アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

東尋坊・死んだらあかんおじさんの今

2013-11-01 | 日本の旅

facebookより転載。
(https://www.facebook.com/kanakijan) 

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また、泣きたくなるお話です。


東尋坊で自殺防止活動に取り組んでいるNPO職員のKさんが、先日、崖の近くで佇んでいる若い女性を見つけたそうです。
「死んじゃダメだよ。わたし向こうの丘の上にいるから。あなたのこと見てるから、後で必ず来てね」
そう声をかけると、彼女は「わかりました。大丈夫です」と答えて約束の握手をしたのだそう。
Kさんはそっとその場を後にしたのだけれど、丘に上がる途中で巡回の警察官とすれ違ったらしい。ちょうどその女性に対して捜索願いが出されていて、警察が動き始めたところだった。警察は彼女を見つけると、いきなり辺り一帯にテープを張り巡らせて「立ち入り禁止」にし、担当者3人を説得に当たらせ、崖の下にはレスキュー隊と海保の船を配置して、瞬く間に辺りは騒然となったという。
当然、立ち入り禁止テープの回りには観光客の群れができ、彼女はあっちからもこっちからも大勢の視線に曝される羽目になった。

事の展開に驚いたKさんは、そんなことをしては逆効果だと警察に掛け合ったが聞き入れられず、テープの中にも入れてもらえず、成り行きを見守るしかない状況に。そうこうしている間に、女性のお父さんと思われる男性からNPOに問合せの連絡が入った。状況を説明すると、お父さんが東京から飛んでくることになった。そして娘に見せてほしいと、娘宛のメールを2通、送ってきた。
Kさんは携帯を握りしめて再度警察に掛け合い、これを見せてほしいと必至で懇願したという。けれどそれもまた、聞き入れられなかった。

Kさんがその女性と握手したのが午前10時半。
それから6時間半後の午後5時、警察の説得むなしく、女性は崖に身を投げてしまった。大勢の観光客の目にさらされながら。

お父さんが駅に到着したから迎えに行こうとした、ちょうどその時だった。

Kさんが言った。
「あれは助かる命だったのよ。6時間もあそこに立ち尽くして迷っていたということは、死にたくなかったのよ本当は」
その6時間の間、彼女は長い髪を風になびかせて、本当にドラマの1シーンのような光景だったという。とてもきれいな顔立ちの女性で、東京出身の、34歳だったと。

わたしは警察には取材していないから、警察が彼女にどんな声をかけたのか、どんな対応が警察的には望ましいのかは知らない。けれどそのNPO(心に響く文集編集局)代表の茂さんが言うには、「恐らく人質事件の要領で、長時間説得で相手を疲れさせて最終的に救出する狙いだったんじゃないか」とのこと。
その上で、「自殺志願者に対しては、それではダメなんや。死んだらあかんと何度言っても無駄。彼らに対しては、大丈夫、俺がなんとかする、一緒に解決しよう!と安心させることが先や」と言う。

わたしは、彼女が6時間半の間に見ただろう光景を想像した。
そしてその間のKさんの心情を想って、胸が痛んだ。

一体何がいけなかったんだろう。
きっと警察も一生懸命だったし、その状況で絶対的に正しい救出法や説得法なんて、恐らく誰にも分からない。けれど、ぼんやりと思い当たることはあった。
Kさんや茂さんと話していつも感じること。それは、いわゆる自殺志願者の人に対して、まるで腫れ物に触るような感覚を自分は心のどこかに持ってしまっているという事実。2人にはそれが、ほとんど全くといっていいほどないから。つまり人を助けるということは、人を自分と同じ人として見ることを前提にしなければ成し得ないということ。精神が病んでいようが、性格が変わっていようが。…その基本中の基本は、わたしたち一人一人が忘れちゃいけない。

茂さんの持論は10年前から明快だ。
「東尋坊に来て、何時間も海を見て迷っている人は、本当は死にたくない人。誰かに話を聞いてほしい人。助けを求めている人なんや
そしてその話をただカウンセリング的に聞くだけでなく、どうすれば問題が解決するかを考え、提案し、行政や弁護士や福祉機関などあらゆる人脈を使ってその人の人生の再生を試みる。
「相手は命がけで来てるんやから、こっちやって命がけで対応せんと。でもこっちは一人じゃないでの。誰でも「お願いします」って頼めば助けてくれるんやから」
まるで昭和(初期)のオヤジを絵に描いたような茂さんが、わたしはやっぱり大好きだ。

久しぶりにお会いした2人は、NPOを立ち上げた10年前とは打って変わってスッキリした表情をしていた。
救ったいのち、救えなかったいのち、…本当にいろいろなことがあり、本当にいろいろな人に出会い、その都度苦難を乗り越えてきたということが滲んでいた。
彼らの活動が、これからも広く深く根付いていってほしいと思う。