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アレコレ

猫たちとの暮らしの中で、やりたいこと・やらなきゃいけないことがたくさん。

家庭科

2012-04-13 16:13:00 | ものづくり

この冬は『猫のお洋服』をつくった。
痒くて毛をむしってしまいツンツルテンになってしまった子と、風邪をひきやすい子用にである。

    
ひな(Sサイズ)と竹三(Mサイズ)です。シマシマ~。紹介はまた後日に。


こういった作業は大の苦手。むかしは型紙を見ただけで固まった。
でも、なぜか今回は、なんども失敗しながら型紙をつくりミシンをかけ、なんとか完成させた。
まだまだ改良の余地はあるが、避妊手術後のカラー代わりにも使えそう。

服を着せるととてもかわいいが、ぬいぐるみではないのだから、ストレスになる子にはもちろん着せない。
マルとタマは、ほふく前進でしか歩けなくなる。
健康上いいことなのかもよくわからない。かえって蒸れたりして肌に悪いんじゃないか、とか。
素材は綿にして汚れたら取り替えていたが、どうなんでしょうね。
今回は問題がなかったし、着せる意味があったから、とりあえずいいかな(単純だ)。
そのうちまた作ってみよう。ちなみに、今は着せていません。


ピーナッツ。膀胱炎になったので急きょお下がりを。
Lサイズで丸太のようなお腹だけど、生地がよく伸びたので着せられた。


余談だが、今の中学校では、家庭科の授業は2週に1度しかないという。びっくり。家庭科は生活の基盤となる科目。
ちょっとしたお裁縫ができないどころか、家族の健康さえ守れない。日本のお母さんがいなくなる!

【主役のような、おまけ】

昨日は実家に行った。車で50分くらいのところにある。一昨年父が亡くなり母一人になったので、たまに様子を見に行く。
春がはじまる季節にはいつも母は元気になる。4~5月、実家は母が育てた花で覆いつくされる。
↑これは、ほんのほんの一部。妹が「天国かと思った…」と皮肉を言うほどあるのです(苦笑)。







ふく

2012-04-12 21:19:32 | 猫の紹介

             

白黒のメス。生年月日不明。エイズ陽性。2004年11月に来て2010年3月に亡くなった。
小梅の一年後のことである。

出会い
夫が職場から家に帰る途中、いつもの道の真ん中でうずくまっている猫を発見、「どうしよう」と電話があった(私が権限を握っているらしい)。
知らんぷりもできますまい、病院へ。子猫かと思ったほど小さく痩せていた。

診察した女医さんが「ひどい状態ですが、野良猫なのでどうしますか?」と言う。
え?このまま見捨てるってことか…。この言葉は意外だった。
「乗りかかった船なので」と言って診療をつづけてもらう。

診察結果は、車にぶつかったことで片目が失明・アゴが割れている、エイズ陽性、等々。
摘出かと思われた眼は温存できた。手術は、アゴにワイヤーを入れ骨をつなぎ、食道に管を入れる。食べられないので流動食をシリンジで注入するためのもの。

手術後すぐに退院、猫出入り禁止の部屋をつくり介護がはじまった。でも、気持ちは楽だった。
ふくがどんどんよくなってくれたし、新しく担当になった若い男性先生がとても信頼できたから(手術もその方)。
家にも電話をくれる。状態はどうですか、と。自分のミスは素直に謝ってくれる。
(残念ながらその先生は研修医だったのか、数年後、その病院から居なくなっていた。残念。)
先生の思いやりとふくの生命力で、あっという間に回復したような気がする。

           

野良猫は気楽でいい。と言う人がいる。そんなことは絶対にない。
ふくはとても不遇な猫生を送ってきたようだ。
家猫になっても、そんじゃそこらじゃあへこたれない。耐えられる子だった。


たとえば避妊手術の時はあっけらかんとしていた。事故のひどい痛みにも耐えたからそのぐらいへっちゃらだったのかな。
口の中の細菌感染で、何度も頬の肉がベロンとおちるほどの化膿もした。
そんな時はいつもエリザベスカラーをつけるのだが、首を振って上手く障害物をよけ、走る。うますぎて笑ってしまうほど。

1枚目の写真で、ふくの左前足が汚れているのがわかる。口の中が汚れているので舐めると汚れが移ってしまっていた。
歯もボロボロだった。女医さんは2歳くらいかなと言ったがそれは間違いだ。
歯ぐきも曲がっていたし、犬歯もどれかが欠損していた。
事故で舌も切れ直角に曲がってしまったので、管がとれて自分で水を飲んだ時は感覚がつかめず鼻ごと突っ込み「フガフガ!ジョボジョボ!ゴホゴホ!」状態。


その後、少しずつ上手くなったけれど、口の状態が悪いので、亡くなるまで水もごはんも上手に飲食できなかった。
それでも、一生懸命、食べて、食べて、食べまくった。食べることが大好きだった。

そんな、ふく専用の水の容器は口の中の食べカスやらでいっぱいで、他の子のが飲まないよう取りかえるのが手間になり、私はイライラしてよく怒ったものだ。
ふくは悪くないのに、私が大変だから自分を優先したのだ。家族にすると決めたんだから責任を持たなきゃいけないでしょ。初心忘るべからず。
幸せになってほしくて『福』と名付けたのに。情けない飼い主だ。

他の子にもやさしい、いい子だった。もう少しかわいがってあげればと悔やまれる。





タマとマル

2012-04-11 13:30:48 | 猫の紹介

姉妹である。
本名:たまえ(茶トラ)・まる子(キジトラ)
名前通りの性格になった。面白くて甘えんぼ。よくしゃべる。現在8歳。

出会い:
2004年3月の日が暮れたころ、知り合いから「とにかくとっても小さな子猫がいる」と電話があった。
車で駆けつけると、車のエンジン音にも負けない大きな声で助けを呼んでいた。
生後3週間くらいの300g台の幼猫。
道路ギリギリのところにいたので、車にひかれなくて本当によかった。
私が着ていたダウンコートの中に入れると
「コロコロコロコロ……」
こんなちっちゃな子でも言ってくれる。はじめは虫の鳴き声かと思った。
家に着くと「やっとおうちにかえってきたー。やったー」って感じで、即、慣れる…。



それからもスクスクスクスク育った。ごはん大盛り+おかわり。まだ食べるの!?3杯目だよ!
マルは食べすぎて吐いたほど。きっと、のどちんこまで詰め込んだのでしょう(苦笑)。



というわけで、これで4匹目。4という数字は未知の世界だった。
今じゃ、4匹? 少なくてさびしいよ(笑)



今居る場所

2012-04-09 20:18:02 | 日記・日常のこと

私は茨城県の出身だが、学生と就職時代は東京だった。
そこで、石松小梅と出会い、二匹を連れて茨城に越してきた。

地元へは帰らないつもりだったが、人生は面白いものですね。

すでに亡くなっている母方の祖父母の家が、
【これから誰も住む人がいなければ取り壊し決定状態】になっていたのだ。

しつこいが、帰るつもりは毛頭なかった。
でも、動揺した。

祖父母の家は、私が小学生のころ、お盆や正月となれば伯父伯母・いとこがたくさん集まり、とっても楽しかった。
大切な思い出深い家なのだ。無くなってしまうのは忍びない。

まだ住める。築43年くらいだし。でも、九州出身の夫(当時は結婚していない状態)を茨城に連れて行けないな。
でも、ある時夫が「いいよ、オレ行っても」とさりげなく言ってくれた。

決めた。引っ越した。
婿でもないのに、茨城に連れて来てしまった。ごめんよ。

当時無職でお金がないので、自分たちでペンキを塗ったり床を磨いたりとリフォームをした。タイルも貼った。

そんな古い我が家を見て、なかには「ボロ屋」とか「みじめだ」とか、逆に「豪邸」とか言う人がいたけれど、言わせておけばいい。

そんなことを言う人の方がみじめだ。

現在はもう築50年以上になる。
昨年の震災で、屋根の瓦は吹っ飛び、ペンキを塗った壁も崩れたりひびが入った。風呂場や台所の貼ったタイルも割れた。
でも、じーちゃんばーちゃんが守ってくれたのか結構頑丈で家は建っている(笑)。
よかったのは、猫たちが無事だったこと。それが一番。震災の時実家に行っていたので、猫たちと一緒にいてあげられなかったのだ。

しかし…いつまで住めるかな。
雨漏りするので、いまだにブルーシート。
強風の度に外れるので、夫が登ってなおします。

 

 




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