残照日記

晩節を孤芳に生きる。

相対的貧困率

2011-10-19 16:25:01 | 日記

∇相対的貧困率が世界的にみてトップクラスにあるからと言って、日本が大貧乏国な訳ではない。「相対的」の文字通り、一国内で年収分布を見た場合、最上位者から順に並べて、中位者の年収の1/2以下の人の割合が高いことを表す数値であった。世界他国と比較した場合、絶対的貧困率は小さいが、年収格差が大きいのが日本や米国の特徴である。たゞ日本の場合、相対的貧困率はグラフで示したように年々悪化している。別の07年度統計でみると、富裕層が約1.3%、上流層が8.8%で所謂「相対的金持層」は10%弱、下流層が32.5%、貧困層が22.7%で「相対的貧乏層」は55%弱となっている。しかも貧困層の比率が上昇に向かっているのが気になるところだ。かつて「一億層中流」と言われた日本が、現在「中流層」が下方にシフトして歯止めがかゝっていない。「貧しさのために買えなかった経験」という面白い調査データを見つけた。グラフ化してみたら、日本という国は、食料、医療、衣料の3事情は、ともに他国を凌駕して「良好」である状況が垣間見られる。米国、中国、インド、ロシアの医療事情が深刻であろうことも……。

∇孟子曰く、≪恒産なくして恒心あるは、たゞ士のみ能くするを為す。民のごときはすなわち、恒産なくば因って恒心なし。いやしくも恒心なくば、放辟邪侈(ほうへきじゃし) 、為さざるところなし≫と。志ある士を別として、一般人民というものは、生活が安定してはじめて、不義理や邪悪なことをしなくなる。だから、明君と称される国君は、経済政策の目標として、どんな状況下に於いても「父母に事え、妻子を養うに足る」最低生活の保障を目指した。特に“鰥寡孤独(かんかこどく)”という日陰者の四者を優先して救恤に務めたものだ。“鰥寡孤独”とは、老いて妻なきを鰥(かん)、老いて夫なきを寡、幼にして親なきを孤、老いて子なきを独という。要するに社会の窮民で、「無告の民(むこくのたみ=告げ訴えて救いを求めることのできない気の毒な者)」に光を与えよ、と。吉田松陰も「講孟余話」でこの章を論じて曰く、<(私が政治実行上の第一に関心を寄せるのは)常に民衆の生活安寧の道を立て、不幸な鰥寡孤独を優先し、貧者を救い病者を憐れみ、幼い者を撫育するという政治を興し、学校教育を重視する等々のことである>と。絶対的貧困者の撲滅を! 相対的貧困率云々よりも社会的弱者の救済こそ!


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