アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

ホンモノ野菜の生き残り

2013-01-16 | 日本の旅

このイモ、1個50円以上もするの。

普段1袋98円級のイモしか買わない私にしてみれば、高級中の高級イモ。

名前は「西豊」という、長崎県のイモらしい。

 

なぜそんなに高いかというと、まぁ、有機栽培されてるからなんですけど、普段は「イイ」と分かっていても決して手を出せない有機野菜を、なぜ買おうという気になったか。そこが大事なポイントです。

しかしその前に、もっと大事なのはイモの味。

せっかく買った高級イモなので、素材の味を噛み締めなくては…と思って、まず最初は茹でてみた。

けれど、これは少々失敗。

ケチャップで台無し!というのもあるけれど、ケチャップ付けないとちょっと味気なかったから。

それで、素揚げに。

ジャガイモステーキ。

これは美味。

すごく美味でした。

なので思わずこっちのアングルからもパチリ。

あぁん…美味しい美味しい美味しい!

ちなみに粉雪のように振りかけた塩は、ボルネオの熱帯雨林でとれる岩塩。

贅沢でしょう。

 

こんな風に素材の味を堪能するなんて贅沢を覚えられたのは、1個50円もするイモを買ってみたお陰。

その動機は何だったのかというと、「野菜の在来種」についてのライブトークを聞いたことだった。

HARQUAという音楽ユニットが主催している『きこえる・シンポジウム』。

そのゲストスピーカーとして、高橋一也さんという野菜売り兼シェフの方が来られた。

高橋さんの活動は、実は有機野菜を売ることではなく、「在来種野菜」を売り広めること。
それは、日本にもともとあった種からつくられた野菜。毎年種を買って植えられる野菜じゃなくて、つくった野菜から自分で種を採って植えられた野菜のこと。

農学部を卒業した私にとっても、「種の話」はなかなか難しい。

種産業は今や巨大市場化していて、グローバル経済やら利権やらで素人にはわけが分からなくなっている。

2年程前、あるルートから「中国の地方政府が日本の野菜の種を欲しがっている」という話があって、知り合いのJA職員や農家さんに相談に行った。その時は何の考えもなしに「安く種を分けてくれるところ知りませんか?」くらいのノリだったのだが、さすがJAの人は「種」と聞いただけで怪訝そうな顔つきになり、「それ、危ないから手を出さない方がいい」と忠告してくれた。

結局中国の話はうやむやになって終わったのでその後のことは知らないが、確かに、「種」の世界はドロドロしてそう…と、そのJAの人の話を聞いて思った。

つまりこういうことだ。

何か野菜をつくろうと思ったら、私たちはホームセンターなどに行って種や苗を買う。農家さんも同じように、専門ルートを使って種苗を買う。つくる人は収穫物を得るのが目的だから、おいしくて、形のきれいなものが採れれば満足。逆にいえば、できるだけおいしくて形のきれいな果実がなるように改良された種を買う。

そしてその次の年もまた、種を買う。

ここにカラクリがあって、買った種から育てた野菜の種は、翌年植えても使い物にならないようになっている。果実はなっても種はできない、あるいは種ができても発芽しない、または発芽しても次にできる果実は化け物みたいな形になる。

これは遺伝子操作ではなく、A種とB種を交配させてCという雑種をつくると、次にCとCを交配させても同じようにCはできないという自然の摂理。たとえば人間が猿とセックスしてすごい強靭な人面猿が生まれたとしても、人面猿には生殖能力がほとんどない、というわけ。

野菜の品種改良とは、より良いAとより良いBを交配させてCを大量生産するということで、種会社はそれによって何百万という農家に毎年種を売り続けることができている。

だから農家は、間違っても「新しい種の方が育てやすい」とか「自分で種を採取するより買った方が早い」とかいう理由で毎年種を購入しているわけじゃない。そのブランドをブランドたらしめるのは、あくまで1代目まで、という風にできているのだ。

そのC種のことを、正式には「F1種」という。

 (これはホウレンソウの発芽。F1種)

だから、畑で自家採取して何世代もつくり続けられるような種は、一般にはほとんど売られていない。
もしそういう種を持っている農家さんがいたら、すごく貴重。 なぜかといえば、品種改良の素材になり得るからだ。

ほら、危なげなにおいがしてきたでしょ。

「種」には利権が絡む。
世界中の薬メーカーや化粧品メーカーが有用な生物資源を探しているように、世界中の種苗メーカーは常に優秀な種を探している。
中国の地方官僚も、F1種が欲しかったわけじゃなく、結局は在来種(親種)を探していたんだ。そのことに気づかなかった私は、なんてアンポンタンなんだろう。大学の学費を親に返上したい気分…。

 

    ♦ ♦ ♦ ♦ ♦

 

だけど、その「在来種」を個人で栽培している農家も、実は全国にちらほらいるらしい。

上記の高橋さんは、そうした農家さんを支援するため、一念発起して八百屋になったのだそう。

支援しなきゃいけない理由のひとつは、後継の問題にある。
つまり、売れなきゃ続かない。

これだけF1種だらけになった野菜市場で、F1じゃない種を売っていくのは至難の業だ。しかも在来種はF1種みたいに“コギレイ”じゃない。美しくなるように作られてないから、ブサイク揃い。
しかも1個1個が不揃いのため、“規格”に合わないからと流通にも乗せてもらえない。

じゃあ無理して育てなくても、種だけ公的な機関に保管してもらったら?…と安易に考えてもダメなの。

重要な種は、確かに「独立行政法人 種苗管理センター」(茨城県)というところで保存されている。
でも、日本には各都道府県にものすごい数の在来種があって、 それらのほとんどは、“その地”じゃないとうまく育たないらしいのだ。
しかも在来種の寿命は、基本的に約2年なんだとか。 

その地で、つくり続けないと残っていかない、そういうものなんだ。

(高橋さんの資料より、各都道府県の在来野菜。種の入手可否、野菜の入手可否が記されている)

 

ちなみに「有機野菜」というのは、農薬や化学肥料を使わずに栽培された野菜のことなので「種」とは関係ない。
EUでは在来種の有機野菜も多いらしいが、日本ではF1種の有機野菜がほとんどだという。

栽培方法だけでも栄養価や安全性は高まるけど、「種」の違いも実は大きいんですよ、というのはこんな理由から。

・“その地”に適合しながら生き延びてきただけあって、農薬が要らない
・昔さながらの、野菜らしい野菜の味がする(くせがある)
・その分、栄養価が高い(逆に改良されたものほど、栄養価は下がっている) 
・不揃い(個性的)な野菜本来の形を楽しめる
・繁殖能力がある本来の植物である

もし在来種の野菜がどんどん絶滅してしまったら、私たちが食べられるのは、未来永劫F1種だけになってしまう。(今もほとんどそれに近いけれど…)
そして繁殖能力がある本来の野菜の種を持っているのは、種会社と研究機関だけ、ということになる。

それってなんだか気持ち悪くないですか…?

 

極めて売りにくいブサイクな在来種をコツコツつくり続けてくれてる農家さんがいて、野菜は本来、こんなに色も形も匂いもいろいろあるんだ、ということを実感することができる。

それで、普段は1袋98円の安イモを買っている私も、「今日は本物のイモにしよ」と思った時にサッと買いに走れて、気軽に贅沢なひとときを味わえる…っていうのが理想の姿。

有機・無農薬 + 在来の種。

オーガニックが随分定着してきたと思っていたけれど、まだまだこれからなんだな。

 

「食」のセカイは奥深い。

 

(きこえる・シンポジウムにて、在来野菜のランチ☆)


文章とセックスの深い関係

2013-01-10 | 2013年たわごと

今夜は眠れないので、最近思っていることを記そう。

「書く」ということは、セックスするのに似ているということについて。

 

写真とビデオとルポを全部やるようになって、尚更「書く」ことの難しさを実感するようになった。

もともと本を読まない人だから、文章はどちらかといえば苦手な方。ニュース記者をしていた時も、取材や撮影や編集に比べて、記事を書くのは一番下手だった。

東京に出てきた3年前から文章と真面目に向き合うようになり、小説も最後まで読めるようになった。それくらい最近のことだから、もともと頭に入っているボキャブラリーが少なく、文章表現の技もほとんど知らない。

ただ、その道のプロにいわせれば、音楽をやっていた人には独特のリズム感があるらしい。

つまり私は、鼻歌をうたうように、なんとなく心地よい旋律に合わせて言葉を連ねているだけ。あとはハッタリで無理矢理単語をねじ込んでいるに過ぎない。

 

でも、そんな私でもチョビチョビと成長はしているらしい。

それは昔書いた文章を読むとよく分かる。

 

…えらいマスターベーションやなぁ。

 

いやはや今にも、ァン、ァンと気色悪い吐息まで聞こえてきそうで恥ずかしくなる。

文章を書くのに慣れてない人は、概してコレ。

自慰行為が過ぎる。

 

他人の行為もよく見て、ある程度の経験を積んでくると、徐々に回りが見えてくる。

自分が気持ちよくなるより、相手を気持ちよくさせるにはどうしたらいいか。

 

まぁ、そのためにはテクニックも少しは必要でしょう。
でもテクニシャンの行為は、……想像しただけでもちょっと怖い。

だったら才能? つまり、ブツ?
いやぁ、でかけりゃいいってもんじゃありませんよ。

そしたら、愛情?
そうですねぇ、誠実さは必要です。何より、必要。

だけど見せかけの愛情はすぐにバレる。長続きしない。

文章も同じく、中途半端な気持ちでは魂が入っていないのがバレてしまう。
つまり優れた物書きは、きっと体力と精神力が凄まじいんだろうな。
そして燃え盛る激しい情熱を内に秘めているに違いない。

 

私の場合、写真やビデオの仕事が続くと、文章はしばらくご無沙汰になる。

するとどう、その間に、すっかり忘れてしまうのですよ。書き方を。

まさにセカンドバージン。

久しぶりに書かねばならなくなると、痛いのなんのって。

 

だからやっぱり、慣れというのも必要ですね。

適度に刺激しておかないと、感度も上がらない。

 

他にも似ている部分はいろいろあるのだけれど、今夜はこの辺にしておこう。 

 

わたし、マスベしてませんでしたか?

皆さんは大丈夫?

…まぁ、こっそりやってる分には構いませんけど。それも練習、練習。

 

ほとばしる情熱は、どんな形であれ、とにかく外に出してあげた方がいい。

これ、あくまで表現意欲のことですからね。

 


東洋最大級の鍾乳洞

2013-01-07 | 日本の旅

福島県にある「あぶくま洞」は、東洋最大級のだと、いろんなサイトに書いてある。

一体いかほどか確かめてみるため、大晦日にちょっと無理して行ってみた。

とはいえ、“確かめてみるため" というのは嘘で、ほんとは東洋最大級だなんて知らなかった。

あぶくま洞に着いて、私は驚いた。

「…なんや、立派な観光地やないかい!」

洞というくらいだから、もっと野性味あふれる、薮の中のホラアナみたいなものを想像していたのに。

入り口では、スキーのゲレンデのようなポップソングがかかっている始末だった。

(入り口前の展望はよし)

しかも入場料は1200円とバカ高い。

…なぜ

ガックリしながらも、今さら引き返せず、足を進めること数分。

洞に入るとだんだん気分が盛り上がってきた。

インターネット情報によると、この鍾乳洞は8000万年かけてつくられたという。

8000万年…。

ウィキペを引いてみると、恐竜の全盛時代が1億年前。それらが大量絶滅したのが6550万年前。
ということは、この鍾乳洞が動き始めた頃は恐竜が生きていたというわけか。

 

(「地底の精霊」スポット)

ちなみにここが発見されたのは、1969年というから、極最近のこと。

見つけた人はさぞかしビックリされたことでしょう。

今では入場客から1200円もとる立派な観光地。足場はきれいに塗装され、見応えある鍾乳洞スポットにはカラフルな光が当てられ、丁寧に名前まで付けられている。

しかし、歩み進めるにつれ、これは1200円の価値はありそうだぞ…とこんなにケチな私でも思えてくるほど、道は長かった。ちょっとしたお化け屋敷のようでもあり、もし独りで行ってたら泣きべそかいてたかもしれないくらいのスリルがある。

そして中間地点。

いきなり若いお兄ちゃんに「いらっしゃいませ」と声をかけられる。

ここで更に200円払えば「探検コース」に進めるという。

…………。

しばし考え、しかし、せっかくなので右を選んだ。

(確かに探検っぽい場所がいくつかある)

1200円(+200円)はバカ高いと思ったが、ここまで来ると納得できる。

これだけの照明、舗装、メンテナンス…ありのままでの自然ではなくなるけれど、それらがなければ人が歩くのは無理ですわ。しかもいかにも観光客な格好で。しかも写真を撮りながら。

観光整備してくださった方々に、遅ればせながら感謝する。

(ここが最後のメインスポット。左下に人がいるの、わかりますか?)

そして出口が見えたところに、こんなものまであった。

年中温度が一定であることを利用して、ワインを醸造しているらしい。

これには完敗。

 

あぶくま洞は、原発に一番近い観光地らしい。

けれど、出入口の放射能測定機では、0.128マイクロシーベルト/h。

少なくとも観光する分には全く問題ない。

 

原発がどんなにたくさん建ってても、その回りには私たちと同じように生活している人がいるんだってことも、ここに来るとじんわり感じられたりする。

あぶくま洞、いいですよ。

東洋一ならもっと宣伝すればいいのになぁー。


気仙沼の虎と神様

2013-01-04 | 日本の旅

2013年の初日の出は、気仙沼で拝んだ。

気仙沼市階上(はしかみ)にある岩井崎という岬。
この辺では有名な日の出スポットらしく、岩手ナンバーの車もちらほら見えた。

しかし正月早々ここに来たのは、初日の出だけのためではない。

RQ被災地女性支援センター(RQW)の活動展が1月25~27日に東京で開かれるので、そこで階上地区の紹介をしたい、と相談があったのが11月のこと。階上地区はRQWが支援活動をしている拠点のひとつだが、支援活動自体の写真はあっても、地域を紹介するための写真はこれまで撮ったことがなかった。

それで、地域の特徴が見えるのは……正月しかない!ということになったわけ。

(午前6時の三陸海岸)

岩井崎には、7時前から100以上が集まっていた。

 

そして初日の出をみんなで拝んだ(といっても、みんな写メ撮ってましたけど)後は、餅まき。

これは、地元の人でつくる「虎舞保存会」と、岩井崎の手前にある「琴平(ことひら)神社」によるもの。そして餅がまかれ終わったら、人々はゾロゾロと琴平神社に歩いて行った。

そこで始まったのが、300年の歴史をもつといわれる虎舞。

参拝の長い列のすぐ隣で、10数人の保存会の人たちが勢いよく太鼓を打ち鳴らし始めた。

この虎舞は、創始期や由縁は分かっていないらしい。1723年の文献に虎舞の記述があるため、300年くらいは歴史があるのだろう、という認識だそうだ。

つまり「なぜトラなのか?」という疑問にもはっきりした答えがない。

ひとつは「虎は千里往って千里還る(1日に千里往復できるほど勢いが盛ん)」と言われることから、特に縁起かつぎを重んじる“海の人”に重宝されてきたということ。

そしてその由縁を、保存会の会長さんはこんな風に話してくれた。
「琴平神社のことを、地元の人は昔から「こんぴらさん」と呼んでるんだ。こんぴらさんは四国の辺から来たようだから、そんなようなことと何か関係あるのかなぁ」

なるほど、この辺りは昔から、九州の船がカツオを追いかけて来た地域。
それで潮の流れと一緒に、漁船だけでなくいろいろな物資も運ばれてきたという。
四国や九州発祥の神社なら、中国の影響を色濃く受けている可能性は大だね。なっとく。

そのトラも、津波で頭部分が流された。

太鼓も100個以上あったのに、残ったのは数えるほど。

それらの補充と寄付金が、横浜中華街やその他の団体から送られ、なんとか復活できたのだという。
今回「取材させてもらえませんか?」と問い合わせたら、「支援をもらった全国の人たちに、こうやって続いていることを知らせてほしい」と、逆にお願いされた。「それならビデオも撮りましょうか」と、急遽ビデオも回して完全記録することに。

そして虎舞の復活を喜びながら、保存会の人たちも被災の悲しみから立ち上がろうとしている。

たとえば会長さんは、奥さんとお孫さんを津波で流された。
太鼓叩きの子ども達は、多い時には50人ほどいたのに、震災後は15人にまで減ってしまった。

支援金で手づくりされた虎頭が、せめてひょうきんな面持ちをしていたよかったと、なんとなく思った。

この愛嬌あふれるトラが、この地にいてくれてよかった。

 

琴平神社で舞った後は、急いで仮設住宅に移動。

ここではおじいさんが出てきて、トラと即興で踊り合っていた。

昔から人々は、寄り集まればこうして踊り合って場を盛り上げたそうだ。太鼓の曲目にも、虎と共に人々が踊るための曲があるらしい。

 

“海の人”の縁起かつぎは、祭りだけにとどまらない。

こちらの神棚、一般家庭のものですよ。…ちょっと大きくないですか?

垂れ下がっている紙は、この地域ではどこの家でも見られる、キリコ。
宮城~岩手に見られる伝統的な切紙だ。これを年末に神社からいただき、奉納金を納めるのが習わし。

右から順に「魚」「野菜」「お金」「お酒」「お餅」を表している。

上の方に下がっているのも同じくキリコで、それぞれ意味がある。

右から「魚」「お金」「俵」…など。

ちなみにキリコは、神主さんによって全て手でつくられる。

写真のとおり、フリーハンド。

そして各家から持ち寄られた風呂敷に、御幣束と一緒にキリコが包まれ、配られる。(写真は12月14日)

 

また、神棚の左側の部屋にはご神体もあるのだが、そこに宿る神様は、なんと毎月交代するんだそうな。
そのため、鏡餅は小さいものを12個並べる。このように。

海上での無事を祈る浜の女たち、また家族の思いは、こうした形で天に届くのだな、としみじみ。

八百万の神に対する信仰も、ここでは人々の自然観となって息づいているように感じる。
その証拠に、正月に食べる朝晩の料理は、家主が玄関の前に立って東西南北に向かって4回お辞儀して捧げ、すっかり冷えたものを最後に家主が食べるのだという。しかも3日~5日間、毎日。

それもこれも、神様はひとところではなく、あっちにもこっちにも四方八方にいらっしゃるから。

 

自然と共に生きるということは、きっと、単に自然の中で生きるということではない。

たくさんの神様に敬意を払いながら、たとえそのうちの一人が激しく怒って災いを起こしたとしても、それでも偉大な力を崇めながら暮らすということ。

願わくば、その風習のどれもがこの先廃れることなく、ずっと永く続いてほしいと思う。
それは、便利さを求めて都会に住んでいるような人間には、願う資格もないことだろうか。 

だけど、それでも厚かましく願う。
だってもしこういう風習や風景がなくなってしまったら、 私は日本を微塵も愛せなくなってしまうんじゃないか?と思うから。
…けれど逆にこういう愛しい風景をもっとたくさん集めたら、日本を愛する人が増えるのかもしれない。今の自分が、ひとつ“日本好き度”を上げたように。

 

2013年は行動の年。

丹念に、こころをつむごうと思う。