あまり朝刊を読まないのですが、相方が開いている朝刊を横からちょいと覗き込むことがあります。
生活面の記事のひとつに「ねえねえちょっと」という読者からのちょっとしたお悩み相談みたいなものがあるのですが、これを見るたびにいろいろなことを感じます。
寄せられた相談事に対して、これまた読者の方々があれこれとご自分の意見を述べるわけなんだけど、たいていの場合大きくイエスかノーかの二つの意見に分かれるように思えます。
お悩みによってはもっと意見が分かれることもありますが、こうしたいろいろな意見を読んだら、余計に悩ましくなるのでは?と思うことが多いです。どの意見を選べ画いいのかってね。
ラジオなどでも相談ではないものの、自分の置かれた立場について困っていたり悩んでいるというリスナーのお便りが読まれると、それに対してすぐ反応して自分の意見を述べる人も
かなりの数います。それを聞くたび、よくそんなに早くお便りを出せるなと感心しきり。
あまりに多くの意見を見聞きすると、余計に悩みは深まるような気がするけどな。
悩みを相談するのであれば、私ならその人の言うことに共感出来たり信頼出来るひとりに絞って相談するだろうと思います。私の場合は子どもたちかも(たまに相方も含む)。
メディアに出るような人なら、ジェーン・スーさんとか美輪明宏さんとか。これも人によって違うかもしれませんね。
私が選ぶタイプの人は、自分の抱えるもやもやをスパーン!と吹き飛ばしてくれるようなアドバイスをもらえるような人だし、よく言われる表現だけど、自分の気持ちに寄り添って
くれるような人を選ぶ人もいるでしょう。それは人それぞれ。
でもSNSじゃないにしても、新聞へのお悩みに対する不特定多数からの意見なんて、振り回されるだけのような気がしてなりません。もっともそういうところに自分のもやもやを吐き出す
だけで少しはラクになるのであればそれはそれでよし、だけど。
昔、人から言われたことだけれど、どっちにしようかと悩んでいたとしても、自分の中ではある程度答えが決まっていて、他人の意見を聞こうとするときはその自分の決めた答えに
同調してもらいたかったり、背中を押してもらいたいだけ。だから自分のことは自分で決める。
あまり他人様の意見に従うことのない私ですが(自己中丸出し)、この言葉は半世紀ほど経った今でも私の意識の奥深くにありますね。
それとは少し違うかもしれないけれど、一週間ほど前にあさイチでやっていた白髪のお悩みで出ていた人のなかで、白髪を放っておくと身だしなみとかおしゃれをないがしろにしている
ように見られそう、みたいなことを話していて少しびっくりしました。
私は8年ほど前からグレイヘアですが、それまで長年やっていたヘアマニキュアやヘアカラーをやめた理由のうちの一番は「めんどうくさい」だったから。
でも髪を染めないだけで、おしゃれや身だしなみを放棄したつもりはないし、同じようなグレイヘアの人にもそんなことはみじんも感じません。
「めんどうくさい」の次が「お金や時間がもったいない」「髪が痛んだり薬剤が環境にやさしくない」なんて理由もあるにはあったけれど、染めたところと伸びてきた白髪部分の
境目のコントラストが激しいのも嫌でした。生え際に白髪が多いため、風の強い日はもう最悪だったな。
確かに老けて見られるけれど、それ故に親切にしてくださる人も多いです。逆もあるので注意は必要ですが。弱いものいじめする奴、いるんですよ。女の年寄りだと思ってバカにして。
先に書いた人は、他人からどう見られるか、思われるかに意識が向きがちなんでしょうね。でも案外誰も気にしていないと思うけど。
例えば私、踵がガサガサで、夏場にサンダルを素足で履いている人の踵とかについ目が行っちゃいますが、それが自分の「弱点」だからで、そう思っていない人は全く気にならないはず。
相方は自分が痩せていて体重を増やせないので(私からすれば超うらやましいのに)、人の体重がどれくらいあるかが気になって仕方ない。なので野球選手など身長体重が画面に出ると
見た目より体重があることにいちいちコメントしますが、私は全然気にならないですから。
しかし、ごくたまにですが、私が気にしていることを悪気なく、でもカチンとくる言い方で言ってくるひともいるにはいます。そういうひととは少しずつ距離を置くようにしています。
気分を害されるようなひととは遠距離付き合いが一番です。
なんて、偉そうにあれこれ書いてしまったけれど、私も言ったことやしたことで人からどう思われたかと気になることはあります。でもいつまでもぐずぐず考えないように心がけては
います。厄介なことにそういうことはなかなか頭から離れないものですよね。他のことはすぐに忘れてしまうのに。