告知2日目
仕事中もぼんやりとしていた。
私・・死ぬのか。
来年かもしれないし、5年先かもしれない。
孫の顔も見せれずに、子供(私)が先に死ぬなんて親不幸だな。
悔い無く生きれただろうか?
いつも悔い無く生きよう!と心がけていたから悔いは無いな。
短かったけど、波乱万丈だったけど、最終的には悔いの無い人生だった。
その日の夜は、お互い考えもまとまらず静かな夜だった。
TVの音だけが小さく鳴っていた。
告知3日目
教授は子供も産めると言ったけど、もう産むことは止めようと相談した。
産んだはいいけど、私達両親がいつ発症するのかわからない状況で子育てできると思えない。
それに、確実に普通の寿命より早く死ぬ。
我が子を置いて死ぬなんて、心残りもいいとこだ。
旦那は、相続とかこれからの事があるから、弟に病名を告知すると言ったが、私が止めた。
言った方は、すっきりするけど、告知された弟は、これから複雑な想いで生きていかなければならない。それはあまりに残酷すぎる。
今の日本では、HIV=AIDSだし、感染経路も良い噂を聞かない。
不治の病ではあるが、ガンや白血病のような悲劇的感覚では受取ってもらえない。
義弟には子供があるが、私の使ったコップを洗って、自分の子供に使わせることが出来るだろうか?
もちろん、そんなことで感染はしないとわかっていても、今の日本じゃ無理な話だと思う。
両親は、私達の病名を知って片身の狭い思いをするであろう。
だから、病名は私達二人だけの秘密。
灰になっても明かさない。
病院もそれぐらいの配慮はしてくれるだろう。
告知4日目
いつ生まれて、いつ死ぬかって事は、自分では決められない。
それは全て神様が決めること。
教会にもほとんど行ってない私だけど、人生のピンチになると神様の事を想う。
本当に都合の良い信仰だ。
だから、多分、これが私の寿命なのだ。
もう受け入れるしかないのだ。
残された時間を楽しめばいいじゃないか。
そう思うと、元気が出てきた。
その日から、なんとなく元気が出てきた。
しかし、旦那はまだ心の整理がつかないようだった。
告知5日目
私は、もう悩まなくなっていた。
もう、神様が決めたとおりに生きていくだけなんだから。
旦那も私の吹っ切れた様子を見て元気になってきた。
そして、私達は普段どおりの生活に戻りつつあった。
検査結果の日
その日は、二人で行った。
別室に呼ばれ教授を待つ。
やがて、結果を持って教授がやってきた。
ペリペリっと葉書をめくって、しばらく無言・・。
「大丈夫ですね。感染していません」
「本当に
」お互い顔を見合わせて、安堵した。
自然に笑みがこぼれてきた。
別室を出て、車に乗り込んでもお互いニヤニヤしていた。
本当に良かった。
1000人に1人の割合で、稀に一次検査に引っかかることがあるそうだ。
私は、その稀にひっかかる一人だったのだ。
長い二週間で、いろんなことを考えたけど、お互い犯人探しをせずに、泣いたりわめいたりもせずに、いずれ来るであろう「死」というものに対して冷静に受け止められたこと。
今後の生活のプランを考えられたこと。
そして何より二人の絆が深まったこと・・・不運の裏には必ず幸運があるってことを知った二週間でした。
今も子供が欲しいと思って不妊治療を続けているけど、一番大切なのは、二人が仲良く信頼し合って生きていくことだと思ってる。
これで、子供が出来たら本当に幸運なことだと思う。

仕事中もぼんやりとしていた。
私・・死ぬのか。
来年かもしれないし、5年先かもしれない。
孫の顔も見せれずに、子供(私)が先に死ぬなんて親不幸だな。
悔い無く生きれただろうか?
いつも悔い無く生きよう!と心がけていたから悔いは無いな。
短かったけど、波乱万丈だったけど、最終的には悔いの無い人生だった。
その日の夜は、お互い考えもまとまらず静かな夜だった。
TVの音だけが小さく鳴っていた。
告知3日目
教授は子供も産めると言ったけど、もう産むことは止めようと相談した。
産んだはいいけど、私達両親がいつ発症するのかわからない状況で子育てできると思えない。
それに、確実に普通の寿命より早く死ぬ。
我が子を置いて死ぬなんて、心残りもいいとこだ。
旦那は、相続とかこれからの事があるから、弟に病名を告知すると言ったが、私が止めた。
言った方は、すっきりするけど、告知された弟は、これから複雑な想いで生きていかなければならない。それはあまりに残酷すぎる。
今の日本では、HIV=AIDSだし、感染経路も良い噂を聞かない。
不治の病ではあるが、ガンや白血病のような悲劇的感覚では受取ってもらえない。
義弟には子供があるが、私の使ったコップを洗って、自分の子供に使わせることが出来るだろうか?
もちろん、そんなことで感染はしないとわかっていても、今の日本じゃ無理な話だと思う。
両親は、私達の病名を知って片身の狭い思いをするであろう。
だから、病名は私達二人だけの秘密。
灰になっても明かさない。
病院もそれぐらいの配慮はしてくれるだろう。
告知4日目
いつ生まれて、いつ死ぬかって事は、自分では決められない。
それは全て神様が決めること。
教会にもほとんど行ってない私だけど、人生のピンチになると神様の事を想う。
本当に都合の良い信仰だ。
だから、多分、これが私の寿命なのだ。
もう受け入れるしかないのだ。
残された時間を楽しめばいいじゃないか。
そう思うと、元気が出てきた。
その日から、なんとなく元気が出てきた。
しかし、旦那はまだ心の整理がつかないようだった。
告知5日目
私は、もう悩まなくなっていた。
もう、神様が決めたとおりに生きていくだけなんだから。
旦那も私の吹っ切れた様子を見て元気になってきた。
そして、私達は普段どおりの生活に戻りつつあった。
検査結果の日
その日は、二人で行った。
別室に呼ばれ教授を待つ。
やがて、結果を持って教授がやってきた。
ペリペリっと葉書をめくって、しばらく無言・・。
「大丈夫ですね。感染していません」
「本当に

自然に笑みがこぼれてきた。
別室を出て、車に乗り込んでもお互いニヤニヤしていた。
本当に良かった。
1000人に1人の割合で、稀に一次検査に引っかかることがあるそうだ。
私は、その稀にひっかかる一人だったのだ。
長い二週間で、いろんなことを考えたけど、お互い犯人探しをせずに、泣いたりわめいたりもせずに、いずれ来るであろう「死」というものに対して冷静に受け止められたこと。
今後の生活のプランを考えられたこと。
そして何より二人の絆が深まったこと・・・不運の裏には必ず幸運があるってことを知った二週間でした。
今も子供が欲しいと思って不妊治療を続けているけど、一番大切なのは、二人が仲良く信頼し合って生きていくことだと思ってる。
これで、子供が出来たら本当に幸運なことだと思う。