アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

暴動広がるケニア、国連機関など人道危機を警告

2008-01-08 | ~2012年まじめ系の日記
ケニア人の友達、Willson からメールが返ってきた。

どうやら選挙時には故郷に帰っていたため無事だったらしい。。。
昨日ナイロビに戻り、仕事を再開しているという。


はぁ・・・

ケニアで暴動だなんて。。。



中央アフリカの中心でもあるケニアに行ったのは、大学に入って1年目と2年目の初春。想像以上に広大な大地と、「部族」に刻まれた誇り、その奥深さに衝撃を受けた。
Willsonは当時私たちのツアーガイドをしてくれた男性。たった4人の無防備な老若男女を、エコツアーの名の下、マサイ族が住むマサイマラ(その他クリクリ村)からサファリスポットまで安全に導いてくれたのだった。

ナイロビは、国連事務所や日本のJICA・各研究機関などが拠点を置く重要都市。
先進国の大都市や上海香港などには及ばないが、高層ビルや高級ホテルも整然と立ち並ぶ。歩いている人は皆肌が黒く、当たり前ながら異国情緒たっぷりではあるけれど、そんな景色も3日見続けていれば違和感がなくなる。・・・そういえばガススタのMobil がKobilになっていて、「なぜ?」という素朴な質問にWillsonは「今(当時)のMoi大統領のスペルとかぶるからだ」と真剣な表情で説明していた。
そんなチャーミングなお国柄。


今回の大統領選挙に伴う暴動は、西部地域で緊急支援を要するほどに拡大しているという。
・・・西部といえば、私が訪れたマサイ族の村があるところ。ニュースに出てくる「キクユ族」という名前も、旅の途中で耳にした記憶がある。


 思い出が甦る。
    彼らは皆、大丈夫だろうか・・・・・。


Willson からのメールにはこう記してあった。
“僕たちはただ平和を祈っている。君も知っているこの美しい国は、権力争いをする政治家のせいで崩壊なんかしたりはしない。市民は皆、彼らの勝手な関心事に苦しめられたくはないんだ。”(自己翻訳/解釈による)


どうかケニアの混乱が一日も早く治まりますように。。。
これ以上の犠牲者と未来への暗雲が広がる前に。。。どうか。。。。。

「努力すれば必ず実る」は本当か!?

2008-01-08 | ~2012年たわごと
先日、とある面白い新年会がありまして。


県内で多方面に渡り「浅く広く」活躍されているteraさんプレゼンツ、異業種の垣根を越えた交流を!との呼びかけに、彼を慕う総勢80人が集まりました。

昨年末に仕事を通じてteraさんに出会った私は、今回が初めての参加。ほとんど誰も知らない宴席で、心細く乾杯の輪に加わりました。



そこで、宴が進むにつれ、こんな出会いがあったのです。

私の隣に座っていらした、秘かにJA改革を推し進めている元企業マンのK氏。自らNPOも立ち上げ活動しているやり手の熱血家です。

彼が言いました。
「だいたいね、人間誰しも、やってできないことは絶対にないんですよ。」

彼は、”不満ばかり並べて何もしない人たち”に一言申したい!と言わんばかり。
「勉強ができない、頭が悪いから・・・という人は、本当に死にものぐるいで勉強したのか?というと、していないですよ。」
「はあ、そうかもしれないですね。」
「寝る間も惜しんで必死に勉強して、それでも成績が上がらないなんていうことはまずない。」
「でも運動はどうですか?例えば走るのが遅い子がどんなに頑張って走っても、一番にはなれないですよね。」
「そんなことはない。いくら走るのが遅くても、体質改善から走り方のトレーニングまで本気になってやれば、必ず速くなります。そこまでしたのか?っていうことです。」

彼はどこか誇らしげで、瞳の奥にはメラメラとした闘志が散らついています。

「身体が不自由な人だって、五体不満足の乙武さんのような人より軽い障害を持つ人が、何かと生活苦を訴える。アフリカで水も食糧もない人たちに比べれば、日本にいて不幸なんてことはないはずなんですよ。」


私は突如、眉をひそめました。

「でも、それは強い立場の人のものの見方だと思います。物事がうまくいくかどうかには、運もあるし才能もあるし、それまでにどんな人に出会ってきたかにもよるっていうか・・・。Kさんだって、最初からそういう考えを持てたわけじゃないでしょう?」
私は更に続けました。
「それに、日本に生まれた人とアフリカに生まれた人を単純に比較してもしょうがないですよ。確かに日本での生活を嘆いている障害」


・・・なんて強靭な人なんだろう。
こんな人が国民の半数以上いれば、今頃日本はバラ色だ。