残照日記

晩節を孤芳に生きる。

大和心

2011-04-10 19:08:04 | 日記
○敷島の大和心を人問はば
   朝日に匂ふ山桜花    (本居宣長)
○ 山は花 酒や酒やの 杉はやし (良寛)

<ワシントン桜祭りで募金活動──ワシントン桜祭りは、日本から贈られたソメイヨシノなど3700本余りの桜が植えられたワシントンのポトマック河畔などを会場に毎年この時期に開催されています。9日には、ブラスバンドやダンスチーム、それに太鼓を演奏する日本の大学生のグループなど、およそ5000人が参加するパレードが行われ、沿道に集まった人たちが大きな拍手を送りました。ことしは東日本大震災を受けて被災地を支援しようと、中心部のイベント会場に入るのに5ドルの入場料が設けられ、一部が義援金に充てられることになっているほか、着物姿の女性たちが募金を呼びかけました。また、折り鶴を1つ折るごとに2ドルを被災地に寄付できるコーナーも設けられ、大勢の子どもたちが、ボランティアのお手本を見ながら折り鶴を仕上げていました。>(4/10 NHKニュース)

∇こゝ松戸市の公園は今、桜が満開である。今日は日曜の桜日和、多くの花見客で賑わった。そして海の向こうアメリカでも伝統の桜祭りが行なわれている。──周知のとおり、ワシントンD.C.ポトマック河畔の桜並木の桜は、約100年前、アメリカのタフト大統領夫人の希望に添って、東京市(現在東京都、尾崎行雄市長)がプレゼントしたものである。当時の大阪毎日は次のように伝えている。<米国華盛頓(ワシントン)にては、ポトマック河畔の一区を遊園地となす計画にて、先年来工事を施し、漸次美貌を加え来るが、新大統領タフト氏夫人を始め、本邦に多大の同情を有する同国婦人中には、本邦の桜樹を買入れ、当該遊園地に植付けせんとの計画あり。東京市は此の機に於いて、市長の名を以て右桜樹を寄贈して、以て永く日米両国間の友情を表彰するの記念物となさんとて、十八日開会の市参事会に於いて協議纏(まとま)り、直に高さ一丈位の桜樹二千本を発送することゝなしたり。>(8月19日付) 

∇ウィリアム・ハワード・タフトは第27代米国大統領(1909~13年)。法曹界出身のタフトが、26代大統領セオドア・ルーズベルトから日本への外交交渉を依頼されて来日した際、ヘレン夫人が桜の美しさに魅せられた。帰国後も夫人はその桜を忘れることができず、ポトマック河畔に桜並木を植えてはどうかと行政機関に働きかけた。24年間懇請し続けたが政府からは梨のつぶてだった。それが1906年に意外なところから緒がほどけ始めた。農務省の役人であったD・フェアチャイルド博士が、横浜から輸入した桜を自宅に植えて移植を試みていたのが成功したのである。彼は熱心にワシントンD・Cへの桜誘致運動を推進し、1909年にタフト大統領夫人あてに基金創設に関して手紙を出した。しかもほぼ同時期に、日本から2000本の桜を東京市からのギフトとしてD.C.に贈呈する申し入れがあった。願ってもない僥倖にタフト夫人は即座に受諾した。

∇日本からの2000本の桜は、シアトルを経由して1910年1月にワシントンに着いた。だが、検査の結果虫害に冒されていることがわかり、大統領命令を以て全て燃やされてしまった。日本側はこの知らせを受けて、新たな桜を東京の荒川堤より用意した。1912年2月、12種類、3020本の桜は無事ワシントンに届いたのである。1912年3月27日タフト大統領夫人が最初の苗木を植樹し、2本目は駐米日本大使珍田子爵夫人が植樹をした。かくしてこの桜が両国の友好のシンボルとなったのである。( 「えんじょいワシントン」ジャーナルを参照) 日本は日露戦争(1904~05年)圧勝で一躍世界に知れる存在となり、今後百年は太平洋が世界最大の問題になると考えていた新大統領タフトは、日本に満州への共同投資の提案まで持ちかけた。やがて1914年に勃発した第一次世界大戦では日米が共に手を携え、英仏側について参戦し、ドイツを降した。──

∇桜による日米友好関係は日本を知る契機となり、内村鑑三、新渡戸稲造、岡倉天心等が欧文で著した「代表的日本人」(1894年)、「武士道」(1900年)、「東洋の理想」(1903年)が後押しをして、更に深められていった。桜に関していえば、新渡戸稲造は上著で、本居宣長の<しきしまのやまと心を人とはば朝日ににほふ山ざくらばな>を引用した後、桜は“日本人魂”の典型だとしてそれを次のように紹介した。<サクラの花には気品があること、そしてまた、優雅であることが、他のどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴えるのである。……私たちの日本の花、すなわちサクラは、(西欧人の好むバラと違って)その美しい粧いの下にとげや毒を隠し持ってはいない。自然のおもむくままにいつでもその生命を棄てる用意がある。そのいろあいはけっして華美とはいいがたく、その淡い香りには飽きることがない。>(三笠書房版)と。そして更に続けた。

∇<太陽は東方から昇り、まず最初に極東のこの列島に光を注ぐ。そしてサクラの芳香が朝の空気をいきいきとさせる。このとき、このうるわしい息吹を胸一杯に吸うことほど、気分を清澄・爽快にするものはないであろう。そうであるとすれば、サクラの花がそのかぐわしく、甘美な香りに充ちる季節に、すべての人々が小さな家々から外へ出て、その空気に触れるいざないにこたえたとしても何の不思議もないではないか。たとえ人々がしばらくの間、手足を休めて働くことを忘れたり、心の中の苦しみや悲哀を忘れようとしたとて、それはとがめるに値しないであろう。短い快楽のひとときが終れば、人々はあらたな力と充たされた思いをもって、日常の仕事に戻っていく。このようにサクラは一つではなく、さまざまな理由からわが日本国民の花となっているのである。>と。──桜前線は、北上して間もなく震災被災地の皆さんのもとにも届く。桜のもつ「気品」「優雅」「清澄」が被災者の皆さんの心を少しでも慰撫してくれることを願う。又、政府筋がこの大震災を契機に“大和心”を以て、米国は勿論のこと、世界中の国々と更なる友好の絆を深めることを願うものである。


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