残照日記

晩節を孤芳に生きる。

緊急提言

2011-06-25 15:37:33 | 日記
∇周知の通り、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)は、経済界、労働界、学識者、自治体関係者、報道関係者、NPO関係者など国民各界の有志約150名が結集し、「政治を変え、日本を変える」ために活動している。佐々木毅(前東大総長)、茂木友三郎(キッコーマン会長)、北川正恭(早稲田大学大学院教授)、西尾勝(国際基督教大学大学院教授)が共同代表である。この6月16日に「現下の政治に対する緊急提言」と題する提言をまとめた。これをたたき台にして今後色々考えてみたい。先ずは提言内容全文を掲げておくことにしよう。

【現下の政治に対する緊急提言】 

≪政党政治は競争と協力の政治≫
日本の政治はもはや先進国の政治とは呼ぶに値しない有様になっている。先進国の政治とは競争と協力を通して眼前の課題を着実に処理しうる政治であるが、日本の政治はこの水準から確実に滑り落ちつつある。国会議員たちのこの点についての危機感の希薄さこそが、危機の深刻さの何よりの証である。政党政治は競争を旨とするが、状況に応じて一定の協力を惜しまない一つのシステムである。ところが日本では二院制の制度的不具合もあって、競争乃至対決の要素ばかりが強まり、政権の慢性的な危機が発生してきた。いったん、衆参の「ねじれ」が生じ、制度的不具合が露出した場合、それを乗り越える鍵は政党内部の卓越したガバナンスにしかないが、政党自身の求心力は高まるどころか解体傾向を深め、政権は摩滅する一方の状態にある。このことに対し与野党はそれぞれに責任があるが、衆参両議長がこの危機に際し何ら建設的なイニシアティブをとろうとしない姿はまさに異様の一語に尽きる。

≪政権と政党の統治に失敗した民主党≫
民主党は政権と政党の統治に相次いで失敗し、マニフェスト(政権公約)の信用を失墜させ、日本国総理大臣の地位と政治主導の名を地に堕しめた。過日の内閣不信任案に際して前首相と現首相との間で交わされたとされる文書やその後の「ペテン師」呼ばわりは、まさに語るに堕ちた姿をさらけ出したというべきである。それら一連の失態は本来であれば下野に値するものといわざるを得ない。かりに一縷の光明を見出そうとするならば、統治の失敗と破綻した総選挙時のマニフェストについて徹底的な総括をおこない、新たな代表の選出を通して党の求心力と政策の軸の回復を地道にはかる以外に道はない。こうした政党としての自律性の涵養、自己規律の回復を疎かにしたまま、代表選レースや連立話ばかりを弄ぶならば、民主党はさらに失敗を繰り返すことを自ら選択したに等しい。

≪大連立騒動で問われていること≫
最近話題のいわゆる大連立について言えば、現下の国家的危機に強い基盤で対処するため、政党政治の正常な協力機能を回復させようとする試みの一つの手段である。否定はしないが、衆参両院の国会審議を含め「機能する政権」を実現することが眼目であるなら、特定の形態にこだわる必要はなく、様々な知恵が工夫されてよい。当然、衆参両院関係が重要な課題となる以上、両院議長の出番も果たすべき役割もまた大きい。ところが、現在の大連立騒動は定義も目的も手続きも曖昧なまま、ムードや言葉だけが独り歩きしているように見える。政策本位の視点も、政党の求心力・自己規律回復への努力も欠いたまま、無原則に多くの議員を糾合するだけの巨大政権ならば、「機能する政権」を実現することには到底ならない。国会機能が巨大な与党事前審査として院外へ大幅に流出する一方、徒に政権内の混乱と「動かない政治」を助長するだけである。それ以前の問題として、党内をまとめきれない政党に、大連立を成し遂げるだけの力量が果たしてどこまであるかも厳しく問われねばならない。

≪無責任な野党の拒否的政治姿勢≫
自民党を初めとする野党もこの非常時にいつまで拒否的政治姿勢を続けるつもりなのか、その態度を厳しく問われるべきである。先の内閣不信任案にしても、国民の多くはそんなことをしている場合かとその姿勢に疑問を禁じ得ないでいる。大地震・大津波・原発事故という未曽有の事態が眼前に横たわっている中で、被災によって総選挙は事実上不可能な局面であるにもかかわらず、代わるべき首相候補も建設的な政権構想も国民に説明しないまま、ひたすら首相の退陣のみを要求する姿は国民の理解を到底得られるものではない。

≪与野党合作による政党政治の自滅≫
野党は日本国総理大臣の使い捨てに加担していると言われても仕方がない。いつまでも政権批判だけに軸足を置き続けることは、党内のガバナンス上は容易かもしれないが、それこそが「野党病」の危険な誘惑ではないかという危惧を覚える。結果として、この未曽有の事態にあって、被災地を含めすべての国民をおきざりにしたまま、与野党合作で、日本国総理大臣の地位をさらに失墜させ、日本の政党政治は自滅に歩みを進めているとしか思えない。

≪国民の自覚≫
日本政治の国際的な評価は著しく傷つけられた。これ以上、ダメージを大きくするわけにはいかない。目下の緊急課題はまさに日本国における「政権」の存在そのものが怪しくなり、内外から厳しく問われている点にある。そもそも民主政治は破天荒な英雄の存在を前提にしない制度である。ないものねだりをしていればよい時代は過ぎ去ったのである。それほど日本の現実は厳しいことを肝に銘ずる必要がある。われわれ国民の側も、総理大臣の一挙手一投足をあげつらっては潰し続け、政権批判をしていれば物事が前進するかのような錯覚からそろそろ卒業すべきである。政党政治がこのような惨めな姿になった責任の一端は間違いなく国民にもある。この意味で、国民の視線もまた試されている。われわれは以上の認識にもとづき、現下の政治情勢と今後の政党政治の筋道について以下の提言を行うものである。

≪提言項目≫
【首相の責任】
第1. いまの民主党は政党の体をなしていない。東日本大震災がなければ、本来なら解散総選挙を行い、出直すのが筋である。事態収拾の道筋をつける究極の責任は首相にある。ことここに至った以上、首相は会期末までに退陣の時期を明らかにすべきである。そして、代表選挙から与野党協議、首班指名に至る手順と時期を早急に決定し、国民に示す必要がある。かりに各党と政権等の協議を行うのであれば、代表選挙を通じて党内合意を取り付けた上で、新代表のもとで公党間の正式な手続きに則り行うべきである。
【代表選挙のあり方】
第2. 民主党の代表選挙は「政策本位」で行うべきである。代表候補はこれまでの統治の失敗の反省を踏まえた上で、「総選挙時のマニフェストの見直し方針」と「今後の政権運営・政権枠組み・国会運営」という「政策」と「仕組み」の二点を「党首公約」として必ず明示し、代表選挙を通じて党内合意をとりつける必要がある。代表選後は、選出された新代表の公約を党方針に落とし込み、所属議員はその方針に従うことを約束すべきである。このプロセスを踏むことなしに単に代表のみを入れ替えても、民主党の混乱の繰り返しは避けられない。
【政策協議と国会の仕組みづくり】
第3. 国民は与野党の不毛な政争にうんざりしている。野党も拒否的政治姿勢を早急に改め、与野党で知恵を出し合い、政策協議や国会運営などについて非常時の協調的な仕組みを作るべきである。例えば、政権を共有しないまでも政策テーマごとに政党間で調整・協議を行い、合意形成を促進する場を院の内外で設ける必要がある。また、衆参両院議長の積極的な斡旋で各党党首を招集し、国家や国民生活上の重要案件について議長指揮の下、両院合同の会議を設け、遅滞なく合意形成が行われる仕組みを立法府の意思として作ることなどを検討すべきである。また、現下の危機に対応するため、会期を年末まで大幅延長し、事実上の「通年国会」を実現すべきである。
【連立協議について】
第4. いわゆる大連立については、国民生活が戦争に匹敵する危機管理的な非常事態にあり且つ総選挙等の政党間競争による決裁が事実上不可能又は望ましくない期間及びそれでは解決できない事態、政権交代時代においてどちらが与党になっても直面する課題や制度的環境の解決を行う場合に成立しうる。ただし、定義や目的が曖昧になりがちな「大連立」という言葉よりも、特定目的のために期間を限定して政権を共有するという意味で、政策本位の「○○特命政権」という言葉のほうが国民に分かりやすく、政党間の競争と規律の確保にも有用と思われるので検討を促したい。

第5. なお、かりに民主党と自民党を中心に政権協議を行うのであれば、民主党は解散総選挙の時期や取り扱うべき課題を公党間で事前合意することを前提に、野党第一党の自民党に首相の座を譲ることで政権共有を含めた時限的な協調体制の構築を申し入れるくらいの、大胆な検討がなされてもよい。以上は、国家的危機にありながらなお動こうとしない政治を動かすための提案である。方法は様々に考えられるのであり、一つではない。その智恵を出し合うのは与野党全体の責任であり共同作業である。そして、遅かれ早かれ総選挙によって国民の審判を受ける日が訪れる。国民の目からすれば、その時までに違憲状態にある衆参両院の定数格差の不均衡を解消しておくことは与野党に課せられた責務であり、衆参同日選挙によって「ねじれ国会」の打開をめざすこともきわめて合理的な選択肢の一つである。

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