12/1の「いなかとまちのシンポジウム」より。
わたしの尊敬する大先輩、
「NPO法人共存の森ネットワーク」理事・渋澤寿一(しぶさわ じゅいち)さん
「おいでん・さんそんセンター」鈴木辰吉さん
トークを安藤里恵ちゃんが書き起してくれました。
J:どうもみなさん、こんにちは~。最後のおじさんがふたりでーす。どうも申し訳ありませーん。
ほんとに多くの若者たちに。
今回が2回目ですけど、新しい方たちにも入っていただいてなんとなく、溶け込んできたなぁ、いう感じもします。
彼らのステージにもあったんですけど、若い人たちの考え方がすごく変わってきていて。
かつてはそういう人たちがヒッピーだとかあるいは風来坊だとか言われていて世の中からメジャーではなく扱われてきたんですけど、だんだんその人たちの数が多くなってきて、日本がちょうど変わり始める資本になるかなぁという感じをしています。
今日は私(渋澤)の方から、今度豊田市がおいでん・さんそんセンターというセンターを足助に設けましたので、その辺の話を最後にちょっと、所長であられる鈴木辰吉さんからお話を伺いながら、みなさんに情報提供だけでもしてお帰りいただこうかなと、このセッションを作らせていただきました。
鈴木さん、どうぞよろしくお願いします。
T:よろしくお願いします。
J:「おいでん・さんそんセンター」聞かれた方も聞かれていない方もいらっしゃるんだと思いますけど、鈴木さんにどういう概要なのかとか、何を求めているのかとかその辺お話をいただけますか?
T:はい、おいでん・さんそんセンターのセンター長をやっております、鈴木と言います。
どうぞよろしくお願いいたします。
おいでん・さんそんセンターは今年の8月8日に無事オープンをいたしまして、いま4ヶ月を過ぎました。
私の他に、安藤・西田2人のスタッフがおって、毎日仕事をしております。
おいでん・さんそんセンターで何をしようとしているかというのを話す前に、ちょっと謝らなくてはいけないかなぁということが。
実は・・・寒くなりましたよねぇ。
こんな時間までおっていただいて本当にありがたいんですが、実はこのイベントは2回目で、1回目は10時から14時で終わっていたんですね。
2月でしたので。これをもっと暖かい時期で、野菜とかたくさんある時期でやろうよということになって、最初は11月3日ということで動いていたんですが、そのときに僕が「暖かいんで、15時までよろうよ」と、確か提案をして。
それが採用されたら結局12月1日ということになってしまって、ちょっと引っ張りすぎたかなということで、出展者の皆さんにも申し訳ないなと思っています。
「おいでん・さんそんセンター、何をやろうとしているのか。」
パンフレットを上(ペデストリアン・デッキ)で配っていますけど、そこには「まちとむらをつなぐプラットホーム/人と人、まちといなか、地域と企業をつなぎ、豊かな暮らしを提案します」と書いてありますけど、一体何のことだ?と思われる人も。
いまだにいろんな人から、「一体お前は何をやろうとしてるんだ」と聞かれるんですけど、なかなか上手に答えられないというのが実際のところです。
一言で言いますと、「都市と農山村が支え合う」そういうムーブメント、あるいは文化、そういったものを創りたいなぁと。
大きな話なんですが、それがねらいです。
どういうことかと言いますと、ヨーロッパ(EU)では50年も前から丁度、農業政策ということで「消費者が農村や農業を支える」ということが文化として根付いているので(直接支払い制度)いま、国が一生懸命、日本もやろうとしていますけど、あれはヨーロッパだから税金を相当つぎ込んでもそれが普通という社会なんですね。
だから、アメリカでもいまCSAといって、これはまだ始まったばかりなんですけど、「消費者が農業者を支える」。
最初に契約してお金を先に払って、収穫高が多くても少なくても文句を言わない。
そういった「安心で安全な食料を確保する」というそういう仕組みがあるんですけど、日本はかなり極度に、成長がすごく著しくて。
いまみなさんがどういう風に考えられているか分かりませんが、「農村を支える」とか「農業を支えるという文化が育って来なかった」、あるいは「忘れられている」んじゃないかなぁということで、それをなんとか皆さんに思い出してもらおうということを狙ってます。
具体的に何をやるか、というのはパンフレットに書いてありますが、ひとつだけ紹介いたしますと、「山里交流バンク」という事業がメイン事業です。
これは何かと言いますと・・・9月からいま都市側の企業660社にアンケートをやっております。
それから全ての自治区300にも、440の子供会にもアンケートをやっています。
それから40の労働組合にこれからアンケートをやります。
その人たちに、都市側の人たちには「農村を支える気持ちがありますか」「どういうことをやりたいですか」そういうことを尋ねています。
農村側には「何に困っていますか」そういったことをいま調査しています。
私はほとんどやっていないんですが、スタッフが優秀なので日々入力をしながら、いま情報を集めています。
私の担当は、「相談をしたい」と回答をいただいた区長さんに毎日電話をする、というのが仕事です。
そういったことをやって、都市側と農村側のそれぞれのニーズをいま拾い出してそれをつなぎあわせていろんなカルテをつくっていこう、と。
それがいっぱいできたときに、何か新しい文化・・・まではいかないかもしれないけれど、気づきができるんじゃないかなと。
そんなことを今始めたところでございます。
J:最初、鈴木さんの方から「ヨーロッパでもアメリカでも都市と農山村が支え合うのは当たり前だ」っていう話が出ましたけど、日本でも今から50年くらい前までは当たり前のことのようにそれがあって。
ただ、日本と言うのはある意味ではとっても工業生産を駆使して、まさにこの豊田というのはトヨタ自動車を中心とした工業の街なんですけど。
今日の新聞にも「トヨタはリーマンショック以降ずっと、景気は持ち直してきたけどラインの人たちが止まる」という話もありました。
そういうことを言うと、かつて自分たちの食べ物を・・・今日も上のバンド(ペデストリアンデッキで行なわれた、やじぃfromかむあそうとらいぶすの曲)でも「自給自足」という話が出ていましたけど、「自分たちの食べ物を自分たちで調達をして、そして自分たちが生きるということを全部自分たちの顔の見える範囲の中で作っていく」っていうことがまた見直されてきたっていう感じなんだと思うんですが。
開所からもう3ヶ月くらい経ってきて、いろんな案件が辰吉さんのところへ来ると思うんですが、何か2~3件、こんな話が来るんですよっていうのをご紹介いただけませんか?
T:はい、実は8月8日にオープンする前から準備室ということで立ち上げてやっておりましたけど、そういったセンターができるということでいろんな方がお尋ねになられました。
ちょっと人数は、今日は数字持ってきていないので、相当の方が。
足助支所の2階に事務所があるんですが、そこを尋ねてきていただいたり、手紙をもらったり電話をいただいたり。
いろんな相談が寄せられています。
ほんとに、よろず相談所に今はなっております。
そのひとつひとつに丁寧に応えるようにして、これはうちの相談ではありませんということはまだ一度も言ったことはありません。
例としては、「田舎に暮らしたいけど、誰に話をしたらいいですか」とか、「どういうところで暮らすというきっかけがつかめるだろうか」そういう方が3~4人すでに来ておられます。
その都度、「いま田舎でIターンで暮らしている人たちに是非会って下さい」というアドバイスをしております。
それから、私も3月まで行政マンで。
定年退職したんですが。
市役所の悪口は言っては行けないんですけど、いろんな志というか、「6次産業化のようなことをやりたいと思っていままでいろんなところへ、行政の窓口なんかに相談に行ったけど、あんまり相手にしてくれなかった」という人たちがなぜか僕のところへ次々と来ています。
いま、上手くいくといいなぁ、と思っているのが、「自然薯の一大産地化を図ろう」ということで。
かなり、ほら吹きではないんですけど大きな話をされる方が来ておられまして。
そのことが今実現に向かっておりますけども、そういった「新しい事業をいなかで興したい」という方も相談に来られています。
他にも、いろんな相談が来ておりますけど、それくらいにしておきます。
J:ありがとうございます。
ちょうど今お話が出ましたけど、去年が団塊の世代の方々が定年を迎えた年で。
それまでは日本社会の中では「会社というものに勤めているとなんとなく社会の一員」っていうことだったんですけど、急に定年を迎えて家庭に入られると「名刺が無くなった瞬間に世界との接点がなくなってしまう」ことが起こって、これから寿命は延びていって何十年という時間がこれからあるのに、「どういう風に社会と関わっていいか分からない」という方がたくさんいらっしゃるので、たぶんそういうような方々もこれからどんどんお越しになるような感じでお話を聞いていたんですけど。
T:ええ、すでに何人か来られております。
まだ定年より少し前だけれど、いま市内の一流企業に勤めておられる方が「定年前だけれど、いなかに住んで新しい仕事を見つけてやりたいのだけど、どういった分野の仕事があるだろうか」ということで来られた方もお見えになります。
J:辰吉さんご自身は正に、豊田の行政マンであられて、そして正にいま、本家はいなかにあられて、そして今、いなかと都市との中間で仕事をされている、というかたちの人生を歩まれているんですが、ご本人の人生の中で「こういう仕事につこう」っていうことは夢にも思ってらっしゃらなかったと思いますし。どうですか、そういう人生を送ってみて。
T:自己紹介で、私は旭地区にずっと、生まれてこのかた住んでいます。
私は定年したあとは・・・今は天下りというのは無くなったんですけど、苦労せずにできる仕事もあったんですけど。
この仕事をやるということはかなりハードな、大変な仕事をやることになるなぁと思ったんですが、こういう風になってしまった理由なんですが・・・たまたま定年の前の年に「全国過疎シンポジウム」というのがこの愛知県でたまたま開かれて、それが私の担当の部署に関係する仕事で。
そこで山崎亮さんという、studio-Lという会社を運営している方が講演をされまして、
「いま日本は人口減少社会になったんですけど、世界で最も高齢化が早く進んで、《人口減少》という社会に日本が一番最初になった。世界の先進国もこれから先進国の仲間入りをしようとする国も、日本がこれから高齢化社会に向かって何をしようと、どうやって日本が乗り越えていくのかを見ているんだ。そういうことを考えたときに、これから人口が減っていって日本が直面する社会がいまこのいなかに・中山間地域・農村部が、まさにいま50年後の社会にすでに直面している状態にある。だから《中山間地域は人口減少時代の先進地である》そこをどういう風に切り抜けていけるか、ということを見つけたらこれはすごい発見になるし、世界に誇れるものになる」
そんな話を聞きまして、「あ、これしかない」と。
楽をして仕事をこれからも続けていくことはできたかもしれないけど、やっぱり「仕事というのは社会にある課題を解決する」これは大昔から未来に向かって「仕事というのは社会の課題を解決する」ことだと思ったので、この道を選んでいろいろいま課題には直面しておりますけど、楽しく仕事をさせていただいてます。
J:ほんとに、日本はこれから2050年までにたぶん8千万人か9千万人くらいに人口が減っていきます。
ある意味ではみんな中山間へ。
過疎だ過疎だと言っていますけど、日本全体が過疎に向かっている訳ですよね。
そのときに「お金だけあれば幸せだ」「物がたくさんあれば幸せだ」という幸せを求めていても人口9000万人の世界の中では高度生産業も落ちていきますし、そんな物と「お金に頼る暮らし」というのはたぶん縮まっていく。
そんなときに地域にはまだ自然はたくさんあります、それからコミュニティ。
なんと言っても「人と人とが顔が見える関係」がそこにある。
それをどうわたしたちの財産として変えていこうか、ということが今お話を伺った辰吉さんのお仕事になっていくのだと思うんですけど。
これからおいでん・さんそんセンターまだ5ヶ月ですけど、これから2年先・・・今はまだ行政の組織なんですよね。
で、これからどんな風に辰吉さんは「組織としてこんな社会ができたらいいな」という夢をお持ちでいらっしゃるか伺いたいと思いますけど。
T:いま行政の組織としてスタートしました。
まだ「都市と農山村をつなげる」という仕事、これは行政の得意分野ではないなという風に思っています。
いまこれ(パンフレット)にも「プラットホーム」と書いてありますが、「プラットホーム会議」という会議を開いてセンターの運営をやっているんですが、このプラットホーム会議には今日、ここに集まっておられる・・・ここのイベントを主催している団体のみなさんが主に集まっておられるんですけど、かつてインターネットなどが無くて情報がすべて一部の人に集まっていた時代、行政がそういった情報を得やすい。そういう時勢は行政が旗を振って情報を独り占めしながら税金というお金も握って世の中をコントロールしていく、という仕事の仕方があったんですが、いま市長であろうと市民であろうと世界中のどんな情報も瞬時に同時に得られるんですね。
そうするとむしろNPOのみなさんとか、そういうことを専門にしている人のほうが、行政よりもよほど早く機動的に動けるし、情報も早い。見識も高い。ということですので、今までのような「行政が全てをコントロールしていく」という仕事の仕方ではなくて、行政と活動団体や市民の皆さんが、本当の意味の協働ができるような仕組みがいいだろうと。
この、おいでん・さんそんセンター、もう公言しちゃったんで改めてまたここで言いますけど、「3年後には民営化をする」。
行政から切り離される。ということで今、準備を進めております。
まだその手立て、そういったものは見つけるまでに至っておりませんけども、そういう市民の運動としてやっていくようなおいでん・さんそんセンターになっていけばいいなぁと思っています。
そうすることによって、冒頭も言いましたように、いま日本人が忘れてしまった成長とか競争とかそういうことが本当に大事でしたので、そのことに向かっているとそういったことを忘れてしまうんですけども、都市と農村が支え合う山があって都会があって海があって、海もですね、山が健全に管理されていないと海も荒れる、という風に全部繋がっているわけですので、そういったことを思って、思い出していただいて。
いま過疎問題というと何か、「いなかの人がんばれよ」と。
過疎地域の人が何か奇抜なアイデアをやってがんばるとすごいなぁ、ということにはなるんですけど、「都会の人がいなかを支えなくてはいけないんだ」という気風にはなっていないので、そういうムーブメントがばぁっと広がる。
何年後にそれができるか分からないですが、それが願いです。
そこをねらっていきたいなぁ、と思っております。
J:わたしもこういう仕事柄全国を周らせていただいているんですが、車で30~40分くらいのところに山があって、しかも山村があって、それからその下に中山間地があって、そして農村があって都市があって海までもそんな遠くないという街は日本全国の中でもそんなにたくさんは無いんですよね。
ほんとに豊田のみなさんは、いなかいなかと言っているけど、東京から言ったらたぶん新宿から丸の内に行くくらいの距離のところに都市といなかと両方があるって、とってもある意味では日本の中の恵まれたというか、なんでもある非常に多様性のある地域の中でこの街が出来ていて、そこにはそれこそトヨタ紡織機から始まって自動車の歴史というものづくりの系譜と、それからそこに生きてきた農山村、それからそこに飯田街道が通っていて、情報と物が通ってきたっていう。
ある意味では日本の縮図みたいな全てが集まってらっしゃるんですね。
それが一回止まって、お互いがお互いを利用しながら、街の人も山の人もそれからあるいは街の人が歳を取ってきたら農村にもう一回住んでみたりとか。
あるいは若い人たちはまだ生活にそんなお金がかかんないから農山村で暮らしてこどもを育てて、安心安全なものを自分で作ってこどもに食べさせてっていうそんな次の世代へのつながりみたいな場として、オール豊田で次の世代を育てていくという心になったらいいのかなぁ、と傍からずっと見ていて思っているんですが、その辺はいかがでしょうか。
T:いま渋澤さんに言っていただいたとおり、農山村は本当に懐が深いというか、受け皿があって、これからいま1億2500万人の人口が50年後には8000万人になるし、高齢化率は23%が40%になる超高齢化社会で医学もどんどん進んでいきますので、プラチナ社会という言い方を言われる学者の先生がおられますけども、そういった、「高齢者が死ぬまで元気で働ける」そういう社会にこれからなっていこうとするときに、豊田市は7割が山林ですので、いわば山村地域が7割、そちらに今2万人が住んでいます。
そしてこちらの都市側に40万人が住んでいます。
そういう関係にありますので、このいなかをプラチナ社会・高齢化にし、いつまででもがんばれる人たちを大いに利用して頂いて、都市と農村が本当に繋がりあうそんな風になっていけばいいなぁ、と思います。
J:ありがとうございました。
先だって、養老孟司さんという『バカの壁』を書いた先生とお話をして、彼は昆虫少年で…もうおじいちゃんですけど。
昆虫がすごく好きで私が大学にいた頃、大学の研究室に昆虫の標本がものすごくあったもんですから、よく訪ねて来られて。
久しぶりに40年ぶりくらいに養老先生とお会いしてお話をしたら、「もう渋澤くん、日本は駄目だね」っていう話をされて。
それはようするに、彼は脳学者をやっておられるんですが、
「人間っていうのは、自分の体で行動して、そこで感覚からいろんな情報を集めるんだ。そして、脳で集めて脳で認識をして、そして整理をして自分の行動に移るっていう生き物なんだよ。ところが、いまの社会は自分の体を動かして感覚で判断をする・情報を集める、というのではなくて、スマホと脳みそがつながっていて、スマホから全部情報を得て、それで行動しちゃう。所詮スマホの世界って言うのは、誰かがデザインした誰かの懐の中の世界なんだよ。それで行動しちゃうという危うさを誰も気付かない。なんで自分の体で自分の食べ物を得ようとするのか。自分の子どもを自分で育てるというのか。当たり前の感覚の部分を放棄してしまった社会は、もうこれでしかないんだよね。」
って。
で、彼はもう「俺はもう死んじゃうからいいんだ」っていうような感じで非常に気楽におっしゃっていたんですけど。
いま、辰吉さんのお話をずっと聞いてくると、本当に自分たちは肉体を持っている生き物で、その肉体を持っている生き物が何を食べるのか、肉体を持っている生き物が子供をどう育てるのかっていう本当に自分の体を使わないとできないこと、自分で非常にリアリティを持ってこの豊田の中で経験をして生きながら頭の中で整理をして、次の世代を作って。
まさにその辺の交通整理をしていただくのが、おいでん・さんそんセンターかなぁ、という風に思っております。
3年後には民営化というお話が出ていました。
民営化のときの全員の経営をやるスタッフというのは今日この会場にお越しの全員で。
センターを経営していくという時代がすぐそこに来ていますので、私たちも覚悟を決めて、このセンターを豊田のためにも失敗させられない。
日本のためにも失敗させられないな、という風に思っておりますので、是非協力して・・・というか、口を出しながらですね、協力なんて必要ありませんので、みんなで意見を言いながら辰吉さんを盛り上げていきたいな、センターを盛り上げていきたいなと言う風に思っています。
どうぞ、一緒にがんばっていきましょう。
よろしくお願い致します。
T:よろしくお願い致します。