横山がいきなり戦線離脱ということでいきなり次期セッター育成に
躓いた真鍋監督ですが、過去にも毎年のようにセッターがコロコロ
変わり結局オリンピックに出られなかったなんてこともありました
ので、ここ20年ほどの歴代セッターを振り返ってみたいと思います。
私がバレーを見始めた1988年からその年の主要な大会で登録していた
正セッターと控えセッターの一覧です。
ソウルとバルセロナではビーチでも活躍したセッターの高橋有紀子が
登録されていましたが、実質ピンチサーバー扱いだったような気が
しますので割愛しています。それと名取だとピンと来ない方も居る
かもしれませんが、アテネに出場した辻の旧姓です。この表は記憶に
頼るところが大きいので、間違っている箇所があればご指摘お願い
しますm(_ _)m
改めて見ますと、バレー界から身を引いていた竹下は2002年を除く
8年間日本の正セッターの座に居たんですね・・・この間Vプレミアの
協力体制が整わなかったということもありますが、控えの大型(中型)
セッターが育てられなかった柳本政権のツケが真鍋監督にどっしり
圧し掛かっている訳ですが。一概に柳本監督だけの責任だけとも
思いませんけどね。
また過去に何度も中型以上のセッターを育てようとした形跡が伺え
ますが、毎年のように国内でビッグイベントが行われる度に結果を
求められることから断念ざるを得ず、結局安定したトスアップの
できる小型選手に頼らざるを得ない歴史の繰り返しですね・・・個人的
には横山が今年1年丸まるダメになったのなら、より一層4年で結果を
出すことは厳しいように思います。だって来年の世界選手権でそれ
なりの結果を要求されるでしょう!?つまり2016年までの8年計画
ぐらいの思い切ったスパンがなければ大型セッターの育成は難しい
でしょう。そしてそのことを踏まえた上でその長期間にわたって
全日本を任せられる人材を全日本監督に選ぶべきだったと思いますが、
もう真鍋監督に託すと決めた以上は我々もそれを見守るしかありません。
だいたい五輪翌年に就任した新監督に、大型セッターも育てながら
次年度の世界選手権で結果を要求すること自体無理があります。まだ
Vプレミアリーグでも各チームで大型セッターを積極的に起用し、
育ててくれているなら話は別ですが、実質全日本だけで育てなければ
ならないという状態そのものがおかしいわけですが。その意味でVでも
スタメンの中型セッターである横山に期待する面は大きかったわけで・・・
協会も長いスパンで我慢しない限り、また真鍋体制も同じ道を辿って
しまうだけに思えてなりません。
しかしまぁ柳本政権の6年は長かったですね・・・テンシン三位一体体制で、
大崩れはしないがTOP4に入れる気配すらなかったこの6年を協会はどう
振り返り、真鍋監督に託そうという結論に至ったのか、また現在の
ビジョンはどういうものなのかをしっかり示して強化に努めてもらい
たいです。
ちなみに過去に遡れば1973年から78年まで山田重雄氏が6年間指揮して
います。男子では1965年から72年のミュンヘンまで松平康隆大長老が
8年がかりで金メダルに導いた最長記録があります。植田監督がロンドン
まで続けばこれに並ぶ8年の長期政権ということになりますが、どうなり
ますでしょうか(^^;;;男女とも一応来年の世界選手権で一度続投かどう
かの評価が下されるはずだったと思います。
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躓いた真鍋監督ですが、過去にも毎年のようにセッターがコロコロ
変わり結局オリンピックに出られなかったなんてこともありました
ので、ここ20年ほどの歴代セッターを振り返ってみたいと思います。
私がバレーを見始めた1988年からその年の主要な大会で登録していた
正セッターと控えセッターの一覧です。
大会名 | 順位 | 監督 | 正セッター | 控えセッター | |
1988 | ソウル五輪 | 4位 | 山田重雄 | 中田久美 | 滝澤玲子 |
1989 | ワールドカップ | 4位 | 宗内徳行 | 中田久美 | 中西千枝子 |
1990 | 世界選手権 | 7位 | 米田一典 | 名取知恵 | 金子志保 |
1991 | ワールドカップ | 7位 | 米田一典 | 中田久美 | 中西千枝子 |
1992 | バルセロナ五輪 | 5位 | 米田一典 | 中田久美 | 中西千枝子 |
1993 | グラチャン | 4位 | 米田一典 | 中西千枝子 | 永富有紀 |
1994 | 世界選手権 | 8位 | 横田忠義 | 永富有紀 | 名取知恵 |
1995 | ワールドカップ | 5位 | 小島孝治 | 中西千枝子 | 永富有紀 |
1996 | アトランタ五輪 | 9位 | 吉田国昭 | 中西千枝子 | 永富有紀 |
1997 | グラチャン | 5位 | 葛和伸元 | 大貫美奈子 | 竹下佳江 |
1998 | 世界選手権 | 8位 | 葛和伸元 | 大貫美奈子 | 磯辺絵梨子 |
1999 | ワールドカップ | 6位 | 葛和伸元 | 板橋恵 | 大貫美奈子 |
2000 | シドニー最終予選 | 6位 | 葛和伸元 | 竹下佳江 | 板橋恵 |
2001 | グラチャン | 3位 | 吉川正博 | 竹下佳江 | 西堀育美 |
2002 | 世界選手権 | 13位 | 吉川正博 | 大貫美奈子 | 小玉佐知子 |
2003 | ワールドカップ | 5位 | 柳本晶一 | 竹下佳江 | 辻知恵 |
2004 | アテネ五輪 | 5位タイ | 柳本晶一 | 竹下佳江 | 辻知恵 |
2005 | グラチャン | 5位 | 柳本晶一 | 竹下佳江 | 板橋恵 |
2006 | 世界選手権 | 6位 | 柳本晶一 | 竹下佳江 | 高橋翠 |
2007 | ワールドカップ | 7位 | 柳本晶一 | 竹下佳江 | 河合由貴 |
2008 | 北京五輪 | 5位タイ | 柳本晶一 | 竹下佳江 | 河合由貴 |
ソウルとバルセロナではビーチでも活躍したセッターの高橋有紀子が
登録されていましたが、実質ピンチサーバー扱いだったような気が
しますので割愛しています。それと名取だとピンと来ない方も居る
かもしれませんが、アテネに出場した辻の旧姓です。この表は記憶に
頼るところが大きいので、間違っている箇所があればご指摘お願い
しますm(_ _)m
改めて見ますと、バレー界から身を引いていた竹下は2002年を除く
8年間日本の正セッターの座に居たんですね・・・この間Vプレミアの
協力体制が整わなかったということもありますが、控えの大型(中型)
セッターが育てられなかった柳本政権のツケが真鍋監督にどっしり
圧し掛かっている訳ですが。一概に柳本監督だけの責任だけとも
思いませんけどね。
また過去に何度も中型以上のセッターを育てようとした形跡が伺え
ますが、毎年のように国内でビッグイベントが行われる度に結果を
求められることから断念ざるを得ず、結局安定したトスアップの
できる小型選手に頼らざるを得ない歴史の繰り返しですね・・・個人的
には横山が今年1年丸まるダメになったのなら、より一層4年で結果を
出すことは厳しいように思います。だって来年の世界選手権でそれ
なりの結果を要求されるでしょう!?つまり2016年までの8年計画
ぐらいの思い切ったスパンがなければ大型セッターの育成は難しい
でしょう。そしてそのことを踏まえた上でその長期間にわたって
全日本を任せられる人材を全日本監督に選ぶべきだったと思いますが、
もう真鍋監督に託すと決めた以上は我々もそれを見守るしかありません。
だいたい五輪翌年に就任した新監督に、大型セッターも育てながら
次年度の世界選手権で結果を要求すること自体無理があります。まだ
Vプレミアリーグでも各チームで大型セッターを積極的に起用し、
育ててくれているなら話は別ですが、実質全日本だけで育てなければ
ならないという状態そのものがおかしいわけですが。その意味でVでも
スタメンの中型セッターである横山に期待する面は大きかったわけで・・・
協会も長いスパンで我慢しない限り、また真鍋体制も同じ道を辿って
しまうだけに思えてなりません。
しかしまぁ柳本政権の6年は長かったですね・・・テンシン三位一体体制で、
大崩れはしないがTOP4に入れる気配すらなかったこの6年を協会はどう
振り返り、真鍋監督に託そうという結論に至ったのか、また現在の
ビジョンはどういうものなのかをしっかり示して強化に努めてもらい
たいです。
ちなみに過去に遡れば1973年から78年まで山田重雄氏が6年間指揮して
います。男子では1965年から72年のミュンヘンまで松平康隆大長老が
8年がかりで金メダルに導いた最長記録があります。植田監督がロンドン
まで続けばこれに並ぶ8年の長期政権ということになりますが、どうなり
ますでしょうか(^^;;;男女とも一応来年の世界選手権で一度続投かどう
かの評価が下されるはずだったと思います。
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素晴らしい記事ですね。ぜひ、わがブログでこちらの記事を紹介する一文を掲載したいと思います。OKですか?
8年ビジョンはまさしくそうなんですよね。目先の勝利にこだわっているようでは、抜本的な大型化は出来ないと思います。横山の代わりに呼んだのが河合というどうしようもなさと言うのが、「痛たたた」と言う感じで、「橋本などの追加招集と言う考えはないのかよぉ」と思ってしまいます。
しかしこの“テンシン丼”の6年は、「失われた6年」って言う感じですね。特にアテネ以降の4年間はいったい何だったのか・・・orz
頑張れ冨永!
ロシアなんかも長年セッターに恵まれずいい成績出せなかっただけに身長差のある日本がこれからトップにのし上がるにはセッター育成がキーになっていきそうですね。とはいえ柳本前監督と真鍋新監督、共にセッターで柳本監督は竹下を使い続け、真鍋監督はこれから世界選手権、オリンピックに向け誰をメインに育てて行くのか、そこらへんが非常に気になります。柳本監督のような竹下一本で行く事はさすがにないと思いますが…
永富がいるなら、別に竹下いらないし。今年も横山がいるなら竹下はスタメン落ち。竹下自体は中田久美とは違い、絶対的な存在ではなく、むしろ消去法的な長期政権でしたよね。そろそろ脱・竹下しないと日本は本当にヤバいのに横山の離脱は残念。
懐かしいセッターも見れて、面白かったです。
大型セッターの育成ってホント難しいんですね・・・ロシア女子のセッターを見ていればよくわかります(^^;
ロシアファンとしては、バシレフスカヤの引退が痛すぎました。
現在はウラロチカで復帰とか聞いたことがあるような・・・?
横山には是非、日本を代表する名セッターに育ってほしいです。
東洋紡の永富って確か、試合中にボール蹴っ飛ばすか何かしたことありませんでしたっけ?NHKでの中継の時だったような気がしますが・・・何かそのシーンを鮮烈に覚えております。
違いましたっけ?
吉原-永富コンビが柳本時代に実現してたらっと思うと
残念にも思いますがかなり強烈ですね。。。
永富のボール蹴っ飛ばしは定かではありませんが、
審判によく抗議してて、それが運悪く(?)大概音を拾われてた様な・・・。
覚えてるのはワンタッチかどうかの判定で
「この審判目悪いんじゃないのー」って悪態をついてたような。
吉原も審判には結構色々言ってましたよね。
グラチャン'98の年は、最初大貫セッター、控え島崎でスタートしたけど、秋のアジア選手権辺りから竹下を招集したと思います。
そのときはワンポイントでの起用で、大貫を育てる方に重点が向いてたとは思いますが。
'90年は確かユニチカがリーグで惨敗(4位)し、
選手を全日本に出さなかったけど中西を正セッターにとの構想があったかと思います。
長々すみません。
遅くなりましたが、どうぞどうぞお使い下さい!
この記事に関しては続編も書いているところですが、
大型セッター育成はたいてい1年で挫折しているん
ですよね・・・唯一の大型である中田久美は山田氏の
下で英才教育を受け、高校も通信制というまさに
バレーに専念してロス五輪金メダルという目的の下で
徹底的に鍛えられましたからね・・・現状の、各高校に
任せられた指導の下でナショナルチームにつなげる
というのは難しいですし・・・せっかくのバレーボール
アカデミーも高校進学と共に解散ではあまり効果的
ではないですし・・・
真鍋監督もどこまで冨永を我慢して使い続けられるで
しょうか。パイオニアでも監督が新しくなれば、まずは
チームの建て直しにある程度安定したセッターを起用
するような気がして、あまり協力が得られなさそう・・・
ちなみに永富のボールを蹴飛ばしたシーンは記憶に
ないですね・・・永富が東洋紡に居る頃は一番Vリーグ
見ていなかったかも。
バレー好きさん、こんばんは!
さすがに180cm代とは言いませんが、せめて最低170cmは
欲しいですね・・・アタッカーの違いはあれどイタリア、
アメリカ、ブラジル、いずれも正セッターは170代前半。
それでもあのレベルを保っていますからね~その戦術や
ノウハウをしっかりと日本にはめ込んでくれる指導者が
いないものかと思いますが・・・日本がこれまで世界で
ある程度戦えていた時代はいずれもセッター経験豊富な
選手が正セッターを務めていた時だと思います。全日本で
セッター育成を平行しながらチーム作りしている期間は
どれも低迷していますからね・・・そもそも全日本は
セッターを育成する場ではないですし。
東洋紡さん、こんばんは!
永富が引退した時の記憶がほとんどありません(^^;;;
低迷期の1997~2002年当たりは国内リーグも録画しない
試合があったりしましたからね・・・最悪シドニー最終予選
あたりで葛和が起用してたら、とも思いますが、当時は
好きな選手でもなく、セッターとしての評価も自分の
中ではイマイチでしたが、今思うと意外にあり!?って
思います(笑)やはり現役当時は大林や山内にも物足り
なさがありましたけど、今となっては大林を越える
スーパーオールラウンダーは現れないですね。
ところてんさん、こんばんは!
バシレフスカヤってまた懐かしい(^^;;;まだやってるん
ですか!?キリロワもまだまだ現役ですが、ロシアも
長年セッターに苦しんでますよね。リヒテンシュタイン・
グラチェワ・シェシェニナ・アクロワ姉妹、どれもうーん
って感じで(苦笑)まぁ世界選手権2006で優勝した時の
アクロワはそんなにひどくないというか、アタッカーが
打ちにくいトス連発ってこともなかったんですけど・・・
kenさん、こんばんは!
永富がよく主審に噛み付いてた記憶はかすかにあります。
ツー打ちまくりとか攻撃的な選手でしたね(^^;;;ネット際の
異様な強さとか・・・まぁ元センターでもありますが。
グラチャンの時というと97年ですね。今Wiki調べてみたら
竹下が控えとして出場となっていました。むむむ、もう
この頃から選ばれてるんですね~96年にはすでにNECに
入社しているようで、私が思ってる以上に結構早くから
期待されていたようで。今昔のビデオをDVD化しているので、
また97年のグラチャンが出てきたらチェックしてみます。
ゲームには出てたんですかね・・・
90年はあえてユニチカ勢をあまり選ばない布陣にしていた
のではなく、チームが協力的でなかったということだったの
でしょうか。ヨーカドーが優勝したときかな!?