探求☆散策記

見たこと、聞いたこと、思ったことを綴った、日常探検記録。

地方における有名建築家の作品1

2003年10月20日 22時44分07秒 | 建築探訪
 都市部からはあまり見る機会を得られない地元(地方)の作品からその作家性や建築後の地域との融和などについて感じたことを述べる。
作品の評価は設計のコンセプトのみによっては行えないと思い、「見て感じる」という単純で直接的な作業により得られるメッセージで自分なりに評価してみたい。同時にメッセージの無い演出は作品ではないと思うが、推し計りきれない場合が多かったのも事実である。

(1)安藤忠雄「豊栄市図書館」
 平成12年11月にオープンしたばかりの、近代的な図書館。平面型は正方形と正円を組み合わせた形をしている。階層や二つの形を用いることで、それぞれのスペースをを分けている。正方形と正円が交わる空間が特徴的である。ドラマチックな視界の展開や採光の方法などデザイン面以外にも機能的なアイデアが詰め込められている。従来の図書館としての機能のみならずマルチメディアも豊富である。7万5千冊以上の蔵書、視聴覚資料(ビデオ・CD・DVDなど)やインターネットが使えるコンピュータを完備するほか、10代向けの本を集めた「ティーンズコーナー」や小学生以下を主な対象とした「子どもの本の部屋」、小さいお子さんなどに読み聞かせをするための「おはなしのへや」、気持のちいい「屋外読書コーナー」など、豊栄市立図書館ならではの空間が盛りだくさんである。併設に喫茶もある。 安藤氏といえばシャープなRCのイメージだが、1F内部など円形のテーブルや吹き抜により木のぬくもりを感じさせる書架となっている。屋外図書も楽しめ、晴天時はここでリラクゼーション可能である。週末には調べ物以外でも訪れたいスペースである。

(2)伊東豊雄「長岡リリックホール」
施設:①コンサートホール700席②シアター450席③スタジオ/第1スタジオ(235㎡・80~100人・ミニコンサート可)、第2~第5スタジオ(約70㎡・30~40人)第6~第10スタジオ(約40㎡・5~10人)その他となっている。
敷地は新潟県・長岡市を南北に流れる信濃川河畔西岸に位置する。近隣一帯の「千秋が原ふるさとの森」では、長岡市の新しい産業と文化の「出会いの場」をコンセプトに、芸術・文化・学問・産業の最新情報を発信するための施設を次々と整備している。大展示ホールを備えたコンベンションホールの「ハイブ長岡」、「新潟県立近代美術館」、「長岡造形大学」などの施設が隣接し、長岡市のあらたな都市づくりを支える拠点として活用され、市民生活も芸術活動の場を豊かにしている。この中で市民の参加を一層促していく目的として、コンサートホールとシアターを合わせ持つ総合文化ホールとして活用されている。“叙情的な”、“メロディーの美しい”という意味を持つ愛称の「リリック(Lyric)」は、公募によって採用されたものらしく、このホールでこれから上演されるコンサートや演劇などへの期待が込められている。また、市民の芸術文化活動のホームグランドとして位置づけられたこのホールでは、優れた舞台芸術の鑑賞にとどまらず、市民自らが地域文化の創造をめざしておこなう活動をバックアップするために、創作・練習に利用できるスタジオやワークルームの充実がはかられている。ホール固有のレジデントン・アーティスト(一定期間ホールに滞在しながら創作活動をおこなう芸術家)制の創設など、管理運営も意欲的に試みられている。
園風景の中にメタル感強いの異素材が溶け込めているのは、南国の木を連想させるランダムな感じの柱の配置や有機的な屋根の曲線によるものと思われる。積雪2メートルの雪国においてかなり複雑な構造計算が必要であろう。難易度の高い分施工や維持も大変なのかも知れない。クライン・ダイサム作のカラフルな椅子も並んでいるが、こちらも手入れが今ひとつである。

(3)谷口吉郎「良寛記念館」
昭和40年に開館したこの記念館は、良寛の母の生地佐渡ケ島と弥彦山、国上山が一望できる虎岸ケ丘に建設されている。館内には、良寛の遺墨、遺品等数多く展示されている。良寛記念館は、良寛生誕200年を記念して広く浄財を求め完成したものである。館の南には、橘屋の墓地があり、さらに北の丘の上には良寛の歌碑があります。ここから望む佐渡は、「新潟景勝百選」の1位に選ばれる絶景が望める。向かいに佐渡、右手に弥彦山、眼下に良寛堂、出雲崎漁港、そして海岸線に続く妻入りの街並みを見ることができる。 ただなぜか田中角栄や川端康成の書も一緒に展示されている。作品は一連の和のモダンが継承されており、アプローチからエントランス、中庭、回廊へと水平視線を意識した上の俯瞰での正確な配置がされている。岩の並びにもこだわりを感じるのはそれが自然ではない為と思われる。

(4)内井昭蔵
「新発田市文化会館」
新発田市の文化の拠点として計画された複合施設である。オーディトリウムの形態がそのまま外観に反映されているが、それがデザインとしてうまく使われている。そのままではのっぺりしそうなRC打ち放しの曲線も水平目地を入れることで表情を与えている。内装は玉砂利洗い出しなので、安藤忠雄の打放しよりも荒々しい雰囲気である。中に入ると所々に紫色が多用されているが、元々の配色デザインなのか疑問である。所員の用途による手書きの張り紙などが窓にされていたり建築が大事にされていない気がする。

「蕗谷虹児記念館」
 新発田市の古い町並みにある古い洋館の佇まいである。少しダークな色合いの外観だが、中にはいると館内はパステルカラーであり、童謡が心地よく聞こえてきてメルヘンチックな雰囲気を醸している。蕗谷虹児は、大正から昭和10年代にかけて竹久夢二と並んで圧倒的な人気を誇った新発田市出身の挿絵画家である。題材はとても日本情緒&大正ロマンに溢れているが、なんとなく画風が西洋風に洗練されている印象を受ける。建築と演出は素材を生かす舞台ツールとして存在している。色づかいが優しく、ふわっとした夢のような雰囲気の彼の作風は竹久夢二の影響を受けながら、後の中原淳一に影響を与えたといわれている。作品自体は現代のアニメや漫画の土台になっている。この美術館は、蕗谷家から寄贈された原画800点を中心に直筆の原稿、書籍、印刷物、遺品など4000点を所蔵しており、年代順に展示してある。一概に西洋風と表現したが、作品のイメージによるもので、敢えて当てはめるならビザンチン風の建物でロシア正教会をモチーフとしており、公共建築100選にも入るほど美しい姿である。記念館落成の際に夫人が記念館を見上げて、「これは蕗谷虹児そのもの。彼が立っているみたい。」と絶賛したといわれてる。新発田市の文化会館のとなりにある美術館であるが、文化会館とは回廊でつながっているのに通行不可である。小さな美術館で、求心性のある吹き抜けのアトリウムと奥の二階建ての展示室からなる。

(5)黒川紀章「新潟競馬場アイビススタンド」
 緑に囲まれ広々とした構内には、美しい芝コースを始め、最新設備を備えた競馬施設を完備。アイビススタンド内の200インチアイビスビジョンでは、リアルタイムにパドックの様子やオッズが映し出され、レースを楽しむことができる。メインフロア上のステンドグラス状の天窓と以下の吹き抜け以外は至って実用的な建築と感じる。外壁の色も薄い水色のトタン張りから寒雨を連想させるため近寄りがたい雰囲気を感じる為か、家族連れ向けのアットホームなイメージはない。近年スタンド増築工事により拡張されたが、新設部分は全く違うデザインとなっており、全体的には一体感のない建物となってしまっており、非常に残念である。メタボリズムの精神に反するような施主の意向がデザインを台無しにする例である。2001年7月14日に新潟競馬場はリニューアルオープンした。それにより直線1000mとなり普通周回コースの直線も府中、東京競馬場を凌ぐ日本一のものになった。直線の長さは、とにかく長い。はるかかなたの4コーナーを望むとき、これまでにないスケールを感じる。しかし、実際のレース観戦となると幾つか問題点があります。双眼鏡を使ってもほぼ正面からでは見ても解らないのでターフビジョンで確認することになってしまう点が一つ。それからNiLSの指定席からはアイビススタンドが邪魔して1000m直線レースのスタート地点が見えない点。NiLSの指定席は、ガラスがある為に4コーナーの様子も非常に見にくくなっている。これは他の競馬場に比べてスタンドとコースの距離が少ないために見る方向がガラス対して浅いことに起因している。売り物の長い直線が自分の目で確かめられない指定席は難物で、長い直線を体感するためには一般席の眺めのいい所で観戦しなければならない。肝心のレース観戦に関し配慮不足が感じられる点が残念である。全般として感じるのは、継ぎ足し建築の限界です。新時代のスタンドへ改築が進む過渡期に造られたアイビススタンド自体の存在が現在では足かせになっている気がする。全体のキャパシティとしては入場数に対し適当な規模のスタンドになっていると思うが、新スタンドとの連携がうまくできていない。また折角の長い直線を望む眺望を邪魔するコース沿いの色々なものも整理して欲しい点である。

(6)青木淳「福島潟生態園」「遊水館」
 新潟県豊栄市にある「福島潟生態園」は潟と人との関わりの歴史や、これからの展望などを紹介し、地域文化・創作活動の拠点となる施設である。地下1階、地上7階、高さ29M。3階からは全面ガラス張りで360度の展望が楽しめる。また、映像展示室(4階)では潟から生の動植物の様子が望める。1階~3階までは無料ゾーンで、4階~7階は有料ゾーンが設けられている。隣接の「遊水館」も福島潟という自然公園のなかにつくられたプールであり同じ青木淳の設計である。アプローチが二階からで一階部分は室内プールになっていて、二階の通路の左右はガラスになっており下で泳いでいるのが見えるようになっている。白と黒を基調にした空間と置いてある椅子などの小物にもこだわりの配置が感じられる。外では夏場に木舟に乗れるよう船着場が設けられ避暑を得られるようであるが、使用跡がみられず(放置状態の為)実際の利用状況は不明である。
 施設のメインである福島潟は、21世紀に残したい日本の自然100選にも選ばれた自然の宝庫で、天然記念物であるオオヒシクイをはじめ、多くの野鳥が見られる。自然の宝庫とは言っても周囲は殺風景な田園が広がるばかりではある。その中にポツンとあるのがこの博物館である。(通称「ビュー福島潟」)。歩道橋と同じレベルの3階から上は、螺旋による動線が各レベルを繋いでいます。歩道橋の螺旋イメージはかなり強く感じる。上に上がるにつれ、福島潟の全貌が見えてくる。この動線の空間は、動線であると同時に展望スペースなっている。そこから窓一面に風景が広がり、野鳥の群れも見られる。設計のミソは「展望室」を設けず、「動線体」であるところとなっている。青木淳による「動線体」とは以下のものである。(新建築1997年10月号(新建築社) PLACE 動線体への道程 より)
1.内部にも外部にも、「つなげられるもの=目的地、目的」をもっていないこと。
2.その機能が、そこでの活動によって事後的に生じていること。
3.いくつかの動きを内包したものであること。
4.最低ひとつの動きが外部に開かれていること。
5.動きの配線が外観を決めていること。

「遊水館」
 この建築は公共の有料プールで、先に紹介している潟博物館から福島潟放水路をはさんで向かい側に位置している、すり鉢状の形をした建築である 。プールの上を横断ギャラリーが通っているのが特徴的である。
湿地帯である福島潟では、干拓された現在では目にすることは無いが、かつては木舟での交通があったように、文化の継承も試みている。
 かのル・コルビュジェもらせん形のミュージアムのアイデアを長い間かかえていて、インド中西部のアメダバッド美術館(1957)、東京上野の国立西洋美術館(1959)に実現しているし、東京・青山のSPIRALも、展示部分がらせん形をしているが、いずれも閉じていて内側に光源があるのに、この「ビュー福島潟」は自然採光を取り入れている点でオリジナルといえそうだ。

 外側はガラスと、小さくて軽そうな木片を張り合わせた壁となっている。室内では、中央の円筒状のコアの部分を、曲げた合板が覆っている。黒い粒々した床は、上に行くと、やがておむすび形の白いタイルを埋め込んだものに替わって行き、展開をみせる。廊下=展示室の天井は白い、柔らかそうな、ふわふわした繊維だが、最上階で深い藍色の円形天井に至る。
 トイレの手前は、サイン以外には装飾やわずかのでこぼこもなく、壁も床も天井もきっぱりと白い。内部も基本は白。この中をまた壁とドアで仕切るのではなく、個室と用具室である黒い箱を、入れ子状に置いてある。手洗いの前のグレーに反射する鏡。新鮮な意匠の建築でも、窓のアルミサッシや、トイレの作りなどが、あまりにありきたりでガッカリすることがあるけれど、ここではどこまでも造形の意志を貫いている。潟近辺の悪い地盤の上に建築するという構造上の問題さえクリアすれば、広い平坦な土地なので、他にややこしい条件はなかったと思われる。建築家は、きっと楽しんで作ったと思われる。
 館内には、余計な掲示物や、目ざわりな注意書きがない。素晴らしい空間を目指して設計されたミュージアムでも、きれいな庭に出られるはずのガラスのドアに鍵がかかっていて、「立入禁止」とか、「締切」とかの紙が貼ってあって、幻滅する場合もあるが、ここでは無い。建築家と、美術館の運営者とは、意外に悪口を言い合う関係が多いようだが、ここではとてもいい関係になっている様に感じる。建築家が、設置の趣旨を生かす建築を作り、完成後、運営に関わる人たちが建築の魅力を損ねることなく使用している点は非常に好感が持てる。このような設計方法は非常に大切な要因と感じた。

(7)アントニオ・レイモンド「新発田カトリック教会」
 新潟県新発田市中心部からやや離れた裏路地に静かに佇む小さな教会である。教会は休みであったが、特別(勝手)に見学させて頂いた。六角形の内陣をかこむように座席が配置されている。煉瓦による基壇と杉による小屋組みからなる設計である。以前長野で見た際に感じた不格好なイメージは無い。建物は平屋建てで煉瓦と木が主体、明かり取りのガラスにはレーモンドの奥さんが障子紙を利用した様々な構図や、障子を重ね合わせて作り出した陰影が印象的であり家庭的な雰囲気を作り出していた。窓ガラスに貼られた白い紙細工がまるでステンドグラスのよう奇麗で、赤煉瓦の壁や丸太の柱、いすやオルガンの一つ一つがあたたかく、荘厳な雰囲気というよりは懐かしさを覚える。この教会の神父と親友だった彼が設計を依頼され、内部の装飾や什器などはその夫人N・レーモンドさんが手がけたとのことで、御歳80歳の作品である。窓ガラスの紙細工や赤煉瓦も建築時以来そのままで姿との事で、レーモンド夫妻の想いが今も生きているように感じる。

(8)長谷川逸子「新潟市民芸術文化会館」
 新潟市民芸術文化会館とその周辺は、文化施設・スポーツ施設と公園が一体となった新潟市のシンボル的セントラルパークとして拡大整備されている大規模開発事業である。国際文化都市づくりを目指す新潟市においても、文化の振興、発展のための拠点施設として施工された。周囲の公園内はケヤキを主体とした木々で囲われ、その中に、各施設を取り巻くように6つの空中庭園が配置されている。それぞれが広場やステージを持ち、散策や屋外イベントなど様々な活動の場にとなている。完成後は、隣接の白山公園(古いシンボル)からやすらぎ堤までがブリッジや空中庭園でむすばれ、当施設と既存の県民会館、音楽文化会館は敷地内を回遊するブリッジで行き来できるようになっている。また、内部においても各ホール間の往来がブリッジで結ばれ高い吹き抜け部分の空中に導線は張り巡らされている。空中庭園と既存建築との繋がりにまで配慮した設計であるが、実際の実際の通行量まで調査しきれていなかったのか、あまり使用されていない通路も設けられている。
 施設概要:鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階,地上6階,塔屋1階、延べ25,100m2である。
 俯瞰すると外部天井部分は殻にヒビの入ったような卵型となっており、まさにここから生まれてくる文化、芸術の息吹を感じさせる。周囲は全面ガラス張りであり,DPG(Dot Point Glazing)工法と呼ばれ強化ガラス壁とカーテンウォールガラス壁で囲まれている。DPG工法は2m角の強化ガラスを金具4点だけで支持するものでサッシや枠がいらない。これにより限りなく透明に近いガラス建築となっている。音楽ホール,演劇ホール,能楽堂の3つの専門ホールを持っているが、構造体としての躯体と各ホールを防振ゴムやグラスウールで縁を切ることで音を遮断する工法が用いられている。

(9)村野藤吾「谷村美術館」
 新潟県糸魚川市にある、木彫芸術の第一人者である澤田政広氏の作品群を展示している展示館である。建築はシルクロードの砂漠を想定した石窟調となっている。入場受付を通ると一気に視界は開き、いきなり目前に迫る展示場外観の造形には声を上げざるを得ない。ガウディにも通じるいわゆる奇異な造形は砂上の楼閣にのようにも見える。RCであるが、内部はやわらかく光の差し込む胎内のような曲線を多用した有機的造形となっており、幻想的な構成は彫刻と一体化している。間接照明のとり方が絶妙で木彫(仏像)の作品をより引き立てている。間接照明は逆に夜間のライトアップの重要な演出にもなっている。併設の資料館には先生の直筆の手書き図面(指示書含む)が展示され、作業スタイルの一端が垣間見れるようで感激であった。このような資料を拝見できる事は作業経緯が追体験で辿れるようで非常に楽しい。残念ながら地味な展示の為か建築的興味のある者しか訪れないようで場内には他に訪問客がいなかった。中庭(砂丘イメージ)を囲む回廊の瓦と盆栽が大きくなったような松が"和"を感じさせる点で統一感崩れるようでありいかがなものかとも思う。

 終わりに。先人たちの残した作品を時間をかけで参照することにより、その中で自分の方向性をを示される良質なものに巡り逢えることは、非常に幸せなことである。「作品は人なり」は外れた意見ではない。人格全てを表わすようにもとれてしまう。作品を鑑賞すると実際の人物の姿が見えてくるようだ。建築とは幾何学、構成を大切にし、光、風など自然といかに調和するかを目指しつつ、あくまでオーナーの難しい課題に対し、いかに新しい形を生み出せるかが課題であるが、その過程で近代建築を如何に解釈するかの作業も必要である。確かに、地方での活動の為、地方の風土に影響されているが、モダン建築の場合に垣間見えるのは都市空間の魅力を盛り込むことのようにも見える。また技術的には、基本となる在来工法(左官、大工、石工など)も大切に考えているよであった。同時にこの研修を通して感じたのは良い建築は自然や環境と見事に調和しており、いわば自然を加工する建築作業に於いて自分たちが自然に守られて生きていること、生きてきたことを決して忘れないようにしたい。

植生について

2003年10月20日 22時33分44秒 | デザイン
 光、水、温度、大気、土壌など様々な環境要因の変化は、植生に大きな影響を与え、植生もまた環境に影響を与えている。
 環境に対する植物の反応を見るには、植物の空間的・時間的分布の総合的視点と、環境要因の変化に対する応答に着目する視点の両方が必要であるが、まず植生の様々な性質を把握する為には、実際に現地で植生調査を行う必要がある。まず調査区を設定し、調査区の概要を記録する。次にそこに存在する植物のついて植物高、種名、被覆、密度または優占度、群度、活力度、生活型、頻度などを調べる。さらに現存量や群落調査をする場合には、種別・層別に乾重を求める。この他、地際直径、生枝下高、樹冠形状を測定し、場合によっては樹冠投影図を作成する。以上の調査の調査の継続により、現存量の変化、つまり成長量が追跡できる。純生産量は、成長量と枯死・脱落量による損失分を足すことで計測でき、その群落がどれだけ炭素を固定したかの目安になる。植物群落の生産構造を知るには、光合成系の量と光の鉛直分布を調べる。又、クロロフィル濃度も植生の状況を知る上で重要である。
 植物の気孔を通した二酸化炭素及び水の移動現象は、環境と植物の相互作用の中で重要なもののひとつであり、その光合成速度や蒸散速度は環境条件の変化に伴って刻々変化し、又互いに密接に関係している。光合成速度は主にPAR量、細胞内の二酸化炭素濃度、葉温などによって決定され、細胞内の二酸化炭素濃度や葉温は気孔の開閉具合、土壌水分条件、二酸化炭素濃度、風速などに左右される。蒸散過程は風速や飽差に左右されるが、植物は気孔の開閉により、蒸散速度の制御を行う。気孔は光が当たると開き、飽差が大きくなったり、土壌が乾燥すると閉じる。温度によって変化し、最適温度の時に最も開く。又、大気中の二酸化炭素が高くなると閉じる傾向にある。植物は光合成及び蒸散過程にとって重要な環境要因を巧みに信号化し、気孔開閉の制御を行っている。植物の環境に対する応答には、これらの光合成速度や蒸散作用のような時々刻々変化する速度の速い応答の他にも、植物の形態学的変化は葉の特性、開花・発芽・展開などの同期的な特性など速度の遅い変化もある。葉の形状やクロロフィル含有量、葉内細胞の葉内での配列などは立地条件によって異なるし、開花・発芽等は周期的活動も光や温度などによって大きな影響を受ける。
 逆に植物における光合成および、蒸散活動の結果として、大気中の光、気温、二酸化炭素濃度、風、土壌水分などの環境要因も変化する。その影響力は大きく、植物の有無は最終的に地球規模での気候活動にも影響を与える。植物が生育している地表面あたりの大気の層(接地境界層)では、運動量(風)、熱、水蒸気、二酸化炭素などは乱流状態で輸送されており、上下の空気は混合されやすく蒸散や光合成による大気=植物間の熱、水蒸気、二酸化炭素のやり取りがしやすい状態にあり、群落の中だけでなく上層の大気までその影響が及ぶ。蒸散は放射エネルギーの一部を潜熱エネルギーに変換するが、この為温度を上昇させる顕熱エネルギーへの配分が少なくなるので、葉や群落の表面温度や気温が下がる。また、蒸散によって水蒸気が放出されるので、大気中の湿度は増加する。この為、植生があると高温や乾燥を緩和する。光合成活動は二酸化炭素を利用して行われるので、これによって大気中の二酸化炭素濃度下がる。また土壌=植物間でも水、炭素、栄養塩類などがやりとりされており、この結果土壌塩類もまた植生の有無によって大きな影響を受ける。
 次に、応答についての測定方法について述べるが、これは植物による環境応答のうち最も重要なものの一つであるガス交換過程についての方法がある。ガス交換速度(光合成速度や蒸散速度)の測定には、①個葉・固体レベル、②群落レベル、③数値実験が挙げられる。環境の変化に対する植物の応答や、植生の変化に対する植物の応答や、植生の変化に対する環境の変動を予測するには数値実験が用いられ、環境の保全・計画を考える上での基礎となる科学的情報を供給する有効な手段となりうる。
 このような植物にゆる環境への働きかけは、微気候、都市気候の緩和、砂漠化防止や土砂災害の防止、二酸化炭素濃度の吸収による地球温暖化防止などに大きく貢献している。
 しかし、植生と環境相互作用は単純なものではなく、たとえば不適切な緑化が原因でかえって水資源が枯渇し砂漠化を促進することもありえる。植生の役割を評価し保全に役立てたり、新しい植生を創造する際にはこれらの相互作用の様ような側面を実際に観測することにより評価しなければならない。

日本の森林

2003年10月20日 22時32分37秒 | 環境・福祉
1.わが国森林の内訳
 全国の森林面積(1990年)は全国2458.8万haあたり(%)で、人工林:41.7、天然林:55.0、竹林:0.6、伐採跡地:0.7、未立木地:2.0、となっており人工林の割合が非常に高い割り合いを示している。
 日本は日田や飫肥に代表される数多くの林業地を有していることから、スギやヒノキの針葉樹人工林が多く見受けらる。これら人工林では、古くから短伐期や並材生産などの温暖多雨な気候がもたらす高い生産力に裏打ちされた施業が行なわれてきた。しかし、近年の林業を取り巻く情勢は、林業労働力の減少および高齢化や材価の低迷などに象徴されるようにかつてないほど厳しいものとなっています。そのため、低コストや省力化を考慮した施業技術の確立は、林業の存続とその活性化に不可欠なものといえる。また、多様な木材供給や災害に強い森林の育成を図るためにもその重要性は増してきてる。
 針広混交林では、上木である針葉樹を一斉に伐採するのではなく、その時期をずらすために土壌侵食の発生などの問題を抑制することが可能となりる。また、部分的な伐採により地表面の光条件が好転しますので植栽した広葉樹も相対的に良い成長が期待できる。地域によってはシカやウサギなどによる広葉樹植栽木への食害などの問題点があるが、対象林分の選定が適正に行われれば有用な施業法であると考えられている。
 広葉樹林の維持機構の解明を検討すると、日本南西部地域には、沖縄や奄美に分布する亜熱帯性のマングロ-ブ林から脊梁山地のブナ林にいたるまで様々な森林が成立している。これらの森林の中には絶滅が危惧されている動植物などが少なからず生育しており、遺伝資源的にも貴重なものが数多くある。これらの森林を開発に伴う減少や環境変化による衰退などから守り、適切に利用していくには、多くの技術情報に基づいた慎重な対応が必要になる。南西部における広葉樹林は、その分布域が人の経済活動圏と重なることから、古くより人為の影響を受けており、原生状態を保っている森林はほんの僅かとなっている。これら原生状態の広葉樹林は、私達にその維持や再生に関して数多くの有益な情報を与えてくれる。

2.わが国の風土と森林
 「森は陸上でもっとも完成された自然の姿である。地球上には砂漠もあれば草原もある。岩石だけで成り立っている荒涼とした土地もあるし、水に満たされてはいるが水面の見えない大湿地もある。勿論、日本列島がすっぽり入ってしまう広大な湖や海洋、大河川などの水面も広い。それでも熱帯雨林に代表されるように、森はこの世の自然の中で最も多様で発達した、樹木を中心にした生きものたちが生息する環境である。森を知る、ということは、その土地の自然の総てを知ることでもある。森に生えている樹木を調べることでその環境のさまざまな状態がわかり、過去の様子さえも知ることができる。...中略...」姉崎一馬氏著「日本の森林大百科」より。
日本の自然は、もし人間の存在がないとすれば、陸上の99%が森であるはずだという。それは湖や河川などを除くと、ほぼ全ての土地が森になっていく、ということである。これは世界中の自然環境のなかでも、温暖な気候帯を中心に降水量も多く、樹木の育成に適した気象条件に恵まれているからである。しかし、この日本列島も過去何千年という人間の活動によって、本来の森は少しずつ失われている。特に近年になってからの減少は加速度的である。それでも日本に素晴らしい森が残っていることに違いはない。北海道の亜寒帯の森から沖縄・西表島の亜熱帯の森まで、この小さな島国は世界のさまざまなタイプの森の縮小板、といっていいほどの多様な森を持っている。しかし、日本人はそうした森の貴重さをどれほど認識してきただろうか。

3.環境破壊(森林のスポンジ効果の減効)
 世界の森林は丸坊主化が進んでる。森林は昼間炭酸ガスを吸い、太陽の力を借りて、酸素を作り大気を浄化する機能を果たす地球の肺的役割を担っている。森林の消滅とガス排出量の激増で、森林の大気浄化能力を超え、温暖化や酸性雨で環境病を重症に陥れている。森林は土を作り、土を保留します。土は木の葉や諸生物の死骸や糞を微生物が無機物に替え、永年かけて土になる。落葉がなく太陽も届かない暗い常緑森林では、生物も微生物も激減し、植物も生えず、雨は洪水となって土も一緒に川や海に流してしまう。これではエコシステムも保たれず、山は荒れ、諸生物は死滅し、河川や海が汚染されていく。かつて地球を覆っていた森林は、既に四分の三が消滅し、一年間に日本面積の約半分が森林破壊され、その半分が砂漠化しつつある。世界の森林は過去10年間でも、森林全体の10%を破壊した。このまま破壊を続けると後100年、人口増の開発増を加味すると後50年、酸性雨、温暖化を加味すると後30年で世界は丸坊主?(生物の絶滅?)となる。世界の丸太生産量の内、55.2%は薪炭用、44.8%は産業用(地球白書)である。2010年予測では先進国人口僅か17%で丸太の消費量が73%を占め、途上国は人口83%で27%となっている。産業用丸太の各国輸入量の内、日本は49.6%を輸入(大蔵省貿易統計)しています。木材の使用、特に南洋材の使用について日本は、猛反省が必要と言える。焼畑も森林消滅の原因である。先住民の伝統的な小規模焼き畑農法の域を超え、人工増対策や商業用に規模拡大のエスカレートが、刻々森林破壊の深刻さを増している。酸性雨による森林消滅は、殊に北欧.欧州に顕著に発生しており、国境を超えて懸命な排出基準の規制等前向き対策が見られる。日本では中国などの影響が出始めており、アジア途上国との協調が問題になりつつありますが、まだまだ日本自身の排出量も問題である。温暖化による森林の消滅も懸念されている。気温2度の上昇があると森林分布の移行 距離は300Km、森林分布の自律的な移行スピードは、一年間にせいぜい1kmと追い付かず、大きく生態系を乱すおそれがあるといえる。寒帯地区にも問題があり、ロシアのツンドラ地帯でも、タイガ(針葉樹林帯)の伐採で凍土に太陽が射し、池~湖~倒木~の悪循環で森林の侵食速度を早めているようである。おまけに、凍土に閉じ込めていたメタンガスが放出し、温暖化要因に拍車をかけている。いずれにしても森林消滅のスピードは急ピッチである。
 
4.自然林と人工林
 日本の森林被緑率は67.5%(耕作地他被緑率は92.7%)、幸いにもフインランドに次ぐ世界第2位の森林国です。なのに何故世界一の商業丸太輸入国なのでしょう?日本の森林の内「自然林」は約半分、「人工林」が約半分の割合です。自然林や川辺、湿原等の自然緑地は、国土の19.3%(1988)しか現存せず、その6割は北海道、山岳、半島、離島など、いわゆる遠くの僻地で極相林や世界遺産云々の対象となるような緑地です。人工林の内、杉林が44%、檜林が23%、戦中戦後の「拡大造林政策」による木材製造工場といわれ、政治林ともいえる。自然林と人工林の特徴をみると森林の大方の想像はつくかもしれない。
 森林の計画管理作業として、まず植生調査がある。そこにどんな樹木が分布しており、密度はどうか、また動植物など生物の種類や生態系は..など出来るだけ正確に調査をする必要があり、それによって手の入れ方を計画することが大切である。手入れ計画には市民のレクリエション的要素を取り入れ公園造りの感覚で多数の参加者にも魅力を感じさせる事も重要である上に、共同作業で自分達の遊び場造りをする活動は大変意義深いものがある。教育効果も大きな期待が寄せられている。森林は既にその地域や気候や土壌にあったで成り立っているので、手入れ後の水やりや台風対策を心配することなく、いたって管理の手間が掛からない。また森林は人間の身近かにある多様な生物の宝庫であるので、人間もそうであるように他の生物たちの安全な生息場所を守ってやる必要がある。なぜなら、人間の生存にとって他の多くの生物たちとの共存なくして考えられないからである。森林にはその多くの可能性が秘められている。日本の多くの森林は都市近辺であるところからも、強い環境保全機能をもっている。炭酸ガスの吸収高温化する都市気温の調節、雨水の保水や浄化、土砂の崩落防止など、見えないところで人間の生活を守っている。やがて訪れる食料危機やエネルギー危機にも再度見直すべき政治的な課題でもある。森林を保全する為に出来る事とはなんであるか。計画とともに意識改革も必要と思われる。

(1)意識を変える事。個人も、教育も、企業も、行政も、政治も、仕組みも..。EU諸国に比べ日本は環境後進国。
(2)行動を起こす事。市民が~ボランティア参加~共同行動~NGO~政治参加~仕組是正。
(3)ナショナルトラスト運動。開発破壊阻止の一手段:イギリス発祥「一人の一万ポンドより一万人の一ポンド」 市民国民の手で自然を買い取り保護。
(4)植林運動。砂漠化国際運動、エコシステムに有効な緑化運動が必要。
(5)国内木材の利用活用 。南洋木材の使用を控え、日本木材工場品(杉.檜)の利用促進~林業サイクルの復活。
(6)美しい自然環境国家日本の再出発。経済第一から自然環境最優先へ。
(7)人間、家族、地域の自然回帰。然との共生行動、商業レジャーの見直し。自然での人間性回復、伝承文化の呼び起こし。自然に対するエチケット。
(8)グリーンコンシューマ運動。環境を考えて買物をする消費者になる運動。グリーンマーク、エコマー ク、PETマーク、TREEFR(Eマーク等、環境によい推奨マーク入り商品を優先して買う運動。
(9)紙の節約とリサイクル。先進国の紙使用は途上国の10倍。特に先進国の行動が鍵。 節約運動:包装紙、諸資料、広告紙、紙おむつ、低俗雑誌 。再生紙:世界の回収率41%、依然6割はムダ 非木材紙(バナナのケナフ・サトウキビのバガス、使用率微少)の使用。
(10)割り箸運動。85%が南洋木材。割れ難いが国産間伐材の使用を(精神的価値も)。

環境保全「熱帯林」への取り組み

2003年10月20日 22時31分31秒 | デザイン
 地球的規模の環境問題の中でも森林の減少は重大な危機といえます。特に、熱帯林の減少については、経済的社会的要因と複雑に絡んでおり、保護するための効果的な対策の確立は難しい状況である。

1.森林とは何か?
 東南アジアの熱帯林を具体例として、森林減少の実態と共に現在どのようなことが取り組まれているのかについて述べる。 森林の定義をみるとFAO(国連食糧農業機関)では、先進国と発展途上国で異なる定義ずけが行われている。先進国では樹冠の被覆率(林地に対する樹冠面積の割合)が20%以上であることであり、発展途上国では樹冠の被覆率が10%以上であること。もともと原生林では、樹冠の被覆率は100%である。100%の被覆率が開発や破壊により減少し、50%になったとする、これを「森林の劣化」という。さらに12%になった時点でも、まだ森林とみなされる。ところが9%になると、これは森林ではなくなり、森林でない土地に転換されたことになる。これを「森林の消失」という。森林の破壊と一言でいっても、「森林の劣化」と「森林の消失」とは異なる意味を持つのである。

2.熱帯林の状況
 世界の森林面積は約35億haである。世界の地域別の森林率(国土の土地面積に対する森林面積の割合)みると、世界合計では26.5%である。南米:50%、 ヨーロッパ:42%、日本:68%などとなっている。世界の森林面積の推移をみると、現状でも熱帯地域の森林面積の比率は小さい。時系列的にもでも熱帯地域の森林は、かなりのスピードで破壊されてきている。森林減少での一番難しい課題を抱えているのが熱帯地域であるということがわかる。そこで、熱帯林の減少の面積であるが、1990年から1995年までの5年間で、毎年1291万haの熱帯林が消失している。この面積は、北海道+九州を合わせた面積よりさらに少し大きい。つまり、急速なスピードで消失しているということである。「熱帯林の消失」は、樹冠の被覆率が10%以上であった森林から10%以下の土地に変わったものを指す。当然、もともと100%から50%になったり、60%から30%になったりした森林は含まれないのであるから、消失した面積の何倍もの森林が劣化しているということを強く認識しなければならない。

3.熱帯林減少による影響
 熱帯林が減少するとどのような影響がでるのであろうか。まず、生物多様性が消失する、二酸化炭素が増加する、洪水などの災害が下流でおこるなど、さまざまな影響が想定できる。さらに、熱帯地域には多くの人々が住んでいて、熱帯林の消失は、住民にとってまさに死活問題である。たとえば、森がなくなると薪がなくなる、薪がなくなると食事や調理ができない。森から採取していた果物や木の実がなくなる。そして、森の存在が前提で成り立っていた焼畑農業ができなくなる。焼畑農業ができなくなると、主食であるコメやイモの栽培ができなくなる、あるいは雑穀類が生産できなくなる、たんぱく源であるイノシシやシカも捕れなくなる。川も枯れる、魚も捕れなくなる。したがって、食料の自給が破綻するのである。 また、彼らには現金収入源はほとんどない。彼らにとって現金収入になっていたものは、藤(ラタン)や樹脂、香木などの森からの産物である。森がなくなることで、これらの現金収入源も食料もなくなってしまうということは、つまり、森に住んでいる人々がある種の難民状態に追い込まれるのと同様である。

4.熱帯林減少へのプロセス
 どのようなプロセスで熱帯林は減少するあろうか。 考えられる要因として、 火入れ開墾(非伝統的焼畑農業)、農地の拡大、過度の放牧、木材の盗伐、多大な燃材採取(薪)、用材伐採などがあげられる。用材伐採とは林業のことであるが、林業自体はそれ自体が森を破壊するのではなく、破壊するきっかけになる。燃材採取も同様である。これらが徐々に森林の劣化を起こすのである。「劣化」と「消失」とは同意ではなく、まず「劣化」が起き、そこで焼畑、農地、放牧などが行われることによって、「消失」へと移行するのである。 減少の要因を与えている主体としては、非伝統的焼畑農民による火入れ開墾、農民による燃材採取、政府・有力者(企業)による農地拡大、過度な放牧、燃材採取、用材伐採となっている。 また、このようなプロセスを動かしている背景的な要因 として、経済成長、人口増加、伝統社会の崩壊、習慣的森林利用の変容、土地所有の不平等、貧困層の拡大があげられる。熱帯林における「森林消失」の過程は、まず最初に「用材伐採」が行われ、「盗伐」などが入り、「火入れ開拓」という一連のプロセスを経て起こっている。さらにこれらの過程を背後から促進する、不安定な土地所有の制度、政策の誤り、人口増加などのさまざまな状況がある。 「択抜=抜き切り」は持続的な林業経営の方法である。では、抜き切り後の木がどのくらい損害を受けているかという研究報告を見ると、被害なしが約6割、約4割には被害がでる。同時に林道も作られるので、土壌侵食がおきやすくなる。これだけでは「森林の消失」にはならないが、「森林の劣化」が起きる。道路がつくられることにより、都市からの人々が流入し、倒伐、火入れ開拓が行われ、消失へと進む。

5.熱帯林保全への取り組み
 どのようにすれば熱帯林を保全することができるのか。 植林活動における焼畑用地の減少に対して 生物多様性を守るための保護地域には、狩猟採集や伝統的な焼畑農業を行っている先住民族が住んでいる。そういった人々が所有権を有していないからといって追い出すわけにはいかない。そこで、どうするのかが、非常に大きな問題である。地域と森との関係を把握した上で具体的に計画をたてなくてはならないだろう。これについても、日本では国際協力事業団やNGO団体を通じて協力を行っている。 これまでは地域住民はまったく主役として登場しておらず、主役は政府であり企業であった。ここに至り初めて住民は単なる被害者ではなく主役として登場する。なぜこうなったかというと、これまでの熱帯林管理の長い失敗の教訓があるからである。失敗を経験することにより、森林を管理する側は方針を変えつつある。あらたな政策理念 社会林業(social forestry)である。この理念は、1970年代末から提唱されていたが、理念と現実に大きなギャップがあり、今ようやく具体的な政策手段として発揮できる状況が整ってきた。 森林の減少というテーマから地域をみたとき、そこで何が起っているのかということは、その地域によってさまざまである。したがって、世界全体の統計やそれらの分析を元にして処方箋や対策を立ててもあまり現実的ではない。何が必要かというのは、まさに現地での現地ごとの状況の把握であろう。重要な点は、現場に行くと学問の在り方自体が問われるということである。熱帯地域にどのような人々が住んでいて、その地域にはどのような森の産物があり、人々はそれをどのように活用し、それによってその地域の生態系や文化がどう成り立っているのか。ある学問で見ることのできる視点は一面的であるが、現状で起きていることは複合的である。生態学、経済学、文化人類学などからの複合的な視点が必要なのである。しかし、現在世界的に発達している学問は分化しすぎている。これでは我々が今直面している環境問題は解決できないのではないだろうか。先住民の権利、参加を見据えた土地の分配システムの再考といったフィールドを基礎にした研究が必要であろう。

福祉のまちづくりと施設の計画

2003年10月20日 22時27分08秒 | デザイン
 社会の主流にとけこもうとする精神薄弱者および精神障害者の努力は、その他の少数グループの人びとの戦いといくぶん共通したものである。たとえば、精神および身体障害児にも公共教育の機会が初めて与えられたときのことをふり返ってみよう。彼らは一般の子供たちとは隔離され、特殊学校における特殊学級に入級させられたものであった。こんにちでは、これらの特殊学級を一般の公立学校に吸収すべきであると提唱され、可能なかぎり、障害児を普通の学校プログラムに統合しようとの努力がなされている。成人になった障害者もまた、少数グループに属する人びとが直面する同じような問題をかかえ、―保護雇用にいくべきか一般競争社会のなかで就職すべきか、隔離された場所に暮らすべきか統合形態に生きるべきか―などの問題があるのである。
 住宅についても、これらの諸問題と同じように、隔離政策をとるべきか、統合政策にすべきかで、さかんに論議が行われている。老人およびその他の少数グループのための住宅プログラムは、地域社会に統合していこうという方向に向けられている。
 そこで、身体および精神障害者のための住宅を、地域社会の一般の人びとに対する住宅プロジェクトのなかで開発すべきではないだろうかという提案が、住宅関係の専門家に対してなされている。また、このような住宅の統合化は、精神薄弱者および身体障害者にとって有益なばかりでなく、一般の健常者にとっても有意なものであると主張されている。 障害者と健常者がいっしょに住む住宅を建設するとしても、建築上の問題はほとんどない。障害者と健常者が同じ建物のなかで、施設を共用することは完全に可能である。階段のかわりのスロープ、広い間口、ロビーの壁に取り付ける手すり、上げ下げするかわりに横に引く蓋を付けた洗濯機などは、障害者にとって非常に利用しやすいばかりでなく、その建物に住む健常者にとっても決して不便なものではないはずである。
 そのうえ、身体障害者および精神薄弱者の成人は、必ずしも常に心理および医療のサービスを必要としているわけではない。もし特にそれらのサービスが必要になった場合には、公営住宅のなかにあり、そこのすべての居住者を対象としているサービスでじゅうぶん間に合うであろう。このような生活環境に住む精神薄弱者および身体障害者は、必ずしも福祉措置を受けている人である必要はない。そうではなくて、このような生活環境は、その環境においてちょっとした配慮さえあれば、一般競争社会で経済的に自立できる大多数の障害者を対象とするのである。
 このように、総合プログラムは構造上にもなんら問題がないばかりでなく、地域社会に住むすべての人びとにとっても有益なものとなろう。いわゆる「老人里親プログラム」の経験によると、人びとが人びとを助けるプログラムは、それに参加したすべての人びとにとって有益なものであった。この老人里親プログラムとは、施設に収容されている患者に対してなんらかのサービスを行うものであり、これによって、普通の患者およびその施設にいる障害者が非常に喜んだばかりでなく、老人自身もなんらかの生きがいと自分も社会に参加しているという意識をもてたのである。障害者やいわゆる「普通」の隣人に役だつ「あなたの隣人を助けましょう」プログラムは、自助の精神、そして各種公営住宅地域で現在明らかな、地域社会の努力にぴったりと結びつくものであった。
 昭和40年代半ばから始まった福祉のまちづくりは幾多の変遷を経て、現在は新たな時代を迎えている。具体的に言うと、1994(平成6)年度に「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律案」(ハートビル法)制定がされたこと、これにあわせて、建設省は厚生省と協議の上「生活福祉空間づくり大綱」を策定し、高齢者・障害者にやさしい空間造りを推進するためにその指針や目標を定められたこと、さらに、最近は福祉のまちづくりを条例制定によって積極的に推進しようとする自治体が多く現れていることなどであり、高齢社会に対応するべくさまざまな施策が講じられているこ まず最初に法、条例における整備基準(以下整備基準とする)そのものが抱えている問題点について記したい。
 まず、対象となる建築物を一部の建築物に限定していることである。たとえば、市役所や公会堂、デパート・劇場などの公共性の高い建築物や面積の大きい建築物には不特定多数の市民が利用することが予想され、従って多数の高齢者や障害者の利用が予想されるが、翻って一人の市民としての障害者の生活を考えると、これら公共的建築物・面積の大きい建築物より日常生活に必要なスーパーマーケット、生鮮食料品店、美容院・理容店の利用のほうがはるかに高いのである。しかし、このような小規模建築物は整備基準の対象に含まれていない。
 次に、整備基準には最低限必要なことから理想的な事項まですべて同じように記述されていることである。元来基準は、守るべき最低限の記述にとどめるべきであるが、さまざまなレベルが記されており、整備基準の遵守を困難にしている。
 第3に、用途・規模にかかわらず、すべて同じ整備基準が適用されるために、小規模建築物には実現困難なこともある。たとえば、車いす使用者用の便所は2m×2mと一般的にいわれているが、面積の小さい建築物では、このような大きさの便所設置は困難なことが多い。
 第4に、整備基準は建築物への訪問者に対する考え方が中心であり、そこで働く障害者への配慮まで行っていない。従って整備基準の対象外となることが多い。
 第5に、整備基準はアクセス、すなわち建築物にどのように近付けるかが中心の記述であり、建築物を利用して建築物を訪問する目的を達成できるかどうかは次の問題、といった感がなきにしもあらずである。さらにいうならば、非常時への配慮はほとんど一般的な考えに留まっていて、高齢者や障害者の行動特性を考慮したものではない。
 本来福祉のまちづくりは、地域社会に生活する高齢者や障害者の生活を支援する総合的な視野に立って行われるべき性格のものである。しかし、これまで福祉行政の一部として推進されてきた。そのこと自体はさほど問題とはならないが、他の行政組織との連携が十分でない、あるいは連携がないこと、すなわち縦割り行政の弊害として多くの問題が指摘されてきた。
 また、高齢者や障害者の意見や要望を把握するために行政側は内部に推進協議会を設置した自治体は比較的うまく推進したが、設置しなかった自治体は形式的な推進にとどまり、特に次項に述べる市民の理解を得るには困難であった。
 当初、福祉のまちづくりは行政が中心になって推進するべきとの考えが強かったが、次第にこれには限界があってやはり事業者や市民の理解と協力なくしては推進が困難との見方が強くなってきた。しかし、現実には十分な成果を挙げたとは言い難い。
 福祉のまちづくりの視点から、事業者といえばまず、建築主と設計者を思い浮かべる。建築主は、自分が建てる建築物を高齢者や障害者が利用することは少ない、あるいはわざわざ経費をかけて整備してまでも高齢者や障害者には利用してもらうこともない、との考えから、整備基準の適用に難色を示すことが多い。設計者も福祉のまちづくりに十分な理解を示したとはいい難い面があって、それは完成された建築物における整備基準に基づく障害者の配慮を総合的に見ると容易に判断できる。仮に設計者が良く理解したとしても、建築主が同じレベルで理解をしなくては結果が出ないというジレンマを設計者は多く感じたことだろう。
 しかし、何といっても福祉のまちづくりに対する市民の理解の欠如が決定的である。整備基準に基づいて配慮された部分が市民の何気ない行動によって台無しにされることは、日常茶飯事である。たとえば、視覚障害者用ブロックの上に駐車・駐輪したり、障害者専用の駐車スペースの表示を無視して駐車をしたりといった行動である。
 これまで、全国各地の福祉のまちづくりのさまざまな動きに、さまざまな立場から関わってきた体験をもとに、計画としても今後にあるべき方向に向かって、何をなすべきかをまとめてみたい。
 これまでの福祉のまちづくり行政は、どちらかといえば、行政側が推進しやすいような形で展開されてきた。そのために、相当の努力が払われてきたにもかかわらず、障害者の日常生活における利便性はそれほど高まらず、障害者の評価を十分に得られていないのが現状である。今後は地域社会で生活する障害者や高齢者の立場に立った福祉のまちづくり施策を基盤に、一市民として、働く市民として、国際人としてそれぞれの立場を踏まえた福祉のまちづくりを広く展開していくことを基盤におくべきである。
 このほかにも、福祉のまちづくりは、福祉の視点よりも高齢者や障害者の人権を保障するといった考え方に基づいて実施するほうがより多くの市民に理解されやすい。またノーマライゼーション思想や市民と行政とが一体となったまちづくりを基盤に置くのは当然である。
 福祉のまちづくりを総合的に捕らえようとすればするほど、基本的な方針をしっかりと押さえておかねばならない。ここでは、特に整備基準にの基本方針について検討したい。
 改めていうまでもなく、福祉のまちづくりは、高齢者や障害者にとって現在の環境が利用できないことに端を発しており、この問題を解決すべく、建築物等に接近でき、利用できるようにするのが主目的である。
 高齢者や障害者が広域にわたって移動する場合、まず安全に移動できることが必要であるが、現状ではさまざまな困難が伴う。視覚障害者誘導用ブロック上の放置自転車や駅のホーム上のブロックの未整備等によりけがをしたり、けがをしたり生命が脅かされたりすることがある。、安全な移動の確保のための早急な対策が必要である。
 また、高齢者や障害者の活動領域の広がりに対応して、広域にわたる道路・公共交通等の安全性を高めるための体系的な整備が必要となっている。
 利便性・快適性が確保されれば、最低限の目的を達成できるが、できるのであれば、高齢者や障害者に対する配慮に温かさや優しさが感じられるほうが良いに決まっている。しかも、できるだけ、その配慮は分かりやすく、さりげないほうが気持ちが良い。しばしば、これ見よがしに配慮を行なったようなデザインがあったり、高齢者や障害者のために特別なデザインが施されている例が見られるが、決して好ましいことではない。
 建築物・道路・公園・公共交通施設等、個々の都市施設の整備は、福祉のまちづくりの視点から見ると着実に進みつつあるといえる。しかし、ある建築物が完全にバリアフリー化され、そこに至る道路も完全にバリアフリーであっても、建築物と道路の接点に段差があって建築物が利用できないといった例がいくらでもあった。また、そこへ至るまでの移動が困難なため、結果として、その施設を利用することができない例は多い。さらに、地域によって視覚障害者誘導用ブロックの敷設の方法が異なるといったような整備の仕様や基準の不統一もしばしば見受けられる。
 従来の福祉のまちづくりにおいては、日常生活圏内の移動及び電車・地下鉄等の交通機関を用いた広域にわたる移動について、連続性や面としての広がりをもつ整備(道路・交通網等)という視点が十分ではなかったといえる。従って、具体的には駅施設のエレベーター・エスカレーター等の整備を図るほか、バス停留所・バス車両等についても整備を推進する必要があろう。
 そこで、福祉のまちづくりを推進するためには、地域を基本としつつ、広域にわたり連続性、統一性のある計画的整備を図ることが重要である。
 建築物に高齢者・障害者の配慮を行なうと、行なわなかった時に比べて若干の経費高になることは否めない。建築物の面積が小さければ、なおさら工事費に占める割合いは大きくなる。しかし、大きな視点で捕らえると、配慮を行なわなかったために失われる損失は、物理的にも精神的にもは計り知れな。仮にその建築物を後々障害者に配慮して改修するとなると、当初の数倍の費用がかかることになる。このように考えると、新築の場合には当然のことながら障害者に配慮を行なうことが必要であり、大きな視点から見れば、経済的効果も大きいのではないだろうか。
 21世紀に向けてさまざまな施策の展開が図られている中で、超高齢社会を念頭に置いた環境整備を構築していかねばならないことは、もう国民の間ではほぼ常識化しているといえよう。しかし、具体的な課題となるとなかなか見えてきていないのが現実である。経済的基盤にまだ余裕のある今のうちに環境整備を推進しないと、将来は多くは望めまい。
 まず将来の社会環境整備のビジョンを確立すべきである。そのビジョンに向かっててどのように推進して行くかの計画づくりを行なう。これまでの福祉のまちづくり手法は、はっきりしたビジョンが見えてこなかった嫌いがあり、いってみれば、できることからやっていくといった方法で進められてきたのではないか。今後は、建築物を整備していくには、現在の問題点を解決すべく方策を検討し、いつまでに何をするかをきめ細かく計画を作る。公共交通では、今なお多くの課題が残されているが、将来のあるべき姿を確立し、それに向けて何を計画的にすべきかのプログラムを企画することこそが、今求められている大きな課題である。大きな構想と具体的な数値を掲げた目標の設定も必要である。
 このような気運はわずかづつではあるが、見えてきている。たとえば、障害者プラン(平成7年)では、幅の広い歩道13万kmの整備、段差5m・1日の乗降客5,000人以上の駅舎のエレベーター設置化、窓口業務を持つ官公庁等のバリアフリー化 高速道路等のSA・PA(サービスエリア・パーキングエリア)のトイレや車いす駐車スペースの整備等、あるいは建設省「生活福祉空間づくり大綱」(平成6年)では、21世紀初頭までに高齢者安全に配慮した住宅を約500万戸整備、高齢者向け公共賃貸住宅約35万戸の供給、市町村1個所以上に水辺空間の整備、歩いて行ける範囲に公園のネットワーク11万個所、としている。
 このような具体的な目標を持った計画があることは非常に評価できるが、残念なことにほとんど知られていない。市民の意識を高める意味においても、もっとアピールする必要はないのだろうか。また国全体のこのような計画構想を各都道府県レベルで実施するよう具体的に検討すべきではなかろうか。
 これまでの福祉のまちづくり運動が積極的に推進されてきたにもかかわらず、もう一つ成果が挙げられにくかったことの一因に、この施策がどちらかというと、単独に進められてきた為とも思われる。今後の福祉のまちづくりが生活者の視点を基盤に置くとすれば、あらゆる施策が関連すると思われる。特に環境整備の諸施策(たとえばごみの問題、放置自転車の問題、広告物の放置や店先の道路の占有の問題など)や、一方で高齢者に対する新ゴールドプランや高齢社会対策大綱(平成8年厚生省)など、先に述べた生活福祉空間大綱や障害者プランとの整合性を図りつつ施策を展開するほうが、効率的ではないだろうか。
 先に行政内の組織づくりが福祉のまちづくり成否の明暗を分けると記したが、重要なことは、福祉のまちづくりが行政と事業者と市民の協働が基盤にあり、かつ行政が先導的役割を果たしていくことが最も重要であることを指摘したい。行政がやる気を見せてこそ、動きはじめることはこれまでの自治体の成功例、失敗例をみても明らかである。次に行政内部の横のつながりが重要である。これは、これまでに何回も記してきたように、福祉のまちづくりを生活者の視点でとらえるときに、また福祉の視点ではなく生活者の権利として捕らえることにより一層明確になる。
 また当事者の意見を聞くことがほぼ常識的に考えられるようになってきたが、実のところその成果となると、必ずしも十分といえない。それは多くの場合、推進協議会などで、当事者の意見を総論的に聞き置くといった形式が多く、個々の建築物の設計時点で当事者の意見を考慮に入れながら設計図面を訂正していくといった方法はほとんど取られていないからである。今後は、できる限り当事者が設計の場面で意見・要望をいえるような形をとっていくことができるような仕組みづくりの検討するべきである。さらに高齢者や障害者が行政の行なう福祉のまちづくり施策をチェックできるような機構が今後ますます必要になるのではないか。そして相互に話し合うことこそが質の高い福祉のまちづくりにつながっていくのではないだろうか。
 条例では、建築物・道路・公園・公共交通施設等一定規模以上のものに対して、新設または改修の場合、事業者に対して届出を義務づけている場合が多い。
 さらに、建築物については種類及び規模に応じて届出項目を設けるなど、事業者の負担や実効性の確保に配慮したきめ細かい運用を行っている。これにより、条例の全面施行後に新設又は改修される施設については、整備基準に基づく整備が進んでいくこととなるが、この条例は建築安全条例のような建築基準法関係法令とは異なり、いわゆる強制力をもつものではなく、事業者の理解と自主的な協力による運用を基本とするものである。
 そのため、条例に規定する届出制度を適正に運用するためには、福祉のまちづくりに関する事業者の意識の高揚を図ることにより、理解と協力を得る必要がある。また、事業者が届出を行う際の指導・助言等を含む行政指導を的確に行うことが非常に重要となってくる。
 一定規模以上の公共的施設については、整備基準に基づく整備が推進されることになるが、条例の全面施行以前に建築された既存建築物が、建築物の大多数を占めているという現状から、高齢者や障害者が円滑に利用できるようにするため、この整備を促進する必要がある。また高齢者や障害者の社会参加を推進するためには、条例で定める届出義務の対象外である小規模の物品販売店や飲食店等、日常生活に密着した都市施設についても、整備を推進する必要がある。これについて、既に条例を制定している市の中には、小規模の建築物についても届出を義務づけている例があるので、将来的には届出要件の拡大が望まれる。
 住宅はすべての市民にとって大切な生活基盤であり、とりわけ高齢者や障害者にとって住み慣れた地域で生活するためには、バリアフリー化された住宅の整備が必要である。
 具体的には、公的住宅の整備や民間集合住宅の共用部分のバリアフリー化の推進等が必要である。さらに、民間住宅の専用部分についても、将来に備えてできるだけ加齢対応の整備を促進する。
 また、高齢者や障害者の社会参加を図るためには、就業の場にできるだけ近接したところに、居住の場としての住宅の確保を図ることも重要であろう。
 平成7年1月に起こった阪神・淡路大震災では、多くの高齢者や障害者の方々が犠牲になった。この大震災の教訓を踏まえ、高齢者や障害者を守るための基本的対策として、建築物の耐震化、不燃化、バリアフリー化を図る必要がある。また、災害発生時における高齢者や障害者の避難・誘導等の救援体制の確立、災害発生直後の情報収集伝達体制の整備、また、その後の中・長期にわたる避難所や仮設住宅での生活において高齢者や障害者を守るための対応策を講ずる必要がある。
 なお、長期にわたる道路工事等の理由により、一時的に都市施設の利用が妨げられる場合などについても、高齢者や障害者が安心して円滑に利用できるような整備の方法等について検討する必要がある。
 高齢者や障害者は、日常生活を営むうえで、必要な情報を得ることが困難な状況に置かれることが少なくない。高齢者・障害者等が円滑に移動し利用できるよう、施設利用に伴う様々な情報や、高齢者や障害者の社会参加を促進するための文化情報等をできるだけ速やかに正しく伝達することか大切である。
 視覚障害者、聴覚障害者あるいは知的発達障害者等の、移動や施設の利用についての十分な情報を得ることが困難な人々に対して、適切な情報を伝達するための体制の整備も重要である。さらに、表示等について、誰にでも分かりやすいものとなるよう、統一的でしかも多様な人々に配慮した総合的な整備も重要です。また、情報の提供の方法だけでなく、高齢者や障害者にとって必要な情報を、正確にかつきめ細かく把握するための情報収集の方法についても検討する必要がある。
 高齢者や障害者が生活しやすい地域社会を実現するためには、すべての市民が地域における福祉のまちづくりを支える一員としての役割を認識することが必要である。そのためには、市民一人ひとりが高齢者や障害者に対する理解を深め、まちづくりを共通の問題として捉え、身近なところで何かできるのかを問い直し、福祉のまちづくりに参画していくことが重要である。例えば、路上に自転車を放置しないことや、盲導犬に対する理解と受け入れなどがその第一歩となろう。また、市民・事業者・行政がそれぞれの役割と責任のもとに協働し、地域における福祉のまちづくりの推進に積極的に取り組むことが必要である。特に、福祉のまちづくりの推進には事業者の役割は非常に大きく、その理解と協力がなければ福祉のまちづくりの実効性の確保は難しいため、そのための啓発活動は欠かせない。また、福祉のまちづくりにおいて、高齢者や障害者等についても、地域社会の一員として自ら進んで行動する積極性が求められている。
 一方、市民・事業者・行政が相互に有機的に連携し福祉のまちづくりを総合的かつ効果的に推進するためには、行政の果たす役割は非常に重要と思われる。行政は高齢者や障害者が生活しやすい地域社会を実現するため、あらゆる機会を捉えて市民等に福祉のまちづくりの理念が浸透し、福祉のまちづくりの重要性が認識され、また、その自発的な活動が促進されるよう福祉のまちづくりについての普及・啓発を継続的に進める必要があろう。
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・野村歓「福祉のまちづくり概論」リハビリテーション研究No.80、1994年6月、日本障害者リハビリテーション協会
・東京都福祉のまちづくり推進協議会(検討部会長野村歓)「福祉のまちづくり推進計画の基本的な考え方と施策の基本的方向について(答申)」平成9年3月、東京都
・野村歓他「高齢者・障害者に住みよいふくしのまちづくり」厚生行政科学研究報告、平成2年
・長寿社会における生活環境整備検討委員会(委員長野村歓)「高齢社会のための街の環境整備事業報告書」シルバーサービス振興会、平成6年
・野村歓「福祉のまちづくりへの課題」平成9年、簡保資金振興センター