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遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

明治の画家~田中保(たなかやすし)その1

2023年05月16日 | 絵画

デュランタが花の名前で、品種のひとつがタカラヅカのようだ。
綺麗で可愛い花・・・けれども写真を撮った所だけで、他所で見たことがない。
花言葉:「目をひく容姿」「あなたを見守る」「歓迎」。


明治の画家~今回は田中保(たなかやすし)ー明治19年生誕ー。
ただ、作品を探しながら書いてゆくので、何回になるか分からない。

なお、彼の同年生まれの画家に「藤田嗣治(ふじたつぐはる)がいる。
フランスに帰化してレオナール・フジタになった人である。
「猫」と「女」を画題にしてパリで有名画家(彫刻家でもあった)になった。
いずれ藤田のことも取りあげるつもりである。

「田中保の生誕」
彼が生まれたのは埼玉県岩槻市(今のさいたま市)。
旧岩槻藩の藩士の家系だが、彼が16歳の時に父が破産、一家は離散する。

「18歳で渡米}
埼玉の旧制中学を卒業後、明治37年、18歳の時に単身渡米する。
当時は日本から米国への移民が盛んな頃だった。
彼も新天地で自分の新しい人生を見つけたかったのだろう。

「画家への道」
渡米した時、彼は画家になろうなんて全く考えていなかったようだ。
また、絵の道に進もうと思ったきっかけや理由はわからない。
今でいうバイトで生活費を稼ぎながら、とにかく独学で絵の勉強を始めた。
が、独学では限界があると思ったのだろう。26歳の頃、オランダ人画家フォッコ・タダマの画塾に入学、画家の道を本格的に歩みだす。
タダマの絵を参考までに。
Fokko Tadama「海辺の親子」

「才能の開花」
彼には画家としての才能・センスが生まれながらにしてあったのだろう。
ほどなくタダマの塾で教師をしたり、自分でも画塾を開いたりした。
そして、個展を開いたり、サンフランシスコ万博に米国代表として出品して入選したり・・・知名度が上がっていった。

万博入選作「マドロナの影」(1915年~29歳)

「猥褻物陳列事件」
万博入選から2年、個展に出品した裸婦画が日本でいう猥褻物と当局から指摘され、作品の撤去を命じられた。(その絵は探索中)
しかし、田中は抗議文を書いて抵抗。その評判で個展の入場者がどっと増えたという。~当局と裁判沙汰になったのではないかと思うが調査中。

「米国人女性と結婚へ」
事件と同じ年、田中は裁判所判事の娘ルイーズ・カンと結婚。
彼女は詩人・美術評論家であり、田中の理解者、擁護者だった。

「田中夫人と猫」

C,C(チャールズ・チャップリン)」
田中夫人は、彼のことC,Cをと呼んでいたらしい。
今日の終わりを彼の自画像で締めよう。似ているかも・・・。

「田中保-自画像」

それでは明日またお会いしましょう。

[Rosey]