ホントに一日で色々な所を回ったので、
順番にUPさせていただきますね。。
「三州足助屋敷」を後にして、
今度は1427年創建の「香積寺」へやってきました。
ここが登り口です。
青もみじに囲まれた山門
このお寺のご住職がもみじを植えたのが「香嵐渓」のはじまりと言われているそうです。
静かで、落ち着いたお寺でした。
「飯盛山城」へは、このお寺の裏山を登ります。
瞬く行くと、歴代住職のお墓があります。
更に飯盛山城主だった鈴木家代々の墓所も・・
そうなんですっ!
ここ「足助」は古くから交通の要所だったために、こんな小さな山城であるにもかかわらず、
戦国時代のいわゆる「大物」から散々攻められています。
徳川家康のお祖父ちゃん「松平清康」に始まって、「今川義元」「武田信玄&勝頼」・・・。
毎回、負けてます(涙)
ついでに余談ですが、最後にこの城を武田方から奪い返したのは、
私の心の友、「瀬名姫」の一人息子で「悲劇の長男」岡崎三郎信康様です。
信康様は奪ったこの城を元の城主鈴木氏に再び託したのです。
更に登ると「装束塚」と呼ばれる塚があります。
古い塚です
そしてナントあの犬山城と繋がりがあったとはっ!!
このあたりから段々道が険しくなってきました。。
「豊栄稲荷」です
「飯盛山城」には殆ど遺構は残っていませんが、
曲輪らしきモノは見えます。
堀切らしきものも・・
この平坦地も人工のものだと思われます。
そんなこんなで、飯盛山の頂上に到着!!
石碑には「足助城」の文字が見えました。
頂上は意外と狭いです。
麓の足助方面が見えました。
「香嵐渓」方面へ下山するとみえてくる「太子堂」です。
久しぶりの山城攻略に少々ヒザが笑いだしそうでしたが、
なんとか無事に「飯盛山城」へ登城できました。
今度は、古い町並みが残る足助の街を探索いたします(続く)
順番にUPさせていただきますね。。
「三州足助屋敷」を後にして、
今度は1427年創建の「香積寺」へやってきました。
ここが登り口です。
青もみじに囲まれた山門
このお寺のご住職がもみじを植えたのが「香嵐渓」のはじまりと言われているそうです。
静かで、落ち着いたお寺でした。
「飯盛山城」へは、このお寺の裏山を登ります。
瞬く行くと、歴代住職のお墓があります。
更に飯盛山城主だった鈴木家代々の墓所も・・
そうなんですっ!
ここ「足助」は古くから交通の要所だったために、こんな小さな山城であるにもかかわらず、
戦国時代のいわゆる「大物」から散々攻められています。
徳川家康のお祖父ちゃん「松平清康」に始まって、「今川義元」「武田信玄&勝頼」・・・。
毎回、負けてます(涙)
ついでに余談ですが、最後にこの城を武田方から奪い返したのは、
私の心の友、「瀬名姫」の一人息子で「悲劇の長男」岡崎三郎信康様です。
信康様は奪ったこの城を元の城主鈴木氏に再び託したのです。
更に登ると「装束塚」と呼ばれる塚があります。
古い塚です
そしてナントあの犬山城と繋がりがあったとはっ!!
このあたりから段々道が険しくなってきました。。
「豊栄稲荷」です
「飯盛山城」には殆ど遺構は残っていませんが、
曲輪らしきモノは見えます。
堀切らしきものも・・
この平坦地も人工のものだと思われます。
そんなこんなで、飯盛山の頂上に到着!!
石碑には「足助城」の文字が見えました。
頂上は意外と狭いです。
麓の足助方面が見えました。
「香嵐渓」方面へ下山するとみえてくる「太子堂」です。
久しぶりの山城攻略に少々ヒザが笑いだしそうでしたが、
なんとか無事に「飯盛山城」へ登城できました。
今度は、古い町並みが残る足助の街を探索いたします(続く)