城址史跡を歩く。

日本の城や城址、史跡などを見て歩くのが好きです。
今のところ、九州の城址・史跡が中心です。

中津城(大分県)

2009-11-23 | 城(城址)歩き
2009年11月22日(日)

歴史に興味を持ち始めたのは、大河ドラマ 『巧名が辻』 を観ていた頃で、
その時に斉藤洋介扮する 黒田官兵衛 がどんな人物か興味を持った。
その後、同じく大河ドラマ 『天地人』 の作者である火坂雅志が黒田官兵衛の小説を
書いているのを知り、夢中になって読んだのが 『軍師の門』 だった。



今日は関門海峡ミュージアムに大河ドラマ 『天地人展』 を見に行き、
その帰りに官兵衛が築城した 中津城 に行ってみることにした。



12:35
『天地人展』 は小規模なものだったので、すぐに見終わった。
近くには巌流島や門司城跡などがあるが、雨天のため、そのまま中津市へ向かった。

14:20
大分県中津市、中津城 に到着。



駐車場からすぐに天守が見える。
黒色を基調とした、渋い天守だと思う。



天守本丸櫓
ここから観ると大きな船のように見える。



中津城は高松城(香川県)、今治城(愛媛県)とともに 日本三水城 とよばれる。
築城主は 黒田官兵衛 だが、
現在の天守は奥平家が昭和39年に新たに建てたものになる。
黒田時代は天守はなかったといわれる。

【天守閣】

【本丸櫓(大鞁櫓)】

まずは 薬研堀 に沿って、
本丸周囲をぐるっと一周してみる。



曲がり角まで行くと 『黒田の石垣』 という看板がある。



左側の境目から右側が黒田時代の石垣。

【黒田の石垣】

黒田氏に変わってこの城の城主となったのは 細川忠興
黒田の石垣の左側は細川時代の石垣となる。
天守のすぐ下の石垣は新しいものだろう。

【細川の石垣】



ここから中津川に向かって歩いていくと河川敷に出る。

【黒田の石垣】

少し歩くと 鉄門跡 にたどり着く。
この辺りは河川敷公園になっている。

【鉄門跡】

【河川敷公園】

本丸へ行くと中津神社があり、他にも城井神社、扇城神社(扇城は中津城の別名)などがある。
中津出身の福沢諭吉が唱えた 『独立自尊の碑』 も建っていた。

【独立自尊の碑】

三斎池 は1620年、再びこの城を居城とした 細川忠興 が城内の水不足を補うため、
山国川から水を引いて貯水のために造ったといわれる。
忠興が隠居する際に号した 三斎 という名から 三斎池 と呼ばれ、
鑑賞、防火用水としても使用されたといわれる。

【三斎池】

三斎池のすぐ側、椎木門 跡から天守へと向かった。

【椎木門跡】

天守閣の隣には奥平神社がある。
中津城の在城期間は、それぞれ黒田氏14年、細川氏32年、小笠原氏84年、奥平氏155年。

【奥平神社と天守閣】

天守と繋がっている本丸櫓は 大鞁櫓(だいひやぐら)とよばれ、
城主の馬具などを収納するためのものらしい。

【大鞁櫓】

5層5階の 天守閣

【天守閣】

天守の中は、入るとすぐに鎧が展示されていた。
ほとんどが奥平家ゆかりのもの。

11代城主 奥平昌高(まさたか)の鎧。
この人は薩摩の島津家出身。

【奥平昌高の兜】

徳川家康 が長女・亀姫に宛てた手紙。
亀姫は長篠の合戦で活躍した 奥平信昌 の妻。
この手紙の説明書きに 『この信昌の活躍で家康の人生が好転していった』 と書かれている。
家康ゆかりのものが多く展示されているのも頷ける。

【家康の手紙】

奥平忠昌 が家康より拝領した 『白鳥の槍』。
奥平家重宝。

【白鳥の槍】

長篠合戦図の説明書きには各大名の配置が書かれてある。

【長篠合戦図】

5階は展望室。



中津川河口方面。
手前の空地は旧地図では御花畑跡と書かれている。



雨が降っていたせいか、人けもあまりなく、河口にひっそりと建つ中津城だった。



小倉城(福岡県)

2009-11-09 | 城(城址)歩き
2009年11月8日(日)

北九州いのちのたび博物館にて開催されている 『ナスカ展』 の帰り、
小倉城 へと足を運んだ。

北九州市役所の地下駐車場に車をとめ、地上へ出た。
正面に 『勝山公園』 の芝生広場が見える。
この辺りは中央図書館、市立文学館などがあり、緑の多いきれいな街だった。

周囲を見回すと城の天守がチラリと見えたので、場所はすぐに分かった。
歩道を歩いて行くと石垣があり、広場に着いた。
そこから見た天守の奥には、赤い近代的な建物のリバーウォーク北九州や他にもビルなどが見え、
天守がどこかの遊園地の建物のような印象を受けてしまった。





城内案内図を見て、すぐ側の 大手門 から入ることにした。





大手門、城内から見たところ。



城内の石垣は新しいものだろう。



城内にある、白州灯台 岩松翁記念塔。



城内は勝山公園になっていて、市民の憩いの場となっている。
いい天気なので、ベンチに寝そべっている人などがいた。

歩いていると 西之口門 跡があった。



西之口門から出ると、右手には立派な石垣と堀が見えた。
左手には 『松本清張記念館』 があった。



1898年頃に造られた、煉瓦造の 旧第十二師団司令部正門
1899年(明治32年)に第十二師団軍医部長に配属された
森鴎外 もこの門を通って登庁したらしい。



長州軍の大砲。



使用済の筆を供養した筆塚。



本丸から 天守閣 を望む。
この天守は昭和34年に復興されたもの。



元来は 飾破風 のない天守だったらしい。



天守の中は博物館になっているので入ってみた。



大坂夏の陣小笠原忠真 が着用した兜の複製。
前城主の 細川忠興 が考案した山鳥の尾を束ねた頭立が特徴的。
後ろの壁の肖像画(複製)はその細川忠興を描いたもの。

【越中頭形兜(えっちゅうずなりかぶと)】

上から 宮本武蔵 の櫂(かい)。
佐々木小次郎 の刀。
一般武士の刀。
3点いずれも複製(レプリカ)。
二刀流の武蔵はこの櫂の木刀で、
小次郎は一般の刀よりも長い 『物干竿』 と呼ばれたこの刀を使い、巌流島で決闘した。



他にも島原の乱の前夜を再現したからくり人形を使ったからくりシアターなど、
城の中は凝った設備がいっぱいだった。
小倉城が焼失した慶応2年(1866)が寅年ということで、
それに因んで描かれた迎え虎、送り虎などの絵もあった。

展望室は5階最上階にあり、360度見渡せるようになっていた。
東側の景色は、手前に小倉城庭園、その向こうには紫川が見える。



天守から出ると、お囃子の笛の音が響いていた。
近くに八坂神社があり、この日は七五三の親子連れが多かった。

最後に 小倉城庭園 に入ってみた。
小笠原氏の別邸・下屋敷跡を復元したものらしい。
書院造りの屋敷から庭園を眺め、庭を歩いてきた。
茶道具などを展示してある博物館もあった。



ほぼ復元されたものだが、
庭園から眺める天守閣は美しかった。

府内城址(大分県)

2009-11-04 | 城(城址)歩き
2009年11月3日(火)文化の日

大分市に行った時は、いつもは車で素通りしてしまう 府内城址
今日は近くにありながら、城址として見ることのなかった城を歩いてみたいと思う。

府内城は1597年(慶長2年)、
石田三成 の娘婿である 福原直高 が、大分川河口の荷落の地(交易地)に築き始めた城。
2年後には一部完成するも、領地を没収され中断を余儀なくされる。
代わって城主となった 早川長敏関ヶ原の合戦 にて西軍に加担したため取り潰され、
次いで入封した 竹中重利加藤清正 の援助を受けるなどして1602年に完成させた。

表通り197号線から、大手門(多聞櫓門)にそのまま車で入城する。

【大手門】

城内には大分文化会館が建っていて、休日にはよく催しものが開かれている。

【大分文化会館】

車を停め、城跡の案内のパンフレットなど探したが、その類のものはなかった。
かろうじて 『日本100名城』 と記されたスタンプは置いてあった。

案内盤で当時の城の図を見ると、現在は埋められてしまっている堀などがあるようだ。
城の北側は海で本丸の周囲にはもう1つ堀があり、渡り櫓で仕切られていた事がわかる。



大手門を出て、城外に出ると左側にあるのが 着到櫓(二重櫓)となる。
夜はライトアップされる。

【着到櫓】

ここから城の周辺、堀の外側から見てみることにした。

【着到櫓】

東ノ丸石垣に沿って歩道を歩くと、見えてきたのは 東ノ丸南東隅櫓

【東ノ丸(南東)隅櫓】

昭和20年に戦災により焼失。
昭和41年に大手門とともに復元された。

【東ノ丸(南東)隅櫓】

左に曲がると大分城址公園がある。
城図では、海に面した帯状の堤防のような場所がここになる。
帯状の堤防は 帯曲輪 とよばれる。
春にはこの道に沿って桜が咲き、花見の名所となっている。

【東ノ丸(北東)隅櫓】

本丸石垣からさらに一段高く、天守台が見える。



大分県庁ビルと東ノ丸北東隅櫓。



人質櫓 は大分県の史跡に指定されている。

【人質櫓(本丸跡北西隅櫓)】

西ノ丸と山里丸を結ぶ 廊下橋 は、平成8年に復元された。
山里丸は茶の湯や能、月見などが行われた特別な場所とされる。

【廊下橋】

山里丸側から見た廊下橋内部は、西ノ丸へと続く。
今はここに1つしかない渡り廊下だが、以前は他にも存在していたらしい。



廊下橋中央の窓から見る人質櫓。



さらに城の外周を歩く。
ここは西ノ丸石垣にあたる。



西ノ丸南西にある櫓。
別府方面から197号線を来ると、まず最初に見える櫓。

【西ノ丸(南西)隅櫓】

ここで表通り197号線沿いの歩道に戻る。
西ノ丸石垣の南側を歩くことになる。

右奥の石垣の上、ちょっとした出っ張りが 宗門櫓
人質櫓とともに県の史跡に指定されている。

歩道を石垣に沿ってまっすぐ進むと大手門に戻り、城の外周を1周したことになる。

【西ノ丸石垣南側】

大手門から再び城内へ。
西ノ丸北側には先ほどの廊下橋の入口がある。

【城内からの廊下橋入口】

冠木門の礎石
冠木門とは柱の上に横木を渡した屋根のない門で、
かつては西ノ丸と廊下橋の間にこの門があった。
その門の礎石が残っている。



本丸には 北側二重櫓台天守台 が並ぶ。
かつて天守とこの二重櫓は繋がっていたらしい。

【本丸北櫓台】

四重の天守が建っていたといわれる 天守台

【天守台】

城址としては比較的当時の様子が残っており、
個人的にはここに模擬天守でも建ってほしいなぁと思うのだった。