アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

恋するようにボランティアを!

2013-05-30 | 災害ボラ活動

某医療系の雑誌に寄稿したコラムを転載します。

先日、発行された誌面がうちに届いたので、もう載せても大丈夫と思うので。

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「恋するようにボランティアを!」

 東日本大震災で、ものすごい数の老若男女がボランティアに目覚めました。私はRQ市民災害救援センター(現在は一般社団法人RQ市民災害教育センター)という団体でボランティアの後方支援をしていましたが、そのあまりの勢いに圧倒されて途中でお手上げ状態に…。半年以上たってようやくエネルギーを取り戻し、今は内容を変えて“ぼちぼち”やっています。

 「ボランティア」というのは、恐らく人によって捉え方が違うでしょう。もともとの英単語は「自発的に申し出る」という意味で、イギリスに留学していた時は「Someone volunteer?(誰かやってくれる人いないの?)」と先生がよく声を張り上げていました。

 しかし日本において、「ボランティアとは何か?」を議論するのは、「恋愛とは何か?」を問うことに似ているような気がします。つまり、答えは十人十色でいい。特に社会人のボランティアは、大人の恋愛よろしく、いろんなカタチとやり方があって然るべきだと思うのです。

 いったんそのように考えると、共通点がどんどん見えてきます。たとえば、自分から積極的に出会いを求める人、偶然と直感を楽しむ人、じりじりにじみ寄っていく人、なかなか一歩が踏み出せない人、短期集中の情熱派、自分の生活は決して崩さない計画派、つい夢中になりすぎて泥沼に陥る執念派…。そうしたタイプ分けは、「ボランティア」と「恋愛」で意外と一致するかもしれません。ちなみに私は熱しやすく冷めやすい傾向があるので、どちらも要注意だと自戒しています。

 ボランティアを「趣味」にカテゴライズする人がいますが、私は違うと思います。確かに仕事ではないので誰かに命令されてやるものではないけれど、ボランティアには最低限の責任感が要る。また、たとえ無償でも、自分さえ良ければいいという人はボランティアに来てもらっては困ります。恋愛でも、相手への思いやりがあればこそ、深く充実したものになり得るのではないでしょうか。

 一方で、ボランティアなら許されることもありそうです。それは、浮気。恋人の掛け持ちとは違い、ボランティアなら、自分に合う団体や関わり方が見つかるまで堂々と多足の草鞋を履けば良いのです。

 そして忘れてはいけないのは、どちらも最初は下心があっていいということ。せっかく時間とお金を費やすのですから、それに見合うだけの満足感を何が何でも得てやるぞ、くらいの勢いがちょうどいい。そのうち惚れ込んで、身も心も捧げることになるかもしれませんから。

 始めるも終わらせるも自分次第。だけど、たとえ失敗しても経験豊富な方が、学び多き人生を送れるのではないかと思います。(終)

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 編集者さんによると、東北のボランティアで、酸いも甘いもいろんな思いをした人がいるそうです。なかなか続けられないと自責の念にかられているお医者さんも少なくないのだとか。

「いいんですよぉ~、自分ありきで考えれば!」と大きな声で叫びたい。

ほんと、「ボランティア」という言葉が「恋愛」と同じくらい、市民権を得られたらいいのにな。
「最新のボランティア事情とボランティアテクニック、さらにアッと驚く体験談の数々をご紹介♪」… みたいなサイトが乱立したら。

…あんまり楽しそうな響きではないかもね。

固有名詞の変更が必要かも。