’70年代、よく聴いたLPレコードがムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル。
その音切れの良い演奏にも、ジャケットに書かれた指揮者の人物や人生にも興味を惹かれた。
ともあれ、ムラヴィンスキーのリハーサル風景を。
▶Evgeny Mravinsky rehearsal 14:17 by Anton Kaledin
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初めの部分に楽器のイラストが何枚か表示される。
共産党政府から自国製楽器の使用を強制された時、ムラヴィンスキーは、”良い演奏をするには外国製じゃないとダメ”と突っぱねたエピソードを暗示?
団員の女性ヴァイオリニストが後に述懐。
"入団した時は他人より少し上手く弾ける程度だった。けれど彼の指揮で演奏できたことで本物の音楽家になれた"
▶グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲 5:31 by classical-JP
★ムラヴィンスキー:1903/M06年-1988/S63年(84歳没)
貴族の家柄に生まれ6歳から音楽教育を受ける。
1917/T06年:ロシア革命が起き財産没収。1924/T13年:レニングラード音楽院入学、'31年卒業。
1938/S13年-全ソ指揮者コンクールで優勝。レニングラードフィル常任指揮者に就任。
1941/S16年ー独ソ戦開戦
1946/S21年ー"プラハの春音楽祭"出演という形で外国公演を始める。
1973/S48年ー初来日
▶ベートーヴェンー交響曲第4番 東京公演1973 31:36 by SPT (動画無し)
★人物エピソード
旧ソビエト政治体制に生涯通して疑念を抱き、共産党員にはならなかった。
米国公演の時、団員が1人亡命。自国政府から監督不行き届きと云われ反論。
"彼は楽団から逃亡したのではなく、共産党政府から逃げたのだ"
画面では厳めしく見えるが、周囲の人を笑わせるユーモアの持主だった。
来日時、天ぷらを箸で食べられずフォークを使って食べたという。
"箸は指揮棒のようにはいきませんね" "そうだよ。指揮棒は一本だからね"
日本についてこうも語っている。
"はじめは、文化果てる国に行くのだと思ったが、来日したら、ロシアのほうが最果てだと思った"
広島の厳島神社を訪問時の話。
"日本は11世紀からの文化を残していて素晴らしい。
私の国はロシア革命で古い教会・貴族の城館・イコンなどをすべて破壊した。
教養のない政府の国は滅ぶだろう"
最後に長い動画だが、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの50年史。
▶The 50 years History of Mravinsky and LPSO 1:00:04 by Harmolipi
今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。 [Rosey]