残照日記

晩節を孤芳に生きる。

政治改革Ⅰ

2011-06-26 19:51:35 | 日記
【人は皆未熟者なり】
≪人は公私相半すれば。大変なものだ。釈迦や基督のやうな人は公ばかりだろうが、其の外の人は、なか/\公ばかりといふことは出来ぬ。公私相半すれば、余程の人だ。──何でも、己が為そう/\と云ふのが、善くない。誰が為してもいゝ。国家と云ふものが善くなればいゝ。≫(「海舟座談」岩波文庫より)≫

∇「21世紀臨調」の【現下の政治に対する緊急提言】で、第一番目に取り上げたいのが、項目≪国民の自覚≫に出る次の言葉である。曰く、<そもそも民主政治は破天荒な英雄の存在を前提にしない制度である。ないものねだりをしていればよい時代は過ぎ去ったのである。それほど日本の現実は厳しいことを肝に銘ずる必要がある。われわれ国民の側も、総理大臣の一挙手一投足をあげつらっては潰し続け、政権批判をしていれば物事が前進するかのような錯覚からそろそろ卒業すべきである。政党政治がこのような惨めな姿になった責任の一端は間違いなく国民にもある。>と。文章がやゝおかしいので、一寸訂正させて頂く。先ず、<破天荒な英雄>という珍しい表現をしているが、一般的には「破天荒な(誰もやったことのない)事業」「破天荒の(異例の)人事」「破天荒な事を(突拍子もない事を)提案する」等々の使い方をする。「緊急提言」では、「特段に秀でた不世出の英雄」とでも言いたいのだろう。老生はそこまで嵩上げせず、「破天荒な」を削って、単に「そもそも民主政治は英雄の存在を前提にしない制度である。」でいゝと考える。

∇政治に精通した“普通の政治家”で、願わくば「使命感」に溢れた、組織を束ねる力量を有した、職務に真摯で忠実な人であればいゝ。但し、「21世紀臨調」が指摘する趣旨そのものについては大賛成だ。景気が極端に低迷したり、この度の如き大震災が勃発したりすると、傍で見ている側の一般国民や被災当事者たちには、思った通りに進展しないもどかしさに、つい、不手際ばかりが目に付く。そこで、必ずと言ってよいくらい政府・与党が野党、マスコミ、評論家たちの格好の餌食になる。そして決まったように「英雄待望論」が起こるのである。今朝の新聞広告欄に、早速「もし諸葛孔明が日本の総理ならどうするか─天才軍師が語る外交&防衛戦略」なる書物が某出版社から“緊急”出版されたり、25日の朝日新聞「政治考」(星浩編集委員)や「記者有論」(倉重奈苗政治グループ編集委員)等が「英雄」を持ち出して政府・民主党を批判している。星浩氏曰く、<(民主党政治に欠けているのは)与えられた任務を果たすフォロワーシップとも呼ぶべき「政治の作法」が欠けていることだと思う。「作法」にうるさかった竹下登元首相の語録を引きつつ、民主党の現状を考えてみよう。>として彼の幾つかの言葉を引用し、民主党の弱さを次々に指摘しているのである。

∇一寸待って欲しい。竹下登元首相は現況に即して「範たる宰相」だろうか。そうとは言えまい。たま/\時宜に当て嵌まる「言葉」を吐いた人物だった、というに過ぎない。又、倉重奈苗女史は、<国のトップリーダーの求心力低下は、外交力の低下に直結する>として、<2005年の郵政総選挙で小泉純一郎元首相の自民党が圧勝した直後、それまで協議に応じなかった北朝鮮が連日のように直接協議を日本に求めてきた。国民の圧倒的支持を得た小泉氏なら取引相手として信用できると思ったからだろう──。>と。だが、当時の日米中露韓対北朝鮮の関係はじめ世界全体の情勢、北朝鮮自体の現状(含首領継承事情)、我が国の抱える大震災問題他総ての点に於けるTPOが、05年当時と今とでは比較すべき土俵がまるで異なる。何度も言ったことだが、歴史に「IF(もし仮に~)」は無いが、仮に小泉元首相が現内閣を統率していたら、対中国・ロシア・韓国・北朝鮮との外交がどう上手く行っていたというのだろうか。現在日本の置かれた苦境は、国内外共に、単に一人の小泉元首相を期待すれば打破できるほど生やさしい状況ではない。朝日新聞でさえこんな程度だ。あとは推して知るべしで、まさに「緊急提言」が指摘する<それほど日本の現実は厳しいことを肝に銘ずる必要がある>。

∇23日の朝日「耕論」で、ケネディ氏からオバマ氏まで10人の米国の最高権力者である大統領を半世紀にわたって取材し続けたヘレン・トーマスさんが次のように語っていた。<いまはインターネットなどの情報通信技術が発達したことで、これまでになくニュースが増え、人々が様々な事実に触れ、取捨選択ができるようになった。…一方で、パソコンや携帯電話さえあれば、誰もが情報発信することができるようになった。つまり誰もがジャーナリストになり得る時代になった。言い換えれば、大量に発信される情報の洪水の中で、公平性や客観性が担保されなくなり、何が真実かを見極めるのが非常に難しい時代になったといえる。一本の記事が人を傷つけることもあるし、人の評価を台無しにすることもある。…記者は信頼される存在でなければならない。そうでなければ、人々は何を信じていいのか分らなくなる。…誰もがジャーナリストになれること、それが言論の自由と考えられる時代になった。しかし、自由には責任が伴い、報道の倫理を知らなければ大きな代償を払うことになる。いまジャーナリズムは重大な岐路に差し掛かっている。…ジャーナリストはいま、真実とは何なのかを見いだすことが極めて難しい、情報の無法地帯にいる>と。老生は、政治改革への第一歩は、「Watch Dog =番犬=権力への監視役」であるべきメディアこそが、<破天荒な英雄の存在>、しかも間違った<英雄>を引き出して、単に<総理大臣の一挙手一投足をあげつらっては潰し続け、政権批判をしていれば物事が前進するかのような錯覚からそろそろ卒業すべきである。>と考えている。


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