小倉百人一首には「初恋」をテーマにした歌が二首選出されている。
平安時代、宮中では「歌合」と言われる、一種の競技が行われていた。
歌詠みとして身を立てている人を集め、お題を出して歌の優劣を競うのだ。
競技に参加する歌詠みにとって、これはまさに生きるか死ぬかの勝負になる。
村上帝の時代、「歌合」が行われ、「初恋」と言うお題が出された。
挑戦者の一人は壬生忠見。
貧しい家に生まれながら、歌で名を馳せて宮中に召される身だ。
彼の詠んだ歌は
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思いそめしが
(恋をしていると言う噂があっという間に知れ渡ってしまった。
人に知られないよう、そっと思い始めていたはずなのに)
*てふーと言う
一方の挑戦者は平兼盛。
帝の血筋で、幼い頃から学問を極めたその道のエリート。
その歌は
忍ぶれど 色に出にけり 我が恋は
物や思ふと 人のとふまで
(隠していたつもりだけど、顔の色に出てしまったようだ。
物思い―恋―をしているのかと人に問われるほど)
審判は左大臣藤原実頼。
だが共に秀歌と言うことで判定を決しきれずにいたところ、帝が御簾の中から「忍ぶれど」と呟かれ、勝者が決定したと言う。
以後、敗者となった壬生忠見は世間に出ることもなく、病床の身となって亡くなった。
ちなみに勝者の「忍ぶれど」にはパクリ疑惑が出ている。
「恋しさを さらぬがほして 忍ぶれど 物や思ふと 見る人ぞとふ」
この古歌をパクったと非難されていたらしい。
歌のパクリ疑惑は現代でもいろいろ出てくるが、それに命まで賭けなければならない時代もあった。
どちらにしても、身分やコネがものを言うことには変わりないが。
平安時代、宮中では「歌合」と言われる、一種の競技が行われていた。
歌詠みとして身を立てている人を集め、お題を出して歌の優劣を競うのだ。
競技に参加する歌詠みにとって、これはまさに生きるか死ぬかの勝負になる。
村上帝の時代、「歌合」が行われ、「初恋」と言うお題が出された。
挑戦者の一人は壬生忠見。
貧しい家に生まれながら、歌で名を馳せて宮中に召される身だ。
彼の詠んだ歌は
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思いそめしが
(恋をしていると言う噂があっという間に知れ渡ってしまった。
人に知られないよう、そっと思い始めていたはずなのに)
*てふーと言う
一方の挑戦者は平兼盛。
帝の血筋で、幼い頃から学問を極めたその道のエリート。
その歌は
忍ぶれど 色に出にけり 我が恋は
物や思ふと 人のとふまで
(隠していたつもりだけど、顔の色に出てしまったようだ。
物思い―恋―をしているのかと人に問われるほど)
審判は左大臣藤原実頼。
だが共に秀歌と言うことで判定を決しきれずにいたところ、帝が御簾の中から「忍ぶれど」と呟かれ、勝者が決定したと言う。
以後、敗者となった壬生忠見は世間に出ることもなく、病床の身となって亡くなった。
ちなみに勝者の「忍ぶれど」にはパクリ疑惑が出ている。
「恋しさを さらぬがほして 忍ぶれど 物や思ふと 見る人ぞとふ」
この古歌をパクったと非難されていたらしい。
歌のパクリ疑惑は現代でもいろいろ出てくるが、それに命まで賭けなければならない時代もあった。
どちらにしても、身分やコネがものを言うことには変わりないが。
逢ひみての のちの心に比ぶれば むかしはものを思はざりけり です
恋の歌として秀逸ですね。
私も好きです。
逢えば逢ったでまた逢いたくなる。
そう言う気持ちは、今も昔も変わりがないようです。