オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

シャーリーとヒンダ

2015-11-14 | 映画
アメリカ・シアトルの片田舎に住むシャーリーとヒンダ。2人は30年来の大親友。お茶を飲みながら話す2人の最近のネタは「経済成長ってどうなの?」ということ。
You Tubeで発見したケネディ大統領の経済危機についての演説を聞いた2人はいてもたってもいられなくなり、大学生、大学教授、経済アナリストに「経済成長」について聞きまくる。
バカにされ、門前払いをくらい、脅されても2人の「知りたい」という情熱は止まらない。
何処に行っても、満足する答えを得られないシャーリーとヒンダは、住み慣れたシアトルを飛び出して、世界経済の中心NY、ウォール街へ!
そこで待ち受けるのは、世界経済を牛耳っている大企業のCEOたち。シャーリーとヒンダは財界トップの集まるウォールストリート・ディナーに乗り込んで直接対決!思わぬ事態を巻き起こす…。
 
シャーリーとヒンダは、歌とユーモアを通して平和や社会的、経済的平等を推進するおばあちゃんのみの活動団体"Raging Grannies"のメンバーだ。ノルウェーを拠点に活動するホバルト・ブストネス監督は、YouTubeでこの団体を知り、実際に何人かのメンバーと会い、ふたりに魅了され映画を作ることにした。
92歳のシャーリーと86歳のヒンダは持病を抱え、電動車椅子。スーパーマーケットに並ぶ商品を見て、この国はゴミとクズだらけだとぼやく。巷ではどんどん買い物して経済を成長させるしかないといわれているが、物が増えて幸せなのか。シャーリーとヒンダの心をつかむのは、生態系内での持続可能な繁栄を目指す経済である。有限の世界のなかで無限に成長することはできないのであり、それをやろうとすれば、格差社会を目指すことになるのは当然の帰結。成長を否定し、平等社会、清貧の幸福を希求し、生活様式を見直すとなると、否定的な反応が返ってくる。
大学の経済学の講義で不況や成長について勝手に質問したため、退室を命じられる。キャンパスで出会う学生は、成長しない社会など想像することもできない。投資管理アドバイザーは、小惑星の衝突や大災害が起こらない限り、経済は成長しつづけると説明する。
 
成長に疑念を投げかけたりする者は、奇人か理想家か革命家とみなされるのである。
 
彼女たちを最初に刺激するのは、YouTubeで見つけたロバート・F・ケネディの昔の演説だ。私たちは長い間、各自の資質や共同体の価値よりも物質の蓄積を優先させ、国民総生産が拡大した。だが国民総生産の中身は何なのか。そこには大気汚染や原生林の破壊、ナパーム弾や核弾頭も含まれるが、子供たちの健康や教育の質や遊びの楽しさは含まれない。価値あるものすべてを省いてしまう尺度であり、米国についてすべてを語っているが、誇るべきものはすべて除かれている。物が増えて幸せなのか?
 
そして、これと対置されるのが、テレビで経済政策について語るオバマ大統領の姿だ。彼は成長を強調し、民主党と共和党が協力して経済を加速させることを主張している。
そして、結果は、循環的に金融危機を引き起こし、規制緩和によって政治が経済に取り込まれていく過程であった。共和党だけでなく民主党も同じである。民主党は、進路を変えるチャンスがあったにもかかわらず、ブッシュの方針を踏襲した。
この映画では、三種類の人間の姿がクロ-ズアップされる。シャーリーとヒンダが潜り込むウォール・ストリート・ディナーに集う財界人たち。映画の冒頭に映し出される失業して住む家もない人々。そしてもうひとつは、シャーリーがニューヨークの街角で言葉を交わす若い男女。彼らには収入が大幅に増える見込みもなく、自分の家が持てるとも思わず、地下鉄を利用し、負担の少ない生活を送っている。
 
<脱成長>理論を提唱するセルジュ・ラトゥーシュは、『<脱成長>は、世界を変えられるか?』(中野佳裕訳、作品社)のなかで、先進国の豊かさが国民を貧しくする理由について以下のように書いている。「強欲と競争に基づく社会は、絶対的な『負け組』(競争に取り残された人々)と相対的な『負け組』(競争をあきらめた人々)を大量に生み出す」。
訪日した時に、次のような発言をしている。「私が成長に反対するのは、いくら経済が成長しても人々を幸せにしないからだ。成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられている。そのような成長は、それが続く限り、汚染やストレスを増やすだけだ。」 「(貧困問題の)より本質的な解決策は、グローバル経済から離脱して地域社会の自立を導くことだ。『脱成長』は、成長への信仰にとらわれている社会を根本的に変えていくための、一つのスローガンだ。」 「政治家たちは、資本主義に成長を、緊縮財政で人々に節約を求めるが、本来それは逆であるべきだ。資本主義はもっと節約をすべきだし、人々はもっと豊かに生きられる。我々の目指すのは、つましい、しかし幸福な社会だ。」「「持続可能な成長」は語義矛盾だ。地球が有限である以上、無限に成長を持続させることは生態学的に不可能だからだ。」
    
脱成長を目指さなければ、地球が破滅するのは理解できるが、その対策が「伝統に立脚しながらもそれを超克し、これまで近代文明が立脚してきた道具的合理性の伝統からも解放された新しい理性の成熟と普及」と説くあたりが観念的でユートピアへの妄想のように聞こえる。
豊かな科学技術と物質文明に裏打ちされたグローバル経済が内包する破滅を経験しない限り、人間の強欲はとどまるところを知らないだろう。

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