アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

ありえない午後

2014-11-29 | 2014年たわごと

先日、実家から持ち帰ってきた玄米を炊いた。

やたら茶色いから栄養価が高いと思い、4食分くらい、まとめて炊いた。

 

硬そうだったので水を多めにして圧力鍋で。

…そして失敗した。

昔スペインで食べた米芯の硬いパエリアを思い出しながら、もう一度火にかけた。

…今度はまぁまぁ、いいんじゃないですか。

 

別途、大根のクリームシチューをつくってご飯にぶっかけ、食べた。

…口の中でシャリシャリ音がする。

 

…なんだろう。

 

それはまぎれもなく、籾殻だった。

 

あぁ、やっぱりダメだったんだ、と私は思い、気づかないフリをして全て飲み込んだ。

籾殻は結構な量まじっていて、口の中でシャラシャラ、シャラシャラ、と涼し気な音を立てていた。

米を炊く段階でもしやと思っていたけれど、まさか母が食べられない米をよこすわけはないと信じていたし、籾だって米の一部なんだから、と高をくくっていたのだ。

農学部出身であるにも関わらず。

 

それで、それはクリームシチュー飯となって私の口に入り、シャラシャラという音でもって「バカじゃないの?」と嘲ってきた。

…そうか、やはり私がバカだったのか。

 

1杯目は無理矢理飲み込んだものの、2杯目は私の喉が拒否を示した。

ご飯はやはり、美味しく食べたい。

飲み込むんじゃなくて。

 

そういうわけで、私は西陽があたたかい夕時の台所で、籾殻取りにとりかかった。

 

籾付き米は思いのほか多く、というより思った通りに多くて悪戦苦闘となった。

まずご飯がにちゃにちゃしていて手から離れない。

籾がパカッと空いているものは中から玄米が飛び出していて、もったいないからプチュッと出して食べる。

ひと粒ひと粒、その繰り返し。

ようやく籾が見えなくなっても、ご飯の固まりをくるっと裏返すと、再びつぶつぶが大量に現れる。

…ありえない。

…こんな作業を延々としている自分がありえない。

 

そこで、私は「普通とは何か?」ということについて思いを巡らせ始める。

 

まず玄米に籾殻が付いているにも関わらず炊飯した自分は、明らかに普通ではない。

ではそんな玄米を娘に持たせた母親はどうだろうか。

家には家庭用の精米機があって、前回はそれでウィーンとドでかい音を出して精米してくれた。

今回はなぜそれをしてくれなかったのか。

私が「いいよ、そのままで」と言ったからだろうと容易に想像はつくけれど、だからといって娘が籾殻まで食べられるとは思うまい。

…でも、そうなんだよね。「いいよ、そのままで」と言った私は、籾だって柔らかくすれば食べられるんじゃないか、と心のどこかで思っていたんだ。

そのことの方がよほど普通ではない。

 

そのうち、自己否定がつらくなった私は、自分の回りにいる普通ではない人たちの顔を思い浮かべた。

普通ではない人ナンバーワンは、台湾の友達。アークンという。

恐らくまだ50代なのに歯がなくて、いつも真っ赤なビンロウの実を噛んでいる。

そして主に漁に行く時に使うポンコツのワゴン車には、なぜかリカちゃん人形みたいな裸の女の子の人形が乗っている。

彼の「普通じゃなさ」を挙げれば切りがないけれど、私はそんな彼がなぜか大好きで、台湾に行ったら絶対に会いたい人の一人になっている。

 

ナンバーツーは、以前つきあっていた彼。

SM作家の団鬼六さん(故人)に気に入られて、SM雑誌の編集なんかをやっていたらしい。

そっち方面の武勇伝も数多く、団さんのエッセイにも「変な弟子たち」みたいなうちの一人として何度も登場している。

かといってエッチが凄いのかといえばそうではなかったけど、彼の雑学ネタに私はいつも感心させられた。

エロ話から知的な話まで本当に幅の広い、ステキな人だった。

 

ナンバースリーは、そうね、うちの母かしら…と思う。

今年還暦を迎えたのを祝ってもらうために、自ら還暦コンサートを開いて100人だったか150人だったかを呼んだらしい。

で、大好きな着物やドレスを披露するために10着以上を早変わりして、「歌舞伎みたいに楽しんで」もらったそうな。

あ、ちなみに彼女は歌をうたうんです。声楽をやってまして、地元のママさんコーラスの指揮もやってるの。

母の発言に度肝を抜かれることは、35年つきあってきた今でさえしばしばある。(むしろ増えている)

昔はそんな母にウンザリしていた感もあるけれど、ここまできたらアッパレというか…本当に面白い人なんだなぁと思って尊敬している昨今。

何より、出る杭ガンガン打たれる福井の田舎でさぞ生きにくかったろうに、何一つ「我」を変えずに突っ走ってきたことに心底尊敬の念を覚えるのです。

今となっては、母は私のプライドだな、と思う。

 

そんなことを考えながら籾殻をひと粒ずつ弾き飛ばしていたら、さすがに腰が痛くなってきた。

陽もすっかり傾いて籾と玄米が見分けにくい。

電気をつけると全てが(自分の落ち目も)曝け出されてしまいそうなので、とにかく暗くなるまでにやり遂げようと決心する。

 

で、一通り終わったものを味噌汁の中にぶち込んで、食べてみた。

まだ少しシャカシャカいうけれど、それくらいは口から出して捨てられる量だ。

舌や歯や頬の内側の神経を研ぎすまし、口から異物を出す能力がどんどんアップしていくことを実感する。

ご飯は、あんなに米粒を取り除いたのに全体としてはさほど減っておらず、それもまたすごいなぁと感心する。

稲から米を出して食べようと考えた人は、本当にすごい。

 

さて、残りの籾付き玄米をどうするか、というのが次の課題として重くのしかかっています。

…どうしよう。

杵つきの要領で少しずつ突いてみようかな、とか。

 

どんだけ暇人なんだろうか、私は。

35にもなって、本当にありえない。

 


筋トレ始めます。

2014-11-29 | 2014年たわごと

改心しました。

 

心機一転、今日から毎日更新します。

 

なぜかというと、自分には、執筆に必要な体力をつける必要があるとつくづく反省したから。

それを総称して「筋トレ」と呼ぶことにします。

 

ブログの役割というか、位置づけみたいなものはどんどん変わって、開設当初は「憂さ晴らし」的な要素が強かったのだけれど、写真展によってそれは「リポート」に変わり、facebookによって「長い時はこっち」みたいな中途半端な書き込みになり、そして今、その役割は「筋トレ」ということでひとまず落ち着きました。

 

で、執筆に必要な体力とは何かというと、とにかく書く習慣をつけるっていうことです。

ある一定の時間で、ある一定の量を。

その中でしか、自分らしい文章というものも模索できない気がするし。

 

もう、文章を書くってのは本当に難しいんです。

そんなこたぁ分かり切ってるやい、と思う人、ほんまに…そうなの。

もう泣きそうなくらい。

つい昨日もある旅リポの原稿を書いたんですが、3000字弱仕上げるのに1日半もかかっちゃった。

極簡単な観光案内風エッセイなのに。

 

それで、もうこれは初心に戻ってトレーニングし直さなければならない!と思い、まずは外観を一新して心新たにしたわけです。

なぜ鬼なのかというと、節分までは何が何でもがんばろうと思って。

 

リポートだなんて気張らない。

上手に書こうとも思わない。

推敲もしない。

ただただ毎日書く、ということに専念します。

寝る前の30分で。

 

そんで、リポートはリポートで別のサイトをつくろうと思い、準備しているところなんですよねぇ。

ブログはあくまで公開用日記と割り切って、各国の情報はもっと見やすい形にした方が体裁も良いだろうと思いまして。同時におばあちゃん企画のサイトも制作中です。

 

ということで、こんなつまらないブログを更新の度にチェックしてくださっている奇特な皆様、多分いま30人くらいいらっしゃるかと思いますが、今後ともどうぞ温かい目で応援してください。

何を応援するかというと、一応、わたし、物書き目指してがんばりますもんで。

 

文章のテイストがあっちにいったりこっちにきたりで定まらない、のも発展途上な証。

ノビシロがあるってことです。

 

喉元につっかえているたくさんの言葉の卵たちを、そのままの形で生み出せるように努力します。

 

それでは、また明日。

グッナイ。

 

 
(自宅で元気だったころのばあちゃんを懐かしんで。右は隣の家の亡きおばちゃん)


近況。

2014-11-26 | 2014年たわごと

あぁ…もうすぐ11月が終わるぅ…

まずいまずい、今日こそは今日こそはと思いながら、今日も1日が終わりそうな予感。

そして現在はEPSONプリンターのヘッドクリーニング中。連続3回目なり。

 

…そしてようやく正常になりました。

 

複数のことを同時に考える、そしてやる、ということに能力の限界を感じてきた昨今。

そろそろ働き方を変えなければいけない。

そして日々の過ごし方も。

 

一人で暮らすことにも限界を感じてきました。

でも今は、急に誰かと一緒に暮らし始める勇気はありません。

何事も、急にというのはよくないですからね。

 

今やろうとしていること。

・アジアのおばあちゃんを訪ねる旅:目指せ初出版!

・在住外国人と日本人をつなげるインターネット放送局『Project DiVE』in 名古屋:来春スタート

・外国キッズが多い地域や学校で開くワンデイ写真展:2月~全国巡回

・おじいちゃん先生の仏の教室・ウェブマガジン連載

 

…これだけです。

企業戦士に比べれば屁でもない量。

しかも「お金に換えなきゃいけない」という重圧がない分、喜楽なもんですな。

 

でも、そう。

その一番厄介な"重圧"がないというのは、仇にもなるんですよ。

単なる社会奉仕(もしくはお節介)をしている程の余裕はないんだから。

今、一時的な小遣い稼ぎのために単発バイトをしていてつくづく思います。

経済の大半は、別にあってもなくてもいいようなものから生まれるんだなって。

本当に必要なものは「公共」と呼ばれ、それは時の政権によって、もしくは役所の担当課長によって実現の程度が変わってしまう。そういうものなんだなぁって。

 

まぁそれはそれでいいのですが、とにかく私たちは、いえ私は、そんな社会の中でも懸命にマネタイズしなければいけないのであって、それに成功した者が社会起業家と呼ばれているのです。

そうだ。起業するには時間と知恵が要るんだ。

くじけるな、自分。

 

…ということで、納品用の写真プリントが終わりました。

フリーランス業もぼちぼちです。

 

それにしてもEPSONのプリンターは手が焼ける。