日本振興銀行の創業メンバーで、今月10日の破綻時は社外取締役だった平将明・衆議院議員が産経新聞のインタビューに応じた。平氏は前会長の木村剛被告(銀行法違反の罪で起訴)による迂回融資などの不正を見抜けなかったと釈明。社外取締役として得た報酬の一部返上を検討することを明らかにした。一問一答は次の通り。
--破綻の責任は
「痛恨の極みで、預金者および関係者の皆様におわびする。取締役会には、公認会計士など有識者もメンバーに入っており、週1回開かれていたが、木村被告に集められたメンバーで、金融通の彼に信頼を置くあまり、不正を見抜けなかった」
「振興銀は、平成16年4月の創業当初から批判されることに慣れてしまっていて、どんな報道が出ても『またか』とやり過ごしていた。深く反省している。社外取締役としての報酬は年間で最大400万円程度で、一部を返納することも検討したい」
--創業当時は中小零細企業の「救世主」と期待されたが
「私は中小企業経営者の出身で、東京青年会議所(JC)の理事長も務めたが、資金繰りにはさんざん苦労した。木村被告とは東京JCの会合で知り合い、中小企業のための新しい銀行を作りたいという思いに共感して、創業に参加した。今までにないミドルリスク・ミドルリターンの銀行をつくりたかった。IT投資をする余裕もなかったので、決済を扱わない定期預金のみの銀行とした。銀行免許の取得まで『期間が短かった』と金融庁を批判する声があるが、単純に審査項目が少なかったためだと思う」
--経営の歯車が狂い始めたのはいつからか
「最初はリスク分散のため、小口の定期預金を集めて小口融資をするビジネスモデルだった。だが2008年秋の米リーマン・ショックと、改正貸金業法による規制強化の影響で、行き場を失った、規模の大きい企業向け融資を次第に扱うようになっていった。ノンバンクからの債権買い取りを始めたのもそのころだ。振興銀の資産も増やせるし、ノンバンクの融資先だった中小企業も救えると考えた。債権の二重譲渡問題と敗訴は想定外だった」
--木村被告は、主要取引先で構成する「中小企業振興ネットワーク」で、飛ばしや迂回融資などの不正を行っていた、とされる
「破綻の最大の原因はネットワークの急速な肥大化で、週1回の取締役会では分からなかった。報告されていたのは5億円以上の個別融資案件で、ネットワーク全体の話はなかったからだ。5億円以下の個別案件で、不正な資金繰りが行われていたようだ」
--木村被告は、どんな人物だったのか
「『おれは(旧安田財閥を築いた明治時代の実業家である)安田善次郎になる』といっていた。(既存の銀行のように)担保で貸すのではなく、企業の将来性を、経営者の人となりを見て目利きで貸したいといっていた。銀行経営で私腹を肥やすようなタイプではない。多くの問題を抱えていたはずだが、特段の相談はなかった。プライドが高いので、自分がやる以上『失敗した』といわれたくなかったのではないか」
--木村被告への信頼が崩れたのは
「5月に金融庁から一部業務停止命令が出た時点。『金融庁VS振興銀、木村剛』の構図を捨てて金融庁と一緒に徹底的に調べるしかないと、江上剛氏に社長就任を依頼し、体制をガラッと変えた。資産を洗い直した結果、大幅な引き当てが必要になるとは聞いていたが、1800億円以上の債務超過だったと聞いたのは、10日朝の臨時取締役会が初めてだった」
--振興銀が担うはずだった中小零細企業向け融資の担い手はどうなる
「メガバンクや信金・信組など既存の金融機関が、改正貸金業法の上限金利(15-20%)で融資するといった多様な金融商品を提供するしかない。金融機関がリスクを考え、高い金利を設定した場合、政府が利子を補給するなど公的なバックアップも必要だろう。預金のうちどれだけ貸出に回したかを示す預貸率を上げるため、メガなら70%割、地銀は60%といった目標値を設け、達成できない場合には説明を求めるなどの措置も有効だ」
引用元:yahoo ニュース
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--破綻の責任は
「痛恨の極みで、預金者および関係者の皆様におわびする。取締役会には、公認会計士など有識者もメンバーに入っており、週1回開かれていたが、木村被告に集められたメンバーで、金融通の彼に信頼を置くあまり、不正を見抜けなかった」
「振興銀は、平成16年4月の創業当初から批判されることに慣れてしまっていて、どんな報道が出ても『またか』とやり過ごしていた。深く反省している。社外取締役としての報酬は年間で最大400万円程度で、一部を返納することも検討したい」
--創業当時は中小零細企業の「救世主」と期待されたが
「私は中小企業経営者の出身で、東京青年会議所(JC)の理事長も務めたが、資金繰りにはさんざん苦労した。木村被告とは東京JCの会合で知り合い、中小企業のための新しい銀行を作りたいという思いに共感して、創業に参加した。今までにないミドルリスク・ミドルリターンの銀行をつくりたかった。IT投資をする余裕もなかったので、決済を扱わない定期預金のみの銀行とした。銀行免許の取得まで『期間が短かった』と金融庁を批判する声があるが、単純に審査項目が少なかったためだと思う」
--経営の歯車が狂い始めたのはいつからか
「最初はリスク分散のため、小口の定期預金を集めて小口融資をするビジネスモデルだった。だが2008年秋の米リーマン・ショックと、改正貸金業法による規制強化の影響で、行き場を失った、規模の大きい企業向け融資を次第に扱うようになっていった。ノンバンクからの債権買い取りを始めたのもそのころだ。振興銀の資産も増やせるし、ノンバンクの融資先だった中小企業も救えると考えた。債権の二重譲渡問題と敗訴は想定外だった」
--木村被告は、主要取引先で構成する「中小企業振興ネットワーク」で、飛ばしや迂回融資などの不正を行っていた、とされる
「破綻の最大の原因はネットワークの急速な肥大化で、週1回の取締役会では分からなかった。報告されていたのは5億円以上の個別融資案件で、ネットワーク全体の話はなかったからだ。5億円以下の個別案件で、不正な資金繰りが行われていたようだ」
--木村被告は、どんな人物だったのか
「『おれは(旧安田財閥を築いた明治時代の実業家である)安田善次郎になる』といっていた。(既存の銀行のように)担保で貸すのではなく、企業の将来性を、経営者の人となりを見て目利きで貸したいといっていた。銀行経営で私腹を肥やすようなタイプではない。多くの問題を抱えていたはずだが、特段の相談はなかった。プライドが高いので、自分がやる以上『失敗した』といわれたくなかったのではないか」
--木村被告への信頼が崩れたのは
「5月に金融庁から一部業務停止命令が出た時点。『金融庁VS振興銀、木村剛』の構図を捨てて金融庁と一緒に徹底的に調べるしかないと、江上剛氏に社長就任を依頼し、体制をガラッと変えた。資産を洗い直した結果、大幅な引き当てが必要になるとは聞いていたが、1800億円以上の債務超過だったと聞いたのは、10日朝の臨時取締役会が初めてだった」
--振興銀が担うはずだった中小零細企業向け融資の担い手はどうなる
「メガバンクや信金・信組など既存の金融機関が、改正貸金業法の上限金利(15-20%)で融資するといった多様な金融商品を提供するしかない。金融機関がリスクを考え、高い金利を設定した場合、政府が利子を補給するなど公的なバックアップも必要だろう。預金のうちどれだけ貸出に回したかを示す預貸率を上げるため、メガなら70%割、地銀は60%といった目標値を設け、達成できない場合には説明を求めるなどの措置も有効だ」
引用元:yahoo ニュース
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