城址史跡を歩く。

日本の城や城址、史跡などを見て歩くのが好きです。
今のところ、九州の城址・史跡が中心です。

福岡城址(福岡県)

2010-01-04 | 城(城址)歩き
2010年1月3日(日)

年が変わって初の城歩きは、 福岡城祉 へ出かけた。
残念なことにこの日は多聞櫓や御鷹屋敷跡には入園できなかった。
城址近くの護国神社は正月の参拝客で賑わっていた。
おかげで福岡美術館横の有料駐車場が無料になっていた。



護国神社前から下ノ橋大手門へ続く歩道を行く。
福岡城祉の規模は九州最大ということだが、
歩道から石垣を見ると確かにその規模の大きさが伝わってきた。
裏御門の案内板によれば、
史跡指定地面積 458,092平方m、東西 1,000m、南北 700m となる。



桐木坂御門跡 から入城した。







2つの櫓が長い平櫓でつながっている、多聞櫓 (たもんやぐら)。
昭和50年に復元された。

【南二ノ丸多聞櫓の北隅櫓】

歩いていくと 裏御門跡 に着いた。
案内板があり、本丸へ行ってみることにした。



本丸に入ると茶色の櫓が見えた。
本丸北東隅に鬼門封じの為に建てられた 祈念櫓 (きねんやぐら)。
一度は大正寺というお寺に移築されるも、昭和58~59年に再びこの場所に移築された。
昭和32年には県の有形文化財に指定されている。

【祈念櫓】



本丸跡をほぼ一周し、 天守台 に着いた。
築城主である 黒田長政 は幕府に目を付けられるのを警戒し、
天守を取り壊したとか、始めから天守を造らなかった…などといわれている。
ここには五重の天守があったと推測されている。

【大天守台】

大天守台には階段で上がれるようになっている。
迫力のある 鉄御門 から入った。

【鉄御門跡】



鉄御門を上ると、今度は 埋門 がある。

【埋門】

埋門前からみる 大天守台

【大天守台】

大天守台には、天守を支えた柱の 礎石 がある。





大天守台の展望台からの眺め。
福岡ドームの屋根が見える。



手前の町は三ノ丸となる。
その向こうに現在は大濠公園となっている城の 大堀 が見える。



大天守台からの展望を楽しんだ後は、その天守台の周りを歩いてみた。

【天守台】

かつては大天守の側に小天守があったようだ。

【小天守台跡】

小天守跡からみる大天守台。



再び本丸へ戻り、表御門→扇坂御門→東御門へと行ってみた。

【表御門】

【扇坂御門】

東御門跡 に着いた。
ここまでが城の二ノ丸となる。
城下町福岡から城内へ入るメインゲートである三ノ丸上ノ橋大手門から二ノ丸へと入る主要な門で、
石垣の両側には炭櫓と革櫓があったらしい。

【東御門跡】

三ノ丸になる場所には、発掘調査が行われている鴻臚館跡(平和台球場跡地)、
平和台陸上競技場などがある。
陸上競技場の外壁をぐるりと回って、下ノ橋大手門方面へと歩いて行った。

県指定文化財の 下ノ橋御門 は、
堀にかかる3つの橋のうちの1つの下ノ橋から城へと入る門となる。
不審火などで被災したが、平成20年に復元された。

【下ノ橋御門(下ノ橋大手門)】

これも県指定文化財の櫓で、福岡城に50近くあった櫓の1つ。
潮見櫓 となっていたが、後の調査の結果、違う建物だと判明した。
実際の潮見櫓は三ノ丸北西隅にあったとのこと。

【(伝)潮見櫓】

【門の内側:奥は(伝)潮見櫓】

ここから護国神社方面へ戻った。

少し行くと黒田節で有名な 母里太兵衛の屋敷長屋門 (県指定文化財)があった。
この門は移築されたもので、この場所に住んでいたわけではないようだ。

【旧母里太兵衛邸長屋門】

長屋門からすぐの右側に大濠公園へと続く道があり、そこに 名島門 がある。
これは 小早川隆景 が築いた 名島城の脇門 と伝えられ、市の指定文化財になっている。
黒田長政 が名島城から福岡城に居を移す際、
黒田24騎の1人、林掃部(太郎右衛門)に渡され、それを掃部は邸宅の門として使っていたといわれる。

【名島門】

1月11日(月)成人の日

福岡市博物館から再び福岡城址にやってきた。



三ノ丸石垣は舞鶴中学校周辺を歩いてみた。

【三ノ丸の石垣】



現在、ボタン・シャクヤク園になっている場所は、黒田如水の 御鷹屋敷跡 で、石碑が建っていた。
如水が晩年を過ごした場所となる。



御鷹屋敷跡を出て、 松木坂御門跡 から城址に入った。

【松木坂御門跡】



二ノ丸から本丸へ行く2つの道がある。
前回は裏御門から行ったので、今回は右側の本丸石垣、天守台方面を行った。



石垣に囲まれた石畳の道。
右側の石垣は鉄砲櫓跡。
奥には武具櫓跡があり、ここは 武具櫓御門 となる。



【鉄砲櫓跡】

南二ノ丸 多聞櫓 は、江戸時代から城内にそのまま残っている数少ない建物の1つ。
昭和46年に国の重要文化財に指定されている。

【多聞櫓の北隅櫓】

長い 平櫓 は普段は武具などの倉庫として使用され、戦いになると防御の為の砦となった。

【平櫓→北隅櫓】

櫓内は突き抜けの場合が多いが、この平櫓は16の小部屋に分かれている。

【西隅櫓←平櫓】

【多聞櫓の西隅櫓】

広大な敷地と石垣、現存する櫓、門、史跡などが多く、見所の多い城址だった。

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