三沢さんの人柄とプロレスの根強い人気。お別れ会には徹夜組を含め、予想を大幅に上回る2万5000人が詰めかけた
ありがとう、そして、さようなら-。6月13日の試合中に頭を強打して急死したプロレス団体「ノア」の社長で、人気レスラーだった三沢光晴さん(享年46)のお別れ会が4日、東京・江東区のディファ有明で行われた。「DEPARTURE(旅立ち)」と銘打たれた献花式には関係者約1000人に加え、予想を大幅に上回る2万5000人を超す一般のファンが詰めかけた。それぞれの胸に残像を刻み、箱舟のヒーローが天国へ旅だった。
人、人、人…。有明が人の波で埋め尽くされた。ノアにとっては、原点であり聖地。9年前、旗揚げ興行を行ったディファ有明に向かって、三沢さんを偲ぶ追悼の大行列ができた。
三沢さんの人気を示すようにファンは前日夕方からの徹夜組が列をつくり始め、この日の午前9時には約300人が集まっていた。正午すぎには、最寄り駅のゆりかもめ「有明テニスの森」駅まで献花を待つファンが集結。さらに、おくりびとが手前の「市場前」駅を越して、会場から約2.4キロも離れた晴海大橋に到達しようとしたころ、関係者によるお別れ会がスタートした。
会場には遺影が掲げられ、追悼のテンカウントゴングが鳴り響く。祭壇の前にはリングが設置され、三沢さんのテーマ曲「スパルタンX」が流された。
実行委員長を務めたノア・百田光雄副社長(60)は、ビッシリと埋まった約700の来賓席を感慨深げに見つめながら、「1人でも多くの人に三沢社長をおくっていただきたかった」。リングアナウンサーがGHCベルトを巻いた等身大の三沢さんの遺影へ向かって「赤コーナ~、250パウンド、三沢光晴~!!」と絶叫。すすり泣く声も聞こえた。
一般献花が始まると、リング周辺に置かれた机は、みるみる色鮮やかな花々で染まっていく。机だけでは収まらず、レスラーだけが立つことを許されるリング上も開放された。投げ込まれる献花で、リングはすぐに花で埋め尽くされた。
当初、ノアが予想していた5000人をはるかに超える、2万5000人以上の老若男女が足を運んだ。約30人の警備員が配置され、最後尾から献花まで約3時間かかるため、所轄の警視庁・東京湾岸警察署から進行を早めるよう促される一幕もあった。一般献花は午後6時までの予定だったが、急きょ延長。5日の選手会興行に備え、午後7時半にディファ有明内の献花台は撤去されたが、入場できなかったファンのために、会場前に急造の献花台も用意された。
百田副社長によると、三沢さんにかわる社長人事は早急に行うとし、体制が固まるまでは、8人の役員による合議制で運営していくという。12日には次期シリーズが開幕し、8月下旬まで興行が組まれている。
「プロレス界の大事なリーダーだった。団体を問わず、ノア、業界を含めて強く生きていく」。同世代のマット界を支えたライバル、新日本プロレスの蝶野正洋(45)は、三沢さんが目指したプロレス復興の遺志を受け継いでいくことを約束した。
失って改めて知った故人の人柄とプロレスの根強い人気。統一コミッション設置、プロライセンス制度導入など団体の壁を超えて一つになろうとしている日本マット界。天国で見守る三沢さんの死を、決して無駄にはしない。(サンスポ)