アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

非女子2。

2012-09-18 | ~2012年たわごと
思いのほか好評につき、非女子シリーズ第2弾です。

食べ物について。



これを机の前に貼ったのは先月のこと。

基本的に引きこもりの生活なので、大抵は家で食事する。
けれど独り身というのは極めて勝手な時間配分が可能であるため、食事時間というものは決められていない。

だいたい、食事は1日2回。

そのうち1回はパンやシリアルや焼きそばなので、料理といえるものをつくるのは残りの1回に限定される。

時間はだいたい、夜の7時~9時くらい。
ちょうどパソコンに疲れた時か、お腹が減ってどうしようもなくなった時、もしくは仕事中に行き詰まった時。

そういう時は、今すぐ食べたい。
何でもいいから腹に入れたい。
レシピなんかを読むエネルギーは残っていない。
…だけど、栄養はとりたい。

ということで、栄養のありそうな材料をとりあえず混ぜて焼けばいいだろう、という発想に行き着いた。


ひじきオムレツと納豆のぶっかけ丼


ジャガイモのお好み焼き納豆がけ


ジャガ芋とコンニャクの黒ニンニクハチミツ炒めゴマ和え

私的には“がんばって料理した”と思っているので、でき上がった時にはある種の感動がわき上がる。
焦げたら焦げたで、「すげー!」と感動する。
どんなにまずそうでも、「すげー!まずそう!」とうれしくなる。

それでfacebookに投稿すると、いろんな反応が返ってくる。

たとえば「出たっ!」「かなこらしい…」というコメント。
これをどう受け止めたらいいのか。
今度は少し戸惑う。

それで、“私らしい料理” というのは、多分、私以外の人間にはあまり受け入れられないだろうと(分かり切っていたことだが)思い直し、“まともな” 料理をつくれるようになろうと決意した。


あ、そうそう、その前に。
去年の晩秋にロシアを訪れた際、とっても恥ずかしい思いをしたんだった。

ホストとして私を受け入れてくれたルダママは、毎日驚くほど美味しいロシア料理をつくってくれた。
甘えてばかりだった私は大変恐縮して、最後の日には日本料理をつくるわね、と約束した。
そして意気勇んで買い物に行き、巻き寿司に必要そうな具材を買い込んで台所に立った。

巻き寿司だったら、マレーシアのホストファミリーもつくっていた。
あれを思い出してつくれば簡単にできるはず。(日本で実の母親がつくっていたのも少しは覚えているし)

そう思って、まずは卵焼きを薄く焼いて細切りにし、ハムやキュウリも同じ太さに切って並べた。
皿がカラフルに彩られていくと、ルダママも「へえ!」と感心してくれる。
ちょっと鼻高々。
あとは白米に酢をたらして混ぜて…すのこがないから、手巻き寿司にしちゃお…と思っていた矢先、私の耳元に意外な情報が入ってきた。

「今日は最終日のパーティだから、参加人数が増えて10人以上になるわよ」

ええっ! そんなの聞いてないし!

動揺した私は、急遽メニューをちらし寿司に変えることにした。
手巻きにするには海苔が足りない。
そのくせ材料とご飯は多すぎるから、絶対にあまる。

それで大きな皿にご飯を盛って、具材を放射線状に並べて海苔を散らした。
その完成写真がこちら。



…なんだこれは? と、海苔を散らしている途中から私は投げやりになっていた。
海苔が大きすぎる。
これではただの海苔飯じゃないか…。
とても「寿司」とはいえない…。しかも日本人がつくった寿司とは…。

ダイニングには続々と人が集まり、テーブルには黄金の湯気が立ち上る美味しそうなロシア料理が並んだ。

その中に、でかい海苔飯。

パーティの冒頭、ルダママが皆に私を紹介してくれ、一言スピーチをすることになった。

「あの…、まず押さえておきたいことは…、そこにある料理は日本料理ではありません。なんというか…、日本風寿司のような、私のオリジナル作品です」

皆さん、恐らく意味が分からなかったのでしょう、失笑することも苦笑することも、ましてや温かい拍手をくれることもなく、「はい」という感じで終わりました。
そして誰もが非常に手を出しにくいその海苔飯は、ルダママの妹さんの手によって強制的に各人の皿に取り分けられ、少々気まずい雰囲気の中、醤油をかけて食べられました。


妹さん、ありがとう…あのまま空気のように取り残されたらどうしようかと思いました。


そんなこんなで、いつ何時、私たち女子は料理をすることになるか分からないわけで、やはり「できない」よりは「できる」方が便利であることを痛感した次第。
その後(数ヶ月たって)、まずは自己トレーニングだと思い立ち、冒頭の張り紙を書いたのでした。

その成果を最後に。


きんぴらチャーハン梅干し付き


肉キャベツのオイスターソース炒めと卵チャーハンセット


オクラとワカメの豆腐のせ


3色ラーメン


今夜は何をつくろう…。
そうだ、キャベツが余ってるからお好み焼きをつくろうと思って豚肉を買ったんだった。
小麦粉を入れすぎないようにしなければ…(また生焼けになってしまう)。

今や教訓ならいくらでもありますからね。

一歩ずつ、一歩ずつ、そのうち非女子卒業なるか?




非女子。

2012-09-11 | ~2012年たわごと
大抵家に引きこもりPCに向かっていると、たまーに外出する直前にハッとすることがある。

顔毛。

生まれた特に母親が「サルかと思った」というくらい、実はとても毛深い私。
高校生の時は、泳ぎに行く前に友だちや彼氏に背中の毛を剃ってもらっていた。
そしてカミソリで「し」とか「つ」とか簡単な文字を背中に書いて笑っていた。

その頃は自分の背中の毛を「たてがみ」と呼んでいたのだが、いつのまにかそれは薄くなって、今では少なくともカミソリ文字は書けない(と思う)。

だけど、顔の毛はどうやら薄くなる気配がない。


ウチの鏡は薄暗いところにあり、更に日中は日当りがよいので電気を付けずに着替えることが多い。
なので、パパパと顔を整えるくらいでは、毛に気づくことはまずない。よく見えないから。

だけどたまーに着替え時間に余裕がある時、ファンデーションをつける時に鏡を明るみに出すことがある。
すると…。

大学の頃、久しぶりに会った旧友に開口一番「かなこ、顔もじゃもじゃやで!」と言われたことを瞬時に思い出す。
「もじゃもじゃ」だったか「ふさふさ」だったかは覚えていないけれど。

あぁ!また(もじゃもじゃに)なってるっ!

と、それでハッとしてファンデーションの上から電気カミソリ機を当てる。
頬、鼻下、あご、…先日は、首の当たりまで大変なことになっているという事実に気づいてしまった。


まゆげも大変。

ハッと気づいた時には、大抵、森の中にいる毛虫みたいになっている。
つまり毛が長く、多い。しかもまゆげの位置じゃないところにまで飛火している。

ここ数年は、アイブローっていうんですか、人工まゆげを描いていない。
昔はせめてペンタイプのものを持っていたのに、それさえも、毛が多くて使い物にならない事実を認めてしまっている。

切ればいいんですけどね。

そうすると今度は人工度が上がって、下手にカタチづくると逆効果になるのです。


こんな具合だから、たまに南国の友だちから「You are beautiful」なんてメールでいわれると、内心思ってしまう。
…何が目的だ?

あぁ、なんて廃れたココロ。

だったらちゃんとお手入れしたらいいじゃないか、と思われるかもしれないが、これがまさにズボラというんですか、なかなか自己改革が進まない。(これでもハッとするようになった分だけ改善したのですが。)


そんな私も今年で33歳。

先月、いとこのお兄ちゃんから電話があった。
「かなちゃんのお父さんから電話があって、せっかく同じ東京にいるんだから食事でも連れてってやってくれって。今度どこか行こうか?」
…今年の盆は帰省しなかったから、父親がよほど私の生活を心配してくれてんだな、と思った。
が、実は、なんてことない「誰かイイ人を紹介してやってくれ」と、お兄ちゃんに見合いの斡旋を頼んでいたのだ。

結果、今月末に顔合わせをすることになりました。

ちなみに、お兄ちゃんの会社の人かと思ったら、大学時代の教授の紹介でお兄ちゃんも知らない人だという。
それって何? 本気の見合いじゃないのか???

…と、こんな内容を早速ブログに載せてネタにしている私。
アドレスは教えられない。
けれど名前を検索したら絶対に出てくる。


それでもいいと言ってくれる人が、世の中にどれくらいいるだろう。


人生はエンターテイメントだ。



平和のカタチ

2012-09-01 | こどもたちのアジア連合

Kids'AU(こどもたちのアジア連合) の活動に本腰を入れ始めたのは、今年に入ってからのこと。
“違いを豊かさに”という理念に共感して3年前から関わるようになったものの、それまでは第3者的な気分が抜けなかった。

Kids'AUが活動の舞台にしている北東アジアは、実は私が最も苦手としている地域だった。
旅人や慈善活動好きを魅了するのは、大抵、南の国々。「どんなに貧しくても輝く笑顔」…というようなありきたりの表現は、裸足で駆け回る南国の元気な子ども達に最もよく似合う。

北東アジアというのは、どちらかというと「競争相手」のイメージなのかもしれない。
天候的にも、年の半分近くはグレーな曇り空が広がっているせいか全体として薄暗いイメージがつきまとう。
もちろん、歴史的・政治的なイザコザが与えるイメージが根底にはある。

Kids'AU代表の村上氏といろいろな話をする中で、私はKids'AUに対する信頼と北東アジアに対する認識を深めていった。それに加えて、仲間がいるという有り難さを身をもって感じるようになった。

けれど、何はともあれ私が最も惹かれたKids'AUの面白みは、実はもっと人間の本質的な部分に関わっている。

これは対外的にはまだあまり打ち出していない事実なのだが、
Kids'AU各国の代表は、社会の中で「マイノリティ」に属する人がほとんど。つまり、その国のメジャーな民族ではなく、マイナーな民族出身の人でKids'AUのネットワークはつくられている。
たとえば…、モンゴルの代表はモンゴルでは少数のブリアット族の人、中国の代表はモンゴル族の人、ロシアの代表はアジア系のブリアット族の人、北朝鮮の代表は在日朝鮮の人、日本代表にも朝鮮族の血が入っているし、韓国の代表も、民族的にはメジャーだけれど特異な生い立ちを持っている。

このことが何を意味するかというと、活動をつくり出している人たちが最も「多様性」の大事さを痛感し、アジアの「平和」を希求しているということ。Kids'AUの活動は何の利益にもならないのに、彼らが不思議なほど熱心に活動を続けるのは、そうした自らの視点と体験がもとになっているに違いないと私は思う。


今年のモンゴルキャンプは、だだっ広い草原の真ん中で行われた。

こどもたちは、自然と輪になってサッカーや大縄跳びやバレーボールを楽しんでいた。

村上代表がよく口にする言葉のひとつに、「平和の風景」というものがある。これまで今ひとつピンときていなかったのだけれど、こどもたちが遊び回る草原に佇んだとき、初めて「このことだったのかぁ…」と納得することができた。
それはまるで目から入った幸せな光景が神経やリンパ腺や骨や筋肉を伝って全身に染み渡っていくような感覚で、言葉にするより先に、ただひたすら心地よさに包まれる感じ。そこに濃く鮮やかな橙色の夕日が重なって、なんとも言いようのない幻想的な世界が広がっていた。






こどもの頃Kids'AUキャンプに参加した子が、今では大学生になっている。
今回ボランティアスタッフとして参加してくれた韓国人OBの女の子が言った。
「こういう場所が、常に、アジアのどこかにあったらいいのにと思う」

引率で来られた在日朝鮮学校の先生はこんな風に言っていた。
「居心地がいいんですよ、とにかく、驚きました。無駄にがんばらなくていいというのかな」

“自分は回りの人と違う”と感じる経験は、多分、民族的マイノリティじゃなくても、人生1度はあるんじゃないかと思う。
その時、それを良しとするか、悪しとするか。
徹底的に“良し”とするのがKids'AUで、そこに来れば、どんなに弱気になっていても、“いいんだよ、そのままで”と肩を叩いてくれる、…韓国の子が言う“こういう場所”とは、そんな場所のことだと思う。そしてその場所は、とても居心地がいい。


折しもこんな社会情勢の時に集った、北東アジア各国のこどもたち。
恥ずかしながら中国や韓国に対してカチコチに凝り固まっていた私の頭は、キャンプ2日目には爽快なまでに溶けほぐれていた。韓国の子が積極的に話しかけてきたり、中国の子と日本の子が数字の発音を教え合ったりしている姿を発見して、ほろりと涙がこみあげたりもした。

日本のこどもたちは、何をどんな風に感じただろう。
今はまだ言葉にならないことが、たくさんたくさんあるはず。
それらがカタチになるのは、5年後かな、10年後かな。

いつかの新聞に書いてあった。
“戦争を始めるのは簡単だが、後始末には何倍もの時間がかかるということを、私たちは覚えておいた方がいい”

きっと、その後の平和をつくるのは、もっと膨大な時間と努力が必要になる。
Kids'AUのような微細な活動は、もしかしたら焼け石に水かもしれないけどね。
それでも何もしないでいるよりは、百万倍マシだと信じたい。少なくともこれまでに参加した約500人のこどもたちは、参加しなかった子に比べれば何かしらの気づきを得られたはずだし、私自身に関しても、一人でジタバタとあがいているよりは遥かに大きな成果を残せるはずだから。

物理的に全く壁がない大草原でこどもたちが笑い転げて遊んだように、一人でも多くのこどもが、壁のない大きな心を育んでくれたらいいなと願っている。