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優緋のブログ

HN変えましたので、ブログ名も変えました。

変な所が痛む

2022-10-18 22:02:00 | 闘病の記録
近頃、変な所が痛む

右の肋骨の下
肝臓がある辺り

でも、肝臓そのものには
神経は通っていないから、
なんなのだろう?

来週病院の予約をしてあるから、
先生に聞いてみよう。

しかし、
左胸とか右胸(上腹部?)とか痛むと
気になるよね。

心臓とか肝臓とか
大事な器官があるから
痛みが続くと大丈夫かな?
病院へ行った方がいい?
って考えてしまう

 🍀🍀🍀

今日に至るまでを
ざっくりと振り返っていこう

診療明細をちゃんと保管していなかったので
ほんと、ざっくりというか
覚えていることを

2019/2/14

朝方に便意を感じて目覚めトイレへ
座ったか座らないうちに、
吐き気がして、動悸、過呼吸になってきた

なんとか吐かずにすんだ
ゆっくりと自室に戻り横になる

過呼吸が治らず
だんだん息苦しくなり
起き上がれそうになくなる

どうしよう…と考えているうちに
息子たちは出掛けてしまった

この状態で
タクシーを呼んでも
自力で乗るのは無理と判断

救急車を依頼した

以前、筋腫分娩の時
病院から病院への移動の時
(その前に、次男のお産の時も出血が止まらず転院したっけ)
救急車のお世話になったが、
自分で呼んだのは初めてだった

この時も相当血圧が下がっていたらしく
起き上がってみたものの眩暈が

救急車まで寝たままタンカで運んでもらう

救急車に乗っている間に
色々聞かれたり
体温、血圧を測る

その時、「血圧、計れません!」
えっ、どんだけ低いの?

市立病院に着くと
もう診察が始まっているようで
結構ザワザワしている

血液検査、腹部エコー、心電図
他にも何か検査したかもしれないが、
覚えていない

この時初めて肝機能の数値が高い事がわかった

途中、フランチャイズの本部の新人担当の人が来た
(携帯に電話が入り、娘が対応してくれた)
かなりの重症だなと思ったのか
結局紆余曲折を経て、
学習塾は3月末で閉鎖に

それは、さておき…

次の通院は2週間後の2/28
確かこの日にCT、MRIを撮って
胆嚢に泥が溜まっているのが分かったんだと思う
レントゲンも撮ったかも

さらに2週間後の3/14に通院している

次の2週間後に行ってからは

月に1回の通院

一年たった頃から3ヶ月に1度

ほぼ、血液検査をして、ウルソを処方されるだけ

その間、月に多い時は2、3度
少なくとも月に1回は吐いていたから

その時は近所のかかりつけ医にかかっていた

1年すぎた頃から
吐かなくなったが、
食欲がなく
突然気分が悪くなる事が増えた

かかりつけ医の先生は
「もう、うちでできることはないので」と
心療内科を紹介された

予約を取り、紹介状を持っていくと
「抑うつ症状と思われます」

つまり、鬱病

気分の落ち込みやおっくう感が全く無く
身体症状だけだったので
まさか鬱病とは思わなかった
(40代の時うつ病の経験あったので)

それから、
月に一度メンタルクリニックに
3ヶ月に1度市立病院に通う

あまり良くもならず
悪くもならないから
なんとか稼ごうと
家でできる仕事を模索した

一昨年5月
しばらく、仕事で忙しかったり
体調が安定しなかったりで
勤行・唱題をサボっていたことを反省し
唱題に挑戦しようと決意

しかし、三日坊主の私
何かサポート(尻を叩いてくれるもの)してくれる
アプリはないかと検索して見つけたのが
『題目プロ』

忘れもしない5/14登録
翌5/15に「はるか」さんという
看護師さんの卵が投稿された

『題目プロ』はカウンター機能だけでなく
投稿欄や唱題グループもあり
地域、年代を超えた交流があるのです
中には、未入会の人も

その「はるか」さんは
看護学校を卒業し
4月から看護師として働くはずでした。

その直前の3月に癌が見つかり
末期癌と闘っているという内容でした

その後、妹さん、お姉さんも投稿され
ご両親と共に、
24時間題目を切らさない戦いをしている事が
綴られていました。

結局、奇跡は起こらず
「はるか」さんは亡くなりました

それでも、
葬儀には200人もの人が訪れ
題目で送ったそうです

妹さんが
「姉は亡くなったけど、多くのひとを折伏して逝きました」と

「はるか」さん姉妹の姿を見て
私も発心しました。

6/9には初めての10時間唱題も達成(クニドンさんと)

毎日5時間の唱題にも挑戦し
初めての100万遍も達成する事ができました


ところが…

旦那が7月末で単身赴任を終え
当地に戻り24時間いるようになると…

予想通りの事が…


旦那は自分のペースを全く崩そうとせず
周りが自分に合わせるのが当然であるかのように
振る舞います

分かってはいましたが、
実際にこれをやられると
薬でコントロールできていた心身が
じわじわと狂い始め

勤行・唱題も思うに任せず
どんどんメンタルの薬が増えていきました


続く

そういえば…

2022-10-17 11:24:25 | 闘病の記録
他にも“なぜ?”
ということが色々あった

・サプリを飲んでも効果を実感出来ない(「98%の方が効果を実感!」
私は残りの2%やな、いつも)

・プロテイン飲んでるのに
血液検査で
「タンパク質が不足してます」なぜ?

・鼻血、あざが増えた
血液検査で「血小板が少ない」

・ビタミンBコンプレックス50を飲んでるのに、舌炎ができる

他にもあったかもしれないが、
要するに
“肝臓がその働きをしなくなって”
=肝硬変 

だから、栄養を含む食品を摂っても
身体が使える形に変えられない
=栄養不足

肝硬変と分かって、
謎が解けました。

まだ、原因も
代償期なのか
非代償期なのかも
分かっていません。

これらが判明しないと
治療も
生活改善もできない

原因によって治療法が違うし
代償期か非代償期かで
食生活や安静の程度
運動して良いかどうか
全く変わるからです。

今は、
血流を良くする
ビタミンEのみ
処方されてます

メンタルの薬も
肝臓のためには
減らした方が良いんでしょうが
焦らず
少しずつ
減らしていけたらいいなと
思ってます

今朝は、なんかおかしい…

2022-10-17 09:23:19 | 闘病の記録
今朝は、なんかおかしい

血圧、普通(110/71 75)
体温、平熱(36.6℃)

なのに、なんとなく気持ち悪い

動悸もする

 🍀🍀🍀

元々、それほど丈夫な方ではないので
自分の弱い所は分かっている

肌(アトピー性皮膚炎…35歳ごろほぼ完治)
鼻(アレルギー性鼻炎、花粉症)
胃(ピロリ菌除菌済)
膵臓

どういう時に、どういう症状が出るのか
どう対処したら良いか
大体わかっている

例えば、舌炎ができやすいのだが
舌炎が出れば
糖質を摂りすぎたな(ゆるい糖質制限中)
と分かる
口内炎用のビタミンB製剤を数回飲み
糖質を控える

胃痛の時は
基本絶食(水分は摂る)
胃薬を3回飲めば大体治る


ところが…

3年半前に救急搬送され
肝機能の数値が高いと言われてから
経験のあまりない不調が出て、
戸惑う

例えば、嘔吐
胃痛は度々あっても
吐いた事があまり無かった
記憶にあるのはほんの数回

それが、
2019/2/14以降1年間は
多い時は月に2〜3度
少なくとも月に1度は吐いていた

大抵半日で吐き気は治まるのだが
ほぼ1日絶食、水分補給だけになるので
ダメージが大きい
体調が戻るのに1週間かかる

最後に吐いたのは
2020/1/末
この日は酷くて
12時間吐き気が続いた

その後は
吐くことはほぼ無くなったが、
今度は急に気分が悪くなるようになった

そういう時は低血圧になっている
90/60 に届いてないことが多い
普段が110/75 くらいだから、
上が90を切るとかなり辛い

最近多いのは、腹痛
胃痛はよくあっても、
お腹が痛くなることはあまり無かった

おへその周りが痛んで軟便になる
いわゆる“お腹をこわす”ことがたまにあるくらい

そういう時は、
”悪いもの“が出てしまえば
大抵治るので、
薬も要らない

ところが、最近の腹痛は
変な所が痛む右の肋骨の下辺りとか
みぞおち付近でも奥(背中の方)ではなく
表面(?)が痛む

など

 🍀🍀🍀

肝硬変と分かってから色々調べたら
なんで?と思っていた不調が
肝臓が原因で
肝硬変(肝炎)が進行していたからと分かった

40代後半から血圧が上がってきて
要経過観察と言われたり
「そろそろ薬飲んだ方がいいですよ」
と言われていたのに

6年前、当地に来てから
風邪などで病院に行っても
「血圧は大丈夫ですね」と

糖質制限やナイアシン の服用で
高血圧が改善したのかな?
と思っていた

ところが、
日野原重明先生のコラムに
「正常〜高血圧の人が正常値〜低血圧になったら
肝硬変を疑うべきである。
病院で検査を」
というのを見つけた

健康診断は毎年していて
血圧や貧血、乳腺腫で再検査や
要経過観察になったことはあっても
肝機能の数値を指摘された事が無かった

市立病院では、
胆嚢のことばかりで
(胆嚢に泥が溜まっている)
結局胆嚢摘出したのだが
肝機能の数値は改善されず

どうして肝炎、肝硬変を疑わなかったのか
謎である

肝硬変と分かってから
自分の不調と肝硬変の症状を見ると
付合する事が多かった

急な低血圧
椅子に1時間座っているだけで足が浮腫む
肌が黄色い
足だけでなく、色んな所が攣る
など

 🍀🍀🍀

今朝の症状は、初めてだ。
肝硬変の原因が分かって、(まだ肝硬変になった原因を調べている)
治療方針が決まるまで
初めてで驚く症状が出るのかもしれない

大腸カメラの検査

2022-10-16 17:28:46 | 闘病の記録
11日は大腸カメラの検査だった。

前回の検査から約1年半たったので、
「そろそろ、やっておきましょう」
ということで。

前回は、市立病院で。
若い女性の先生が担当だったが、
カメラを入れる時
「鎮静剤を頼むべきか、これはまだ”我慢できるレベルなのか?”
「はい、奥まで届きましたので、戻りながら見ていきますね。」
と言われるまでずっと迷うほど痛かった

なので、今回は初めから
「痛みが出たら、鎮静剤お願いします。」
と頼んでおいた。

だから、安心していたのだが、
思わぬトラブルが…

今回は、かかりつけの個人病院なので、
自宅で腸を綺麗にする薬(液体の下剤)を飲んで
9時半までに、便が透明になったら
11時45分までに病院に行くことになっていた。

ところが・・・

6時に起きる予定が、
5時にもう便意をもよおし(昨夜、もう下剤を飲んでいたので)
ほぼ固形物は出た?と思うほどモッサリと出た。(描写が生々しくてスミマセン💦)

水を規定通り2杯飲んで、
下剤と途中で飲む水も用意し、
準備万端で予定の6時半から下剤を飲み始める。

1杯目をちびちび飲んでいるうちに
早くもトイレに行きたくなる。

3回行って、
まだかすが残っているものの、
もう茶色から黄色がかってくる。

トイレに何度も行ったので、
予定よりだいぶ遅れて2杯目に。

しかし、一口二口飲んで、
水を途中で飲むと
なんかおかしい・・・

急いでトイレへいくと
全部吐いてしまった。

こういうことは、ままあることらしく
事前に貰った説明書にも
「このような症状が出たら、我慢せず中止し、病院に電話してください」
と書いてあった。

まだ7時ぐらいだったので、
病院に電話できる8時45分まで休んでいるしかない。

8時30分過ぎに、
もう受付の人がいるかもしれないと早めに電話。
「残りの薬と水を持って病院にすぐ来てください」とのこと。

「様子を見ながら、飲めたら検査しましょう」
ということで、
まず、その前に採血
今回も4本

その後、ベッドに移動し、
飲み始めたが(といっても、ほんの少し)あまり入っていかない。

トイレに行ってもあまり出ず、
なんか目がチカチカ、頭が少しくらくらしてきた…

看護師さんが、
「ちょっと具合悪そうだね。」と脈を診る。
左腕がダメ、右腕もダメで首に触れるが脈が取れないらしく
「血圧計りましょう」と計ると

「ありゃ、上が70行かない。脱水症状ですね。
点滴して様子を見ましょう。」と、先生

(救急車で運ばれた時も救急隊員の人が
「血圧、計れません!」って言ってたっけなぁ…
計れませんって、私死んでる?と
動けないまま意識はあるので考えていたなぁと、思い出す)

でも、看護師さんたちは
「点滴して、血圧回復しても今日検査は無理じゃないのかな~」と
すでに慰めモード。

結局1パックではだめで、
3パック点滴しました。

これで帰されてしまうのかな、と思っていたら、
「折角ここまで頑張ったのだから、できるところまで診ましょう。
途中又体調に変化があったら中止ということで。」と先生。

完全に透明な便になってなかったので、
「洗いながらになるので、ちょっと時間がかかりますが…」
と言っていたけれど、
胃カメラの時もそう思ったのですが、先生カメラの扱いが上手。
市立病院の時と時間的のもそう変わらず、
何しろ、あまり痛くなかったのが幸い。

血圧が急変しては大変なので、
「痛くても鎮静剤は使えないので、スミマセンが我慢してくださいね。」
と言われたが、
角々とか若干痛みの出た個所はあったが、
前回よりは全然楽だった。

1個あったポリープも取れ、病理検査に回すことができた。

検査の後は、特に体調も悪くならず、
先生が頑張ってやってくださったことに感謝。

吐いてしまったので、
2~3日口の奥が痛かったが(自分の胃液で荒れてしまった💦)
もう、それもほとんど回復した。

こうやって、一つ一つ合併症がないかつぶしていきながら
肝硬変の原因も同時に検査していくのだろう。

早く原因がわかり、
治療方針が定まりますように。

初めて救急車を呼んだ!

2022-10-15 17:24:21 | 闘病の記録
先日、と言ってももう1ヶ月経つが、

2022年9月2日
”肝硬変”と診断された。

この9月2日は、
池田先生が東北婦人部に

「秋桜 なんと優雅な姿して 白石かざりて 本部に来たりぬ」
                   1995年9月2日 大作

と、歌を詠んでくださった日であり、

肝硬変とわかった今回の血液検査の
採血の日は、
私の入信記念日の8月25日だった。

いよいよ、決着をつける時が来た。
「負けない人生」にするために、
闘病の記録を記していこうと思う。

 🍀🍀🍀

3年半前、
2019年2月14日

その日は、
フランチャイズでやっている学習塾の
税務相談会の予約日だった。

税務相談会とはいえ、
特に他に事業をしているわけでもないので、
本部で用意してくれている会計用パソコン用ソフトに
必要な数字を入力して、
間違えさえなければ、後はプリントアウトし
相談会で契約している税理士さんがハンコを押してくれる。

それを税務署に提出すれば、
税務手続きはほぼパスで税務署から呼び出しが来ることもない。
まあ、呼び出しや問い合わせが来るほど稼げてませんでしたが・・・(苦笑)

準備は前日までにしておいたので、
後は予約の時間に間に合うように家を出るだけだった。

ところが・・・

明け方、トイレに起きると
なんかおかしい・・・

学習塾を始めてから、どうしても子供たちから風邪をもらってしまうので、
冬場になると11月頃から風邪を引いて、咳をしていた。

その日の少し前に、
教室時間中に気分が悪くなって
スタッフの先生に家まで送ってもらった日があった。

風邪で、一週間ほど休みももらった。

開設からトップスピードで走り続けていたから、
疲れが出ているんだろうと思っていた。

だが、今までに経験がない症状が・・・
動悸がして、過呼吸になっているのが自分でもわかった。
吐き気もしてきた。

トイレで少し様子を見て、
吐くことはなさそうだと思ったので、
ゆっくりと自室に戻り、横になった。

動悸と過呼吸が治まらないので、
だんだん息苦しくなり、
体のあちこちが痛くなってきた。

いつもなら、
9時過ぎに仕事に行く息子たちを携帯で起こして
病院に連れて行ってもらうのだが、
その日に限って、
息子たちは、早出と札幌への出張で
6時過ぎにバタバタと出かけて行った。

娘は休みだから、まだ2階で寝ていた。

もう、どうしようもないので、
人生で初めて、救急車を呼びました!


救急隊員に娘を起こしてもらい、
私は、もうめまいで起きることもできない状態。

そのまま、タンカで搬送してもらった。

この日から、闘病の日々が始まるとは
その時はまだ、思っていなかった。