18日の木曜日。
「千葉県観光ボランティアガイド協議会」の総会がありました。
毎年、この時期に総会が開かれ、開催土地は毎年違います。
今回は「佐原」と知り、
「佐原」にはいつか行ってみたいと思っていたので、
主人の許しを貰い参加、できることになりました。
「総会」は出なくても、
ガイドさん付きの散策にはどうしても参加したかったのです。
ただ、ガイドの仲間の皆さんとご一緒させていただくので、
朝から電車の時間に遅れないように緊張しながら?参加してきました。
総会は午前中で終わり、
先輩が「拍手」だけしてればいいのよ。というアドバイスをくださったので、
素直な私は毎回大きな拍手を送りました。(笑)
ランチも皆さんと済ませ、
いよいよ、「街歩き」です。
古い建物が残されていて、今もなお、手を入れながら大切に使われているのです。
ちょっとどなたかのお顔が写っちゃってる。。。
新しいパソコンに画像編集機能を入れてないのでそのままです。
お見苦しいかもしれませんが。。。すみません・
此処の「いも」屋さんで、白あんのお饅頭を友人と一個づつ買い、
後で食べました。
焼き芋が入っていて美味しかったなぁ~
お住まいではなく、お商売だけです。
まだあった!!郵便ポスト!
私の実家にも、このポストがいまだにあるんです。懐かしい。。。
今の時代、「パーマ」の文字が、とっても懐かしくて。。。
「クリーニング」の看板と建物のバランスが。。。
こんなふうにあくまでも建物にこだわってお商売をされているのだそうです。
この前の川では、
白鳥が一羽住んでいるのだそうです。
羽を広げてくれるのを待っていたのですが。。。残念でした。。。
「佐原」は、
「佐原の大祭」と「佐原囃子」
いう国指定重要無形民俗文化財があります。
カメラに収めるのが上手くできなかったので、
興味のある方はサイトをご覧になってください。
お祭りの時に横の信号機だと邪魔になるので、
「佐原」の街はこの縦の信号機が多いのです。
そして、
「佐原」には、日本地図を作った「伊能忠敬」の生家があり、
記念館もあります。
記念館の敷地の中に、
「伊能忠敬」さんがいらっしゃいました。
頭を下げて前を失礼しました。(笑)
ガイドさんが記念館の中を案内してくださり、
私、地図に関してもあまり興味がなかったのですが、
もの凄く感動しました!
「伊能忠敬」の生い立ちから人生をかけて作り上げた日本地図。
しかも、50歳からの挑戦でした。
ただ、日本地図が出来上がったのが、
忠敬の死後3年経ってから。。。
その時代を生き抜いて、大きな業績を残された偉人達って沢山いらっしゃいます。
その方々の遺品を見せていただくと、
当時の方の文字の美しさには感動するのですが、
この「伊能忠敬」の残された書物の文字の美しさ、丁寧さ。。。
本当に目を見張る美しさでした。
今の時代、便利なパソコンを使って文字を綺麗に書くことができるけど、
鉛筆やペンを使って書いてこそかな?なんて思ったりもしたのです。
言葉にするとこんな単純な言葉でしか言い表せないのですが、
私が言いたいことは、
乱暴な字を書いていたら、実際、覚えないのでは?
丁寧に書いてこそ、記憶に残るのでは?
などと、思ったのです。
街歩きの最後は酒蔵の見学でした。
私はあの日本酒の臭いが苦手なので、入らず、外で待っていました。
その時、
私たちを案内してくださった女性のガイドさんが話しかけてきてくださり、
思いっ切り二人で会話が弾み、
「佐原」の子供たちは小学4年生になったら、「伊能忠敬」を学ぶと聞きました。
まだ3歳の「まこと」の顔が浮かび、
あの子が4年生になったら、もう一度一緒に来て、
「伊能忠敬」の存在や街並みを散策出来たらいいなぁ~なんて思いました。
それまで、元気でいたいです。
この橋の左側に「伊能忠敬」の生家、右側に「記念館」があります。
この橋は「樋橋」(とよはし)と言うのですが、
橋の所から30分おきにお水が流れ、
「ジャージャー橋」とも呼ばれています。
「伊能忠敬」は、この橋を18歩で渡ったそうで、
同じ18歩で渡れた人の得意げな顔!(笑)
私はなんと、24歩でした。
足の短さが証明されたみたいですね。(笑)
ちなみに「忠敬」の歩幅は70cmだったそうです。
この流れる川は「小野川」といいます。
駅も古い瓦屋根に格子。趣があって、「私の好き」がここにもありました。
「佐原」までの道のりで、
電車の一両目に乗って、
こんな田園風景を眺めていたら、
妙に田舎が恋しくなって、
実家に向かう線路に似てて母の顔が浮かび、
泣けて泣けて。。。涙をこぼしながら見つめていました。
情けない。。。ね。
またいつか機会があったら訪れてみたい街でした。