アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

3月「アジアの力」展 ついに!

2010-02-11 | お知らせ

できました!

次回3月20~22日の「アジアの力」展DMでっす!!!


せっかく~最終~ですので、持ってるものどんどん出しちゃえ!的な勢いです。
写真も、ビデオも、雑貨も、小ネタも(?)・・・。

そしてコラボも満載♪

まず21日の「おうす一服」は、南後先生(気品あるオーラ漂うお茶の先生です)がたててくださる抹茶に、これまた先生選りすぐりの京都のお菓子を付け、500円でお出ししようという粋なコラボ企画。
本格お抹茶を三国の歴史情緒あふれるお座敷でいただき、アジアの風も感じていただき、ふと見上げれば澄んだ青空に梅の花・・・。なんて粋なの・・・。

そしてその日の夜は「太鼓持あらいさんとの対談」で盛り上がっていただきましょう。
太鼓持あらいさんは、県内外で有名な男芸者=話遊びの達人です。
私もお会いするのは初めてのことで、一体どんな話の展開になるのやら・・・。乞うご期待です。


・・・と気合いを入れて展示準備にかかるぞ~!と腕まくりするワタクシですが、実は3月2日~16日まで、これまた海外逃亡して留守にするのです。(「逃亡」と書いて「しごと」と読むのですが。)

今回はベトナム。
理由は又の機会にお知らせするとして、行くからにはしっかり収穫してきますよ!
少なくとも、写真と雑貨と小ネタ(笑)は!!!

会場ではそんな帰国後ホヤホヤの話もさせていただきたいと思いま~す♪
私自身は、21日の午前中のみ留守にしますが、その他は3日間ずっと魚志楼さんにおりますので、どうぞ突つきに来てやってください(笑)

そして魚志楼さん自慢の、新鮮この上ない三国の海の幸をたっぷり使った御料理を味わっていって下さいね♪

シクラメンな日。

2010-02-05 | ~2012年たわごと
Macの調子が悪い。フォトショップがなぜか何度もショートする。
今日は次の写真展のDMをデザインしてしまおうと勇んでいたのに、これでは全く仕事にならない。

仕方がないので私は机の横に放り投げられてあった角田光代の「さがしもの」を手に取る。もう随分前に買ったまま、始めの3ページほどで読み止まっていた。

そうして私は思い知る。文章というのは、ただの文字の連なりじゃないと。
今まで本というものを読んでこなかったこと、その豊かな世界を知らずにきたこと、その感性が私には欠けていたこと、そんなようなことを私は改めて後悔する。

作家ってのは、凄いと思う。
改めて、凄いと感動する。

きっと彼/彼女たちは、人生の中で見た光景や風景やたまたま耳にしたいろいろな事柄を、その鮮度を保ったまま記憶しているんだろうと想像した。
・・・忘れん坊の私には、到底無理だな。

そうやって私は自分の凡庸さを痛感する。

あんなに得意だった国語の授業で、一体私は何を勉強していたのか、今となっては全く定かじゃない。どうして私はこんなにも漢字に弱いのか。どうして私はこれほどまでに熟語を知らないのか。幼い頃の私は毎晩くそ真面目に学習机に向かい、確かにカリカリと漢字の書き取りしていたはずなのに。

きっと大学時代がわるかったに違いない。
あの頃は、私と同じく軽音楽部のボーカルをしていた恋人に触発されて、私も歌手を目指すんだー!なんて勇んで発声練習に明け暮れていた。雨の日も雪の日も、台風で荒れ狂う日の午後にだって私は独りカセットテープを持って誰もいない農場へ向かい、声を張り上げた。
つまり私の青春は「文字」ではなく「音」に捧げられたのであって、私の肉体は「目」ではなく「耳」と「喉」と「腹」によって支えられていた。

ふと、私は窓辺に置かれたシクラメンの鉢に目をやった。
ピンクの花びらが窓から差し込む金色の陽に照らされている。花びらの上半分は光が透け、ピンクと金色が混ざって眩しく輝く。今の新しい恋人が私の引っ越し祝いにとくれたこのシクラメンは、なんだかんだ、もう1ヶ月ほど咲き続けている。

私は鉢に顔を近づけ、咲き誇るピンク色の中に鼻をうずめて息を吸い込んだ。
甘い蜜の香りが鼻孔を満たす。こんなに柔らかく甘美な香りの粒子を、この花たちは人知れず放ち続けているんだな。それも毎日、毎時、絶やすことなく。

根元がしっかりと折り曲がったシクラメンの花びらを下から見上げると、丸い円筒の中に雌しべと雄しべがひっそりと隠れて見える。円筒の縁は濃い紅ピンク色で、再び色が薄くなる奥の方からは後光のように光が漏れ差し子房を照らす。その様はいかにも妖しく、しっとりと濡れ色を呈し、ちょうど真ん中からひゅるっと抜き出ている雌しべの先端が妖艶に手招きしているかのように先を尖らせている。
うっとりとそれに見とれる私は、そのあまりの色香に涙までもがこみ上げる。このシクラメンという花の性器は、どこまでも色艶やかに、美しく、妖しく、力強く匂い立つ。生きることへの貪欲さと、生きなきゃいけないことへの切なさと、だからこそ美しくあろうとする生き物としての性。私の部屋の窓辺で、柔らかな陽を浴びながらこの花は静かに息づいているのだ。

こんな冬の午後の一コマを、きっと私は瞬く間に忘れてしまう。
カメラのシャッターを何度か切り、ピンクと金色が交差する光の遊戯をせめてものデータ化して残した私は、次にこうして文字によっても記憶のデータ化を図り、そしてようやくホッと息をついてココアをすする。

忘れてしまうから、残し刻んでておきたいと願う凡庸な物書きになるのも、わるくないかもしれないな。

部屋をゆるやかに滑りながら流れるデズリーのまったりした歌声に、私はまた身を委ねるように聞き入った。




…なんちゃってね。

角田光代風、シクラメンなエッセイでした。




南京の今を見つめる

2010-02-02 | 中国・台湾の旅

 南京の人々は、今、日本にどんな感情を抱いているのか―。

 例えば南京大虐殺記念館の出口付近でインタビューしてみると、ほとんどの人からこんな答えが帰ってくる。

「昔の日本人は残酷だと思いました。でもこれは過去の話。もう歴史になったことです。」

 南京市内で50人以上に街頭インタビューした私は、あっさりそう言って退ける彼らに唖然としてしまった。しかし考えてみれば、78年に日中平和友好条約が結ばれて以来、日本の電化製品や映画文化が中国の人々に新鮮な驚きを与え、渡日する者が増えて情報が入るようになり、今や街の至るところに日本人女優のポスターやJ-popが溢れ返っている。まさしく中国は、経済面だけでなく人々の価値観までも「激動」の数十年を歩んでいるのだ。

 一方で「日本は嫌いだ!」と言われることも何度かあった。
もしくは「日本政府に少し嫌な感情を持っています。」と打ち明けられた。

 歴史認識を巡って、両国の間にまだスッキリしないわだかまりがある。私たち日本人の多くは既に忘れてしまっている(もしくは目を背けている)国としての大きな課題が未解決であるために、風化されることのない“しこり”が中国人の心の中に取り残されているように思う。

 大学院で日中関係史を研究している劉忠良くんは言う。

「日本に対する感情は複雑です。日本文化は大好きでも、心の中では日本を憎んでいる中国人は多いと思います。」 

――であるなら、私たちはどうしたら良いのだろうか。


 南京大虐殺記念館でこんなことがあった。
「日本人は嫌いだ!」と言い張る30代の男性が、なぜか私の取材行動を観察し続け、最後には自ら話したそうな表情を浮かべて近づいて来た。そして私たちはいつの間にか歩調を合わせながら一緒に歩き、話をし始めた。

「なぜ日本人が嫌いなんですか?」と聞く私に彼は
「日本人の心の中では、中国人は人間じゃないんだ。だから中国人を殺したんだ。」
と悔しそうに答えた。そして「でも日本人の中にも、いい人もたくさんいるんですよ。」と私が言うと、彼は「そうかもしれないね。君は少なくとも悪い人じゃなさそうだ。」とついに笑顔を見せるのだった。

 「交流」という言葉の意味は「目と目を見て心を通わすこと」。

 私と彼は、お互いのことを一生忘れないだろうと思う。




(2010年1月15日 日中友好新聞 掲載記事より)