晴れときどき・・・

旧街道あるき、古戦場巡り、城攻め、図書館通いの4本立ての日々を綴ります。。

秋だ!関が原だ!陣跡制覇ウォークの巻!!

2013-09-30 21:28:06 | 古戦場巡り
 秋晴れのJR関が原駅です

9月29日は第4回関が原陣跡制覇ウォークの日でした。
2年越しでこのイベントへ参加したかった私は、
こんな華々しいイベントに一人ぼっちで参加して大丈夫なのかと不安を感じつつも、
いつになく賑やかな駅前からイベント会場まで向かいました。

 コースはこんな感じです。

モチロン全長約16キロの「制覇コース」を選択^^

 参加費千円を受付でお支払いすると参加賞のタオルと
チェックシートを貰ってイザ出陣です!!

時刻は丁度9時!!


 マップを頼りに進むまでもなくルート上には赤い→で誘導してくれるので超ラクチンでした。
(いつもはたいがい2.3回は迷うので。。--;)
スタート地点の「関が原ふれあいセンター」から5分ほどで最初のチェックポイントへ到着しました

 東軍・細川忠興の陣跡です

関が原に先立って妻ガラシャを自害に追い込まれた彼は何を思ってここへ着陣したのでしょうか・・。

 チェックポイントではそれぞれの武将にちなんだスタンプを押してもらい千社札をいただきます。
このスタンプ・・欲しい~~っ!!

 細川忠興の陣跡から目線を上に向けると北側の小高い山から狼煙があがっていました。
丸山(岡山)狼煙場です

次の目的地は丸山にある黒田長政と竹中重門の陣跡です。

 少しだけ山登りして到着。見晴らしがいいです。
ここは関が原盆地の中で唯一東軍が布陣できた「山」でした。

黒田官兵衛の息子長政と竹中半兵衛の息子重門の陣地です

この二人は親同志も親友でしたが、彼らも幼馴染でした。今回も長政に誘われて重門は東軍へ鞍替えしました。

丸山の周囲は自然がいっぱいで歩くのがとても気持ちよかったです。
竹林も素晴らしいです

ヒガンバナも満開です。


 再び盆地の中央に戻ってきて今度は関が原歴史民俗博物館近くの
「徳川家康最後陣地跡」へ向かいました。

ここは公園のように整備されています

武将装束のボランティアの方からお茶をいただきました^^

土塁と石垣に囲まれた陣地跡です

この陣地の整備はそもそも関が原が領地だった竹中重門が行ったそうです。
家康は戦況を打破する為桃配山から盆地のど真ん中へ3万の軍勢を率いて移動しました。

 家康の陣地のすぐ近くにある「田中吉政陣跡」

彼は石田光成と同郷でしたが、東軍として従軍し息吹山を越えて逃れた石田光成を捕縛しました。

 さらに進むと赤い山門が目印の「東首塚」

関が原の領主竹中重門が検分が終わった戦死者の首を弔った場所といわれています。

この大木はきっとあの戦いを間近で見ていたのでしょうね・・。

関が原の死者は7000人とも云われています。

現在の関が原町の人口が約8000人ですから、如何に大きな戦いだったかがわかります。


 ホントこんなに広い戦場を提供した「重門クン」は狼煙を揚げたり、
陣場を整備したり、戦後処理をしたりとなにかと大変でした。
しかも大事な田畑を17万人ともいわれる兵士にめちゃめちゃに荒らされてるんですからね・・。


 関が原紀行、まだまだ続きます^^







今年の75冊目「 愛に乱暴」

2013-09-30 07:44:24 | 読書日記
吉田修一の「愛に乱暴」を読みました。342ページ。

 一気読みして最終ページを見て驚きました。
なんとコレは新聞小説だったのかっ!長崎新聞の読者は朝っぱらから
この小説を読んで元気に会社へ行けたのでしょうか?
いや、夕刊に掲載されていたのかも・・。
でもコレを読んで心地よい眠りにつけるものだろうか・・。
なんて、余計な心配をしたくなるほど、後味というか、読んでいる途中に
気分が滅入る小説です。

 今回吉田修一氏はかなり大技のトリックを使っているので、
まだ読んで居ない方の為に詳細は書けないのですが、
まぁ略奪愛に有り勝ちな因果応報的な悲しい展開です。
一昔前の昼メロなんかで使い古されたテーマを
我等が郷土の星吉田修一氏は、危うい女性の視点で描き切っています。
少し以前は同様のテーマを男性の作家が書くと
「こんな女おらんやろう」という感じになっていたのですが、
最近の貫井徳郎さんといい、この吉田修一さんといい、
見事なまでに女のどろどろ具合を表現しておられます。
 そして女が執着して止まない男のダメさ加減と狡さを
コレでもかというぐらい書いておられます。

 夫婦が別れ話をするシーンなど、めちゃめちゃリアルで
我が家に盗聴器でも仕掛けてあったのかと疑いたくなるくらいです(爆)

 残酷なんです。
嫁姑問題に日々神経をすり減らしているところへ夫が不倫する。
不倫相手は妊娠が発覚し、夫に別れを切り出される。
すさんだ精神は次第におかしな方向へ暴走をはじめて、
自分が思うのと全く逆の方向へ走り出す・・・。
繰り返しますが、これホントに新聞に連載されていたのでしょうか?

 ただですね、幾分とってつけたようでは有りますが、
最後に全く救いがないわけではないのです。
人はボロボロに傷ついて、全てを失ってもうだめだと絶望したその先に、
思いも寄らない小さな光を見つけることがあります。
それは暗闇だからこそ見つかる、、
光の中では見落としてしまうようなささやかなものであったとしても・・・。

今年の74冊目「 聖なる怠け者の冒険」

2013-09-29 21:40:47 | 読書日記
森見登美彦の「聖なる怠け者の冒険」を読みました。344ページ。

 今年になってから、本を読まない日というのが結構あって、
昨年に比べても相当ペースが落ちておりましたが、
爽やかな秋風も感じられる昨今俄然「やる気」が出てきまして、
かなりなハイペースで読み出しております。

 別に帳尻合わせってわけじゃありません。
それにあんまり早く読んでいるとまた伊藤潤さんに叱られそうです。
書き手は一文一語丹念に言葉を選んで書いているのに
図書館で本を借りる人は返却日に迫られて
読み方が荒い場合が多いって・・。
 
 まぁ正直なところ、返却日のことはそれほど気にしてないのですが、
目の前にうず高く積まれている本を見ると
どうしても気がせくと言うのはあります。

 モリミーこと森見登美彦氏の描く痛快京都小説は、
一見ささっと読みやすいようでいて、
実は読了するまでに大変時間のかかる小説です。
決してテンポが悪いわけではなく、むしろめまぐるしいほどで、
面白さに欠ける訳では全くなく、
むしろ声を出して笑えたりもするのですが・・。
おそらく独特の世界観にはまり込むのに、
多少のコツと時間が掛かるからではないでしょうか・・。

 この物語も作者の他の小説と微妙にリンクしています。
登場人物は揃いもそろって怠け者で超楽天的です。
誰も明日を思い煩うことなく、ただ一日をいかに楽しく面白く有意義にかつ
怠惰に楽に生きるかに血道をあげています。
その思考回路をそうだよなぁと受け入れ
入り込むまでに時間がかかるのです。

 ひとたびその不思議な物語世界に入り込むと、
究極の「なんとかなるさ」思考で、
迷うべきときに迷うのも才能さとばかり
能天気に祇園祭の京都を舞台に縦横無尽に走り回る主人公達は
とても魅力的です。

 複雑な路地が交差し、何が出てきても不思議ではないような
京都の町へますます行ってみたくなります。

今年の73冊目「 わりなき恋」

2013-09-27 07:21:31 | 読書日記
岸恵子の「わりなき恋」を読みました。322ページ。

 女優でいくつになってもお美しい岸恵子さんが書いた
熟年女性の恋愛小説です。
どうしても主人公の女性は
岸恵子さんご本人の印象とダブってしまいます。
還暦を越えても50代ににも見えにないほど美しくて若々しくて、
仕事を持っていて経済的に裕福で、
語学に堪能で世界中をファーストクラスで飛び回る女性・・。

 冒頭の東京駅のホームに上がるエスカレーターから
まるでせり上がるように登場するシーンなんか、
まさに昭和の女優そのものの華やかさです。。

 それだけだとあまりにも現実場離れしすぎてドン引きするだけですが、
この女性が激しくも苦しい恋をすることで、
嫌味なだけの女だと思っていた読者は、
次第に彼女に自分と同じ血の通った
人間味を感じるようになっていくのではないでしょうか?

 「わりなき恋」とは「理屈や分別を越えて、どうしようもない恋。
どうにもならない恋、苦しくて耐えがたい焔のような恋のこと…」
と本文に書かれていました。
そんな恋愛を人はいくつになってもしてしまうのだと、
そのことが嬉しくもあり恐ろしくも感じました。
若い頃なら、受けた傷も修復できるでしょう。自然治癒力だってあります。
けれど年を重ねるにしたがって「コレが最後かも」と誰しも思うだろうし、
それだけに思いは深く切なさは倍増してしまいます。

 70歳を目前に控えてまさに「セカンドバージン」状態だった主人公は
10歳年下の妻子ある男性と恋に落ちてしまいます。
最初は情熱的で少々強引な男性に戸惑い自重しているものの、
次第にこの恋愛に賭けようと覚悟を決めていきます。
しかし男は社会的な地位も家庭も捨てられない。
捨てられないんですよね。
あっさり捨てるような男なら最初から好きになったりしないんです。
この図式は年齢に関係なく多分「不倫」と言われる恋愛模様では「鉄板」なんです。

 だからこそ、血を流すような努力の末に
女は自分から身を引かなくてはならない。
ピリオドは余計に愛した方が打たなくてはいけないのです。
男は捨てられたと傷つくけれど、
心には傷ではなくて甘酸っぱい思い出が残る。
この思い出こそが女が贈る渾身のプレゼントだと
果たして彼等は気が付いているでしょうか?

今年の72冊目「 いつも彼らはどこかに」

2013-09-26 07:09:45 | 読書日記
小川洋子の「いつも彼らはどこかに」を読みました。216ページ。

 本当にどの作品を読んでもそつがなくて安定感があって、
上手い作家さんだなぁと感心する小川洋子さんが
人の傍らに静かに佇む動物をテーマにした作品集です。

 人と動物のお話といっても普通にペットとして飼っている犬や猫との
心温まる交流といったものとは明らかに違っていました。
その辺りを期待して読みだすと違和感でいっぱいになって
最後まで読めないかもしれません。

 この小説に出てくるのは競馬馬だったりビーバーだったり、
チーターだったりカタツムリだったりです。
彼らはそれぞれの物語の主人公の心にそっと忍び寄り、寄り添い、
静かに消えていくそんな存在として描かれています。

 つまり作者が書きたいのは動物ではなくて
彼らが入り込む心の持ち主のことなのです。
そのどうしようもなく深い孤独の闇が、
じわ~っと本のページから音も無く染み出してきて、
本を持つ指先から読者の心にまで到達し、
じっとりと濡らしてしまうような小説でした。

 孤独はいつしか狂気をはらみ、現実と幻想が入り混じり、
「もう、どうするんだよコイツっ!」と突っ込みたくなるような人々・・。
逆に「私はまだコイツよりはマシだ」と変に安心させてしまうような人々・・。
そして、小説全編にわたって漂うしいんと静まり返ったような空気感。
私が小川洋子さんがすごいなぁと思うのはこの無音の世界を作り出す筆力の為です。

 世間的には少しズレたおかしな人々なのだけれど、
その思いは少しも邪心がなくて透明で、だからこそ生きづらい・・・。

 気配を消して近づいてくる飼い猫のようにちょっと不気味だけれど
でも滑らかで温かい体温を感じることができる、そんな小説集です。