城址史跡を歩く。

日本の城や城址、史跡などを見て歩くのが好きです。
今のところ、九州の城址・史跡が中心です。

平戸城(長崎県)

2010-06-07 | 城(城址)歩き
6日の日曜日、平戸城へ出かけた。
別府から3時間半くらいで着いた。

高速道路を下り、佐世保の街中を通り、平戸へ向かった。

長崎県、北松浦半島と平戸島を繋ぐ平戸大橋。
全長665m、昭和52年に開通。
やっぱりこの辺りは海がきれいで景観も素晴らしい。

【平戸大橋を渡る】

平戸島は長崎県の西北に位置する海上交通の要衡で、
弘法大師空海はここから唐に出発。
フランシスコ・ザビエルもここでキリスト教布教に努めた。

平戸城の外郭(そとくるわ)にあたるレストハウス駐車場に駐車した。
そこから見える天守閣。

【天守閣】

しばらく石段を登ると北虎口門に到着。
城内に唯一現存する木造の遺構。
ここをくぐると入城の受付がある。

【北虎口門】

門から向かって右手に見えるのは地蔵坂櫓。

【北虎口門からみた地蔵坂櫓】

【地蔵坂櫓台石垣】

北虎口門から入城するとすぐにあるのが多聞櫓(たもんやぐら)だが、狸櫓(たぬきやぐら)と呼ばれていた。
農耕具などが展示されている。

【狸櫓】

ちょっと暗くて雰囲気のある石の通路を進むと…



本丸前門にたどり着く。

【本丸前門】

門をくぐると年表の記されている長いボードがあったので、しばらくみていた。

そして、本丸には天守閣となっている沖見櫓(おきみやぐら)があった。
もともと天守閣のない城だったが、昭和37年に本丸二重櫓跡に復興された。

【天守閣(沖見櫓)】

平戸松浦氏は秀吉政権下の1587年、63,200石の大名となる。
1599年、ここ亀岡山に日之岳城を築き、家臣を城下に住まわせた。

1613年に城は焼失。
以来、松浦氏は城を持っていなかったが、
1691年、松浦棟が寺社奉行になると幕府に願い出て、
1704年、亀岡城(平戸城)の築城が始まる。縄張は山鹿素行が行った。
1718年、城は完成する。

【天守閣②】

天守付近からみる光景は、平戸瀬戸の海の青がきれいだった。



天守からすぐの所にある見奏櫓(けんそうやぐら)。

【見奏櫓】

そして、天守閣内を見学した。

【見奏櫓側からみた天守閣】

1812年、35代平戸藩主となった松浦熈(ひろむ)の鎧。(1806~1841)
新田開発、殖産を奨励した。



代々平戸藩の茶坊主だったという江上家に伝わる当世具足。



廣次作の太刀と脇差。



松浦氏の家系図などをみて、最上階へ。

三重天守の最上階展望台からの景観。



平戸瀬戸の海。真ん中は黒子島。



天守を出て北虎口門まで戻り、地蔵坂櫓を見学した。
ここも農耕具などを展示。

【地蔵坂櫓】

乾櫓(いぬいやぐら)は売店になっていた。

【乾櫓】

日之岳城の築城時に植えられたといわれるマキ並木。
樹齢400年以上と推測される。

【マキ並木】

大手一ノ門跡。亀岡神社入口でもある。

【大手一ノ門跡①】

崩れた門の跡。

【大手一ノ門跡②】

明治天皇の祖母にあたる平戸出身の中山愛子像。
昭和43年建立。

【中山愛子像】

再度、北虎口門へ戻り、城をあとにした。

作家・司馬遼太郎が、 『景観の中の城として日本で最も美しいのは平戸城だと思う。』 と言っているので、
周辺の港などに立ち寄ってみた。
ずっと、本に載っていた平戸城の写真がとても印象に残っていて、その写真と同じ場所がどこかも探してみた。

猶興館高校近くの漁港に行ってみた。
釣り人が多かった。



本でみた光景は、平戸港交流広場からみた平戸城だった。
それにはここで釣りをするおじさんが2~3人写っていた。
その光景が何とも味があってよかったが、今日は誰もいなかった。

【平戸港交流広場からみた平戸城】

ここからみると小さな天守も大きくみえた。



交流広場の近くにある幸橋(さいわいばし)。
国指定建造物。平戸市役所前に架かる。
当初、ここには木橋が架けられていたが、1702年に石橋に架け替えられた。
オランダ商館の倉庫と同じ技法で造られたことから、 『オランダ橋』 という別称がある。

【幸橋】

司馬さんが言っていたからじゃないけど、ほんとに景観の中の城として美しい城だった。
また、城からみる平戸瀬戸の海も壮大できれいだった。
昔の活気ある港町を想像しながら、いつまでもみていたい景色だった。