「父さん最近困ったことないか?」と息子から質問されました。
「モーニング娘。のメンバーをフルネームで覚えることが出来ない」と答えた。
***タカシです***
加護ちゃんだめだよ、タバコ吸っちゃぁ。
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東京本社、出社第一日目です。
朝初めて会った社長との会話です。
社長「おう、お前これから行田に行け!」
私 「えっそんな、社長約束が違います」
社長「なに、約束?そんなこと言ったか?」
私 「東京本社勤務と聞いて来ました」
社長「誰がそんなこと言った、お前は金で買われた男だ」
私 「!!!!!?????」
これには参った、あまりにも一方的な発言に返す言葉が無かった。
お金も動いたのも事実みたいだった。
一ヶ月分の給料と交通費は出ていたみたいですが、私には届いていなかった。
社長「これが図面だ、杭打ち工事からオープンまで45日だ完成させろ!」
私 「これを私一人ですか?今着たばかりで無理です」
社長「一人手元につける、お前ならできる」
私 「第一下請け業者も分からないし、寝泊りはどこに?」
社長「簡単だリース会社がある、これを見ろ」
私 「タウンページだけですか、その他は?」
社長「俺が分かる訳ないだろう、自分で考えろ!」
と言って、ライトバンの鍵を渡された、この間たった1時間位です。
手元の人も2ヶ月だけ手伝ってくれと言われた秋田の人でした、私より年上です。
廻りには社員がいましたが、一言も言いませんでした。
ワンマン社長で自分の考えで経営していました。
「よ~し」 覚悟を決めました。
道路地図を買って、製図板を積んで行田に行きました。
もうその日から残業です、夜1時か2時まで、残業手当も何もなしです。
あるのはオープンの決定と、一日遅れると300万円のペナルテイだけです。
これには正直参りました、若かったから出来たことです。
建物は鉄骨造平屋建、パチンコ店とボウリング場・レストランの増改築です。
工事金額は1億5千万~2億円だったと思います。(追加工事を含めて)
今、この建物があるかどうか分かりません、オーナーが亡くなったを聞いています。
45日でオープンしました。これで私の男として株は上がりました。
私は後にも先にも、この現場ほど苦労した仕事はなかった。
しかし、血も涙もない奴らだ。正社員の監督連中はこう言っていました。
「秋田から来たばかりで、無理だ絶対泣きをみる」 と、
そして、「45日では完成しない」 と賭けをしていました。
こんな所に長居は無用です。もちろん、一年たらずで退社しました。
ここで、経営や対話の仕方を学びました、後の独立に大きく役立ちました。
カミさんには迷惑かけました。
そしてこれから佐倉に行きさらに、波乱万丈の人生が始まります。
ここで一句 「建物は 上手くいって 当たり前 失敗したなら 袋叩きに」 ヒューザー社長
「モーニング娘。のメンバーをフルネームで覚えることが出来ない」と答えた。
***タカシです***
加護ちゃんだめだよ、タバコ吸っちゃぁ。
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東京本社、出社第一日目です。
朝初めて会った社長との会話です。
社長「おう、お前これから行田に行け!」
私 「えっそんな、社長約束が違います」
社長「なに、約束?そんなこと言ったか?」
私 「東京本社勤務と聞いて来ました」
社長「誰がそんなこと言った、お前は金で買われた男だ」
私 「!!!!!?????」
これには参った、あまりにも一方的な発言に返す言葉が無かった。
お金も動いたのも事実みたいだった。
一ヶ月分の給料と交通費は出ていたみたいですが、私には届いていなかった。
社長「これが図面だ、杭打ち工事からオープンまで45日だ完成させろ!」
私 「これを私一人ですか?今着たばかりで無理です」
社長「一人手元につける、お前ならできる」
私 「第一下請け業者も分からないし、寝泊りはどこに?」
社長「簡単だリース会社がある、これを見ろ」
私 「タウンページだけですか、その他は?」
社長「俺が分かる訳ないだろう、自分で考えろ!」
と言って、ライトバンの鍵を渡された、この間たった1時間位です。
手元の人も2ヶ月だけ手伝ってくれと言われた秋田の人でした、私より年上です。
廻りには社員がいましたが、一言も言いませんでした。
ワンマン社長で自分の考えで経営していました。
「よ~し」 覚悟を決めました。
道路地図を買って、製図板を積んで行田に行きました。
もうその日から残業です、夜1時か2時まで、残業手当も何もなしです。
あるのはオープンの決定と、一日遅れると300万円のペナルテイだけです。
これには正直参りました、若かったから出来たことです。
建物は鉄骨造平屋建、パチンコ店とボウリング場・レストランの増改築です。
工事金額は1億5千万~2億円だったと思います。(追加工事を含めて)
今、この建物があるかどうか分かりません、オーナーが亡くなったを聞いています。
45日でオープンしました。これで私の男として株は上がりました。
私は後にも先にも、この現場ほど苦労した仕事はなかった。
しかし、血も涙もない奴らだ。正社員の監督連中はこう言っていました。
「秋田から来たばかりで、無理だ絶対泣きをみる」 と、
そして、「45日では完成しない」 と賭けをしていました。
こんな所に長居は無用です。もちろん、一年たらずで退社しました。
ここで、経営や対話の仕方を学びました、後の独立に大きく役立ちました。
カミさんには迷惑かけました。
そしてこれから佐倉に行きさらに、波乱万丈の人生が始まります。
ここで一句 「建物は 上手くいって 当たり前 失敗したなら 袋叩きに」 ヒューザー社長