このブログを見ていただいてる、工務店さんは、ホントに良い家とはと日々探求されている。
このような真面目に良い家を追求されてる工務店と、日々安い単価の家を追求?してる工務店?ハウスメーカーも沢山いる。
見映えを追うのか、性能を追及するのか?
一般客には性能よりも、見映えが分かりやすい。
性能は長年住むことにより、結果が出てくる。
換気が悪く、断熱、気密性能が悪くても、よっぽど大きな問題が出てこなければ、特に問題なし。
とりあえず、雨漏りしないし、エアコン、暖房も効いてるような感じだから、それ以上良い家に住んだ事がないから比較のしようがない。
気持ち的に満足であれば、換気が悪かろうが、暖冷房の効きが少々悪くても、住む事に支障はない。
大多数の日本の家は、こんな感じで住まわれている。
注文住宅であれ、建売であれ、大差はなく。
建材商品見本市住宅であることに変わりは無い。
こだわり派は、RCやログ的な住宅で、外観からの差別化で満足してる。
実際の住み心地とは関係ないところでの戦いだ。
本来の住み心地が良く、燃費、換気の性能が良い家に住める人は、日本の?%なのか?
昨日の朝日新聞に森永卓郎氏が書いていたが、無駄を省いてシンプルライフは、いざ災害が起こったときは、備蓄が少ないために苦労すると書いてあった。
トヨタ自動車のかんばん方式は、在庫を持たない生産ラインは、今回の災害で大きなダメージがあった。
だからと言って、家の中を片付けられない、捨てられない、断捨離ができない人が多いのも、また一理。
日本の家の玄関は、人を入れないため外に開く。
欧米では、人を招きいれるため内側に開く。
文化の違いは、欧米では家のプライベートの場所は寝室と家族用のリビングルームだけ。
日本は、玄関の内側から全てプライベートなスペースだ。
当然、20坪の土地に建てられた2階建てに家族4人住むのであれば、客を招きいれる場所はない。
だから、外で会食となるわけだ。
客が来ないプライベートな居住環境を整理整頓するのは、困難なことだ。
戦後の日本の住文化は、雨露を凌いで、父さん元気で留守が良い方式で、建てられた家がほとんどだ。
そこには、家に対する思いは何も無い。
人生の三分の一を過ごす、家に対する思い込みが少ないし、理想も無い。
その人たちに、どんな家に住みたいかと問うほうが危険だ。
結果、日本の住宅は25年で壊されてスクラップになる。
先進国で日本以外、住宅を25年でスクラップにする国は無い。
親も子供も住宅ローンに追われて一生を過ごす。
資産価値の無い住宅を造り続けるため、後世にに引き続ける住宅ストックが無い。
こんなこといつまで続けるつもりなんでしょうか?
家族の思い出、親の思い出が詰まった家が、日本で存在する事は許されない。
寺社仏閣は何千年前から残されてきたのに、自分達が住んだ家は、戦後60年間で建てられた?%が残っているでしょうか?
こんな社会にしたのは誰が悪い?
家は国民の文化レベルの生き写しだ。
偶然残った古い文化遺産で助けられてるが、現代人が残せる住文化遺産は、どれはほど現在あるのか?
戦後はほぼ無いに等しいと思いませんか?
このような真面目に良い家を追求されてる工務店と、日々安い単価の家を追求?してる工務店?ハウスメーカーも沢山いる。
見映えを追うのか、性能を追及するのか?
一般客には性能よりも、見映えが分かりやすい。
性能は長年住むことにより、結果が出てくる。
換気が悪く、断熱、気密性能が悪くても、よっぽど大きな問題が出てこなければ、特に問題なし。
とりあえず、雨漏りしないし、エアコン、暖房も効いてるような感じだから、それ以上良い家に住んだ事がないから比較のしようがない。
気持ち的に満足であれば、換気が悪かろうが、暖冷房の効きが少々悪くても、住む事に支障はない。
大多数の日本の家は、こんな感じで住まわれている。
注文住宅であれ、建売であれ、大差はなく。
建材商品見本市住宅であることに変わりは無い。
こだわり派は、RCやログ的な住宅で、外観からの差別化で満足してる。
実際の住み心地とは関係ないところでの戦いだ。
本来の住み心地が良く、燃費、換気の性能が良い家に住める人は、日本の?%なのか?
昨日の朝日新聞に森永卓郎氏が書いていたが、無駄を省いてシンプルライフは、いざ災害が起こったときは、備蓄が少ないために苦労すると書いてあった。
トヨタ自動車のかんばん方式は、在庫を持たない生産ラインは、今回の災害で大きなダメージがあった。
だからと言って、家の中を片付けられない、捨てられない、断捨離ができない人が多いのも、また一理。
日本の家の玄関は、人を入れないため外に開く。
欧米では、人を招きいれるため内側に開く。
文化の違いは、欧米では家のプライベートの場所は寝室と家族用のリビングルームだけ。
日本は、玄関の内側から全てプライベートなスペースだ。
当然、20坪の土地に建てられた2階建てに家族4人住むのであれば、客を招きいれる場所はない。
だから、外で会食となるわけだ。
客が来ないプライベートな居住環境を整理整頓するのは、困難なことだ。
戦後の日本の住文化は、雨露を凌いで、父さん元気で留守が良い方式で、建てられた家がほとんどだ。
そこには、家に対する思いは何も無い。
人生の三分の一を過ごす、家に対する思い込みが少ないし、理想も無い。
その人たちに、どんな家に住みたいかと問うほうが危険だ。
結果、日本の住宅は25年で壊されてスクラップになる。
先進国で日本以外、住宅を25年でスクラップにする国は無い。
親も子供も住宅ローンに追われて一生を過ごす。
資産価値の無い住宅を造り続けるため、後世にに引き続ける住宅ストックが無い。
こんなこといつまで続けるつもりなんでしょうか?
家族の思い出、親の思い出が詰まった家が、日本で存在する事は許されない。
寺社仏閣は何千年前から残されてきたのに、自分達が住んだ家は、戦後60年間で建てられた?%が残っているでしょうか?
こんな社会にしたのは誰が悪い?
家は国民の文化レベルの生き写しだ。
偶然残った古い文化遺産で助けられてるが、現代人が残せる住文化遺産は、どれはほど現在あるのか?
戦後はほぼ無いに等しいと思いませんか?