バンビの独り言

バンビことけーちんの、あくまでも「独り言」デス☆

「はっぴーの家 ろっけん」首藤 義敬さんのこと

2019-06-12 19:47:02 | 居場所・学校・権利

私の住んでいる旭地区にも、戸田っちっていう、どんどんオモロい仕掛けをしていく仲間がいるけど、どこの地域にも知らないだけで面白い人がいるもんだ。
記事がどっか行っちゃうとイヤなので、まるごと転載させて下さい。 

 

…転載します…

http://heisei-kaigo-leaders.com/activity/KLF201904?fbclid=IwAR2I62-D654I-qoqXQzzQfPS4nwWiMToxmgyAUUv0wNUXZrvBoeKxXEd5LQ


イベントレポート④『エゴを社会化する』 登壇:首藤 義敬

KAIGO LEADERS FORUM 2019イベントレポート第4弾は、前回に引きつづき、新しい時代をつくるU35のKAIGO LEADERSのピッチを1人ずつ紹介します。

2人めは、株式会社Happy 代表取締役 首藤 義敬さんです。

はじめに
首藤 義敬さんとは?

23歳の時に、遊休不動産の活用事業や地元である神戸市長田区を中心とした空き家再生事業を開始、27歳で法人化。

自身の育児の課題解決も兼ねて、自らの生い立ちから多世代でシェアで暮らす昔の長屋のようなライフスタイルを提案。

企画段階から保育園児・学生・主婦・クリエイター・外国人等、多様なバックグラウンドをもつ地域住民で事業計画とコンセプト策定を行いスタートした多世代型介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」は、現在、NHKをはじめとする各種メディアの取材が相次ぎ、
看板も広告もしないのに全国から視察が絶えない話題のスポット多世代型介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」になっている。

エゴの社会化

僕たちは、別に社会のためにとか、世の中のためにといった気持ちでやっていません。

「自分たち夫婦が子育てしやすくなるためには何が必要なのだろう?」を追究しようという思いで、この事業をはじめました。 
 僕は、運転免許以外資格を持っていません。一緒に運営している嫁は絵描きです。究極の素人たちです。

「はっぴーの家 ろっけん」には、週に200名以上の、子どもたちからおじいちゃんおばあちゃんまで様々な世代の人が集まっています。「もともと子どもがいっぱいいる地域で運営しているんじゃないか。」と勘違いされたりしますが、全く違います。

子どもが少なくて、高齢者が多すぎてめちゃくちゃやばいまちです。

そして、阪神大震災の被害が一番大きかったまちです。僕は小学校3年生のときに震災にあいました。

震災後、行政の人たちが建物をたくさん建てようとした結果、ゴーストタウン化しました。僕はそれにムカついて、箱ものではなくてソフト面をつくっていくことがしたいなと思ったのかもしれません。

今では、色んな世代の人が「はっぴーの家 ろっけん」に集まってワイワイしています。


僕たちは、何をやっているかというと“暮らし”に関することしかやりません。介護だけじゃないです。

シェアハウス作ったり、空き家の再生事業をやったり、最近は不動産業もやっています。

「正解ではないけれど、こんなライフスタイルがあってもいいんじゃないの。」ということを社会に問うために事業をしています。

あたり前をイノベーションする。

資格をもっていない素人の僕でもおじいちゃん・おばあちゃんのために何かしたい時もあります。

例えば、あるおじいちゃんは一度死にかけたんです。もうアカンかなと思ったんですが、退院できることになりました。

看護師やヘルパーは、帰ってくるにあたって一生懸命準備をしていました。僕も素人だけど、何かやりたいと思いました。

僕が昨年1年間で唯一やった介護の仕事は…

「BOOKOFF(ブックオフ)に行って、エロ本を買いにいく。」
(会場は爆笑の渦に)

家族ってなんだろう…遠くの親戚より近くの他人

僕は、大家族神話をイノベーションしたいなと思っています。
核家族化しているのに、なぜか“家族”というテーマで話すと、「なんか、大家族っていいよね!」といった話題が出てきます。

はっぴーの家も、他の人から「大家族っぽいよね!」と言われたりしますが、そんなつもりは全くないです。
この写真は、はっぴーの家のリビングです。

誰一人、血はつながっていません。

なかには、外国人もいます、独居の高齢者もいます、シングルマザーの方や生きづらい若者もいます。

でも、「遠くの親戚より近くの他人のコミュニティが豊かであれば、なんか生きやすい。」

家族の押しつけではなく、こういう選択肢をつくりたいと思って、はっぴーの家を運営しています。


1人のプロより100人の素人

「はっぴーの家 ろっけん」を建設するときに、まちのみんなに「どんな場がほしいか」聞こうと考えました。

子ども、学生やママに声を掛けました。「はっぴーの家 ろっけんという場所ができますが、高齢者施設とかは関係なく、あなたにとってどういう機能があったら嬉しいですか?」と約130名に聞いて、事業計画をつくりました。

現在では、その事業計画の98%は叶いました。

その結果、多くの人が「はっぴーの家 ろっけん」にかかわってくれるようになりました。1人のプロより100人の素人だと思っています。

専門職を増やしていくというのは大変なことです。
でも、まちにいっぱいいるのではないでしょうか。その素人たちをどうつかっていくのかを考えました。

自分のまちは、自分でつくる

「はっぴーの家ろっけん」を運営していると、まちでおかしなことが起こってきました。

なんと、子どものいないまちだったのに、ベビーラッシュが起こってきました。

「ここで子育てをしたい。」だったり、「おじいちゃん、おばあちゃんが暮らしてみたい。」だったり、そういったまちになってきました。要するに、僕たちは、自分のまちは自分でつくるということをやっているのです。

まちをつくるというよりも、まちの関係性をつくるというのが非常に大事な気がします。

例えば、「夜の8時。今からバーベキューしたいけど、はっぴーの家くらいでしかないできないと言われたので、今から行ってもいいか?」とまちの人が来て、介護施設の4階でバーベキューしていました。

そこに、お酒好きな高齢者が巻き込まれていったりします。

「はっぴーの家 ろっけん」に初めて来たときは、要介護4だったおじいちゃんがいます。
でも、みんなで、夜にお酒を飲んでいたら大分回復しました。いまでは、若い人と一緒にダンスを踊っています。

僕は、リハビリという言葉に違和感を抱いていました。
「なんで、みんな生きてきたプロセスが違うのに、同じようにトレーニングマシンに乗るリハビリをするのか。」
と疑問を抱いていました。

確かにトレーニングマシンに乗るのもいいけど、僕たちの1時間と高齢者の1時間は重みが違うと思っているので、最短ルートをみつけてあげた方がいいと考えています。

一人ひとりの好きだったこと、やってきたことをつづけてやってもらった方がいいと思います。

 

言葉は関係ない

3日間だけ遊びにきたはずの外国人は、楽し過ぎてビザが切れるまで3か月間滞在していました。

それから、「もっといたい!」ということで、観光ビザに戻すため韓国へ一度旅行へ行きました。
そして、戻ってきたら、今度は「ここに移住したい!」と言い出し、仕事を探しました。

でも、ビザがおりるのはなかなか難しかった。

最終的に、ビザが決まった瞬間、はっぴーの家にいた子どもたちと外国人は喜び合っていました。

外国人は日本語も話せませんし、子どもたちは英語を話せません。

何が言いたいのかというと、言葉は関係ないということです。これは、福祉に通じますね。言葉が話せないおばあちゃんとかいますよね。でも、言葉なんて関係ないということです。

違和感は3つ以上重なるとどうでも良くなる 

はっぴーの家は、他の施設では受け入れてもらえない、結構訳アリな人が多く来ます。

すぐ喧嘩をするおばあちゃんたちがいたりします。
それに、関係ないおじいちゃんが巻き込まれてしまうこともあります。

その時、僕たちが何をするかというと、おじいちゃんを笑って、「今日は当たりの日ですね!」と声を掛けます。
そうすると、おじいちゃんもはじめは怒っていましたが、「今日俺ひいてんねん、おいしいやろ!」とか言って、笑ってくれるようになります。

結果、おばあちゃんたちに居場所が生まれるのです。

僕は医者でもないし、介護士でもないので、認知症を治すことを考えるのは、効率が悪いと思っています。    

どんな状況になったとしても、許容される環境をつくったほうがいいと思います。

「違和感は3つ以上重なるとどうでも良くなる」ということを運営していて感じています。

例えば、僕たちが会議をしていると、やけに否定してくる人がいたら、会議やりにくいですよね。
でも、その時に、全然関係ない話しをしてくる人もいたら、「今日大変な日だな。」と感じますよね。

さらに、そこに、ずっと1人で喋っている人もいるとしたら、その瞬間自分がアウェイだということに気づきますよね。

今日この環境のなかでどう落としどころをつくっていくか。それが、僕の感じた、“ダイバーシティ”なんですね。

多様性というのは、全員に共感を求めるとかではないです。

「一緒にいても、気にならない。」「理解しあわなくても、一緒にいられる。」ということ。

走り回る子ども、暴れるおじいちゃん・おばぁちゃん、外国人…「よくわからないけど、一緒にいれる」というのがダイバーシティだと思います。

日常の登場人物を増やす

最近はじめた取組みを紹介します。
まちの子どもの習いごとをはっぴーの家のリビングでやりはじめました。これは、かなりの人気コンテンツです。

高齢者になって、人生達観してくると、「自分ができるようになる。」というよりも、子どもとかが何かを達成できる瞬間をみることに喜びを感じる人が結構いるんだということに気づきました。 

「はっぴーの家ってどんなところ?」と質問を受けますが、あえて僕は答えないようにしています。

「あなたが思う感じでいいんじゃない。」と返しています。なぜかというと、先入観をつくりたくないからです。

例えば、卓球やりたいおばあちゃんがいる場合、そこで卓球イベントをやったらおばあちゃんが卓球できる可能性は高まるじゃないですか。

年をとると、日常の登場人物ってどんどん減っていく。それを増やしていく手伝いをしていく。
決してボランティアとかではなく、はっぴーの家に来る人は、一人ひとりがやりたいことを実現していく。

そうすれば、やりたいことの実現可能性は高まるんじゃないかなと思っています。

僕の奥さんは、画家で、家事をしなかったりめちゃくちゃ変わってるんですね。

僕は中2から、イスにじっと座っているのが嫌で学校へ行っていません。娘もその傾向がちょっとあります。

そんな娘がどんな環境で育ったらいいのかなと考えました。自分が成長したと感じる時は、どんなときだったかを思い返すと、人に会った時か、本を読んだ時しかなかった。だから、それをつくろうと思い、年間に200人の大人と会えるような住環境にしてあげようと動いたら、それが週に200人になった。

子どもにとっていいし、僕らにとってもいい。

それって、「おじいちゃん、おばあちゃんにとっても一緒でしょ。」というのが、「日常の登場人物を増やす」ということです。

このようにして、自分たちの「エゴを社会化」しています。

会場は、後半には爆笑が止まらなくなっていき、参加者は、はっぴーの家にかかわる人たちのライフスタイルの虜になっていました。

このような魅力溢れる場をつくるためには、まずは、自分たちがどのような場を必要としているのかを追究すること。

そして、まちの人の声に耳を傾けることが大切だと思いました。

あとは、かかわる人たち1人ひとりがやりたいように過ごしてもらうこと。その積み重ねの重要性を感じました。
 

追記:「違和感は3つ以上重なるとどうでもよくなる」は名言だと思いました!
 


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