あろてあろあ日記

単なる日記です。特にテーマもありません。
目的地を定めない旅行もいいものです。

大晦日

2006-12-31 | Weblog
おお-みそか【大晦日】
(各月の「みそか」に対して)1年の最終の日。おおつごもり。
と広辞苑にあります。

1年の最終の日ということで,今年1年を振り返ってみようと思います。


1月から4月中旬:法律事務所での仕事,司法試験予備校での添削,ロースクールの講師と働く。そのおかげで懐に多少ゆとりができ,車も購入できた。ただ,後から振り返ると(わかっていたことであるが),修習前のこの時期にゆっくり本を読んだり,長期旅行に出かけるなどしておけばよかったかもしれない

4月中旬から6月中旬:前期修習。遠距離通所で大変だったが,久しぶりに知的に刺激を受ける時間を過ごせて,有意義であった。

6月下旬から9月中旬:弁護修習。前期修習の骨休み?とし,のんびり過ごす。法律事務所は通算3ヶ所目となるが,事務所ごと・弁護士ごとにいろいろやり方があり,この点を経験できたことは,本当に,今後の将来の財産となったと思う。

9月下旬から12月中旬:民事裁判修習。内容が多彩だったので,結構忙しかった。本来は裁判官としての修習だが,弁護士になる自分としては,いろいろな弁護士を第三者的立場から見れたことが,大変貴重な機会であった。

12月下旬から:刑事裁判修習。まだ始まったばかりだが,扱っている事件の性質上,民事と異なり,裁判所自体が緊張感がある気がする。



『目的を定めないブログ』ということでブログをはじめたが,結局修習のことばかりになってしまった。

修習専念義務を果たした,といえるかもしれない。
仕事などが忙しい中でも,時間を作りいろいろ関心を持つことが,普段のゆとりとなり,長い目で見れば,よりよい仕事ができ,よりよい人生が送れる。
この点が来年の課題だ。

ただ,修習は,一度しかない。残り半分をきった修習を有意義に過ごしたい


裁判官

2006-12-29 | Weblog
裁判所も昨日で仕事納めです。

ゆえに修習生も今日から年末休みです。年明けは4日からです。
このあたりは一般企業と同じでしょう。
ただ修習生でも,弁護修習中の人などは,配属先の事務所によるので,既に昨日あたりから9日まで休み,という人もいるようです。


もっとも裁判所も,令状当番の裁判官は,年末年始も裁判所にやってきます。

令状当番とは,刑事事件で,警察などの捜査機関が犯人を逮捕するとき,逮捕状などの令状が必要なのですが,その令状を出すのが裁判官であり,逮捕等は深夜や土日,年末年始に関係なくなされるので,令状の審査のために裁判官が当番制で裁判所に待機する制度をいいます。
当番の日が日中の場合もありますが,当直になる場合もあるし,土日・年末年始になる場合もあるので,元旦から裁判所にこなくてはならない裁判官もいるわけです。
加えて,対応する書記官も泊り込むことになるので,少なくとも二人は裁判所に職員がいることになります。
令状当番が回ってくる頻度は,他の世界と同様,若手のほうが高いようで,当直や土日,年末年始の当番は若手の裁判官であることが多いようです。

また,裁判所は他の役所と同様年功序列であり,若手の裁判官の給料はそんなによくなく,また裁判官には残業代がでません。土日に出勤しても当然手当はつきません。
もっともこれは検察官も同じらしく,僕の友人の検察官は,初任のころ,時給にするとコンビニバイトより安いと嘆いていました。

さらに,裁判官は3年に一度くらいの割合で転勤があり,全国各地に容赦なく飛ばされます。単身赴任は必須です。


まあ,そうは言っても,裁判官の給料は日本国憲法に減額してはならないと書いてあるほどで,また,給与の額自体も一般の公務員と比べて高めであり,厚生年金に比べて有利な共済組合なども含め,普通の仕事に比べて恵まれていることは否めず,それだけに裁判官は修習生の間でも人気の職業であり,狭き門となっています。

刑裁修習スタート

2006-12-19 | Weblog

刑事裁判の修習がスタートしました。

同じ裁判所内で部屋が替わっただけなので,生活に変化はありません。

ただ,刑事事件というシリアスな事件を扱っているせいか,配属部の雰囲気も,なんとなくピリピリしているような印象を受けます。

まあ,裁判所という職場自体,静かで,まじめで,あんまり活気のない職場なのですが。

明日は,一日中大きな事件(殺人)の証人尋問があります。大変です






民裁修習終了

2006-12-17 | Weblog
民裁修習(裁判所民事部)が終了しました。
あすから,同じ裁判所で,刑事部での修習(刑裁修習)になります。


民事裁判の修習で一番ためになったのは,弁護士を第三者的に見ることができたことでした。

弁護修習では,一人の弁護士にずっとついてまわるので,そもそもそれほどたくさんの弁護士を見るわけではありません。

しかし,民裁修習では,法廷が開かれる日は,証人尋問がなければ,一日に15から25件くらい事件があり,弁論準備や和解がある日は,一日に7から12件くらい事件があります。すべての事件に弁護士がつくわけではありませんが,一日に相当数の弁護士を見ることができます。

これだけたくさんの弁護士を見ていると,訴訟準備がきっちりできている弁護士とそうでない弁護士,書面がしっかりかけている弁護士とそうでない弁護士,証人尋問のうまい弁護士とそうでない弁護士,和解などで当事者をしっかりコントロールできている弁護士とそうでない弁護士など,さまざまな弁護士がいます。


弁護士に限られた話ではありませんが,自分の地位や立場になれると,どうしても周りが見えず,反省しなくなり,自分が不適切な方向に行こうとしているのに,修正できなくなってきます。特に,弁護士は独立性が強いのでその危険があります(もっとも,組織に属していても,組織自体が間違ってると自分自身にかかわらず誤った方向に行ってしまう危険もありますが。)。


そうであるとすると,弁護士になるにあたって,柔軟な修習生のうちに,いろんな弁護士を見ておくことは貴重な経験です。
もちろん,修習生のときだけでなく,弁護士になってからも,自分が修習生だったころを思い出して,常に自己反省することが重要です。なぜなら,いま弁護士である人も,元修習生であったはずなのに,そのころ感じたことを忘れてしまっているように感じられる人が多いからです。


民事裁判官の仕事ぶりを見るのが民事裁判修習の目的ですが,裁判官は弁護士を第三者的に見ているので,上述のような点が民裁修習の一番ためになったことになってもいいかな,という気がします。




裁判所全体の雰囲気としては,みんないい人ばかりでしたが,なんとなく裁判所は中立・公平な立場で事件を見ている,っていうことを強調したがる雰囲気があるような感じがしました。
でも,何が中立・公平かというのは,相対的なものであるし,別に弁護士が中立・公平な解決の道を考えていないわけではありません。

ただ,一方,弁護士の間には,裁判官は当事者の気持ちをわからない,冷たい,というような批判をする人もあり,これに対しては,裁判官だって当事者の気持ちを理解しようとしていないわけではありません。

結局,裁判官も弁護士も,互いに,相手の立場を理解する必要があり,修習生のときに各修習でしっかり勉強し,それぞれの立場についたのちに,適宜思い出せるよう注意する必要があるのだろうと思います。


そういう意味で,やはり,弁護士事務所・裁判所・検察庁を回る今の実務修習制度はすばらしいことを実感します

本人訴訟

2006-12-10 | Weblog
民事裁判の修習もあと一週間となりました。


日本では,弁護士が代理人につくことを義務付けておらず,一般人が自分で裁判を起こすことができます。これを「本人訴訟」と呼んでいます。

当然のことながら,市販されている裁判関係の本などを見て訴状等書面を作ってくるのでしょうが,恐らくその本の意味していることを理解していないためか,内容はめちゃくちゃで,書いてあることを咀嚼しながら,善意に解釈しながら読んでいかなければなりません。

裁判の当日も,裁判手続を理解していないため,法廷の手続に反するからといってこれを排斥するわけには行かず,手助けしながら進めていかなければなりません。
特に,証人尋問の際などは,本来は証人に事実を語らせて証明することが目的なのですが,自分が言いたいことを押し付けているだけになってしまうことが多いです(最も,この点があてはまる弁護士もたまにいますが

このような本人訴訟は,弁護士費用を工面できないので自分でやっている場合も多いのですが,弁護士の法律相談ぐらいは行ったが,本人の要求が法律上無理無理なので弁護士に断られたが,どうにも腹が収まらず裁判にいたっていると思われる場合もあります。
実際に,弁護修習のとき,法律相談で,近所の痴話げんか的な相談があったこともあります。

裁判所としては,国民に裁判を受ける権利が認められ,民事訴訟法が本人訴訟を排斥していない以上,法廷の形式的な要件を満たしている限り,これを受理しなければなりません。

もっとも,通常の当事者双方が対等に法廷で争う「弁論」ではなく,法廷ではなく,小さな会議室みたいなところで,細かい法律上の手続にとらわれず,ざっくばらんに行う「弁論準備」や「和解」という手続もあります。

ただ,「弁論準備」はあくまで「弁論」の準備であり,明らかに不当な主張の場合,わざわざ準備するまでもなく,また「和解」も明らかに不当な主張の場合相手がこれに応ずるはずもなく,そもそも明らかに不当な主張をするような本人自体が和解に応ずるわけありません。

このような人に対しては,裁判所が,事実上,その人が起こしている裁判の意味を説明してあげてもいいかもしれませんが,その説明も聞かず,上級裁判所に控訴してしまうかもしれません。


こういう人は,本人としては,正義感が強いつもりでやっているのかもしれませんが,「自分が正しくてもその通りにならないこともあり,場合によっては妥協しなくてはならないこともある」といった,『生きるための知恵』のようなものを,大人になる過程で学んでこれなかったのかもしれません。


いずれにしろ,弁護士の場合,依頼者が不当な要求をする場合,これを断ればいいだけですが,裁判所の場合,公的サービスとしての性質上,簡単に排斥するわけにはいかず,そのため特に事務方の手間などが結構問題となっているように感じます