僕の友人で,司法試験に合格する前は検察官志望だったのに,検事にならず弁護士になった人がいます。
その人は,その理由を,「検事は人を疑うことが仕事だが,弁護士は人を信じることが仕事だから」と話していました。
確かに,犯罪の疑いを掛けられている人(被疑者)は,何とか,刑罰から逃れようと,自分に都合のいいことばかりを言い,真実を話さないことが多いので,検事は,簡単に被疑者の言うことを信じてはいけません。
また,弁護士は,被疑者・被告人の言うことを信じてあげないと,弁護は出来ません。
しかし,検事も,疑ってばかりで被疑者を信じてあげなければ,被疑者が検事のことを信頼しないので,本当のことをしゃべってくれなくなる可能性があります。
また,弁護士も,被告人が言う都合のいいことを馬鹿正直に信じていては,裁判などで,被告人に不都合な事実を指摘されたときに,適切に対応できなくなってしまいます。
検事は,疑いを持ちつつも,信じる心もなくてはならないし,弁護士も,信じつつも,問題意識を持っていなければならず,両者の違いは,ニュアンスの違いに過ぎず,求められているものは同じものなのかもしれません。
日曜日の朝日新聞に載っていた,堀田力氏の講演録に,次のような話が載っていました。
初の女性検事の息子が弟を殺したという事件があり,息子は自分はやっていないというものの,証拠から息子の犯行であることは明白だったそうです。
その息子に関し,検事であった母親が,「やっていないというなら,うちの子どもを信じます」と発言したそうです。
それに対し,堀田氏は,検事であった母親の心情を,「親は子どもの最後のとりで。信じる人が誰もいないと,この子は救われない」というものであったのではないか,と推測しています。
人を信じるには,自分が強くなくてはなりません。
自分が弱いと,不安になり,信じる気持ちが弱くなり,疑いを持ってしまいます。
一方で,弱い自分も持ってないと,相手の痛みがわからず,これまた相手を信じることは出来ません。
人を信じるということは,大変難しいことです。
でも,どんなに状況が悪くても,状況が悪いことを認識しつつも,人を信じることができる,強い力を身につけられるように,努力していきたいものです。
その人は,その理由を,「検事は人を疑うことが仕事だが,弁護士は人を信じることが仕事だから」と話していました。
確かに,犯罪の疑いを掛けられている人(被疑者)は,何とか,刑罰から逃れようと,自分に都合のいいことばかりを言い,真実を話さないことが多いので,検事は,簡単に被疑者の言うことを信じてはいけません。
また,弁護士は,被疑者・被告人の言うことを信じてあげないと,弁護は出来ません。
しかし,検事も,疑ってばかりで被疑者を信じてあげなければ,被疑者が検事のことを信頼しないので,本当のことをしゃべってくれなくなる可能性があります。
また,弁護士も,被告人が言う都合のいいことを馬鹿正直に信じていては,裁判などで,被告人に不都合な事実を指摘されたときに,適切に対応できなくなってしまいます。
検事は,疑いを持ちつつも,信じる心もなくてはならないし,弁護士も,信じつつも,問題意識を持っていなければならず,両者の違いは,ニュアンスの違いに過ぎず,求められているものは同じものなのかもしれません。
日曜日の朝日新聞に載っていた,堀田力氏の講演録に,次のような話が載っていました。
初の女性検事の息子が弟を殺したという事件があり,息子は自分はやっていないというものの,証拠から息子の犯行であることは明白だったそうです。
その息子に関し,検事であった母親が,「やっていないというなら,うちの子どもを信じます」と発言したそうです。
それに対し,堀田氏は,検事であった母親の心情を,「親は子どもの最後のとりで。信じる人が誰もいないと,この子は救われない」というものであったのではないか,と推測しています。
人を信じるには,自分が強くなくてはなりません。
自分が弱いと,不安になり,信じる気持ちが弱くなり,疑いを持ってしまいます。
一方で,弱い自分も持ってないと,相手の痛みがわからず,これまた相手を信じることは出来ません。
人を信じるということは,大変難しいことです。
でも,どんなに状況が悪くても,状況が悪いことを認識しつつも,人を信じることができる,強い力を身につけられるように,努力していきたいものです。