谷口吉生
(1)土門拳記念館
日本海に注ぐ最上川の河口に開けた山形県酒田市は、江戸時代から栄えた港町である。街には本間家や鐙屋などのかっての大地主や豪商の旧宅が今でも残り、往時の繁栄を伝えている。「土門拳記念館」は、この酒田市の南西の広々とした飯森山公園の一角にある。白鳥や家鴨が羽を休める池(人工池)のほとりに建ち、周囲の環境と見事に調和したシンプルな直線美による美しい建物は、それだけでも見るに値する。吉田五十八賞、日本芸術院賞を受賞した建築である。
同館はその名の通り、日本の写真界の第一人者として、海外でも幅広くその名を知られた写真家、土門拳の美術館である。昭和49年(1974)に酒田市の名誉市民第一号に推された土門拳は、その顕彰式で白身の全作品を市に寄贈することを提案し、これを受けた酒田市は、昭和58年に完成させた。個人の写真美術館としては当時、世界初のもので、同館では彼の生涯にわたる作品、約7万点を収め、順次紹介を行なっている。詩人の高村光太郎も、「土門拳のレンズは人や物を底まであばく」と評している。代表作には『古寺巡礼』、『室生寺』、『ヒロシマ』、『筑豊のこどもたち』、『風貌』、『文楽』、『日本名匠伝』などがある
土門拳の大作が飾られる主要展示室。同館では彼の作品の保存・公開をするほか、作品の研究や写真研究の場としての機能も備えている。 展示にあたっては、年4回のサイクルで作品構成を替え、館内の3つの展示会場で紹介を行なっている。主要展示室で主に飾られるのは、2度の脳血栓を乗り越え、最後は車椅子で撮影を続けながら、完成させた執念のライフワーク、『古寺巡礼』。大判に伸ばされた作品は、まさに肉眼を超えた圧倒的なパワーで見る者に迫ってくる。
同館には彼と交友の深かった人々も、いくつか作品を寄せている。ギャラリーへと進む中庭に、世界的な彫刻家イサム・ノグチが彫刻の「土門さん」を、企画展示室Ⅱからの庭には草月流家元・勅使河原宏が最上川の平石を敷き詰めた庭園「流れ」を作庭している。そして、グラフィック・デザイナーの亀倉雄策は、同館の銘版とポスターのデザインを手がけている。いずれも、同館の完成時に3度目の脳血栓で、意識不明の状態にあった土門拳の再起を願って作られたものである。
土門拳は同館の完成から7年後に、残念ながら自身の美術館を一度も見ることなく意識不明のまま生涯を閉じた。享年80歳であった。
建築は飯森山自然公園の雄大な自然美と、記念館の直線的外観が、絶妙な調和を見せている。RC打放しの箱型の建物で、型枠の打続きラインがキューブの積み重ねにも見える。重量感を感じさせる質感である。中に入ると廊下のようなギャラリーを抜けて離れのような展示室があり、その奥には勅使河原宏氏デザインの迫力ある庭園が見える。その反対方向には池があり、不思議と落ち着く空間になっていた。また、この記念館は市民に大変愛されているようで、池の周りにある遊歩道にはアジサイが咲き、大勢の人が散策している。見学後、階段を上がってブリッジを渡ると建物の裏へ出る。池を回遊し対岸からベストショットを眺める事になる。記念館の池に面した休憩室外のテラス部分に出るサッシュのドアには注意書きがされ若干興ざめである。保存状況はメンテナンス非常に良く、建築が大切に取り扱われ、地域に同化している点は好感が持てる。
作品の背景にふさわしく簡素な意匠と言える。展示空間は写真保存の観点から自然光は入らないが、ラウンジは人工池に浮かぶかのように配置され非常に明るい。来館者は土中に一部埋められた展示空間から、土門作品の永久性を感じ取り、水に浮かぶラウンジで日差しで変わる水の色や四季の移ろいと共に鑑賞の余韻を楽しむ。二つの空間は対比を見せている。繊細で鋭角的な意匠で統一されている。
(2)酒田市国体記念体育舘
土門拳記念館と同じく酒田市飯森山公園の中にある市の建築した体育館である。先に建設された土門拳記念館とはスケールや施工素材が異なり対比を見せながら調和している。土門拳記念館が小さくとも重量感を感じさせるのし対し、体育館は大きいが軽やかで公式競技用の大アリーナと練習用小アリーナ及び弓道場からなる。最大の特徴は大空間を成立させる架構構造にある。大小アリーナ共に観客席の下部構造の上に張弦梁を乗せる構造となっている。これが建築の高さを抑える為に有効である。体育館の屋根外面は金属幕面で覆われ軽快な感じである。内部は構造体をそのまま意匠として表している。水平方向に連続する梁の先端は、翼のように拡がり、地上に反射する光を間接的に取り入れている。二つの体育館の屋根から張り出すウイングが並ぶ姿が軽快である。手前の体育館側には円弧状に目隠しをした内側に野外ホールのようなものをつくり奥の体育館側には弓道場を配置している。なかなか工夫が凝らしてあるが、予算の都合かやはり「土門拳記念館」を見てしまうと印象は薄れてしまう。体育館は、シルバーの外壁が腐食してきていて残念である。美術館より新しいが、手入れの仕方の為に少し古びて見える。内部は、体育館らしい臭いがした。用務員の方の話しでは空調が後付けとの事で換気が悪くせいた匂いが篭っている。右側にグラウンドを挟んで土門拳記念館がある。記念館から観ると庇部分が光っており宇宙船の不時着のようでもあり、軽やかに綺麗である。
(3)長野県信濃美術館/東山魁夷館
風景画家東山画伯の美術館として、来館者が展示空間を中心とした施設内を一巡することによって、作品鑑賞および周辺環境との視覚的な関係を通して、東山作品に深く思いを巡らす事ができる構成としている。外観の意匠は、既存の商業施設等との意匠的競合を避け、単純な幾何学的形態とすると同時に、周辺の海辺や小島の美しい自然と呼応して、新しい景観を形成している。展示空間も展示される作品の背景に適した簡潔な意匠とされ、貴重な作品を広く公開すると同時に、永久保存を行うための高い機能性と恒久性を持った空間としている。展示空間に加えて、東山魁夷画伯の人となりや画業を紹介するためのコーナー、作品鑑賞の余韻を楽しむための場所としてラウンジなどを設け、それぞれが特徴のある空間となっている。
昭和62年、東山魁夷画伯は、信州の豊かな自然が自身の作品を育てた事から、自家所有の作品などの全てを長野県に寄贈された。県は東山魁夷美術館を計画したが、その敷地は善光寺の賑わいや野球場の喧噪に隣り合わせた日常的な公園の風景の一角の窮屈な場所で、東山芸術にふさわしい敷地とは思えないものであったが、画伯自身から設計者に指名された建築家・谷口吉生は、この地に全く新しい風景を描き出している。建物は一切の装飾性を排し、伝統的な材料をひとつも使わずに侘びも寂びもしないモダニズム仕立ての中で、日本の美意識をみごとに表現しているのである。緊張した雰囲気を醸すエントランスは、駐車場に車を停めて階段を数段上ったとたん、市街地の渋滞を抜けてきたばかりの猥雑な気持ちを、瞬く間に浄化する。館内に入ると正面の吹抜の階段で2階の展示室に導かれる。内部は直線的な壁と水平な天井とで四角く簡潔に構成されているが、展示室を進むのにしたがい切りかえされていく空間は、期待感と充実感を演出し、深い満足感をもたらしてくれる。展示室を廻り吹抜のギャラリーから1階に戻ると、その先で水の張られた庭に張り出した逆光のラウンジに放り出される。ラウンジにあふれる水面に反射した自然光の乱舞に包まれていると一瞬、東山芸術に同化したかに錯覚するようだ。
その外観は単純な幾何学形的とアルミパネルによって、東山画伯の作品の背景として清冽な風景を映し出している。また、エントランスからの中庭の風景は精錬された建築美を眼にすることができる。善光寺の東側城山公園内、北は東山魁夷館、南は信濃美術館と渡り廊下で繋がった二つの建物からなっている。入り口までのスペースには梓川をイメージした水と石で出来ている。外観と同様、内部空間も一切の装飾を排し、無駄な線を消し去り淡白なデザインである。しかしながらプランニング、空間の切り取り方、面や空間のプロポーションは洗練されて、妥協することがない。
白銀に輝く外壁と中庭の水面との対比だけが印象的であるが、美術作品を鑑賞して館内を散策していると、まるで、野山の自然の中を歩いているような静寂な心地よさにつつまれてくる。技術的には、開口部や建具あるいは床・壁・天井の納まりの無駄な線を消し去り、外部空間や内部空間同士を効果的に演出するように平面・断面計画と開口の開け方が意図してされているということなのだが、よほど、そうした設計作法に通じていなければ出来ない技であろう。建築に素材感や量感を持たせず、存在感ですら消し去った独特の手法は、展示芸術を引き立てる装置としての建築である美術館にこそふさわしい。作者の意図の一端を見た気がした。隣にたつ日建設計の長野県信濃美術館は、あくが強い建物だけに、このシンプルな形と材料には、ほっとするものを感じる。池に張り出した庇とラウンジから池越しに見える松の樹からも『和』を感じさせる。ラウンジに座って池を眺めていると陽の光が反射して天井に当たり、その光が風と共にゆらいで、いかにも水音がきこえてきそうであった。
(4)東京国立博物館/法隆寺宝物館
上野公園の中にある東京国立博物館の敷地内につくられた宝物館である。これまで保存中心とされてきた展示物を、さらに保存機能を高めつつ広く一般公開する事を目的としている。この永久保存と公開展示という二律背反する条件を同時に達成する為に、展示室や収蔵庫は外界遮断する分厚い壁で囲い、ロビーやラウンジはその外側にガラスで覆われた明るい解放的な空間を配している。そのため内箱、外箱のような外観になっているのであろう。これまで手狭であったため週一でしか見られなかった法隆寺の宝物を常に見られるようにということでつくられた建物である。左右及び天井を囲った箱をつくってそこに柱を立てるという彼の作品の特徴が今回も見られる。これも必ずといっていいほど見られるのだが、建物の横に併設するように小振りの喫茶室がある。内部は全面黒の部屋にガラスの展示ケースが並べられている。建物の前にある噴水もマッチしており気持ちが良い。
この建築の美しさは誰の目にも判り易いであろう。20世紀モダニズムの極致のような凛然たる存在感と心地よいプロポーションによるものだと思う。そこには構想からディテールに至るまで終始一貫して緊張感とこだわりのあるものづくりとしての鋭い姿勢がみえる。選びぬかれた素材によるシンプルな構成と寡黙な表現は、そのために費やされたであろう膨大なエネルギーを微塵も感じさせず洗練の限界を極めており、そこに佇む者の背筋を硬直させる。東京国立博物館にはこの他に本館、表慶館、東洋館などがある。法隆寺宝物館は以前からあったが保存を主目的にしており、その貴重な資料を保存し且つ公開することを目的に建て替えられた。
ここでは大きな額縁の中に縦繁格子のガラスの箱をはめこんだようなデザインになっている。このキャノピーは建築と前面の外部空間を一体的に接続する役割を果たしており、この場合は手前に広い静かな水盤がある。キャノピーを支える柱はいつものように細い。縦繁格子とそれを支えるマリオンは葛西のレストハウスと同様に無垢のスチールのようだ。エントランスホールに入ると縦繁格子が外から見たよりも和風の印象で父谷口吉郎氏のデザインを彷彿とさせる。展示室は宝物を保存するため外光を入れていない。暗い展示室の中に仏像や彫刻などが浮かび上がるように展示されている。どうしてもディテールに目がいってしまう。コンクリート打放しの柱にPコンの跡がない。枠や格子などの納まりもシンプルに見せるために、役物という発想はないように見える。
(5)葛西臨海公園
①レストハウス
東京湾埋め立て事業の完成を記念して、公園の展望、休憩施設として建設された。記念建築としての象徴性に加え、以前に完成している水族館との調和も図られている。建築は巾7M、長さ75M、高さ11Mのガラス直方体と下部コンクリート基礎部分で構成されている。海辺のロケーションであり、建築高さは無いが、充分に展望はひらける高さであり、水平方向の導線が空中を散策している感覚を与える。
人は動いている様子が手に取る様に見えてとても面白い。建物のイメージは極限まで薄められ、残ったのは人のイメージだけで、ここまで人の印象が出てくる建築は他には無いだろう。
②水族館
東京都が上野動物公園100周年を記念して建設した水族館である。本館は直径100Mの円盤状であり、上部の入り口広場のみ外観上姿を現すが、以下地中に埋まっておりエスカレーターで水中に向かって降りて行くようになっている。
マグロの回遊している姿を見られるというのであっという間に人気の水族館になった葛西臨海水族園のある海上公園。水族館だけではなく、ホテルシーサイド江戸川というプチホテル、野鳥園、西のなぎさ、クリスタルヴューなど80haという広大な面積の公園の中にゆったりとしたスペースでつくられている。水族館はマグロやカツオが回遊しているからすごいというだけではなく建物もわくわくさせてくれるから素敵なのだ。階段を上がって一番上まで行きそこに広がるのが水の景色。クリスタルの棟が水の中に浮き、そのまま海に繋がる。その水の扱い方がすごい。光あふれる最上階からエスカレータで暗闇に降りると巨大な青い光が目に飛び込んでくる。全周が80~90メートルもある巨大な水槽の中で魚はゆっくりと泳いでいる。こんな幸せな東京の水辺の風景はどこにもない。建築は何も主張していない。
ただし水族館ゆえに小学生の団体が多いので賑やかである。なんと年間200万人以上の人が見に来るという人気の水族館ですから。別に水族館を見なくてもここではのんびりと時間を過ごせる。芝生の上でワインとサンドウィッチを広げる。西なぎさで貝拾いをする。鳥類園でバードウォッチングを楽しむ。でも何もしなくても気持ち良くいられるのはやはり水辺だからなのかも知れない。
(1)土門拳記念館
日本海に注ぐ最上川の河口に開けた山形県酒田市は、江戸時代から栄えた港町である。街には本間家や鐙屋などのかっての大地主や豪商の旧宅が今でも残り、往時の繁栄を伝えている。「土門拳記念館」は、この酒田市の南西の広々とした飯森山公園の一角にある。白鳥や家鴨が羽を休める池(人工池)のほとりに建ち、周囲の環境と見事に調和したシンプルな直線美による美しい建物は、それだけでも見るに値する。吉田五十八賞、日本芸術院賞を受賞した建築である。
同館はその名の通り、日本の写真界の第一人者として、海外でも幅広くその名を知られた写真家、土門拳の美術館である。昭和49年(1974)に酒田市の名誉市民第一号に推された土門拳は、その顕彰式で白身の全作品を市に寄贈することを提案し、これを受けた酒田市は、昭和58年に完成させた。個人の写真美術館としては当時、世界初のもので、同館では彼の生涯にわたる作品、約7万点を収め、順次紹介を行なっている。詩人の高村光太郎も、「土門拳のレンズは人や物を底まであばく」と評している。代表作には『古寺巡礼』、『室生寺』、『ヒロシマ』、『筑豊のこどもたち』、『風貌』、『文楽』、『日本名匠伝』などがある
土門拳の大作が飾られる主要展示室。同館では彼の作品の保存・公開をするほか、作品の研究や写真研究の場としての機能も備えている。 展示にあたっては、年4回のサイクルで作品構成を替え、館内の3つの展示会場で紹介を行なっている。主要展示室で主に飾られるのは、2度の脳血栓を乗り越え、最後は車椅子で撮影を続けながら、完成させた執念のライフワーク、『古寺巡礼』。大判に伸ばされた作品は、まさに肉眼を超えた圧倒的なパワーで見る者に迫ってくる。
同館には彼と交友の深かった人々も、いくつか作品を寄せている。ギャラリーへと進む中庭に、世界的な彫刻家イサム・ノグチが彫刻の「土門さん」を、企画展示室Ⅱからの庭には草月流家元・勅使河原宏が最上川の平石を敷き詰めた庭園「流れ」を作庭している。そして、グラフィック・デザイナーの亀倉雄策は、同館の銘版とポスターのデザインを手がけている。いずれも、同館の完成時に3度目の脳血栓で、意識不明の状態にあった土門拳の再起を願って作られたものである。
土門拳は同館の完成から7年後に、残念ながら自身の美術館を一度も見ることなく意識不明のまま生涯を閉じた。享年80歳であった。
建築は飯森山自然公園の雄大な自然美と、記念館の直線的外観が、絶妙な調和を見せている。RC打放しの箱型の建物で、型枠の打続きラインがキューブの積み重ねにも見える。重量感を感じさせる質感である。中に入ると廊下のようなギャラリーを抜けて離れのような展示室があり、その奥には勅使河原宏氏デザインの迫力ある庭園が見える。その反対方向には池があり、不思議と落ち着く空間になっていた。また、この記念館は市民に大変愛されているようで、池の周りにある遊歩道にはアジサイが咲き、大勢の人が散策している。見学後、階段を上がってブリッジを渡ると建物の裏へ出る。池を回遊し対岸からベストショットを眺める事になる。記念館の池に面した休憩室外のテラス部分に出るサッシュのドアには注意書きがされ若干興ざめである。保存状況はメンテナンス非常に良く、建築が大切に取り扱われ、地域に同化している点は好感が持てる。
作品の背景にふさわしく簡素な意匠と言える。展示空間は写真保存の観点から自然光は入らないが、ラウンジは人工池に浮かぶかのように配置され非常に明るい。来館者は土中に一部埋められた展示空間から、土門作品の永久性を感じ取り、水に浮かぶラウンジで日差しで変わる水の色や四季の移ろいと共に鑑賞の余韻を楽しむ。二つの空間は対比を見せている。繊細で鋭角的な意匠で統一されている。
(2)酒田市国体記念体育舘
土門拳記念館と同じく酒田市飯森山公園の中にある市の建築した体育館である。先に建設された土門拳記念館とはスケールや施工素材が異なり対比を見せながら調和している。土門拳記念館が小さくとも重量感を感じさせるのし対し、体育館は大きいが軽やかで公式競技用の大アリーナと練習用小アリーナ及び弓道場からなる。最大の特徴は大空間を成立させる架構構造にある。大小アリーナ共に観客席の下部構造の上に張弦梁を乗せる構造となっている。これが建築の高さを抑える為に有効である。体育館の屋根外面は金属幕面で覆われ軽快な感じである。内部は構造体をそのまま意匠として表している。水平方向に連続する梁の先端は、翼のように拡がり、地上に反射する光を間接的に取り入れている。二つの体育館の屋根から張り出すウイングが並ぶ姿が軽快である。手前の体育館側には円弧状に目隠しをした内側に野外ホールのようなものをつくり奥の体育館側には弓道場を配置している。なかなか工夫が凝らしてあるが、予算の都合かやはり「土門拳記念館」を見てしまうと印象は薄れてしまう。体育館は、シルバーの外壁が腐食してきていて残念である。美術館より新しいが、手入れの仕方の為に少し古びて見える。内部は、体育館らしい臭いがした。用務員の方の話しでは空調が後付けとの事で換気が悪くせいた匂いが篭っている。右側にグラウンドを挟んで土門拳記念館がある。記念館から観ると庇部分が光っており宇宙船の不時着のようでもあり、軽やかに綺麗である。
(3)長野県信濃美術館/東山魁夷館
風景画家東山画伯の美術館として、来館者が展示空間を中心とした施設内を一巡することによって、作品鑑賞および周辺環境との視覚的な関係を通して、東山作品に深く思いを巡らす事ができる構成としている。外観の意匠は、既存の商業施設等との意匠的競合を避け、単純な幾何学的形態とすると同時に、周辺の海辺や小島の美しい自然と呼応して、新しい景観を形成している。展示空間も展示される作品の背景に適した簡潔な意匠とされ、貴重な作品を広く公開すると同時に、永久保存を行うための高い機能性と恒久性を持った空間としている。展示空間に加えて、東山魁夷画伯の人となりや画業を紹介するためのコーナー、作品鑑賞の余韻を楽しむための場所としてラウンジなどを設け、それぞれが特徴のある空間となっている。
昭和62年、東山魁夷画伯は、信州の豊かな自然が自身の作品を育てた事から、自家所有の作品などの全てを長野県に寄贈された。県は東山魁夷美術館を計画したが、その敷地は善光寺の賑わいや野球場の喧噪に隣り合わせた日常的な公園の風景の一角の窮屈な場所で、東山芸術にふさわしい敷地とは思えないものであったが、画伯自身から設計者に指名された建築家・谷口吉生は、この地に全く新しい風景を描き出している。建物は一切の装飾性を排し、伝統的な材料をひとつも使わずに侘びも寂びもしないモダニズム仕立ての中で、日本の美意識をみごとに表現しているのである。緊張した雰囲気を醸すエントランスは、駐車場に車を停めて階段を数段上ったとたん、市街地の渋滞を抜けてきたばかりの猥雑な気持ちを、瞬く間に浄化する。館内に入ると正面の吹抜の階段で2階の展示室に導かれる。内部は直線的な壁と水平な天井とで四角く簡潔に構成されているが、展示室を進むのにしたがい切りかえされていく空間は、期待感と充実感を演出し、深い満足感をもたらしてくれる。展示室を廻り吹抜のギャラリーから1階に戻ると、その先で水の張られた庭に張り出した逆光のラウンジに放り出される。ラウンジにあふれる水面に反射した自然光の乱舞に包まれていると一瞬、東山芸術に同化したかに錯覚するようだ。
その外観は単純な幾何学形的とアルミパネルによって、東山画伯の作品の背景として清冽な風景を映し出している。また、エントランスからの中庭の風景は精錬された建築美を眼にすることができる。善光寺の東側城山公園内、北は東山魁夷館、南は信濃美術館と渡り廊下で繋がった二つの建物からなっている。入り口までのスペースには梓川をイメージした水と石で出来ている。外観と同様、内部空間も一切の装飾を排し、無駄な線を消し去り淡白なデザインである。しかしながらプランニング、空間の切り取り方、面や空間のプロポーションは洗練されて、妥協することがない。
白銀に輝く外壁と中庭の水面との対比だけが印象的であるが、美術作品を鑑賞して館内を散策していると、まるで、野山の自然の中を歩いているような静寂な心地よさにつつまれてくる。技術的には、開口部や建具あるいは床・壁・天井の納まりの無駄な線を消し去り、外部空間や内部空間同士を効果的に演出するように平面・断面計画と開口の開け方が意図してされているということなのだが、よほど、そうした設計作法に通じていなければ出来ない技であろう。建築に素材感や量感を持たせず、存在感ですら消し去った独特の手法は、展示芸術を引き立てる装置としての建築である美術館にこそふさわしい。作者の意図の一端を見た気がした。隣にたつ日建設計の長野県信濃美術館は、あくが強い建物だけに、このシンプルな形と材料には、ほっとするものを感じる。池に張り出した庇とラウンジから池越しに見える松の樹からも『和』を感じさせる。ラウンジに座って池を眺めていると陽の光が反射して天井に当たり、その光が風と共にゆらいで、いかにも水音がきこえてきそうであった。
(4)東京国立博物館/法隆寺宝物館
上野公園の中にある東京国立博物館の敷地内につくられた宝物館である。これまで保存中心とされてきた展示物を、さらに保存機能を高めつつ広く一般公開する事を目的としている。この永久保存と公開展示という二律背反する条件を同時に達成する為に、展示室や収蔵庫は外界遮断する分厚い壁で囲い、ロビーやラウンジはその外側にガラスで覆われた明るい解放的な空間を配している。そのため内箱、外箱のような外観になっているのであろう。これまで手狭であったため週一でしか見られなかった法隆寺の宝物を常に見られるようにということでつくられた建物である。左右及び天井を囲った箱をつくってそこに柱を立てるという彼の作品の特徴が今回も見られる。これも必ずといっていいほど見られるのだが、建物の横に併設するように小振りの喫茶室がある。内部は全面黒の部屋にガラスの展示ケースが並べられている。建物の前にある噴水もマッチしており気持ちが良い。
この建築の美しさは誰の目にも判り易いであろう。20世紀モダニズムの極致のような凛然たる存在感と心地よいプロポーションによるものだと思う。そこには構想からディテールに至るまで終始一貫して緊張感とこだわりのあるものづくりとしての鋭い姿勢がみえる。選びぬかれた素材によるシンプルな構成と寡黙な表現は、そのために費やされたであろう膨大なエネルギーを微塵も感じさせず洗練の限界を極めており、そこに佇む者の背筋を硬直させる。東京国立博物館にはこの他に本館、表慶館、東洋館などがある。法隆寺宝物館は以前からあったが保存を主目的にしており、その貴重な資料を保存し且つ公開することを目的に建て替えられた。
ここでは大きな額縁の中に縦繁格子のガラスの箱をはめこんだようなデザインになっている。このキャノピーは建築と前面の外部空間を一体的に接続する役割を果たしており、この場合は手前に広い静かな水盤がある。キャノピーを支える柱はいつものように細い。縦繁格子とそれを支えるマリオンは葛西のレストハウスと同様に無垢のスチールのようだ。エントランスホールに入ると縦繁格子が外から見たよりも和風の印象で父谷口吉郎氏のデザインを彷彿とさせる。展示室は宝物を保存するため外光を入れていない。暗い展示室の中に仏像や彫刻などが浮かび上がるように展示されている。どうしてもディテールに目がいってしまう。コンクリート打放しの柱にPコンの跡がない。枠や格子などの納まりもシンプルに見せるために、役物という発想はないように見える。
(5)葛西臨海公園
①レストハウス
東京湾埋め立て事業の完成を記念して、公園の展望、休憩施設として建設された。記念建築としての象徴性に加え、以前に完成している水族館との調和も図られている。建築は巾7M、長さ75M、高さ11Mのガラス直方体と下部コンクリート基礎部分で構成されている。海辺のロケーションであり、建築高さは無いが、充分に展望はひらける高さであり、水平方向の導線が空中を散策している感覚を与える。
人は動いている様子が手に取る様に見えてとても面白い。建物のイメージは極限まで薄められ、残ったのは人のイメージだけで、ここまで人の印象が出てくる建築は他には無いだろう。
②水族館
東京都が上野動物公園100周年を記念して建設した水族館である。本館は直径100Mの円盤状であり、上部の入り口広場のみ外観上姿を現すが、以下地中に埋まっておりエスカレーターで水中に向かって降りて行くようになっている。
マグロの回遊している姿を見られるというのであっという間に人気の水族館になった葛西臨海水族園のある海上公園。水族館だけではなく、ホテルシーサイド江戸川というプチホテル、野鳥園、西のなぎさ、クリスタルヴューなど80haという広大な面積の公園の中にゆったりとしたスペースでつくられている。水族館はマグロやカツオが回遊しているからすごいというだけではなく建物もわくわくさせてくれるから素敵なのだ。階段を上がって一番上まで行きそこに広がるのが水の景色。クリスタルの棟が水の中に浮き、そのまま海に繋がる。その水の扱い方がすごい。光あふれる最上階からエスカレータで暗闇に降りると巨大な青い光が目に飛び込んでくる。全周が80~90メートルもある巨大な水槽の中で魚はゆっくりと泳いでいる。こんな幸せな東京の水辺の風景はどこにもない。建築は何も主張していない。
ただし水族館ゆえに小学生の団体が多いので賑やかである。なんと年間200万人以上の人が見に来るという人気の水族館ですから。別に水族館を見なくてもここではのんびりと時間を過ごせる。芝生の上でワインとサンドウィッチを広げる。西なぎさで貝拾いをする。鳥類園でバードウォッチングを楽しむ。でも何もしなくても気持ち良くいられるのはやはり水辺だからなのかも知れない。