蓬 窓 閑 話

「休みのない海」を改題。初心に帰れで、
10年ほど前、gooブログを始めたときのタイトル。
蓬屋をもじったもの。

『明日は舞踏会』

2018年02月03日 | 読書
『明日は舞踏会』鹿島茂
(写真はネットより)

 ロマンティックな題名だが、小説ではない。
 大学の先生が学生に課題を出した。
 一定の金額をもたせ、19世紀のパリで1年間どんな暮らしをしたかというレポートである。
 
 持参したお金はすぐに使い果たすが、ギャンブルで儲けたうえ玉の輿に乗る者、
 倹約をして半分残して帰ってきた者とさまざまだった。
 しかし、レポートのほとんどに共通していたのは、“舞踏会へ行った”ことだった。
(写真はイメージ、ネットより)
 そこから先生の検証が始まる。
 修道院の寄宿生活から社交界、貴族の暮らし、仮装舞踏会、結婚と、文学作品『ボヴァリー夫人』や『赤と黒』などから解き明かされていく。
 こういう本にありがちな難解さやまわりくどさがなく、読みやすく楽しい。
(写真はイメージ、ネットより)
 色刷りの当時のファッション図がふんだんに入っている。
 映画やドラマで、外出時の女性のスカートが長く、地面を引きずるようにして歩いていると裾が汚れるのではないかと、いつも気になっていた。
 
 しかしこの19世紀のファッションプレートを見ると、外出着は少し短く、ちゃんとくるぶしが見えていて、どんな靴を履いているかも描かれている。
 庶民のあたくしは、すっごく安心した。
 夜会服なんかは、馬車でお出ましなのだから、やはり優雅に長く、裾をつまんで乗ったのだろう。
(写真はネットより)
 中国訳も出ているようだ。

  忘れゐてしかもなべてを喪へば問ふべくもなし「舞踏会の手帖」
                               (宮 英子)

別ブログから再掲。2012年09月16日 | 読書

 昔「舞踏会の手帖」という名画があったらしい。
 なにせ、この私でさえ生まれる前のフランス映画。
 未亡人になった女性が、初めて舞踏会に出たとき手帖に書き留めた男性をそれぞれ訪ねていく、というロマンティックな設定であることだけは、知っていた。
 (写真はネットより)

 なぜこの本を思い出したかというと、ブロ友ミルフィーユさんのブログに、
 宮英子の短歌が載っていたからである。

 妻たりし母たりし世代遠く過ぎ一日また一日無頼に過ぎぬ

 まさに、このとおりの日々で、婆でさえろくにできず、1日はあっという間に過ぎていく。

 さらに、映画「舞踏会の手帖」の未亡人とやらは、36歳!
 今なら、花の30代である。
 なんとはるか遠くまで来たことよ。


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