アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

恋するようにボランティアを!

2013-05-30 | 災害ボラ活動

某医療系の雑誌に寄稿したコラムを転載します。

先日、発行された誌面がうちに届いたので、もう載せても大丈夫と思うので。

     ♦

「恋するようにボランティアを!」

 東日本大震災で、ものすごい数の老若男女がボランティアに目覚めました。私はRQ市民災害救援センター(現在は一般社団法人RQ市民災害教育センター)という団体でボランティアの後方支援をしていましたが、そのあまりの勢いに圧倒されて途中でお手上げ状態に…。半年以上たってようやくエネルギーを取り戻し、今は内容を変えて“ぼちぼち”やっています。

 「ボランティア」というのは、恐らく人によって捉え方が違うでしょう。もともとの英単語は「自発的に申し出る」という意味で、イギリスに留学していた時は「Someone volunteer?(誰かやってくれる人いないの?)」と先生がよく声を張り上げていました。

 しかし日本において、「ボランティアとは何か?」を議論するのは、「恋愛とは何か?」を問うことに似ているような気がします。つまり、答えは十人十色でいい。特に社会人のボランティアは、大人の恋愛よろしく、いろんなカタチとやり方があって然るべきだと思うのです。

 いったんそのように考えると、共通点がどんどん見えてきます。たとえば、自分から積極的に出会いを求める人、偶然と直感を楽しむ人、じりじりにじみ寄っていく人、なかなか一歩が踏み出せない人、短期集中の情熱派、自分の生活は決して崩さない計画派、つい夢中になりすぎて泥沼に陥る執念派…。そうしたタイプ分けは、「ボランティア」と「恋愛」で意外と一致するかもしれません。ちなみに私は熱しやすく冷めやすい傾向があるので、どちらも要注意だと自戒しています。

 ボランティアを「趣味」にカテゴライズする人がいますが、私は違うと思います。確かに仕事ではないので誰かに命令されてやるものではないけれど、ボランティアには最低限の責任感が要る。また、たとえ無償でも、自分さえ良ければいいという人はボランティアに来てもらっては困ります。恋愛でも、相手への思いやりがあればこそ、深く充実したものになり得るのではないでしょうか。

 一方で、ボランティアなら許されることもありそうです。それは、浮気。恋人の掛け持ちとは違い、ボランティアなら、自分に合う団体や関わり方が見つかるまで堂々と多足の草鞋を履けば良いのです。

 そして忘れてはいけないのは、どちらも最初は下心があっていいということ。せっかく時間とお金を費やすのですから、それに見合うだけの満足感を何が何でも得てやるぞ、くらいの勢いがちょうどいい。そのうち惚れ込んで、身も心も捧げることになるかもしれませんから。

 始めるも終わらせるも自分次第。だけど、たとえ失敗しても経験豊富な方が、学び多き人生を送れるのではないかと思います。(終)

     ♦

 

 編集者さんによると、東北のボランティアで、酸いも甘いもいろんな思いをした人がいるそうです。なかなか続けられないと自責の念にかられているお医者さんも少なくないのだとか。

「いいんですよぉ~、自分ありきで考えれば!」と大きな声で叫びたい。

ほんと、「ボランティア」という言葉が「恋愛」と同じくらい、市民権を得られたらいいのにな。
「最新のボランティア事情とボランティアテクニック、さらにアッと驚く体験談の数々をご紹介♪」… みたいなサイトが乱立したら。

…あんまり楽しそうな響きではないかもね。

固有名詞の変更が必要かも。

 


馬の神様にホタル舞う

2012-07-06 | 災害ボラ活動
先週から急遽、RQに来ています。
臨時事務ヘルプで約10日間のステイ。

被災地ボランティアの「今」はどうなっているのか?
…と思われる人は多いでしょうけど、これがなかなか上手く説明できなくて、我ながらはがゆい思いです。

被災地自体の景色は去年とあまり変わっていなくて、
たまに社協のボランティアが大勢で清掃作業をしてるのを見かけます。

RQはというと、そうした「いかにも災害ボランティア」の活動は少なくなって、
今は、農地再生(石ころ拾い)・こどもの遊び場管理・夏キャンプの準備などなど、各RQ拠点団体が独自に活動を展開→そこに直接ボランティア参加を申し込む、という流れになっています。

それで、現時点でいう「事務局」とは、宿泊に関する事務・管理の仕事。
去年は毎日100人以上が寝泊まりしていた旧鱒淵(マスブチ)小学校の校舎を、今は1泊1500円で滞在可能にしているのであります。
もちろん、去年の上半期のような体育館でテント張りスタイルではなく、教室でマット&布団で雑魚寝スタイル。
食事は2食、なかなか栄養豊富な食事が出るし、シャワーも完備されているので、まぁ、1500円はおトクでしょう。

で。

事務で来てるのに事務仕事が苦手な私。
料理も苦手。
早寝早起きもツライ。
掃除は一応がんばりますけど…。

…とダメダメだらけの私の元に、「パソコン教室やってくんねか?」という話が来ました。
去年8月まで、ココ旧鱒淵小校舎で避難生活をしていた中瀬町地区の区長さんから。
「いいですよ~!」と水を得た魚のように二つ返事して、早速仮設集会所に飛んでいきました。


(中瀬町地区の仮設集会所)

ちなみにワード/エクセルは全く得意ではないけれど、基本的な操作くらいなら教えられるもんね。
この「基本操作を教える」という難しさを、後にほとほと痛感することになるのですけれど。

          ♦

それでですね、本題はこれから。
この中瀬町の人たちと、昨日、「ホタル交流会」なるものを開きました。

車で45分ほどの場所にある仮設住宅から鱒淵小に来てもらい、去年を懐かしんでもらいながらホタルを鑑賞しようという企画。
鱒淵の地元の人の提案にRQが協力したという形です。

そして当日。
中瀬町の人達15人を迎えに行くと、皆さんすっかり遠足気分で盛り上がっていらっしゃる。
まず鱒淵小近くにある華足寺(けそくじ)にお参りして、そこの馬頭観音にまつわる話を聞き、去年よく散歩に行かれたという近くの公園に寄ってから小学校校舎へ。
皆さん口々に「なつかしいねぇ~」「ここも来たよぉ」「車だと早いねぇ」などと話していました。








ちなみにちなみに。
この華足寺は、馬が交通手段として貴重だった頃に栄えたお寺。
なんと807年に坂上田村麻呂が建立したのが起源で、明治時代の春の例大祭には、関東~東北から5千頭もの馬が曳かれて来たんだそうです。

地元の人いわく、
「今は馬が少なくなったけども、馬は健康な足の象徴だもんでね、これからは「健足」と「交通」の神様としてアピールしていきたいと思います」とのこと。
何はともあれ、ウマ好きにはたまらん、必見のお寺です。

           ♦

もうひとつ、この地域で有名なのがホタル。
源氏ボタルが見られる北限の地で、国の天然記念物にも指定されているほどです。
先週がちょうどピークだったようですが、今年は寒かったために数は少なめだったみたい。残念。


(シーズン中は毎日、保存会の人達がホタル数を数えている!)

それでも、中瀬町の人達が川辺に着く頃には雨も上がり、淡い光の粒がちらほら…。
皆さん思いのほか大喜びして、傘でホタルを捕まえる人、ホタルを追いかける人など、同行した私の方が嬉しくなる程の盛り上がり。中には、去年は皆と別の地域に避難していたからホタルを見られなかったという人もいて、「念願のホタルが見れてよかったねぇ」と話していました。

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そんなこんなで楽しい時間を過ごした中瀬町の人たち。
帰りの車中も上下(かみ・しも)いろんな話が飛び交い、車が揺れるほど大笑いしながら仮設住宅に帰りました。

その会話の一部はこんな感じ。
(助手席の人)「意味わかるかい?」
(私)  「いや、分かりませんねぇ」
(助手席の人)「ほら、運転手さんが何言ってるか分からないってよー」
(後ろの人)「分からない方がいいっちゃー(笑)」
(助手席の人)「なんて通訳したらいいんか…」
(後ろの人)「いわゆるシモネタってやつよー(笑)」

実際、地元の人同士が方言で喋っていると、聞き取れるのは3~4割程度。
まるで外国語のように聞こえるその会話を、同じように喋りたいなぁ~、一緒に喋れたら楽しいだろうになぁ~と指をくわえる思いで聞くのは、ある意味ヨソモノならではの愉しみです。
なぜって、言葉が分からないと想像力が働くからね。
皆さんの表情、言葉の投げ具合、空気感、そういったものをぼんやり眺めるのは、とても微笑ましくて楽しいものです。


それにしても、4ヶ月以上を一緒に避難生活した中瀬町の人たちは、実に一体感がある。
以前は、町の外れに住んでいた人たちは特に、町内会との接点はあまりなかったそう。しかも新興住宅が多い地域らしく、もともと農業や漁業で共同作業をしていた訳でもありません。
にも関わらず今の状況になれたのは、なんとしても地域ごと同じ避難所に移ろうと努力された区長さん達のおかげでしょう。そして仮設住宅も、集団移転も、「みんなで一緒に」を第一に行政との交渉など進めてきました。

「みんなの顔を見るだけで安心すんだよねー」

助手席に座っていたSさんが、しみじみと言った言葉です。


つらい時こそ、手をつなごう。




編んだもんだらビデオ完成~

2012-04-04 | 災害ボラ活動
先月撮影したRQWエコタワシの動画PV、こんな風になりました。
http://youtu.be/Bkr2-VKiYro
(埋め込みがなぜかうまくいかないので、URLで…(涙))

撮影のとき、最初のインタビュー右側に映っている高橋和子さんに大量のメカブ料理を食べさせていただき、さらにワカメ漁にも連れてってもらって感謝感激だったのね。
そのワカメ漁の動画も早く編集して、「こんな風になりました!」って早くDVDを郵送したい。

それにしても動画編集は自分の感性が試される…。

ボチボチでもやり続けること、磨き続けることが大切だな、と実感。

人生はマラソンなり。

RWQの新ウェブサイトはこちら→ http://rqwomen.net/

宮城のお母ちゃんに出会うの巻。

2012-03-15 | 災害ボラ活動

先週、久しぶりに宮城県に行きました。

 

1年忌だからという訳ではなく、再びご縁をいただいたから。

以前ボランティアしていたRQの仲間からビデオ撮影を頼まれて、「よっしゃ!」ってことになったのです。

あれから随分長い間「充電切れ」の状態だったけど、さすがに充電は完了。
しかも今回は、いま流行りの「プロボノ」ってやつ。つまり専門分野でボランティア=“積極的”タダ働きなのあります。

 

 

8ヶ月ぶりの被災地は、まず、そのあまりの変わってなさに驚いた。

正直、これほど変わってないとは思わなかったから。

 

現地コーディネイトをしてくれた仙台出身のAさんが、運転しながら何度もつぶやいた。

「なんでこんなことになったんやろうねぇ…」

「私ら何か悪いことしたんやろうか…」

「今でも、朝起きたら全てが悪い夢だった…なんてことにならないかって思うのよね」

 

1年も経った今になって、そうした言葉が彼女の口から出てくることに私は戸惑っていた。
1年前は、あんなにハツラツと走り回っていたのに。 

「大地震が来ることは想定していたんだけど…、第一、以前はこんなに海が近いなんて知らなかったのよ。間に建物がいっぱいあったから」

そうか、思えばそりゃそうだ。街中でさえこんなに視界が広いなんて、フツーじゃない。

凄絶な景色やモノにばかり気を取られていた1年前と違い、妙な違和感を感じるのはソコだったんだ、と納得した。 

そしてここに暮らす人達は、正気を取り戻すにつれその妙な風景が痛く、深く沁みていくんだろうなぁ、ということも。 

 

彼女をはじめ、RQの一部の人たちは「RQ被災地女性支援センター(通称RQW)」という別団体をつくって活動している。

仮設住宅に住む女性に毛糸や端切れ布を提供し、皆が集まってワイワイ手作りする場をつくること。また地域によっては、RQWが考案した商品を編んでもらって販売すること。—そうしたことを支援の柱にしている。

 

RQWの詳細は明日のビデオ編集に託すとして、ここでは現地での「出会い」をひとつ。

 

 

この海の真向かい(写真を撮っている位置)に、高橋さんのお宅はある。

本当に堤防のすぐ傍、海から30mほどしか離れてないところに家を再建したそうな。
高台にはなっているものの、高潮になると家の前の道が冠水してしまう程の場所。
そこで2人の息子と仮設住宅から呼び寄せた両親の6人で、細々と漁業を再開している。

 

その高橋さん家族に、私はAさんの紹介でインタビューさせてもらうことになった。

 

「今ほしいのは、モノじゃなくて知恵なんですよ」

「25年間積み上げてきたものが全部なくなった。それをいかに早く取り戻すか。そのためには、お金も必要だけど、前に進むための力、エネルギーが要るんです」

「海を離れるっていう選択肢も考えたんですよ。でも被災してすぐに家族で話し合ってね、そしたら父ちゃんが「漁業以外に俺は使いもんにならん」って言ったの」

 

後継ぎの息子さんからも、母の和子さんからもたくさんの言葉があふれた。その9割9分はビデオに収められないタイミングで私は悔し涙をのんだのだけれど、そんなことは取るに足らない些細なこと。

なぜって、このタイミングで撮影できなくても、私は必ずまたココに来るな、と予感できたから。

こういう直感はとっても大事。

 

つまり私は高橋さん一家との出会いによって、「ボランティア」としてではなく、「仕事」としてでもなく、ただ彼らに会いに再びここに来たいと思えるようになった。

多分、ここに残って活動している長期ボラの人たちや、毎月通ってきているリピートボラの人たちも、同じ「出会い」によって自然と足が向いているんだろうと思う。

 

「ボランティアって何?」とよく聞かれる(もしくは聞いているのを聞く)けれど、それはねぇ、独りでやり続けられるものでは決してないと思う。

もちろん、古き良き社会奉仕活動でもなければ、偽善…じゃなかった慈善活動でもない。

英語のVolunteer=自ら挙手して行う活動というのが正しいといえば正しいのだろうけれど、それだけでもない気がする。

 

今の自分の感じからいえば、「人との関わりにおいて心が動かされて自ら行動すること」みたいな感じかなぁ…。

心が動かされる誰かとの出会い、心が動く自分の感性、そして自ら行動できる状況、そういったものが合わさって初めて成し得るんじゃないかと思うの。

少なくとも正義感だけでは私には無理…と思う。激しく必要性に駆られた初期の災害ボラを除いては。 

 

だから今回は「出会っちゃったなぁ~」と、ちょっぴり複雑な幸福感を胸に抱きながら帰ってきたのであります。

今年は再び、夜行バスに揺られる日が増えるかもね~。

 

それでも早く宮城のお母ちゃんに会いに行きたいと思っている私は、やはり幸せ者なのだ☆ 

 

 


ボランティアコーディネイターという最もキツいボランティア

2011-04-01 | 災害ボラ活動


・・・ようやく、一息つけるようになりました。

ふうぅ。。。。。


この1週間、脳みそ使い過ぎ。気も使い過ぎ。自分の能力を超えて、いろんなことを引き受け過ぎでした。


しかしその結果、無事「RQ市民災害救援センタ―」の独自HPが立ち上がりましたのでお知らせします。

http://www.rq-center.net/


もちろん私が制作した訳ではなく、マスコミ関係のプロでつくっている広報チーム(皆さんボランティア)の方々のご尽力の賜物です。
これで、RQって何?というのが、以前よりも分かりやすくなりましたね。


私は何に忙殺されていたかというと、彼ら(広報チーム)と東京本部の繋ぎ役。
および、東京本部内の仕事の引き継ぎ。
および、ボランティアへの仕事の割り振り。
および、宮城県にある現地本部から情報収集するためのシステム構築。
          などなど。

毎朝9時に家を出て、終電で帰り、夜中の3時までメールチェックして・・・という状態でした。


しかし、おかげ様で色んなことを学びました。
だからこのブログに書きたいことがいっぱいあった。けど、その余裕はなく、どんどん時間に流されていきました。

一言でいうと、それは “他人(ひと)に仕事を任せる素晴らしさと難しさ” ですかね。


“素晴らしさ”という面では、感動したことがいっぱいありましたよ。
たとえばコレ。↓


先週末に来てくれたボランティアさん(教師)が、(恐らく私がボランティアに対する説明が下手&不十分なのを見て)誰でも簡単に概要と仕事内容を教えられるオリエンテーション用紙芝居を作成してくれました!

すごーい!!!


他にはコレも↓


(恐らく、あまりに混沌としている東京本部の様子をみて)NPO経験が豊富なボランティアさんが、必要な仕事内容と伝達事項が一目で分かる掲示板をまとめてくれました!

すごーーーーい!!!!!


・・・そんなこんなで、1週目はエイヤーで回していた東京本部も、2週目は新しく来られた皆さんの力で、少しずつ体制が整い始めました。(言い訳をするならば、1週目はあまりに現地の状況が変わるために整えようがなかったのです(涙))


で、“難しさ” というのも一方ではありまして・・・。

それはもう、このブログでは書けない程です。

とはいえ簡単にいえば「上手く仕事を割り振らないと、善意が不満に擦り代わる」ということで、その「上手く仕事を割り振る」というのが、簡単なようで全然簡単じゃないのです。。。
しかも現地のニーズや状況は日々変わるんだし…、ボランティアに来る人も毎日変わるんだし…、それで人数がドッと増えた日にたまたまの事情で仕分け作業がストップになったりすると、こりゃもう人手あまたになりますがな。。。

で、つぶやかれる。。。。。


ボランティアを受け入れるというのは、だから本当に難しいです。
しかも受け入れる側にいるのもボランティアなんだから、もうどうしようもないね(苦笑)

本当は、ボランティアってのは、嫌になったり嫌な思いをしたら、さっさと止めりゃいいんです。それだけなの。
本来ボランティアは誰かに頼まれてやるんじゃなく、自分で挙手してやり始める行為なんだから、誰にも責任はないし、誰かを責めることもできない。自己完結する(現実を認めて納得する)しかしょーがないじゃないの。

だからせめて、つぶやかないで。。。 と言いたいね、私ゃぁ。。。


しかし、とはいっても、ボランティアを集めておきながらコーディネイトできないのも問題です。これからはちゃんと、ボランティアコーディネイターを育てなきゃならん。ボランティアで・・・。

・・・あぁもう~!!! 

この「ボランティア」って言葉、どうにかならんかね!?!?


(※こうしたことはRQに限らず、どこの団体でも生じている、「つぶやく時代」にあって極一般的な課題です。だからこそ、「何かしたい!」人たちの熱い思いで動かしているボランティア団体の内情を、少しでも理解してほしいと私は思います。
尚、これは被災者の方々へ直接影響を与える問題ではありません。)

またまた中途半端な報告

2011-03-24 | 災害ボラ活動
今日も一言のみ。

ボランティア派遣をしている東京事務局のこのバタバタ振りは、刻々と変化している現地(宮城県の被災地)を反映するように、センタ―設置から約1週間が経った今も忙殺を極めています。

てんでわやわや。。。

そして私は今日も、よく分からないブログ内容しか書くことができない・・・。

なので詳しくはこちらを。
http://www.ecotourism-center.jp/


大規模支援ではなく、小さな地域を復興・支援するということは、そういう所を発掘しないといけない訳で、それがどういうものかという具体的な想像は、私も全くできていません。
それは現場にいかないと分からないんだろうな。

後方支援に回っている私としては、現場を見れない残念さはあるにせよ、縁の下の力持ち気分で頑張っておる次第です。

明日は現場のスタッフ達が1週間ぶりに帰ってくる日。
全体会議が開かれて、今後の動きがつくられます。




「連携」の具現化に感動(中途半端版)

2011-03-23 | 災害ボラ活動

大変なことになっている。。。

あわわわわ


昨日はメディア関係で活発な社会活動をしている人たちが集まり、大きなミーティングを開いた。
で、今いるところは「RQ市民災害救援センタ―」と名前を変え、日本エコツーリズムセンタ―だけではなく、他団体や組織と広く連携しながら活動していくことが決定。そのPR方法を、プロフェッショナルな視点でどんどん発案、整理していくという場に居合わせることができた。

それが凄かったの。

「繋がる」とか「連携」とかいう言葉は、もうウンザリするほど叫ばれているけれど、なるほど、それはこういうことだったのね!という感じ。


・・・しかし今日はもう寝なければ明日カラダが持たないので、明日の夜にでもまた報告します。



今日も今日で、カオスな事務局で一人ヒイヒイと雑務をこなしていました。

全く、自分はもうちょっと仕事のできる人間だと思っていたのに・・・(ちょっと自嘲気味)
しかしそんな弱音を吐いている暇もないのだ。
できること、すべきことを、どんなに小さなことでも自ら探して動かないとココには居られない感じです。


取り急ぎ・・・中途半端ですいませんね、また明日書きます。
おやすみんこ

救援活動の応援を開始!!!

2011-03-20 | 災害ボラ活動



がんばれニッポン!ってことで、昨日から早速やっています。

日本エコツーリズムセンタ―は他のNPOやNGOとも連携して、「災害救援東京本部」という看板を掲げて活動していく予定・・・というか活動しているんですね。はい。

急に慣れない勤務体制(?)でボランティアに入り出しましたもんで、少々、脳の回路が混線してます。。。


そして事務所もまさに、カオス状態。 アジアです。

というのは、大々的に救援活動し始めて今日が2日目なので、やることがいっぱいあるの!すごくいっぱい!
たとえば、今日は続々と集まってくる救援物資の、仕分け作業のためのシステム(流れや方法)を構築しました。(これで明日以降は楽になるはず・・・)
昨日は続々と送られてくるボランティア登録等の申し込みメールに返信。(これもメールソフトに今日ようやく慣れたので明日からは楽なはず・・・)
明日は多分、広報の仕方とか情報の整理とか、そういうのをきちんとすることになるのかな、と思います。

いやはや、救援活動に参加するのって初めてなんですが、すごいね、このフロー感。流される感じ。





一番感じたのは今日最後の打合せでした。
仕分け作業は、同時に何がどこにどれだけあるということを把握しないといけないので、大きなホワイトボードや紙等に中身をいちいち書いていかなくちゃならないんですが、なんせ物品の種類が多いので、やればやるほど部屋が騒然となるんですね。蓋が閉じられない中途半端な段ボールも散乱するし。
それをどうしようか、ということを作業しながら随時相談、改善していたんですが、最後の打合せで皆が集まって話している内にそのシステムというのはどんどん出来上がっていきまして・・・。

その様子をリアルに説明しようと思うと時間かかるので止めますが、とにかく私は一言、
「日本人ってすごーい・・・」
と感嘆してしまいました(笑)

これが他のアジア諸国だったら、多分、延々と煩雑なままなんじゃないの。


誰がリーダーシップとるでもなく、皆が皆でまとめ上げていく(しかもほとんどが今日初めて会った人ばかり!)・・・すごいね~、ほんとに。
アフリカでも「日本人は強い、文句も言わずに黙々と歩くのは日本人だけ」と褒められたことを思い出します。

やはり、我々は逆境に強いね、相当。


明日も朝から事務所に行きま~す。
一昨日まで三年寝太郎な生活だったのに、ウソのように勤勉ヤロウになってしまった!

これも何かのお達しですな。

どうか丁寧な土葬を・・・

2011-03-18 | 災害ボラ活動
・遺体の扱いに自治体苦悩…火葬進まず、保冷困難
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000001-yom-soci


私が関わっている団体「Kids' AU(こどもたちのアジア連合)」の代表・村上さんから今朝電話があり、今後の救援活動について打合せをしました。
私自身は早速今日から、日本エコツーリズムセンタ―の東京事務局で雑務の補助の入ります。

それはそうと。

村上さんから「遺体の扱いが非人道的だ!大変だ!」という話を聞き、あまり実感できないまま「そうなんですかあ」と答えた後にネットを見ると上記の記事が。

うわ~ そら大変だ・・・

ということでリンクします。
「それより今生きてる人の救援が最優先なんじゃ?」と思われた方は読んでください。


今後の方向性としては、
☆日本エコツーリズムセンタ― → 孤立している地域を探し出し、救援体制をつくる
☆同事務所(市民災害救援本部) → 問合せ対応、ボランティア派遣、情報発信等
☆Kids' AU → アレルギーのある子どもへの食事支援(他団体の活動応援)
      → 孤児や難民化する子どもの長期受け入れ体制を整える
      → 亡くなった方々を弔うため、お坊さんの有志グループにお経を読んでもらい、その映像をネット配信する(現場は混乱を来しているため、思い付く限り、できる限りの供養をとの思いからです)


ちなみに、「土葬は衛生的でない」との知見には、私は疑問です。
初めて土葬を目の当たりにしたのはスリランカ、次いでマレーシアですが、土葬か火葬かということよりも、何よりきちんと弔いをすることが大事なんです。日本だってずーっと長い土葬の歴史があることなんだし。

それで、こんなところで不謹慎かもしれませんが、何年か前(といっても10代の頃)に「私が死んだら土葬にして」と父親に唐突に頼んだことを思い出しました。
父親は「そんなことしたら俺が警察に捕まる」とジョーダンのようなことを言っていましたが。


津波の苦しみを味わった何百人、何千人という方々が、ほんの少しだけでも眉間の皺を緩めて天に上がっていかれますように、今は祈ることしかできません。


情報が増えているのか、収集力のせいか

2011-03-17 | 災害ボラ活動
随分と整理されたニュースが流れるようになってきています。
もしくは、自分自身がようやく新しい情報を求める気になってきたせいでしょうか。

いずれにせよ、情報がここまで溢れ返っている時代に、必要なものを自らピックアップしていくのは結構な精神力が要るものだなあと改めて感じます。
そしてその気が起こらない“放心状態”ってのは、結構長く続いてしまうもんですね。。。


まず、救援物資の郵送について、「各自治体が集めて自衛隊が運ぶシステムを構築している」とのニュースを今日聞きました。
なるほど、確かに被災地以西でも運輸の混乱は既に深刻なのでしょう。
さすがシステム王国・ニッポンですね!素晴らしい。


その他は、恥ずかしながらニュースに激疎なので(テレビもないし…)、一般的にどういうニュースが既に「そんなの知ってるよ」レベルになっているか全く分からないのですが、以下、ネット上で見つけた海外に関するニュースを少しだけリンクしますね。ご参考までに。(あまり探し切れてなくてスミマセン)


・中国人研修生20人を助け…津波にのまれ不明の日本人に感動の嵐
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110317/chn11031718110006-n1.htm


・フィリピン=放射能デマで混乱
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110316-00000150-jij-int


・中国、日本人の冷静さを絶賛 「マナー世界一」の声も
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110312/chn11031219080002-n1.htm



欧米の大使館関係者は、こぞって地方や他国に避難しているようです。
旅行者/留学生などにも関東を離れるよう呼び掛けているそうで。

しかしコレ↑は今週始めに私の元にメールで流れて来た情報と同じで、コレによって同日私は放射能漏れの恐怖に陥ったわけなんですが、よくよく冷静に考えてみれば、もし事件が他国で起きたなら、その国の日本大使館も同じように緊急避難を広く呼び掛けるんだろうな、と。

なので今は、都内や神奈川県内で毎時測定されている放射線量の公表データをチェックして、外出しても大丈夫かどうかを判断しています。


それよりも、寒いっ。。。。。

3月半ばにこの寒さって、フツーなの????? と叫びたい。


自家発電、自給自足、…そういうのの重大さを身に染みて感じています。



ps.さっき、ネットに分かりやすい記事が掲載されたのでリンク載せま~す。
「勘」を貫けずに失態に向かう「菅」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/497365/

多言語ニュースはラジオから。

2011-03-16 | 災害ボラ活動
毎日、いろんな感情を味わいながら過ごしています。

日本が全体として、比較的パニックにならずに冷静な行動を呼び掛けあっている点が、海外で高く評価されていますね。
都内の混雑ぶりは凄まじいようですが、それでもバスの天井に登ったりする人は一人もいないし、地下道でも押し合いへし合いするのではなく、皆がゾロゾロと諦めモードでゆっくり流れているそうです。
こういうのはやはり、「観念」という仏教的な価値観が作用するのでしょうか。


もう少し、もう少し現地でハード面の復旧が進めば、ワーッとボランティアが駆けつけられるのだろうと、多くの人がそればかり、明日か明日かと待っているのでしょうね。そのパワーを思うと、無性に日本人でよかったな、と感じます。すごいね、この連帯感。


今さらですが、家ではずっとInter FMを聞いています。
今もまだ、全国放送になってるんじゃないかな。

震災以前からそうですが、Inter FMは多国語放送に力を入れているみたいで、通常の番組でも英語はバンバン、加えて中国語、韓国語、フィリピン語、ポルトガル語などで突然ニュースが流れたりします。
英語に関しては、日本語訳が曖昧だったりするから、本当にバイリンガルな感じ。もちろん日本語の割合いが圧倒的に大きいですが。

http://www.interfm.co.jp/

その多言語ニュースを聞いていると、意味は分からなくても穏やかな気持ちになる。。。私はただの暢気者でしょうか。
不安に駆られている外国籍の人たちが、ラジオに耳を澄ませている姿を思い浮かべています。


昨日は1日、放射能漏れに関して流れてきた裏情報に翻弄され、独りアワアワと焦っていました。
福島原発から都心は300キロ近く離れていますが、それでも、「実は都心も危険域」と言われると、焦る。ビビる。怖くなる。・・・見えない物質の恐怖がいかに大きいかを痛感しました。
あと、自分は思ってたほど肝が据わってないってこともね。

放射能漏れについてはアメリカ版ヤフーニュースの方が、ずっと大きく報道しています。
国策にも関係することだから、でしょうが、日本国内の放射能情報がどれも今イチ信頼できない(しかも分かりにくい)ので、難しい英語に顔をしかめながらアメリカのニュースに目を通しています。


しかしこういうことができるのも、電気があってこそ。

一昨日から私も節電のためにヒーターを切り、毛布を被ってパソコンしてます。


直接支援のお願い

2011-03-15 | 災害ボラ活動
地震と津波の直接被害に加え、放射能漏れが深刻ですね。。。

そんな中でも、民間による救援活動が少しずつ動き始めているようです。

私が関わっている団体等では、日本エコツーリズムセンタ―(アウトドア系)と、民医連(医療系)の方たちが既に現地入りし、何が必要か、支援体制をどう組めばよいか等、本格的な救援準備を進めている模様です。

以下、日本エコツーリズムセンタ―の呼び掛けを掲載しますので、もしご協力いただける場合は宜しくお願いいたします。

私自身は、今週末か来週に体制が整い次第、現地での救援活動に参加する心づもりです。



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(以下、日本エコツーリズムセンタ―のMLより)


エコセンでは、東京(西日暮里)事務所に災害救援東京本部を設置し、
モンベル仙台店(青葉通り店)に現地本部をおいて救援活動を始めています。

フタッフが救援チーム派遣前の確認などで福島に行ってきました。
以下、その際の広瀬からのレポートおよびご協力の呼びかけです。


食料などでは栃木以北のコンビニの棚は空っぽ、スーパーも空の棚が
目立ちました。
被害の状況は埼玉あたりから屋根が壊れている家があり、栃木からは
ブロック塀倒壊や屋根全壊など目立ちはじめていました。
困ったのはガソリンで、埼玉からすでに制限給油や閉店が出始め、
栃木からは開いている店には長蛇の列が出来て、それも福島などから
購入しに来る車も目立ちました。
現地では水、食料、ガソリンなどの燃料が切実に不足しています。
被災地以外での消費を抑えて、被災地に回るようにして行く必要があります。

陸域での家屋や土砂崩れなどの被害も深刻ですが、それよりも、
広域な沿岸部での津波による圧倒的な破壊のほうが桁外れの大きさです。
今回は国、県などによる避難所のカウントは2000程度ですが、
これはあらかじめ災害時の避難所とされた場所を集計している数字で、
実際には無数と言っていいほどの大小の避難している場所があります。
これらの把握も物資などの救援の手もまだ行きわたってはいません。

●モンベルアウトドア義援隊とエコセンの災害救援チームは連携して
 現地で活動していきます。
 基本的な作業は、アウトドア義援隊の主活動である被災者への寝袋や
 生活物資の配布などと、エコセン災害救援チームによる避難所での老人、
 こどものケアなどを含む生活支援全般を主任務にした活動をおこないます。
 エコセンではモンベル仙台店を本部として、周辺の避難所に活動拠点を
 増やしていく方針ですが、こうした各拠点で活動できるコーディネーター的
 人材を急募しています。
 なお、放射能の被爆や地震の再発等による危険性については、参加者に
 自己判断をお願いするとともに、被害や損害を受けた場合、エコセンは
 責任を一切負うことができませんので、あらかじめご了承ください。
 また今後の状況により、エコセンは現地での活動を中断する場合があります。

●災害救援活動を円滑にするために、エコセン@西日暮里事務局のある
 西日暮里の日能研ビルに「エコセン災害救援東京本部」を設置することに
 しました。さらに、(株)日能研の高木社長のご協力によって、今回の災害
 救援活動に関わる支援チームのために物資集積基地&地方から来る支援
 チーム(ボランティア)のためのスペースも確保できることになりました。

●日赤や一般の公的義援金は通常、被災自治体などへ寄付され、その後に
 自治体ごとの判断で支出されます。ボランティアセンターなどの直接的な
 救援活動に掛かる資金は、これらの義援金には関わらないために、独自の
 資金源が不可欠です。民間の専門団体による救援活動には多大な資金が必要で
 これらはすべて、チーム独自に災害救援基金を設けて、寄付を募ることになり
ます。
 直接、送金していただける方はぜひ、エコセン宛によろしくお願いします。

みずほ銀行 動坂支店 普通 1093812
エコセン災害救援基金
(エコセンサイガイキュウエンキキン)

● 物資についてですが、以下のものが現状必要です。
 少量でも送っていただける方はよろしくお願いします。

【ボランティア活動用】
 車両、ガソリン、ガソリンタンク、ミネラルウォーター、保存食料、文具、
 水ポリタン、ボランティア用テント、シュラフ、マット、自炊用具、
 ゴミ袋(現地のゴミゼロを目指してボランティアが使ったゴミは東京に
 持ち帰ります)
 ※これらの他、普段は使いたくないのですが、・使い捨てマスク・使い捨て
 カッパ・使い捨て手袋・使い捨て食器なども今回の災害ではとくに必要です。
 
【被災者用】
 紙おむつ、生理用品、ホッカイロ、粉ミルク、手軽に食べられる保存性のある
 食料、下着類など衣類、ゴミ袋
 ※物資はすべて小分けしてからダンボールに入れて、中身をマジックで
 大きく書いてください。

● エコセンでは、上記、カンパと物資の他に、救援ボランティアの
 申し込みをお願いしております。
 詳細は下記サイトをご確認ください。
http://www.ecotourism-center.jp/article.php/reliefe_01
ボランティアや物資の提供については、上記サイトの申込フォームを
ご利用くださいますようお願いいたします。
なお、上記以外の物資や大量発送の場合は、発送の前にご相談ください。