検索のおもしろさは、気になる単語を見つけたら、そこから派生することばを次々に
探していくことで、これまで全く気づくこともなかった文献や資料にたどりつける。
ということにあるのですが、「安全」「不具合」をキーワードにしてみたところ、
こういう研究が医療機器の承認審査(担当官)に影響を与えているのではないか、
という資料を見つけることができたので、ご紹介します。
平成13年度厚生科学研究費補助金分担研究報告書
整形外科インプラントの不具合データに関する研究
国立医薬品食品衛生研究所 療品部
これは平成13、14、15年度まで継続して実施された研究報告のようです。
(上記タイトルをグーグルで検索すると PDFがダウンロードできます)
研究目的:人工関節などの整形外科インプラントは10年近く、或はそれ以上も人体に
埋め込まれ使用される。その間、生体内で摩耗、腐食、破損など性能の劣化が進行
することもあるが、これらを長期的に推測評価する手法はいまだ十分に確立してい
るとは言い難い。また承認前に行われる臨床試験も経過観察期間が1年程度に留まっ
ており、実際の長期臨床使用での性能評価には不十分な場合もある。従って、現実
には市販後の事故収集を行って、長期の使用実態を把握することが非常に重要となる。
同時に、不具合情報の収集解析は安全対策に必須であるだけでなく、承認申請時に
考慮すべき情報として非常に役たつと共に、より良い用具の発展にとって欠かせない
ものである。
-------------------------------------------------------------------
(august03より)
という目的のもと、不具合情報を収集しその分析結果を発表しているのが、この報告書
なのですが、目的は正しいと思いますが、私にはその手法と、分析にあたっての
検証方法に大きな疑問、戸惑いを感じてしまいました。
この調査のもととしたデータは、以下のとおり。
1.日本整形外科学会が1994年に実施したアンケート調査報告書
2.過去三年間の人工股関節に関する約2500編の論文をタイトルと抄録から
人工股関節の破損、感染の条件に当てはまると判断したものを抽出
3.米国FDAが公開している不具合報告データ
最初の戸惑いは、この研究者は、譬え話でいえば、目の前に死んでいる人の数だけ
数えて、その死因を調査分析していない。ということです。
事象だけを捉えて、その事象イコール粗悪品 という論旨を展開している。
それが意図的なものなのか、単に研究の仕方を知らないだけであったのかはわかり
ませんが、研究者としてはあるべき手法ではないと、私は思います。
例えば、骨折用プレートの破損数をかぞえて、その発生部位別に分類して
それで、何を分析したというのでしょうか ? これでは小学生でもできる報告書です。
そもそもこの研究者は、金属工学のこと、そして臨床というものについての知識を
疑いたくなります。それ以前に、レポート内で表記されている数値の表し方自体に
も意図的作為が感じられてしまいます。
引用しますと: 使用されたインプラントの種類は人工股関節、人工骨頭が8948例と
最も多い。(中略) 最も破損例数が多かったのが人工関節.人工骨頭(119例)の45%
実は、この文書は、その前文で、次のように表記しています。
「145施設で260例のインプラント破損症例がみられた。
使用されたインプラントの種類は人工股関節、人工骨頭が8948例と
最も多い。人工膝関節(4256)、ヒップスクリューさらに骨接合材がこれに
次ぐ。
最も破損例数が多かったのが人工関節.人工骨頭(119例)の45%、骨接合材
(99例)の38%がこれに次いだ」
皆さんは何がおかしいか、気づかれたでしょうか?
この研究者は、種類のことなる製品を全て「破損」というカテゴリーで一括りにして
その一括りなかで、逆にどの種類が「破損」が多いか、という論旨を展開しようと
しているようなのですが、これは、当該研究目的の不具合(事故)分析においては、
意味をなさないものです。
これは、人工股関節.人工骨頭の使用数 8948例 (分母)、破損数119例(分子)
従って、発生数は 119÷8948= 1.3 % ということです。
上記の研究者の表記では、読む者に、人工股関節.人工骨頭ではその約半分に破損
が生じている。という印象を与えてしまいます。それが意図的になされたもので
あるにならば、深く考えずに読む人はみごとにひっかかってしまうでしょう。
この研究報告中には、私が示したような「発生率」そのものを数値で示した記載は
一切ありません。それは、おそらく「発生率」で示すと、数値そのものが極めて
小さいものであり、その数値を見ると、破損の発生がたいしたものではない。という
印象を与えてしまうからと思われます。例えば、上記の骨接合材であれば
使用数1000 (分母)、破損数99(分子) 99÷1000= 9.9 % ということになります。
このように、この研究報告には、論文にありがちな.....本当はあってはいけない
のですが......数字のマジックがあります。ですから、本当に論文を読む技術が
ある人なら騙されることはないのですが、その技術のない人はころりと騙されて
しまうでしょう。
次に、ある意味ではもっとも重要な点について説明したいと思います。
この報告書の最大の欠点です。それは、破損原因が分析されていない。ということ
です。
ここでも譬え話を使いますが、例えば トラック事故が一年間に100件あったとします。
ミニバンの事故がやはり200件あったとします。この学者さんの論旨を借りれば
ミニバンはトラックよりも二倍も危険な乗り物である。ということを主張すること
になります。
さて、皆さんにもこれでお分かりになったと思いますが、トラック事故100件、
ミニバン事故200件を並べても何の意味もありません。大切なのは、事故の原因です。
脇見運転をしていたのか、雨でタイヤがスリップしてしまったのか、こどもが突然
飛び出してきたのか、居眠り運転をしてしまったのか、突然ブレーキが効かなくな
ったのか etc の原因が考えられます。どうしたら事故を減らせるかを研究すると
したら、重要なことは「その事故が発生した原因」を解明して、その要因を分析
することです。
この報告書中には、次のような記載があります:ヒップスクリュー、手術中折損、
セルフタッピングにて刺入中にスクリューヘッドが折れた。ヒップスクリューの
破損8例中4例が同様のスクリューの破損。
この記述から、皆さんはどういうことを想像されるでしょうか?
私の結論は、
手術で、スクリュー刺入時にスクリューを折るような経験の浅い医師、ということです。
もしこの学者が机上の作業ではなく、本気でスクリュー折損の原因追及を考えて
臨床現場に入りこんで、臨床医師や手術室看護師等からアンケート調査なり、聞き取り
調査なりをしたら、次のような事実が判明するでしょう。
スクリュー刺入時にスクリューを折損させるのは、まだ経験の浅い若い医師に多い。
ラーニングカーブにより、そのような医師も1~2年後には術中折損の発生率は減少
する。
同様に次ぎのような報告書中の記述を考えてみて下さい : 人工膝関節:破損、摩耗
メタルバックパテラコンポーネントの摩耗とそれに引き続くメタローシス :材質の
問題と手術手技ではラテラルリリースの不足 : 同様のパタラの破損、摩耗が11例
で確認される。膝関節では脛骨面でも HDPの摩耗が多くみられる。
この学者は、整形外科学会の報告書の孫引用しているだけなので、ここに書かれて
いることの意味を理解せずに、この不具合報告書をまとめたのだと思います。
つまり、上記の人工膝関節の不具合としてはパテラコンポーネントに破損/摩耗が
みられたが、それはラテラルリリースの不足が原因であると整形外科学会報告では
はっきりと述べているのに、それが理解できずにいます。ラテラルリリースとは、
人工膝関節置換術をした際に、膝蓋骨にかかる負荷を減少させるために、軟部組織
をあえて切除する、という術式をいいます。そういう手技を行えない外科医師が
人工膝関節置換術をしていることのほうがよほど大問題です。
また、「膝関節では脛骨面でもHDPの摩耗が多くみられる」とは、この学者は製品の
ことは何もしらないでこの報告書を書いていることを露呈しています。
脛骨面のHDPが摩耗するのは当然です。なぜなら、脛骨面に荷重の全てがかかるので
すから。歩行のつど、体重の数倍の荷重が膝関節、股関節にはかかります。それを
受けるのですから、脛骨面のプラスチックが摩耗するのは機械特性として当然です
自動車のタイヤで摩耗しないタイヤが発明されたら、きっと人工関節でも摩耗しない
脛骨HDPが登場するかもしれません。しかし、摩耗しないタイヤがこの世に存在
しないように、摩耗しない脛骨HDPというものも存在しません。
人工関節置換術を受ける患者さんはそのリスクをインフォームドコンセントで受け
ることになります。おそらく、10年後にはHDP、あるいは脛骨コンポーネントまたは
人工膝関節全体を再置換することになります、と。
この学者は、人工物に何を求めているのでしょうか?
生命あるものはいつか死ぬように、形あるものはいつかは壊れます。それが「事実」
であり、その摂理に従わないモノがあるでしょうか? この報告書は、その事実を
大発見であるかのように記すとともに、“形あるものはいつかは壊れる”という
事実を「不具合」イコール不良品、あってはならないこと、という論旨で報告して
います。
壊れないモノとはいったい何でしょうか ? 現在医療用として供給されている
材料で、壊れないモノなどは存在しません。もしも、壊れることがイコール不良品
であるならば、現在世界中に流通している人工関節は全てリコール(回収)されなけ
ればなりません。
また次のような記述もあります : 髄内釘 ; 横止めネジ部分で折損 : 構造上の問題
: 仮骨の形成が悪くインプラントに過大な負荷がかかり、金属疲労を起こした :
横止めネジ部分での髄内釘の折損と判明しているのが4例、ネジそのものの破損、
折損と判明しているものが9例。
これも人工関節での説明に類似するのですが、ここではふたつの要素があります。
第一に、骨折材料は骨そのものを代用する性能は有していません。仮骨が形成され
その人の自然の骨が再生してくるまでの間、副木的に患部を支えている役目です。
ですから、骨折治療でもっとも大切なのは、仮骨形成の進捗を慎重に観察しながら
患部にかかる荷重をコントロールすることです。仮骨形成が悪い場合は、患者に
松葉杖などの使用を指導して、過度な荷重がかかることを防ぐことが必要になります。
第二としては、金属部品はつねに金属疲労によるモノの破損と、それ以前に骨折癒合
が起こることとの、トレードオフの関係にあるということです。この世に金属疲労
を発生させない金属はありません。金属とはそういうものであり、それを踏まえた
うえで、インプラントは使用されなければなりません。
いまでは大学医学部では、医学生は難しい知識は学ぶようですが、このような金属
の基礎も学ぶ機会がなければ、骨折治療の基本であるスクリューの挿入のコツを
学ぶことはないと聞きます。極論すれば、大学をでたばかりの医師は骨折すら治療
する方法をしらない医師も珍しくはない....そういう現場であることを踏まえて
インプラント不具合の研究をしてもらいたいものです。
また、この報告書のもうひとつのデータ入手先である文献検索結果より :
医学中央雑誌から検索した過去3年間の人工股関節に関する約2500編の論文より
破損、感染の条件に当てはまると判断したもの76件を抽出。
とあります。つまり、これも 76(分子)÷2500(分母)= 3 % ということになります。
さらに言えば、感染例を不具合に入れているのは、医薬品の考えを持ち込んでいる
わけですが、人工関節手術での術後感染例は、文献により発生率はまちまちですが
1%~5%のあいだというところだと思います。しかも、その原因は、患者由来であったり
抗生剤の不適切使用であったり、とこれもまちまであり、しかも、感染とは外科
手術に由来するものであり、人工股関節だから感染するものでもなければ、他の外科
手術よりも感染率が高いという報告はありません。
そもそもインプラントに直接の因果関係がある「感染」というものはおそらくゼロ
でしょう。
またこの報告書では FDAの MAUDE報告を孫引用していますが、やはり、それらは
事象を数えただけであり、「発生率」を追えるものでもなければ、発生原因を
追求調査したものでもありません。
医療において、不具合あるいは副作用、あるいは合併症はつねに伴います。それが
ゼロという治療は存在しえません。副作用の発生がない医薬品などはありえません。
例えば、ネット検索で拾った次のような説明もあります。
「 実例)実際にインターフェロン(C型肝炎用のくすり)の説明書を見る。
説明書では、4頁に渡り副作用の注意書きがあった。副作用の発100%・・・
それでも有効性・安全性のバランスから考えて「有用な医薬品」である。」
--------------------------------------------------------------------
この学者が三年もの時間をかけて何を訴えたかったのか私には理解できません。
臨床現場を知らず、金属工学を知らず、バイオメカニクスを知らずに、単に
机上で不具合の件数を数えただけで、何が判明したいうのでしょうか。
しかも、発生率を算出する努力すらも怠っている。発生率が10%なのか、5%なのか
あるいは、1%、あるいは、0.1% ではその意味が当然かわってきます。
原因別の分析はさらに重要です。外科手術とは、医薬品とは違い、そこには多くの
不確定要素とリスク要因が入ってきます。たとえば、患者がヘビースモーカーの
場合、骨折治癒率は大きく下がります。そのような患者側が持つ要因というものも
入り込んでくるわけです。
医療とは、リスクとベネフィットとをはかりにかけることだと思います。
リスクのない医薬品もなければ、リスクの存在しえない医療機器もこの世には存在
しません。ようは、そのふたつを天秤にかけて、どちらがより重いかを判断する
ことが審査であり、患者側から言えば「同意」になるわけです。
審査の基準に、この学者のような、リスクの存在を否定した考え方が入りこんで
いるのではないでしょうか ? リスクをゼロにすることなど成し得ません。
また、限りなくゼロにするということが真に患者の安全とイコールである、とも
思いません。ゼロにするために、長い時間かけて試験をしても、どこまでいっても
なんらかの不確定要素とリスクは残存します。ヒトが関与する行為ですから、
必ずどこかにリスクは残ります。
それを恐れて、リスクを上回るベネフィツトに気づかないとしたら、それは患者に
とっては損失です。治療の機会を失うという損失になります。
学者は自分の研究に責任をもって欲しいものです。行政は、このような報告書に
影響をうけるようなことのないように期待したいものです。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////
ブログ内の関連記事
「ISO 13485のコンセプトが機能しない日本の審査制度 ?」
医療行政シリーズ No.4
http://blog.goo.ne.jp/august03/e/1566984f5e3afa797007f69f9c99a242
「医療機器審査期間 500日以上 ! ?」
医療行政シリーズ No.3
http://blog.goo.ne.jp/august03/e/d6f05bcf3ebea4a03ede685845dac44b
「ひとつの仕事を達成するには2年は短すぎます」
医療行政シリーズ No.2
http://blog.goo.ne.jp/august03/e/6a2ceac56fb5ed50f0170c0cb144978e
「新しい法律を求めて 人道的必要性を有する希少疾病用医療機器」
医療行政シリーズ No.1
http://blog.goo.ne.jp/august03/e/b99a086d250884721f9ad030101adf6d
探していくことで、これまで全く気づくこともなかった文献や資料にたどりつける。
ということにあるのですが、「安全」「不具合」をキーワードにしてみたところ、
こういう研究が医療機器の承認審査(担当官)に影響を与えているのではないか、
という資料を見つけることができたので、ご紹介します。
平成13年度厚生科学研究費補助金分担研究報告書
整形外科インプラントの不具合データに関する研究
国立医薬品食品衛生研究所 療品部
これは平成13、14、15年度まで継続して実施された研究報告のようです。
(上記タイトルをグーグルで検索すると PDFがダウンロードできます)
研究目的:人工関節などの整形外科インプラントは10年近く、或はそれ以上も人体に
埋め込まれ使用される。その間、生体内で摩耗、腐食、破損など性能の劣化が進行
することもあるが、これらを長期的に推測評価する手法はいまだ十分に確立してい
るとは言い難い。また承認前に行われる臨床試験も経過観察期間が1年程度に留まっ
ており、実際の長期臨床使用での性能評価には不十分な場合もある。従って、現実
には市販後の事故収集を行って、長期の使用実態を把握することが非常に重要となる。
同時に、不具合情報の収集解析は安全対策に必須であるだけでなく、承認申請時に
考慮すべき情報として非常に役たつと共に、より良い用具の発展にとって欠かせない
ものである。
-------------------------------------------------------------------
(august03より)
という目的のもと、不具合情報を収集しその分析結果を発表しているのが、この報告書
なのですが、目的は正しいと思いますが、私にはその手法と、分析にあたっての
検証方法に大きな疑問、戸惑いを感じてしまいました。
この調査のもととしたデータは、以下のとおり。
1.日本整形外科学会が1994年に実施したアンケート調査報告書
2.過去三年間の人工股関節に関する約2500編の論文をタイトルと抄録から
人工股関節の破損、感染の条件に当てはまると判断したものを抽出
3.米国FDAが公開している不具合報告データ
最初の戸惑いは、この研究者は、譬え話でいえば、目の前に死んでいる人の数だけ
数えて、その死因を調査分析していない。ということです。
事象だけを捉えて、その事象イコール粗悪品 という論旨を展開している。
それが意図的なものなのか、単に研究の仕方を知らないだけであったのかはわかり
ませんが、研究者としてはあるべき手法ではないと、私は思います。
例えば、骨折用プレートの破損数をかぞえて、その発生部位別に分類して
それで、何を分析したというのでしょうか ? これでは小学生でもできる報告書です。
そもそもこの研究者は、金属工学のこと、そして臨床というものについての知識を
疑いたくなります。それ以前に、レポート内で表記されている数値の表し方自体に
も意図的作為が感じられてしまいます。
引用しますと: 使用されたインプラントの種類は人工股関節、人工骨頭が8948例と
最も多い。(中略) 最も破損例数が多かったのが人工関節.人工骨頭(119例)の45%
実は、この文書は、その前文で、次のように表記しています。
「145施設で260例のインプラント破損症例がみられた。
使用されたインプラントの種類は人工股関節、人工骨頭が8948例と
最も多い。人工膝関節(4256)、ヒップスクリューさらに骨接合材がこれに
次ぐ。
最も破損例数が多かったのが人工関節.人工骨頭(119例)の45%、骨接合材
(99例)の38%がこれに次いだ」
皆さんは何がおかしいか、気づかれたでしょうか?
この研究者は、種類のことなる製品を全て「破損」というカテゴリーで一括りにして
その一括りなかで、逆にどの種類が「破損」が多いか、という論旨を展開しようと
しているようなのですが、これは、当該研究目的の不具合(事故)分析においては、
意味をなさないものです。
これは、人工股関節.人工骨頭の使用数 8948例 (分母)、破損数119例(分子)
従って、発生数は 119÷8948= 1.3 % ということです。
上記の研究者の表記では、読む者に、人工股関節.人工骨頭ではその約半分に破損
が生じている。という印象を与えてしまいます。それが意図的になされたもので
あるにならば、深く考えずに読む人はみごとにひっかかってしまうでしょう。
この研究報告中には、私が示したような「発生率」そのものを数値で示した記載は
一切ありません。それは、おそらく「発生率」で示すと、数値そのものが極めて
小さいものであり、その数値を見ると、破損の発生がたいしたものではない。という
印象を与えてしまうからと思われます。例えば、上記の骨接合材であれば
使用数1000 (分母)、破損数99(分子) 99÷1000= 9.9 % ということになります。
このように、この研究報告には、論文にありがちな.....本当はあってはいけない
のですが......数字のマジックがあります。ですから、本当に論文を読む技術が
ある人なら騙されることはないのですが、その技術のない人はころりと騙されて
しまうでしょう。
次に、ある意味ではもっとも重要な点について説明したいと思います。
この報告書の最大の欠点です。それは、破損原因が分析されていない。ということ
です。
ここでも譬え話を使いますが、例えば トラック事故が一年間に100件あったとします。
ミニバンの事故がやはり200件あったとします。この学者さんの論旨を借りれば
ミニバンはトラックよりも二倍も危険な乗り物である。ということを主張すること
になります。
さて、皆さんにもこれでお分かりになったと思いますが、トラック事故100件、
ミニバン事故200件を並べても何の意味もありません。大切なのは、事故の原因です。
脇見運転をしていたのか、雨でタイヤがスリップしてしまったのか、こどもが突然
飛び出してきたのか、居眠り運転をしてしまったのか、突然ブレーキが効かなくな
ったのか etc の原因が考えられます。どうしたら事故を減らせるかを研究すると
したら、重要なことは「その事故が発生した原因」を解明して、その要因を分析
することです。
この報告書中には、次のような記載があります:ヒップスクリュー、手術中折損、
セルフタッピングにて刺入中にスクリューヘッドが折れた。ヒップスクリューの
破損8例中4例が同様のスクリューの破損。
この記述から、皆さんはどういうことを想像されるでしょうか?
私の結論は、
手術で、スクリュー刺入時にスクリューを折るような経験の浅い医師、ということです。
もしこの学者が机上の作業ではなく、本気でスクリュー折損の原因追及を考えて
臨床現場に入りこんで、臨床医師や手術室看護師等からアンケート調査なり、聞き取り
調査なりをしたら、次のような事実が判明するでしょう。
スクリュー刺入時にスクリューを折損させるのは、まだ経験の浅い若い医師に多い。
ラーニングカーブにより、そのような医師も1~2年後には術中折損の発生率は減少
する。
同様に次ぎのような報告書中の記述を考えてみて下さい : 人工膝関節:破損、摩耗
メタルバックパテラコンポーネントの摩耗とそれに引き続くメタローシス :材質の
問題と手術手技ではラテラルリリースの不足 : 同様のパタラの破損、摩耗が11例
で確認される。膝関節では脛骨面でも HDPの摩耗が多くみられる。
この学者は、整形外科学会の報告書の孫引用しているだけなので、ここに書かれて
いることの意味を理解せずに、この不具合報告書をまとめたのだと思います。
つまり、上記の人工膝関節の不具合としてはパテラコンポーネントに破損/摩耗が
みられたが、それはラテラルリリースの不足が原因であると整形外科学会報告では
はっきりと述べているのに、それが理解できずにいます。ラテラルリリースとは、
人工膝関節置換術をした際に、膝蓋骨にかかる負荷を減少させるために、軟部組織
をあえて切除する、という術式をいいます。そういう手技を行えない外科医師が
人工膝関節置換術をしていることのほうがよほど大問題です。
また、「膝関節では脛骨面でもHDPの摩耗が多くみられる」とは、この学者は製品の
ことは何もしらないでこの報告書を書いていることを露呈しています。
脛骨面のHDPが摩耗するのは当然です。なぜなら、脛骨面に荷重の全てがかかるので
すから。歩行のつど、体重の数倍の荷重が膝関節、股関節にはかかります。それを
受けるのですから、脛骨面のプラスチックが摩耗するのは機械特性として当然です
自動車のタイヤで摩耗しないタイヤが発明されたら、きっと人工関節でも摩耗しない
脛骨HDPが登場するかもしれません。しかし、摩耗しないタイヤがこの世に存在
しないように、摩耗しない脛骨HDPというものも存在しません。
人工関節置換術を受ける患者さんはそのリスクをインフォームドコンセントで受け
ることになります。おそらく、10年後にはHDP、あるいは脛骨コンポーネントまたは
人工膝関節全体を再置換することになります、と。
この学者は、人工物に何を求めているのでしょうか?
生命あるものはいつか死ぬように、形あるものはいつかは壊れます。それが「事実」
であり、その摂理に従わないモノがあるでしょうか? この報告書は、その事実を
大発見であるかのように記すとともに、“形あるものはいつかは壊れる”という
事実を「不具合」イコール不良品、あってはならないこと、という論旨で報告して
います。
壊れないモノとはいったい何でしょうか ? 現在医療用として供給されている
材料で、壊れないモノなどは存在しません。もしも、壊れることがイコール不良品
であるならば、現在世界中に流通している人工関節は全てリコール(回収)されなけ
ればなりません。
また次のような記述もあります : 髄内釘 ; 横止めネジ部分で折損 : 構造上の問題
: 仮骨の形成が悪くインプラントに過大な負荷がかかり、金属疲労を起こした :
横止めネジ部分での髄内釘の折損と判明しているのが4例、ネジそのものの破損、
折損と判明しているものが9例。
これも人工関節での説明に類似するのですが、ここではふたつの要素があります。
第一に、骨折材料は骨そのものを代用する性能は有していません。仮骨が形成され
その人の自然の骨が再生してくるまでの間、副木的に患部を支えている役目です。
ですから、骨折治療でもっとも大切なのは、仮骨形成の進捗を慎重に観察しながら
患部にかかる荷重をコントロールすることです。仮骨形成が悪い場合は、患者に
松葉杖などの使用を指導して、過度な荷重がかかることを防ぐことが必要になります。
第二としては、金属部品はつねに金属疲労によるモノの破損と、それ以前に骨折癒合
が起こることとの、トレードオフの関係にあるということです。この世に金属疲労
を発生させない金属はありません。金属とはそういうものであり、それを踏まえた
うえで、インプラントは使用されなければなりません。
いまでは大学医学部では、医学生は難しい知識は学ぶようですが、このような金属
の基礎も学ぶ機会がなければ、骨折治療の基本であるスクリューの挿入のコツを
学ぶことはないと聞きます。極論すれば、大学をでたばかりの医師は骨折すら治療
する方法をしらない医師も珍しくはない....そういう現場であることを踏まえて
インプラント不具合の研究をしてもらいたいものです。
また、この報告書のもうひとつのデータ入手先である文献検索結果より :
医学中央雑誌から検索した過去3年間の人工股関節に関する約2500編の論文より
破損、感染の条件に当てはまると判断したもの76件を抽出。
とあります。つまり、これも 76(分子)÷2500(分母)= 3 % ということになります。
さらに言えば、感染例を不具合に入れているのは、医薬品の考えを持ち込んでいる
わけですが、人工関節手術での術後感染例は、文献により発生率はまちまちですが
1%~5%のあいだというところだと思います。しかも、その原因は、患者由来であったり
抗生剤の不適切使用であったり、とこれもまちまであり、しかも、感染とは外科
手術に由来するものであり、人工股関節だから感染するものでもなければ、他の外科
手術よりも感染率が高いという報告はありません。
そもそもインプラントに直接の因果関係がある「感染」というものはおそらくゼロ
でしょう。
またこの報告書では FDAの MAUDE報告を孫引用していますが、やはり、それらは
事象を数えただけであり、「発生率」を追えるものでもなければ、発生原因を
追求調査したものでもありません。
医療において、不具合あるいは副作用、あるいは合併症はつねに伴います。それが
ゼロという治療は存在しえません。副作用の発生がない医薬品などはありえません。
例えば、ネット検索で拾った次のような説明もあります。
「 実例)実際にインターフェロン(C型肝炎用のくすり)の説明書を見る。
説明書では、4頁に渡り副作用の注意書きがあった。副作用の発100%・・・
それでも有効性・安全性のバランスから考えて「有用な医薬品」である。」
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この学者が三年もの時間をかけて何を訴えたかったのか私には理解できません。
臨床現場を知らず、金属工学を知らず、バイオメカニクスを知らずに、単に
机上で不具合の件数を数えただけで、何が判明したいうのでしょうか。
しかも、発生率を算出する努力すらも怠っている。発生率が10%なのか、5%なのか
あるいは、1%、あるいは、0.1% ではその意味が当然かわってきます。
原因別の分析はさらに重要です。外科手術とは、医薬品とは違い、そこには多くの
不確定要素とリスク要因が入ってきます。たとえば、患者がヘビースモーカーの
場合、骨折治癒率は大きく下がります。そのような患者側が持つ要因というものも
入り込んでくるわけです。
医療とは、リスクとベネフィットとをはかりにかけることだと思います。
リスクのない医薬品もなければ、リスクの存在しえない医療機器もこの世には存在
しません。ようは、そのふたつを天秤にかけて、どちらがより重いかを判断する
ことが審査であり、患者側から言えば「同意」になるわけです。
審査の基準に、この学者のような、リスクの存在を否定した考え方が入りこんで
いるのではないでしょうか ? リスクをゼロにすることなど成し得ません。
また、限りなくゼロにするということが真に患者の安全とイコールである、とも
思いません。ゼロにするために、長い時間かけて試験をしても、どこまでいっても
なんらかの不確定要素とリスクは残存します。ヒトが関与する行為ですから、
必ずどこかにリスクは残ります。
それを恐れて、リスクを上回るベネフィツトに気づかないとしたら、それは患者に
とっては損失です。治療の機会を失うという損失になります。
学者は自分の研究に責任をもって欲しいものです。行政は、このような報告書に
影響をうけるようなことのないように期待したいものです。
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「ISO 13485のコンセプトが機能しない日本の審査制度 ?」
医療行政シリーズ No.4
http://blog.goo.ne.jp/august03/e/1566984f5e3afa797007f69f9c99a242
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http://blog.goo.ne.jp/august03/e/d6f05bcf3ebea4a03ede685845dac44b
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「新しい法律を求めて 人道的必要性を有する希少疾病用医療機器」
医療行政シリーズ No.1
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