オータムリーフの部屋

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東京裁判

2017-08-14 | 戦争
判事が全て戦勝国から選ばれた東京裁判は戦争責任を敗戦国に押し付け、戦勝国の犯した戦争犯罪を不問にする不公平の極み裁判であり、戦勝国の報復であると思っていた。
判事は11ヶ国から派遣された。アメリカ、英国、ソ連、フランス、オランダ、中華民国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、インド、フィリピンである。
 
多数決による判決であったが、判決に賛成したのは6ヶ国であった。
 アメリカ、英国、ソ連、中華民国、ニュージーランド、カナダ。
意見書を提出した上で、結論として判決に賛成した国は2ヶ国-オーストラリア、フィリピン。
判決に部分的に反対した国は2ヶ国-フランス、オランダ。
全面的に反対した国は1ヶ国-インド。
 
『東京裁判』及び『ニュルンベルク裁判』で有罪判決を受けた者を『戦争犯罪人』・戦犯と呼ぶ。
受けた判決により、『A項目戦犯』『B項目戦犯』『C項目戦犯』に分類された。この分類は罪の軽重を示す意味はなかったが、実際には『A級戦犯』がもっとも刑が重かった。
(A項目)        『平和に対する罪』
       平和に対する罪即ち、宣戦布告を布告せる又は布告せざる侵略戦争、
    若しくは国際法、条約、協定又は誓約に違反せる戦争の計画、準備、開始、
    又は遂行、若しくは右諸行為の何れかを達成するための共通の計画又は共同謀議への参加。
 
(B項目)        『通例の戦争犯罪』
            戦時国際法における交戦法規違反行為
 
(C項目)        『人道に対する罪』
            国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした
    大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為。
 
 
戦争犯罪人のリストアップは戦中・戦後と行われた。集められたリストは連合国戦争犯罪委員会に提出され、日本人容疑者は440名であった。だが中華民国が重慶に設置したされた『連合国戦争犯罪委員会極東太平洋小委員会』では日本人を対象に独自のリストを作成。また連合軍東南アジア司令部でもリストを作成し、それぞれ3,158名と1,117名がリストアップされた。終戦後、マッカーサー元帥は厚木に到着すると直ちに戦犯容疑者の逮捕を命ずる。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1948年7月1日までに2,636名に対し逮捕令状を出す。このうち2,602名が逮捕された。また連合軍東南アジア司令部は1946年5月の時点で8900名。そのほかにも多数が逮捕され、第一復員局法務調査部では1946年10月の時点で約11,000名が海外で逮捕されたと推計している。他に戦犯になることを拒み、自殺した者や逃亡したものもいる。
 
 
A項目戦犯(A級戦犯)
    死刑(絞首刑) 7名
      板垣征四郎、東條英機、松井石根、土肥原賢二、木村兵太郎、廣田弘穀、武藤章、
 終身刑 16名
     荒木貞夫、小磯国昭、橋本欣五郎、梅津美治郎、佐藤賢了、畑 俊六、大島 浩、嶋田繁太郎
  平沼騏一郎、岡 敬純、白鳥敏夫、星野直樹、木戸幸一、賀屋興宣、南 次郎、鈴木貞一
 有期禁固 2名
     重光 葵(禁固7年)、東郷茂徳    (禁固20年) *獄中死
 判決前に病死 2名
     永野修身、松岡洋右
 訴追免除 1名
     大川周明    (梅毒による精神障害の為)
 
さらにA項目(A級)戦犯被指定者でありながら不起訴により戦犯とならなかった者や、裁かれる事を不服とし自殺したものたちが多数居る。
 主なA級戦犯被指定者
     不起訴により釈放
       岸 信介、高橋三吉、児玉誉士夫、笹川良一など
     自殺
      近衛文麿、本庄 繁、橋田邦彦
 
 
71年前の東京で、11人の判事たちが「戦争は犯罪なのか」という根源的な問いに真剣な議論で取り組んだ東京裁判。NHKは世界各地の公文書館や関係者に取材を行い、判事たちの公的、私的両面にわたる文書や手記、証言を入手した。浮かび上がるのは、彼ら一人一人が出身国の威信と歴史文化を背負いつつ、仲間である判事たちとの激しいあつれきを経てようやく判決へ達したという、裁判の舞台裏の姿だった。11か国から集まった多彩な背景を持つ判事たちの多角的な視点で「東京裁判」を描いている。
裁判の焦点になったのは、ナチスを裁くニュルンベルク裁判と同時に新しく制定された「平和に対する罪」。それまで国際法では合法とされていた「戦争」そのものを史上初めて犯罪とみなし、国家の指導者個人の責任を問う新しい罪の概念であった。この「平和に対する罪」を弁護側は事後法として否定する。判事室では各々の判事の意見が鋭く対立、最初は短期間で決着がつくと思われた裁判は、混迷と長期化の様相を見せてゆく。1948年の秋、ついに11人の判事たちは2年半に及んだ東京裁判の結論となる判決を出すべく、最後の評議の場に臨むのだった。被告たちの生と死が分かれる瞬間。それは、「人は戦争を裁けるか」という、人類の根源的な問いに答えが出されるときでもあった。
 
日本、オランダ、カナダ、オーストラリアの合作による極東軍事裁判の再現ドラマは、それぞれの国家や信念を背景にした判事の論争を描くドラマ作品として、想定外に面白かった。
インドのパール判事の人物像はゆらぎがなく、立派ではあるが、人物の葛藤や成長がドラマであるという観点からすれば、オランダのレーリンク判事こそ主人公といえる。
オーストラリアのウェッブ裁判長は、さまざまな意見の衝突の矢面に立たされ、右往左往するが、人物像として好感が持てる。ひとりだけ通訳をとおして発言するソ連の判事も、本気か冗談かわからない態度で周囲をとまどわせる狂言回しとして面白い。
 
日本軍の代表的な残虐行為として、南京事件やバターン死の行進の証言風景が描写された。
どちらも歴史的な事実ということは否定されない。弁護側が死者が「便衣兵」である可能性を主張する場面はあるが、実際に反撃するまでは非戦闘員だと証言者が答えて終わる。
パ-ル判事を含めて、全ての判事が、日本軍の戦争犯罪や侵略性は事実と認定している。事実認識で異論がないのに、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で裁くべきか、それとも通常の戦争犯罪で裁くべきか、という論点で意見がわかれる。職業に忠実であろうとする判事のドラマであるから、この辺が詳細に描かれるが、ドラマとしては冗長になる。
 
パール判事は、「平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であるから裁けない」という論点を貫き、一切の妥協はなかった。ドラマにおける位置づけは、他国の判事に影響を与える異分子である。ニュ-ルンベルク裁判も間違っていたとパール判事は言う。
しかし、パール判事のように日本の免罪を認めることは、ナチスの免罪を認めることになり、ニュ-ルンベルグ裁判の判決を覆すことにもつながるから、戦勝国としては絶対に認められない。今後の戦争の抑止力と言う観点から重罪に処すべきだという考え方もあるので、戦争を法の論理だけで裁定するのはそもそも無理があり、戦争裁判は公平であり得ないのは仕方がないと思う。とりあえずは論理の破たんがあっても敗戦国だけを一方的に裁く以外に方策はないと思った。
実質的な主人公のレーリンク判事は、パール判事の主張に一番動かされる。『ビルマの竪琴』の作者と砂丘で語ったり、判事という立場をはなれて、活動することが多いのでドラマを引っ張っているという印象だ。
 
ウェッブ裁判長が、対立する判事をまとめる苦労人として存在感を増していく。パール判事への差別的な部屋割りを変えさせたり、裁判の正当性を立証しようとして書類を書きあげたり。その書類が他の判事から酷評されたり、まとめる能力がないとイギリスのパトリック判事に見切られて、オーストラリアに帰国させられてしまったり、さんざんな目に合う。能力不足が歴然だが、ひょうひょうとしてめげないところが魅力的な好人物だ。
イギリスのパトリック判事は主人公と対立するキャラクターとして描かれる。政治的に判断しようとする人物で裏工作も辞さない。戦勝国の見解を代表する人物だ。
 
フィリピンのハラニーリャ判事とフランスのベルナール判事の議論も面白い。パル判事の主張へ一定の理解を示したベルナール判事が、植民地政策には相手の文明を向上させようとするものもあったという見解を語る。ハラニーリャ判事はどのような意図でも一方的に変化をもたらす植民地主義を否定する。東京裁判のさなかにインドが独立したように、まだまだ植民地政策がおこなわれていた当時、良識のある判事ですら自国の植民地政策を擁護する見解をもっていたわけだが、このハラーニャ判事の主張を入れることで現代の価値観をドラマ内におりこむことができた。
 
パル判事は裁判には顔を出さず、自室にこもって意見書の作成にかかりきり。会話したレーリンク判事は影響されつつも、やはり被告たちは有罪にすべきと主張し、たもとをわかつ。どのような法的根拠で判決を出すかが問題だというパル判事の言葉を受けて、レーリンク判事は多数派と同じ結論へ違う論点でたどりつく。
 
東条英機の発言が波乱を呼ぶ場面もある。臣民は天皇の意にそうこと、天皇は全てを知っていたこと……そうした被告の発言をつなぎあわせると、最高責任者である天皇のため、その意にそって開戦したことになってしまう。そこでウェッブ裁判長らは天皇が開戦前に拒否権を発動しなかったことに着目して、東条の次なる証言に注目するのだが、今度は天皇の平和主義を主張し、天皇の開戦責任を回避する。ここで検察側と被告側で質問と回答がすりあわされ、東京裁判は茶番劇の側面があったが、それは勝者による一方的な裁きというより、勝者の都合による免責であったという側面が見える。最高責任者は利用価値があるゆえに免責され部下が責任をとる、より強力な支配体制を求める、どちらも現代社会でよくある対応だ。
 
前後して、『ビルマの竪琴』の作者である竹山道雄とレーリンク判事の交流も描かれる。教師として教え子を戦争にとられた人物だと解説され、送り出した加害者でもあるわけだが、自身を含めた日本人一般が戦争に加担した責任について語る。
 
ロシアの判事との会話が面白い。ナポレオンは二度戦争に負けて死刑にならずに流罪になった。オランダの判事は、「当時、戦争を裁く国際法が無かったからだ」と言うが、ロシアの判事は「戦争で負ける度に指導者の首が飛ぶのを恐れたからだ」というのだ。ここで、レ-リンク判事は「戦争に対する罪」を認めることは戦争の抑止力になると考え始める。太平洋戦争中には、「戦争に対する罪」を裁く法がなく、そのかどで有罪にするのは事後法の適用にあたるのは確かだが、未来の平和を希求すれば、この判決が抑止力として働くチャンスをつぶしてしまう訳にはいかない。
 
ウェッブ降ろしを画策したイギリスのパトリック判事が音頭をとり、「戦争に対する罪(平和に対する罪)」を認める判事たちで多数派を構成しようとする。
最終回の第4話では、大モメにモメながら判決主文と5人の判事からの意見書が提出される。
 
オランダのレーリンク判事は、多数派の「侵略に対する罪(平和に対する罪)」を問う考えを、いくつかの点に同意してもらえたら支持するという考えを示した。その条件とは、事後法の適用に当たるので、既に確立した政治犯を裁く国内法を適用すべきだという点だった。しかし、多数派からは、結論は同じように見えても理由を変えると量刑まで変わると反論される。
 
多数派は独自の判決文の作成に取り掛かった。それに対して、オーストラリアのウェッブ裁判長は、判決文を書くのは裁判長である自分の役目だと思い、スタッフを動員して独自の判決文の作成を始め、判決文作成競争の様相を呈する。
 
オランダのレーリンク判事は、多数派の意見に対して独自の反対意見を提出することにした。
 
多数派は、1000ページを超える判決文をまとめてウェッブ裁判長に提出した。ウェッブ裁判長は、その内容が正当で量刑の部分は白紙にしており、11人の判事全員の討議で決定する余地を残していたのを好感して、多数派が作成した判決文を公式の判決文とすることにした。既に独自の判決文を作成中で600ページに達していたが、そのうちどうしても言いたいことを21ページ分、意見書として提出することにした。
 
量刑の場面では、被告人28人一人一人を挙げて、それぞれの罪や量刑について話し合った後、投票する形式をとった。
 
アメリカ、中国、イギリス、ロシアの判事は被告人に対して厳しい主張を重ねた。
インドのパル判事は、「侵略に対する罪(平和に対する罪)」という事後法で裁くことに反対し、この点について28人全員が無罪だと主張した。
オランダのレーリンク判事は、広田弘毅が法廷で弁論しなかったのは、自分がやったことを弁明するのは恥だとする日本人の価値観のせいで、自分の罪を認めたわけではないなど被告人を弁護することが多かった。平和に対する罪だけで死刑を求刑するのには反対し、終身刑が妥当とした。
フランスのベルナール判事は、オランダのレーリンク判事と近い考えを持っているように描かれ、パル判事やレーリンク判事とは違った視点から死刑に反対した。
ウェッブ裁判長は、日本軍は中国に侵攻したため戦線を拡大せざるを得なくなったのであり、初めから連合軍諸国に戦争を始めるつもりはなかったと主張した。
 
結局、事後法のきらいがある「平和に対する罪(侵略の罪)」によって死刑にすることはなかったが、「平和に対する罪(侵略の罪)」の共謀で25人中23人が有罪(A級戦犯のこと)。
「人道に対する罪」は適用されなかった。
「通例の戦争犯罪」によって7人が死刑となった。
 
インドのパル判事やオランダのレーリンク判事の活躍が無かったら、7人の死刑では済まなかっただろう。
 
番組の最後のあたりに、国際刑事裁判所がつくられオランダに本部が置かれた件について触れるところがあった。これには、アメリカ、ロシア、中国は加盟していない。国際刑事裁判所は、2003年に発足した戦争犯罪や集団虐殺、人道に反した個人を裁く国際裁判所だ。東京裁判で議論が交わされた「侵略に対す罪(平和に対する罪)」、「通例の戦争犯罪」、「人道に対する罪」をも対象にしている。だから、国際刑事裁判所は東京裁判の延長線上にあるとも言える。
 
政治的な思惑によって結論を出し、法律はその結論を正当化するために使い、自らが戦争を起こした罪を負わないことが常識であるアメリカ、ロシア、中国は国際刑事裁判所に加盟しないのは当然だ。大国は思い通りの政治的判断ができなくなることを極端に嫌う。裁かれる側に立つことをあらゆる場面で回避しようとする。この3か国に対して、東京裁判の判決は現在の戦争犯罪を防ぐための抑止力として、まるっきり機能していない。
 
最後に言いたいことがある。この時期になると必ず、特攻の悲劇が語られる。私は特攻の若者たちを美化し、お涙頂戴的に特攻が描かれると、いつも憤りを感じる。特攻と言う非人道的な制度を考え、あろうことか、10カ月もの間、将来ある若者を殺した罪をだれも負わないことに義憤を感じる。自国民に対する自国民の戦争犯罪を裁く裁判があってしかるべきだといつも思う。
無謀な戦争を開戦した罪、ぼろ負けして勝ち目がないにもかかわらず戦争を止めない罪、特攻のような非道な制度をつくり、自国民の命を無駄に奪った罪、自主的志願と称して戦争協力を強要した罪、戦況に対して嘘八百を報道した罪、このような罪で裁かれることになれば、私利私欲を肥やすことしか頭にない政治家に対しての戦争抑止力は絶大だと思う。

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