日経ビジネスからの転載(http://ht.ly/6A454)ですが、
NTTの宣伝がうっとおしい(笑)
ので、こちらに転載しました。
拝啓「無関心」殿、ボクらと話をしませんか
「こうなってしまったのは政府や電力会社だけの責任ではなく、僕たち国民にも責任があると思います。だからこそ、自分のために、自分の周りの人のために、自分の将来の子どもたちのために、この原発の問題について、未来について、もっとみんなと一緒に考えたい」
「そして希望を見つけたいです」
19歳から22歳までの男女4人が9月11日から21日まで、都内の経産省前でハンガーストライキをしている。
「将来を想うハンガーストライキ ~コブシを使わず、拡声器を使わず、ただ食べずに想いを発信する」
と題したウェブページに掲載された、4人のうちの1人、「どっきょ」こと山本雅昭さん(22、東京都)のメッセージだ。
経産省前のハンスト会場。次々に激励の人々が訪れる
震災以降、「日本の未来を考えよう」と、全国の大学生や社会人、フリーターなど10代、20代の若者7人が「若者会議」を開催、原発や自然エネルギーなどを考える勉強会や合宿、街頭活動、交流活動を続けてきた。
この中の4人が、今回ハンストを行っているという。
ウェブページでは、映画監督のはなぶさあやさん、広田奈津子さん、俳優のいしだ壱世さんら著名人のほか、主婦、会社員、海外在住者ら約800人が賛同者として名を連ねる。
10日間=240時間にわたって、水と塩以外は口にしない。
インドの指導者マハトマ・ガンジーが、インド独立を訴えて行ったことで知られる非暴力不服従運動の1つ「ハンスト」。
現代日本の20代の若者たちがここに向かったのは、なぜか。
3.11以降の原発震災の現場を巡り、若者や子ども、女性、高齢者、社会的弱者の声が、なかなか政治に届かない現実。
「希望を見つけたい」と語る若者が感じる悲しみ、それはフクシマの人々の思いにも通じるのではないか―。
9月15日、経産省前の現場を訪ねた。
「無関心」と対話したい 若者の独白的ハンスト
ハンストはすでに5日目。経産省入口近くのシートの上で、岡本直也さん(20、山口県)、米原幹太さん(22、千葉県)、関口詩織さん(19、愛知県)、山本さんの4人が、激励に訪れる人々と会話している。
足下のビニール袋には、空になって潰されたたくさんのペットボトル。
手には塩の袋。日傘とビーチパラソルの間から差す日差しも、歩道の照り返しもまだまだ厳しい、アスファルトとコンクリートの霞が関の官庁街の一角に人だかりができる。
その中心で、麦わら帽子の米原さんに話を聞いた。
ハンストは2度目だという。
「同年代の若者に向けて何かを発信したいというのもあるけど、それより、僕自身が思いを示しておきたいと思って。3・11からずっと走り続けてきたので、1つの区切りと思って」。
主張でも批判でもなく、何か独白に近い言葉が返ってきた。
「いろんな人が通って、チラ見してくれたり、サラリーマンが来てくれたり。知らない人でも現場に来てくれるのはうれしいし、ありがたい。何かうまく言えないけど、何か感じてくれたらいいなと思って。メディアに取り上げられるというのは…、うーん、どうなんだろう、僕は別に…。あっ、ただ、メディアを通じて知ってもらって、考えてもらって、自分の言葉でみんなが何か言ってくれたらうれしいです。もちろん、批判でも」。
伝わらない若者の声、政治への絶望と希望
しかし、どうしてハンストで対話を求めようとしたのだろう。
ハンストは身体の負担が大きいものでもあり、筆者は推奨する意図はない。
だが、そこまでしなければいけなかったのか。
「どうなんすかね、みんな感じていることだと思うけど、若者もそうだけど、やっぱ国民の意思が伝わってませんよね。でも、みんなに考えてほしい。僕らは一応、『脱原発』って言っているけど、別に賛成、反対っていうのではなくて、まずは知ってもらって考えてもらって、一緒に考えようと言うふうになればいいな、というのが一番の目的。威圧するのではなく、非暴力でやりたいし」。
岡本さんも「福島原発事故を受けて、国もこれから新しい方針や政策が決めようという中で、僕たち若者の世代からも、原発はやめてほしいと思って。まずは世間に向かっても言いたいけれど、僕たちの声は本当には届いていないように感じる。福島原発の事故があっても、新しい原発の工事が進んでいます。ただハンストで市民の方が問題意識を持ってくれて、真剣さが伝われば、新しい一歩につながるかもしれない」。
それでも同時に「ハンストだけで関心を引き寄せられるとも思っていない。もしそういう方法があるなら、原発問題とかいろんな問題は、とっくに変わっているはず。ただ、『ああ、若い人たちがやっていたな』と思い出してくれて、それが何か新しい一歩につながれば」という。
あっと不意を突かれた。
彼らがハンストを通じて本当に対話したかった相手は、霞が関の役人や政治家よりも、まず一番最初に日本社会や世間に無数に沈殿している「無関心」だったのだ、と。
次々に訪れる人と会話するハンスト中の岡本さん(右)、関口さん(中央)、山本さん
「がんばって」と声をかける人。
水や塩、保冷剤などの差し入れをする人。
人の流れがひっきりなしに続く。
インタビューの区切りでふと気が付けば、経産省前のハンストの現場は世代を超えた「語り場」になっていた。
駆け付けた多くの人たちは、3・11を経た彼ら若者のメッセージを受け取ろうとしているのではないか。
だが、多くの人に囲まれながらも、彼らはあくまでも自然体だった。
米原さんは語る。
「ハンストや原発のことは、自分のことだからやっているだけ。別にこれは『活動』じゃないし。仲間やサポーターを増やそうとかいうのはなくて、一番は、意思を示しておきたいという感じ。仲間にしたって、増やそうとして増えるものじゃないでしょう。ただ、僕らに関心を持った人たちと友達になれたらって思ってる。だから、強いものに対して向かってるって感じじゃない。これは自分の問題だからやってるだけで。日本という島国で原発事故が起きたら、(自分も)被ばくするってことだから。もちろん、おかしなやり方については、『それはおかしいだろう』とは言いたいですけどね」
「それに…、早く普通に平穏に暮らしたいですよ。僕らの大きな幸せっていったら、やっぱり、好きな人と一緒に暮らすことじゃないですか。そうしたら、子どものこととかも考える。僕自身、21年間過ごしてきて、自分より若い子たち、そして、まだ生まれてきていない子たちに対して、原発事故が起きたことが『恥ずかしい』『阻止できなかった』『申し訳ない』という思いがあって。将来の環境とかも、今の人にかかっているから」。
こう言って、米原さんは少しはにかんだ表情をのぞかせた。
しかし、なかなか対話が広がらないのはなぜだろう。
「うーん。今の社会だとなかなかむずかしいかも…。伝えようという前に、『伝わらないだろう』『やってもムダ』というあきらめが高校生ぐらいの年代からある。だから、つながらない、実感できないのかも。僕自身は、学校では『何で集団行動するのか』とか、『何で大学に絶対入るのか』とか、そういう仕組みに飽き飽きしていて、いろいろ考えたら、原発に行き着いたという感じ」。
霞が関でのハンスト。
政治や行政についてはどう考えているのだろうか。
続けて米原さんに聞いた。
「政治って一人ひとり、当たり前のことでしょう。政治家は国民の代表だから…。政治は国民のものであってほしい。普通そう思うでしょう。でもこうなっているのは、会話が足りないからじゃないですか。政治についてはお互い様ってこともある。政治家が上から見下ろしている感じもあるけど、俺らが見上げている感じもある。上から目線と下から目線。お互い様で、そうなっている現状がある」
「僕自身は、まずは自分の人生があるし、あまり政治には期待していないけれど、この機会に経済優先からUターンしないと国家として成り立たないのではないかと思っている。上の世代の人は『若い人にこんなツケを回してしまって』と言う気持ちを持っているけれど、俺らの世代も次の世代に対して同じようなことをしてしまうんじゃないかって思う」
ではいったい、世代を超えた問題を解決する手だてはあるのだろうか。
「どうなんすかね。まずは認め合うしかないでしょうね。認め合うためには話し合うしかないんじゃないですか。若者に限らず、日本人全員が語ったり、発信したり、気軽に話したりすることが少ない。世代を超えた思いの違いとか、やり方の違いとか話して。やっぱ、話していろいろ分かることがあるから。話さないと、何も起こらないから」
より良い未来に向かう道筋、手段としての「対話」を、ハンストを通じて求める若者たち。
訪ねてくる人の中には、40代、50代という彼らの親世代も多く、何か世代を超えた共感性を求める日本人の姿が見えた気がした。
世代を超えた会話が、より良い未来へのパスポートになり得るのだろうか。
「私はこの4人に心から感謝しています。『みんな、ごめんな、こんなんさせて。ありがとう、感謝やな』って。私は、自分の命を削りながら、ほかの人の為にこういうことができるんやろかって思ってしまいますね。ただ、お医者さんからみれば、ハンストしてること自体、『何してんの』って話ですけどね」
大阪から駆け付けた「若者会議」のメンバーで、今回は4人を支援し、メディア対応をするサポーターに回った岡野朱里さん(19)は17歳で出産、現在は子育て中のシングルマザーだ。
「子どもを置いてここに来るのはどうなんだろうって最初は思いました。でも、3・11以降、原発事故もあって『これはダメだ』って。子どものことがあるから、『命がけで子どもを守る』っていう意識があって」。
フクシマのお母さんたちにも通じる想いだ。
岡野さんは中学生の時、学校のレポートでチェルノブイリの原発事故を調べて以来、原発事故には関心を持ち続けていたという。
「『なぜ生まれる前に起きた事故で同い年の子たちがこんなに苦しまないといけないの』『どうして、最初に被害を受けるのは同世代から下の子なん』って。だから福島の原発事故が起きた時、『原発って、どうなん?』って思いました」。
そういう意識から、大阪での若者会議開催でも中心的役割を担ってきた。
「来てくれた人たちがハンストをやってるこの子たちに、『ごめんな、こんなことさせて』って言ってくれますけど、できるなら『ありがとう』って言ってやってほしいです。私自身もこの子たちに感謝、ですから」。
ウェブページに寄せられた応援メッセージは18日現在で380件を突破している。
ハンストへの批判はないが、「私たち大人はあなた方の前で恥ずかしい」「あまりにも無関心だった」など、大人たちの懺悔(ざんげ)の言葉が多いのに驚かされる。
「心から応援します」「頑張ってください」という激励のほかに、「体に無理をしないように。体調が心配です」「危険を感じたら、すぐ中止を」など、体調を気遣う内容もある。
解雇や派遣切りにあった若者の働く場を確保する「フェアコープ」東京事務所の佐々木透さん(57)も、激励に訪れた1人。
「70年代初めですがね、私も原発問題、沖縄の問題に取り組んだ世代です。私にも大学生の息子がいて、彼らはまさに私の子ども世代です」。自分の若者時代と、4人の姿を重ね合わせているかのようだ。
「我々は、運動を広げよう、仲間を増やそうとしてなかなか増やせなかった。悪かったことに対して責任を取らせていくというのが正しい方向ではないかとも考えていた。ところが、彼らはそのあたりが違う。『広めよう、仲間を増やそう、組織を拡大しよう』というよりも、自然体でやっている。なんか好感が持てました」。
“お父さん世代”も、温かいエールを送った。
最後に岡本さんに、ハンストを通じてうれしかった体験を聞いてみた。
するとニッコリと表情を崩して、「実はハンストの後、『ごはんをご馳走してくれる』って言ってもらったんです」。
やっぱり「食べ盛り」な20代の若者の素顔がのぞいた。
「それと…、この場にわざわざ来てくれて、『ありがとう』って言ってもらったことですね。『私たちも頑張っていくから、よろしくね』っていってもらったこと。思いが込められていて、本当にうれしかった。僕たちは原発問題を残されていく世代。同年代とできたつながりも大切にしたい」。
福島県内で関心が高まっている低線量被ばくや内部被ばく、そして晩発性の放射線の影響に、「症状が仮に出たとしても、30年、40年も先のこと」、そういう専門家の説明がなされているが、現在の10代、20代の若者にとっては、もう現実の話。
「原発問題を残されていく世代」の若者や子どもたちの声は、フクシマの未来につながっている。「未来に続く今」が、まさに問われているのではないだろうか。
NTTの宣伝がうっとおしい(笑)
ので、こちらに転載しました。
拝啓「無関心」殿、ボクらと話をしませんか
「こうなってしまったのは政府や電力会社だけの責任ではなく、僕たち国民にも責任があると思います。だからこそ、自分のために、自分の周りの人のために、自分の将来の子どもたちのために、この原発の問題について、未来について、もっとみんなと一緒に考えたい」
「そして希望を見つけたいです」
19歳から22歳までの男女4人が9月11日から21日まで、都内の経産省前でハンガーストライキをしている。
「将来を想うハンガーストライキ ~コブシを使わず、拡声器を使わず、ただ食べずに想いを発信する」
と題したウェブページに掲載された、4人のうちの1人、「どっきょ」こと山本雅昭さん(22、東京都)のメッセージだ。
経産省前のハンスト会場。次々に激励の人々が訪れる
震災以降、「日本の未来を考えよう」と、全国の大学生や社会人、フリーターなど10代、20代の若者7人が「若者会議」を開催、原発や自然エネルギーなどを考える勉強会や合宿、街頭活動、交流活動を続けてきた。
この中の4人が、今回ハンストを行っているという。
ウェブページでは、映画監督のはなぶさあやさん、広田奈津子さん、俳優のいしだ壱世さんら著名人のほか、主婦、会社員、海外在住者ら約800人が賛同者として名を連ねる。
10日間=240時間にわたって、水と塩以外は口にしない。
インドの指導者マハトマ・ガンジーが、インド独立を訴えて行ったことで知られる非暴力不服従運動の1つ「ハンスト」。
現代日本の20代の若者たちがここに向かったのは、なぜか。
3.11以降の原発震災の現場を巡り、若者や子ども、女性、高齢者、社会的弱者の声が、なかなか政治に届かない現実。
「希望を見つけたい」と語る若者が感じる悲しみ、それはフクシマの人々の思いにも通じるのではないか―。
9月15日、経産省前の現場を訪ねた。
「無関心」と対話したい 若者の独白的ハンスト
ハンストはすでに5日目。経産省入口近くのシートの上で、岡本直也さん(20、山口県)、米原幹太さん(22、千葉県)、関口詩織さん(19、愛知県)、山本さんの4人が、激励に訪れる人々と会話している。
足下のビニール袋には、空になって潰されたたくさんのペットボトル。
手には塩の袋。日傘とビーチパラソルの間から差す日差しも、歩道の照り返しもまだまだ厳しい、アスファルトとコンクリートの霞が関の官庁街の一角に人だかりができる。
その中心で、麦わら帽子の米原さんに話を聞いた。
ハンストは2度目だという。
「同年代の若者に向けて何かを発信したいというのもあるけど、それより、僕自身が思いを示しておきたいと思って。3・11からずっと走り続けてきたので、1つの区切りと思って」。
主張でも批判でもなく、何か独白に近い言葉が返ってきた。
「いろんな人が通って、チラ見してくれたり、サラリーマンが来てくれたり。知らない人でも現場に来てくれるのはうれしいし、ありがたい。何かうまく言えないけど、何か感じてくれたらいいなと思って。メディアに取り上げられるというのは…、うーん、どうなんだろう、僕は別に…。あっ、ただ、メディアを通じて知ってもらって、考えてもらって、自分の言葉でみんなが何か言ってくれたらうれしいです。もちろん、批判でも」。
伝わらない若者の声、政治への絶望と希望
しかし、どうしてハンストで対話を求めようとしたのだろう。
ハンストは身体の負担が大きいものでもあり、筆者は推奨する意図はない。
だが、そこまでしなければいけなかったのか。
「どうなんすかね、みんな感じていることだと思うけど、若者もそうだけど、やっぱ国民の意思が伝わってませんよね。でも、みんなに考えてほしい。僕らは一応、『脱原発』って言っているけど、別に賛成、反対っていうのではなくて、まずは知ってもらって考えてもらって、一緒に考えようと言うふうになればいいな、というのが一番の目的。威圧するのではなく、非暴力でやりたいし」。
岡本さんも「福島原発事故を受けて、国もこれから新しい方針や政策が決めようという中で、僕たち若者の世代からも、原発はやめてほしいと思って。まずは世間に向かっても言いたいけれど、僕たちの声は本当には届いていないように感じる。福島原発の事故があっても、新しい原発の工事が進んでいます。ただハンストで市民の方が問題意識を持ってくれて、真剣さが伝われば、新しい一歩につながるかもしれない」。
それでも同時に「ハンストだけで関心を引き寄せられるとも思っていない。もしそういう方法があるなら、原発問題とかいろんな問題は、とっくに変わっているはず。ただ、『ああ、若い人たちがやっていたな』と思い出してくれて、それが何か新しい一歩につながれば」という。
あっと不意を突かれた。
彼らがハンストを通じて本当に対話したかった相手は、霞が関の役人や政治家よりも、まず一番最初に日本社会や世間に無数に沈殿している「無関心」だったのだ、と。
次々に訪れる人と会話するハンスト中の岡本さん(右)、関口さん(中央)、山本さん
「がんばって」と声をかける人。
水や塩、保冷剤などの差し入れをする人。
人の流れがひっきりなしに続く。
インタビューの区切りでふと気が付けば、経産省前のハンストの現場は世代を超えた「語り場」になっていた。
駆け付けた多くの人たちは、3・11を経た彼ら若者のメッセージを受け取ろうとしているのではないか。
だが、多くの人に囲まれながらも、彼らはあくまでも自然体だった。
米原さんは語る。
「ハンストや原発のことは、自分のことだからやっているだけ。別にこれは『活動』じゃないし。仲間やサポーターを増やそうとかいうのはなくて、一番は、意思を示しておきたいという感じ。仲間にしたって、増やそうとして増えるものじゃないでしょう。ただ、僕らに関心を持った人たちと友達になれたらって思ってる。だから、強いものに対して向かってるって感じじゃない。これは自分の問題だからやってるだけで。日本という島国で原発事故が起きたら、(自分も)被ばくするってことだから。もちろん、おかしなやり方については、『それはおかしいだろう』とは言いたいですけどね」
「それに…、早く普通に平穏に暮らしたいですよ。僕らの大きな幸せっていったら、やっぱり、好きな人と一緒に暮らすことじゃないですか。そうしたら、子どものこととかも考える。僕自身、21年間過ごしてきて、自分より若い子たち、そして、まだ生まれてきていない子たちに対して、原発事故が起きたことが『恥ずかしい』『阻止できなかった』『申し訳ない』という思いがあって。将来の環境とかも、今の人にかかっているから」。
こう言って、米原さんは少しはにかんだ表情をのぞかせた。
しかし、なかなか対話が広がらないのはなぜだろう。
「うーん。今の社会だとなかなかむずかしいかも…。伝えようという前に、『伝わらないだろう』『やってもムダ』というあきらめが高校生ぐらいの年代からある。だから、つながらない、実感できないのかも。僕自身は、学校では『何で集団行動するのか』とか、『何で大学に絶対入るのか』とか、そういう仕組みに飽き飽きしていて、いろいろ考えたら、原発に行き着いたという感じ」。
霞が関でのハンスト。
政治や行政についてはどう考えているのだろうか。
続けて米原さんに聞いた。
「政治って一人ひとり、当たり前のことでしょう。政治家は国民の代表だから…。政治は国民のものであってほしい。普通そう思うでしょう。でもこうなっているのは、会話が足りないからじゃないですか。政治についてはお互い様ってこともある。政治家が上から見下ろしている感じもあるけど、俺らが見上げている感じもある。上から目線と下から目線。お互い様で、そうなっている現状がある」
「僕自身は、まずは自分の人生があるし、あまり政治には期待していないけれど、この機会に経済優先からUターンしないと国家として成り立たないのではないかと思っている。上の世代の人は『若い人にこんなツケを回してしまって』と言う気持ちを持っているけれど、俺らの世代も次の世代に対して同じようなことをしてしまうんじゃないかって思う」
ではいったい、世代を超えた問題を解決する手だてはあるのだろうか。
「どうなんすかね。まずは認め合うしかないでしょうね。認め合うためには話し合うしかないんじゃないですか。若者に限らず、日本人全員が語ったり、発信したり、気軽に話したりすることが少ない。世代を超えた思いの違いとか、やり方の違いとか話して。やっぱ、話していろいろ分かることがあるから。話さないと、何も起こらないから」
より良い未来に向かう道筋、手段としての「対話」を、ハンストを通じて求める若者たち。
訪ねてくる人の中には、40代、50代という彼らの親世代も多く、何か世代を超えた共感性を求める日本人の姿が見えた気がした。
世代を超えた会話が、より良い未来へのパスポートになり得るのだろうか。
「私はこの4人に心から感謝しています。『みんな、ごめんな、こんなんさせて。ありがとう、感謝やな』って。私は、自分の命を削りながら、ほかの人の為にこういうことができるんやろかって思ってしまいますね。ただ、お医者さんからみれば、ハンストしてること自体、『何してんの』って話ですけどね」
大阪から駆け付けた「若者会議」のメンバーで、今回は4人を支援し、メディア対応をするサポーターに回った岡野朱里さん(19)は17歳で出産、現在は子育て中のシングルマザーだ。
「子どもを置いてここに来るのはどうなんだろうって最初は思いました。でも、3・11以降、原発事故もあって『これはダメだ』って。子どものことがあるから、『命がけで子どもを守る』っていう意識があって」。
フクシマのお母さんたちにも通じる想いだ。
岡野さんは中学生の時、学校のレポートでチェルノブイリの原発事故を調べて以来、原発事故には関心を持ち続けていたという。
「『なぜ生まれる前に起きた事故で同い年の子たちがこんなに苦しまないといけないの』『どうして、最初に被害を受けるのは同世代から下の子なん』って。だから福島の原発事故が起きた時、『原発って、どうなん?』って思いました」。
そういう意識から、大阪での若者会議開催でも中心的役割を担ってきた。
「来てくれた人たちがハンストをやってるこの子たちに、『ごめんな、こんなことさせて』って言ってくれますけど、できるなら『ありがとう』って言ってやってほしいです。私自身もこの子たちに感謝、ですから」。
ウェブページに寄せられた応援メッセージは18日現在で380件を突破している。
ハンストへの批判はないが、「私たち大人はあなた方の前で恥ずかしい」「あまりにも無関心だった」など、大人たちの懺悔(ざんげ)の言葉が多いのに驚かされる。
「心から応援します」「頑張ってください」という激励のほかに、「体に無理をしないように。体調が心配です」「危険を感じたら、すぐ中止を」など、体調を気遣う内容もある。
解雇や派遣切りにあった若者の働く場を確保する「フェアコープ」東京事務所の佐々木透さん(57)も、激励に訪れた1人。
「70年代初めですがね、私も原発問題、沖縄の問題に取り組んだ世代です。私にも大学生の息子がいて、彼らはまさに私の子ども世代です」。自分の若者時代と、4人の姿を重ね合わせているかのようだ。
「我々は、運動を広げよう、仲間を増やそうとしてなかなか増やせなかった。悪かったことに対して責任を取らせていくというのが正しい方向ではないかとも考えていた。ところが、彼らはそのあたりが違う。『広めよう、仲間を増やそう、組織を拡大しよう』というよりも、自然体でやっている。なんか好感が持てました」。
“お父さん世代”も、温かいエールを送った。
最後に岡本さんに、ハンストを通じてうれしかった体験を聞いてみた。
するとニッコリと表情を崩して、「実はハンストの後、『ごはんをご馳走してくれる』って言ってもらったんです」。
やっぱり「食べ盛り」な20代の若者の素顔がのぞいた。
「それと…、この場にわざわざ来てくれて、『ありがとう』って言ってもらったことですね。『私たちも頑張っていくから、よろしくね』っていってもらったこと。思いが込められていて、本当にうれしかった。僕たちは原発問題を残されていく世代。同年代とできたつながりも大切にしたい」。
福島県内で関心が高まっている低線量被ばくや内部被ばく、そして晩発性の放射線の影響に、「症状が仮に出たとしても、30年、40年も先のこと」、そういう専門家の説明がなされているが、現在の10代、20代の若者にとっては、もう現実の話。
「原発問題を残されていく世代」の若者や子どもたちの声は、フクシマの未来につながっている。「未来に続く今」が、まさに問われているのではないだろうか。