残照日記

晩節を孤芳に生きる。

中庸と狂狷(5)

2011-11-14 18:52:54 | 日記
【君子と小人の「中庸」】
≪仲尼曰く、君子は中庸す。小人は中庸に反す。君子の中庸たるや、君子にして時に中す。小人の中庸は、小人にして忌憚なきなり。子曰く、中庸はそれ至れるかな。民能(よ)くする鮮(少)きこと久し。≫(「中庸」)

∇孔子の息子を伯魚という。その子、即ち孔子の孫である子思の表したとされる「中庸」は、儒教の思想的バックボーンを総合的に解説した、古今に絶する名著である。人倫徳道としての普遍原理である「中庸」を、余す所無く語って尽きない。ことに上掲文章は、熟読玩味すべき深遠なる哲理が含蓄されている。概説しよう。──仲尼は孔子の字(あざな)。孔子は次のように言った。君子のものゝ考え方や行いは中庸に沿っているが、小人のそれは真の中庸とは違っている。君子の中庸というのは、彼らが君子としての人格・徳柄を備え、かつ≪時に中している≫。「時に中す」というのは、T・P・O(Time、Place、Occasion)、即ち、どんな時・所・場合(中江藤樹・熊沢蕃山は時・処・位と称した)に於いても中庸の宜しきに適中(的中)すること。時宜に適った最も適切な挙措動作、最適解・最善策を得ること。一方、小人の中庸は、彼等がもともと人格・徳柄が劣る上に、自己都合、或は了見の狭さ・知的浅慮等のために、自分では「妥当」「適当」だと思って忌憚(忌み憚ること)なく言動するが、実際には、真の「中庸」から外れてしまっている。孔子は慨嘆した。≪中庸はそれ至れるかな≫と。又、≪最近の「民=人々」で「中庸」を実践できる者は少なくなった≫と……。

∇「中庸と狂狷」(3)で、老生は、≪「論語」をはじめ、所謂世界的「古典」は、人類が過去長年月の間、処世上「行き過ぎ」たり、「行き足りなかった」事々を繰り返し、最終的に「中庸を得る」手本の事例として残された“後世への遺物”の最たるものではなかろうか。結句その要所は、「極端に過ぎないこと」「バランスのよい」「ほど/\」であることに帰結する。≫と書いた。それは、世の中を無難に渡るには、今でも通用する処世法であることに変わりはない。しかし、現代のT・P・O、即ち≪グローバル化が進み、価値観や利害を異にする国家間の交際、持続する経済成長、そして国内外の諸事に於ける格差是正等≫(同上)の問題解決を謀るには、アリストテレスのいう「超過のほうに傾く適中」が要求される。先に、≪子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有り。≫(いざという時は、命を捨てるという過激な行動も中庸の一形態といえる。≫と述べておいたが、非常時、現状打破時の「権」(臨機応変)を鑑みた「臨機応変の中庸」が希求される。即ち、≪子曰く、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり。≫の、「狂者と狷者」の出現が待たれるのである。

∇「狂者」とは≪大志を抱いて進取気鋭な人≫であり、狷者とは≪節義を守って、やってはいけないことを決してやらない人≫のことであった。「狂者」は文字通り「狂人」である。世界の「狂人もどき」である独裁者が皆消えたので、現代にその人物を見ないが、過去に例えて言えば王陽明であり、吉田松陰である。──孟子は、≪人が別に深く考えもしないで、事の善悪を自然に知るところのものが良知である。≫と言った。(尽心上篇) 誤解を恐れずに言えば、この「良知」の概念をさらに発展させて「致良知=良知を致す=朱子の如く、行動する前に考えを徹底的に窮理するのではなく、天性の自分の心に潜在する良知の声に従うこと」こそが、平天下実現の極致だ、としたのが王陽明の学説である。曰く、≪世の君子が徹頭徹尾「致良知」を実践すれば、是非の判断が公正になり、自他の区別に区々とせず、天地万物一体の仁道を成就でき、天下は治まる筈だ≫と。王陽明は弟子の聶文蔚への書簡の中で、≪嗚呼、世の人は私を狂人、異常者と評しているが、それも間違いではない。≫、この「「致良知」説を普及敷衍するために、断固として「狂病」を貫くのだ、と言っている。(「伝習録」(中)」 陽明にあっては、「狂こそ聖人になるための真の道」という主張である。

∇この「狂者」の実践者が我が国では吉田松陰である。先に「論語」子路篇の≪子曰く、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり。≫を揚げたが、孟子もこれを取り上げて、弟子と討論している。(尽心下篇) そしてその討論箇所を吉田松陰が「講孟余話」で取り上げて、自分に比して次のように述べた。≪そもそも、余(松陰自身)、(密航を企てた)大罪の余り、永く世の棄物となる。然れども、この道を負荷して天下後世に伝えんと欲するに至っては、敢えて辞せざるところなり。この時に当たって、中道の士の遽(にわ)かに得べからざる古今一なり。故にこの道を興すには、狂者にあらざれば興すこと能わず。この道を守るには、狷者にあらざれば守ること能わず。すなわち狂狷を渇望すること、またあに孔孟と異ならんや。≫と。松陰自身の自任する大道は、狂者でなければ興すことが出来ない。狷者でなければ守ることが出来ない、と。松陰自身は典型的「狂者」だ。社会保障と税の一体改革や政治改革、格差是正、TPPの推進等には「狂者」的発想・決断が、「脱原発」「政治とカネ」刷新には「狷者」精神が、その「中庸を得た行為」となるだろう。蛇足ながら、明治の元老・山縣有朋は、山縣狂介と称した。維新の若者には陽明学徒が多かった。…