとその賛否を問うべく衆院を解散し、反対派に「刺客」を擁立した。<その手法は今でも批判がある。だが、小泉氏にとって衆院解散は目的でなく法案成立の手段だった。解散まで国会の議論の積み重ねもあった。> しかるに菅首相はどうか、とその熱意無き「居座り」を批判し、もし解散を敢行すれば夏の総選挙のため<日本中が混乱に陥る恐れもある。首相の解散はこれらの対策を後回しにし、新たな人災を生むかもしれないとの批判も覚悟すべきだろう。>と。──「菅降ろし」希求の方々には喝采だろうが、この手の記事は要注意すべきことを指摘しておきたい。先ずは、菅首相自身が「脱原発解散」をする、などという言葉を一言も発していない。他人が勝手に憶測することを、まともに取り上げること自体が、一部の「週刊誌的発想」と変わらない。記事の半分が憶測をもとにした憤慨記述で満たされている。そして肝心なのは、小泉「郵政改革」と今回の大震災後の「脱原発」「消費増税」等を同列に論じる“愚”である。
∇端的に言って、あれ程大騒ぎした「郵政改革」だが、国民にしてみれば、「郵政改革」をしようが、従来通りであろうが、どちらに転んでも生活基盤そのものが大きく変化するわけではない。今回の「脱原発」とは問題の質や影響の大きさが月とスッポン程の相違があるのだ。その証拠に、日本の今日からみて「郵政改革」が如何程貢献したかは、話題にすら上らない。又、「刺客」まで送り解散して圧勝したが、第一、当時の与野党対立の政党支持状況は、衆院を解散しても自民党が「勝つ」構造下にあった。今とTPOが決定的に異なる。etc etc 仮に菅首相が解散を散つかせるとしたら、それはまさに「現政権」或は「民主党」延命のための政治戦術である。理由は色々あるだろが、くどいようだが、「政治戦術」なのである。それをまだ解散とも決まったわけでもないのに、記者が憶測で上述の如く大袈裟に騒ぎ立てゝ批判するのは「お門違い」である。──結論を繰り返そう。我々はマスコミを監視しなければならない。一つ、憶測で論陣を張る記事の尻馬に乗るな。二つ、これからの政府は、以前の内閣が先送りしてきた①<「解決不可能」な問題>ばかりを、②<もはやどの党派も多数派を占められなくなった>ために<議会政治が行き詰ま>った中で、問題解決を図らなければならない、ということを充分理解した上で、批判と提案を交えた「論評」のみに信を置け、ということである。今日はこゝまで。