アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

先住民族エコツアー

2008-07-09 | 日本の旅

北海道洞爺湖町で開かれたG8サミット。
これに併せて「先住民族サミット」は開かれた。


「先住民族サミット」とは、これまで社会のマイノリティとして声をあげることが難しかった先住民族の意見を集め、G8の首相に届けようというもの。今回注目の環境問題に対しても、自然とともに生きてきた先住民族の知恵を生かすよう提言するものだ。
地元北海道の先住民族アイヌの人たちが呼びかけ実現した。


サミット自体はG8サミットの前7月1日から4日に行われ、オーストラリアやニュージーランド、フィリピン、台湾、アメリカ、ハワイなど20以上の地域から各民族の代表が参加。私はサミットには参加していないので詳細はわからないが、地元アイヌの人達とボランティアを合わせると総勢1500人ほどが集まったという。

話し合われたのは先住民族の権利回復から文化伝承まで様々で、最終的に21の提言にまとめてG8に提出した。


そしてその後、せっかくだからもうちょっと交流しようよ、と行われたのが「先住民族エコツアー」だ。
もともとアイヌ民族の有志が知床で3年ほど前から行っていたエコツアーに加え、今回は阿寒も入れて2泊3日で回っちゃおうという、随分ハードスケジュールなバスツアーである。


同じ日本に住んでいながらアイヌ民族のことをまるで知らない私は、一体彼らがどんな様相をしていてどんな話し方をするのかさえ検討がつかない、超典型的な日本人・・・といわざるを得ない。
かすかに残る記憶を辿れば昔社会科か何かで習ったような気はするが、確か沖縄の人に似て濃い様相をしているのだとか何とか・・・、いや、アラスカかどこかに住むイヌイットに似てるんだっけ・・・? とまぁ、記憶なんてのはそんなものだ。

とにかく北海道開拓と同時に土地を奪われ差別を受けるようになった、ということだけは、出来の悪い私の左脳でも未だ記憶しているところだった。


それにしても、「アイヌ」という言葉には何か妙なニュアンスが潜んでいる気がしてならない。
何か妙な、どうしても親しみのもてない、何かドロドロとした、まるでどす黒いオイルみたいな、つまりそういった感じの “偏見”。
それは明らかに言葉の問題ではなく自分の気持ちの問題なのだけれど、「先住民族」という響きには好感や好奇心をもてるのに、なぜか「アイヌ」という言葉に対しては斜めに構えてしまうのは、果たして日本全国で私だけだろうか・・・。


聞けば「アイヌ」の人たちが「先住民族」だと認められたのは、ついこの前の6月6日、官房長官が国会後の記者会見で発表したのだという。
ということは、今も昔も教科書で習っているのは「アイヌ民族」ではなく、「アイヌと名乗る人々」について・・・ということになる。

習う方にしてみれば何とも曖昧でいかがわしい、つまり彼らは何者なんだ?という印象を受ける。
これでは、思春期の純粋無垢な女児(男児でもいいが)にマイナスイメージを与え兼ねないことは明らか。
日本政府に “してやられた” 感じである。習った側の私自身としても、もちろんアイヌ民族の人たちとしても。



というわけで、とにもかくにもエコツアーは始まった。

知床までバスで8時間。
道中、北海道大学の小野Y教授が北海道の地形や自然環境について解説し、アボリジニーやマオリ族を含むインターナショナルな参加者がそれぞれに知的好奇心を満たす。夜は交流会という名の飲み会で盛り上がり、翌日知床国立公園を散策。ガイドはもちろん、アイヌ民族のツアースタッフが務めた。


魔除けに使われる樹、妊婦に飲ませる木の実、繊維を取り出して着物をつくるための草、伝統的な舟がつくられる材木・・・。

解説を聞きながら、アイヌの人たちが長年向き合ってきた森との関係をかいま見る。
「森林保全」「自然保護」「エコ」なんて言葉が叫ばれるずっとずっと前から、彼らは自然の産物を大切に扱い、かつ上手に利用してきたのだ。恐らく私たち日本人の遠い祖先がかつてしていたように。


だけど、私は心のモヤは一向にすっきりしなかった。

彼らによる“エコ解説”の向こう側に、私は彼ら自身の人となりや民族性を見ようとこのツアーに参加したのだ。
何より「アイヌ」について知りたい、その気持ちが大きかったはずだ。


ツアー参加者の一人、Mさんが言った。

「なんかさ~、ちょっとガッカリしちゃった、今回。私ツアー前のサミットにもボランティアとして参加したんだけど、なんかアイヌの人たちの態度がさ、なんていうか、すっごい上から目線だったんだよね。日本人ボランティアに対して。」

それって逆差別? ・・・それとも腹いせ?

「分かんないけどさ、なんか本とに感じ悪くて。誰もお礼のひとつも言わないし。そういうのって、民族がどうのとか歴史がどうのとかいう前に、人間としてどうなの?って思っちゃう。」


彼女の話を聞く前から、私も多少のマイナス感情を抱いていた次第。
それは散策中の解説で聞く「日本人に土地を奪われた」話の端々や、そうでなくとも彼らが発する「日本人」という言葉のニュアンスや、はたまたツアー中に接したアイヌの人たちの雰囲気等々から。

確かに「日本人」として、彼らが嫌というほど味わってきた苦い過去はきちんと理解しなければいけないと思う。
だけど、実際目の前でその手の話をされるというのは何とも複雑なものだ。
中国や韓国に歴史認識問題を抗議されてきた日本の首相陣も、もしかしたらこういう類いの心境だったのかしら・・・と、ついとんでもなくつまらない考えが頭をかすめる。つまり、過去は過去じゃん?というような言い訳をしたくなる、というか。

そして自分でも思いたくなどないそんな感情を、どう処理したらいいのかに戸惑うのだった。



2日目、阿寒での交流会で同席したアイヌ民族の男性に聞いてみた。

「アイヌの人たちって、結構今でも日本人に対して反感とか恨みとかもってるんですか?」

「もってると思うよ。阿寒はまだマシな方だけどね。」

彼は即答した。

「だけど、それじゃダメだと思うんだよね。アイヌとか日本人とか言ってちゃさ。 だってこうして同じ国に住んでるんだしさ。そうだろう?」



誰にでも、自分のアイデンティティに対する誇りがある。
私だったら日本人としての誇りが。
それを今アジアを旅しながらヒシヒシと感じているところ。
もしくはそう強く感じている自分に驚いているところだ。

たとえ愛国心が云々といった難しい話をしなくても旅に出れば嫌でも自分の「日本人っぽさ」を実感する。
それを例えば、もし違う国の人に頭下しに否定されたとしたら、恐らく感情的にどうしようもない怒りと悲しみに襲われるはずだ。そういった“誇り”は、誰でも潜在的にもっているものなんだと思う。


そう考えると、長年自分たちのアイデンティティを認められず、不当に土地を奪われ差別され続けてきたアイヌの人たちの苦悩は計り知れない。
更に日本政府がそれを認めたのがつい先月だというんだから、日本人の私でも「何やってんだコノヤロウ!」と怒りたくなる話だ。

だけど、ただ、彼らの未来とツアーの今後を思うと、ただただ「がんばれ」と彼らに向かって叫びたくなる。

彼ら自身が一般的な「日本人」に対して自ら心を開いてくれなければ、せっかく彼らの文化や伝統を知りたいとツアーに参加しても、結局表面的で中身の薄い交流に終わってしまう気がするからだ。



ツアー終了後、私の気持ちはやっぱりスッキリしないまま、何かでっかい魚を逃してしまった釣り人みたいな心境で、私は夏の北海道を後にした。


事実、彼ら「アイヌ民族」のことを私はまだ何も分かってはいない。

そもそも2泊3日で分かるわけはないのだけれど、それだけの問題ではない、彼らを理解するために乗り越えなきゃいけないとてつもなく大きな壁だけを感じて帰ってきた、といった感じだ。



これからの、特に若い世代のアイヌの人たちがどうやってツアーを運営していくのかに期待したい。

そして私自身も、同じ日本に暮らしている者として、彼らをもっとよく理解できるまで、根気づよく関わりたいと思う。少なくとも、いつの日かもう一度ツアーに参加して、飲み足りなかったお酒の続きを頂きたいと思っている。